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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第二章 永久の歌姫
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幕間 『流星ヒーロー』

 狐の半妖はんようは目を細め、煙を出していとも容易くその場から逃げ去ってしまった。わたくしがしばらく周囲を警戒しても、狐の半妖が姿を現すことはない。


「スザクさん!」


 その代わりに、わたくしは突然姿を消したスザクさんの姿を探した。心春こはるもわたくしの肩から周囲を見回し、言霊ことだまで散乱した巻物を宙に浮かべていく。


「どうしよう、どこに行っちゃったんだろ……」


「スザクちゃんのことなら、心配しなくても大丈夫だよ」


 二人して扉の方向に視線を向けると、百目ひゃくめと九尾の妖狐の半妖姿に変化へんげをした熾夏しいかがそこに立っていた。


「熾夏!」


「大事な時に間に合わなくてごめんね。それよりもかなねぇ、ホールの方に早く行ってあげて」


 いつになく真剣で余裕のなさげな熾夏を見て、わたくしは理由を聞くのをやめた。


「わかりました」


はるちゃんはこっちにおいで」


 わたくしの肩から熾夏の肩へと移った心春は、わたくしの方を振り向いて息を吸い込む。


「『風になれ』!」


「心春……。ありがとうございます!」


 心春の言霊の力を借りたわたくしは、人魚にんぎょの半妖姿でも泳ぐような早さで熾夏の隣を通り過ぎた。

 隠し扉の方は、陰陽師おんみょうじでないと通れない仕組みになっているのが悔しい。だからこそ、普通に走るよりも──遠回りをしてでも、すぐに辿り着ける心春の能力がありがたかった。


「──ッ!」


 五月の上旬に行った《陽陰おういんフェスティバル》以来、まったく来ていなかったホールへの扉を開けようとする。けれど、何故か半妖の力を使っても扉は頑なに動かなかった。


 いくら押してもびくともせず、嫌な予感だけが増幅していく。わたくしはいてもたってもいられなくて水の槍を作り出した。

 近距離で放って扉を壊し、無理矢理開けるという強行手段に出る。すると、ホールから大量の水が溢れ出してきた。


「……結希ゆうきくん!?」


 結希くんと別れてから、まだ十分も経っていない。なのにもう決着がついてしまったと言うのか。


「結希くん! 結希くんっ!」


 水の流れに逆らい、中に入ったわたくしは泳いだ。どんどんとホールの外へと流れ出ていく水の中は泳ぎにくかったが、人魚の誇りにかけてわたくしは結希くんを探し出す。


『結希くん!?』


 広いホールでついに見つけた結希くんは、一番深くなっているステージ付近でぐったりとしていた。辺りには慣れ親しんだ水とは違う、赤い何かが漂っている。

 わたくしは泳ぐ速度を上げたけれど、途中で見えない壁に阻まれてしまった。思い切り結界に激突してしまいながらも、わたくしは必死に結希くんに視線を向ける。


『結希くん! 意識はありますか?!』


 声をかけて、わたくしは口を閉ざした。いくらわたくしが人魚でも、水の中ではどんなに頑張っても声なんて届くはずがない。


『なら、これは貴方に届きますか……?』


 わたくしは息を吸い込んで、歌った。


 人魚の半妖はただの水の使い手ではない。人魚の半妖が最も得意としているのは、今も昔も〝歌〟だった。


 わたくしの〝とっておき〟の歌は、水中だととても美しい音色を奏でる。逆に地上では喚き声にしか聞こえないのが難点で、それを遠い昔に存在していた誰かが〝滅びの歌〟と呼んだのをわたくしは文献を読んで知っていた。


(お願いだから、どうか届いて……!)


 涙は水中に紛れた。声はまったく枯れず、わたくしは永久とわに歌い続ける。


 童話の《人魚姫》のように、大切な人を想い続けてわたくしは歌った。





 ──王子様に選ばれなかった可哀想な人魚姫は、

 海に身を投げて泡となって消えてしまいました──



 幼き日のわたくしは、その一文を読んでもらった途端に酷く泣いた。童話の《人魚姫》の結末は、人魚姫に一瞬でも憧れたわたくしの心に深く深く突き刺さっていた。


 わたくしの感情を理解してくれたのか、この時、真璃絵まりえ姉さんだけがわたくしの頭をよしよしと撫でてくれたのをよく覚えている。

 シロねぇ依檻いおり姉さんも、育ての親で《人魚姫》を読んでくれた朝日あさひさんも、そんな真璃絵姉さんとわたくしをただ見ているだけだった。


「大丈夫よ」


 不意に朝日さんが微笑んだ。何が大丈夫なのかはわからないけれど、わたくしはそれだけで少しだけ安心する。


歌七星かなせちゃんは人魚姫じゃないわ。歌七星ちゃんにはきっと、こんな王子様よりももーっともーっとステキな王子様が現れてくれるわよ」


「……いや。おうじさまは、シンヨウできない」


「かなちゃんは冷たいから、そもそもおうじさまなんて助けないでしょー」


 無邪気に笑う依檻姉さんの言う通りだった。

 朝日さんは「歌七星ちゃんはそんなに冷たい子じゃないわよねぇー」と、真璃絵姉さんに同意を求める。真璃絵姉さんは強く強く頷いて、シロ姉はその様子を黙って見守っていた。


 当時のわたくしは確か四歳で、わたくしたち四人の立ち位置が無自覚に決まり始めていたのもこの頃からだったと思う。


 不意に家の固定電話が鳴って、朝日さんは「はいはい」と言いながら電話に出た。その間、わたくしたちは朝日さんに読んでもらった《人魚姫》を本棚の中にきちんとしまう。


「テレビつけるよ?」


 そう言ってシロ姉がつけたテレビの画面には、休日の朝だったからか男の子向けの戦隊物アニメが放送されていた。

 女だらけの百妖ひゃくおう家だからこそ、そんなものを偶然でもない限り見ないわたくしたちは、チャンネルを変えることも忘れてテレビに意識を向ける。


「これってさぁ、ヒーローのやつだよね」


「男の子はこれのどこが好きなのか、まったくわかんないな」


「ヒーロー? ヒーローってなに?」


 真璃絵姉さんに尋ねると、真璃絵姉さんもわかっていなかったようで首を傾げた。


「ヒーローっていうのは、こまってる人ならだれでも助ける人のことを言うんだよ」


「だれでも?」


「なら、悪いやつでも助けるのか? そのヒーローってやつは」


 わたくしとシロ姉の問いかけに、依檻姉さんはにぃっと笑って──


「そだよ」


 ──と、一切の曇りなく答えた。


「じゃあ、わたし……」


 真璃絵姉さんの温かな手を握り締める。真璃絵姉さんは何も言わないでわたくしの手を握り返してくれた。



「──わたし、おうじさまなんかよりもヒーローがいいな」



 純粋にそう思った。

 あんなに酷い王子様なら、王子様なんかいらない。ヒーローの方がいい、と。


「……え? またなの?」


 アニメのエンディング曲が流れると同時に、朝日さんの戸惑った声が聞こえてきた。すっかりヒーローアニメに興味を失っていた依檻姉さんやシロ姉は、子供ながらに表情を強ばらせて朝日さんを見上げる。


「しかも急に三人だなんて……そんなことは言ってないわ、育てるのは構わないのよ。けど、お願いだから少しは子供たちのことも考えてよ──じん


 その台詞から、わたくしも真璃絵姉さんもこの場所にやって来る子が増えるのだと思った。朝日さんはさっきまで話していたわたくしたちが急に黙ったのを見て、戸惑いやら怒りやらを滲ませた表情を止める。


「ねぇ仁、提案があるんだけれど」


 覚悟を決めたかのような朝日さんの表情に、当時のわたくしたちは根拠はなかったけれど安心した。


「半妖として生まれた子供たちを一つの家に集めて育てることに異論はないわ。けれどね、私は、彼女たちを隔離しているようなこの環境が嫌いなのよ」


 わたくしたちは〝バケモノ〟だから、それぞれ本来の家から追い出されてここにいる。それは、わたくしたち四人とも当時から自覚していた。


「だから、〝家族〟にしましょう。貴方が彼女たちを養子として引き受けて、私が養母として彼女たちを育てるのよ」


「……あ、朝日さん?」


 誰よりも先に言葉を漏らしたのは、やっぱりシロ姉だった。最初から、最年長者として次々とやって来るわたくしたちを受け止めてくれたシロ姉だった。


「その三人の生まれた日は違うけれど、〝三つ子〟ということにしてあげましょう。ちょっと無理矢理だけれど、きっとその方がいいに決まっているわ。じゃあそういうことだから、事後処理はよろしくね」


 そうして電話を切った朝日さんは、わたくしたちに対して眉を下げた。


「貴方たちに相談もなく勝手に決めてごめんね」


 近づいてきた朝日さんは、わたくしたち四人を一気に抱き締める。

 苦しくて、苦しくて仕方がなくて、その苦しみは抱き締められているそれではないと気づいた時、わたくしは静かに涙を流した。



「──けど、これでもう私たちは家族よ」



 朝日さんがくれた温もりが、居場所が、家族というものが、どうしようもなく嬉しかった。「ありがとう」と誰かが言った気がしたけれど、今となってはもう誰が言ったのかは覚えていない。


 そうしてやって来たわずか二歳の鈴歌れいか熾夏しいか朱亜しゅあは、わたくしたちが本当の家族ではないと知らないまま三つ子とされた。

 シロ姉は長女という明確な立場を手に入れてから、肩の荷がほんの少しだけ軽くなったように見える。


 そして、わたくしは──


「朝日さん、ごはんを作るおてつだいをしますよ」


 ──覚え始めた敬語を使っていた。


 距離を取りたいわけじゃない。

 家族になりたくないわけでもない。


 ただ、人魚姫が手に入れられなかった幸せというものを、無償で受け取りたくはなかったのだ。というか、人魚が幸せを手に入れたら泡となって消えてしまうんじゃないかと本気で思っていた。


 それくらい、わたくしにとってこの結末は幸せで──朝日さんはわたくしのヒーローだった。





 結局、仕事で使うビデオを撮影できないまま一日が終わろうとしていた。

 いつの間にかリビングからいなくなっていた結希ゆうきくんにこんな夜遅い時間から会いに行けるわけもなく、わたくしは一人でソファに沈む。


 紹介したかった家族の始まりを思い出したばかりのわたくしは、いつの間にか流れてしまった涙を拭った。

 結希くんを紹介したいと言ったのは、他の姉妹が全国に放送できるほどまともな人間じゃなかったから。そして、結希くんが今のわたくしたちを支える百妖ひゃくおう家を作った朝日あさひさんの実子だったからだ。


「……もう、これでいいかな」


 耳からエメラルドのイヤリングを外して、掌の上で転がした。演じているキャラには合わないけれど、わたくしにとってはこれが家族の次に大切な物だ。

 ビデオカメラをイヤリングに向けて、撮影を始めようとすると──


「かなねぇ? まだ起きてたの?」


 ──扉を開けた愛果あいかに遮られた。


「それはわたくしの台詞ですよ、愛果。早く寝なさい」


「ウチは喉が渇いたの。かな姉みたいにグダグダ起きてるわけじゃないし」


「グダグダではありません。仕事です」


 キッチンへと向かう愛果の背中を眺めながら、呼ばれた〝かな姉〟という呼び名を心の声で繰り返す。

 愛果はわたくしが本当の姉だと信じてそう呼んでくれているのに、わたくしは幸せが怖くて自然体でいられずにいた。


 シロねぇも、依檻いおり姉さんも、真璃絵まりえ姉さんも。養子なんて話は最初からなかったかのようにわたくしたちを愛してくれた。いや、真璃絵姉さんだけは本気で忘れていてもおかしくはないけれど。

 シロ姉は母親代わりをしてくれているし、依檻姉さんは苦手だけれど家族をちゃんと見てくれている。忘れてはいないだろうけれど、本当の家族だと思っているから自立しないでここにいる。


 だからこそ、四人の中で一番家族から逃げている自分がとてつもなく酷い人間のように思えた。


「そういえば、かな姉さぁ」


 先ほどのツンとした態度とは打って変わって、愛果は顔中を赤らめながらくるくると染め上げた金髪を弄った。



「……す、す、き、なの?」



「何をですか。主語を言いなさい」


 ため息をつく。あぁ、わたくしは酷いだけでは飽き足らない意地悪な人間だ。


「だから、さ、夕方! かな姉人魚にんぎょの姿だったじゃん? あの姿ってさ、覚醒の姿、ってことじゃん?」


「……あぁ」


 それだけで、愛果の言いたいことがわかってしまった。

 愛果もまた、わたくしと同じように覚醒をしている。だから、その条件を知っていてもおかしくはなかった。


「『……あぁ』じゃないってば! だって、覚醒したってことは、かな姉はさ、アイツとその……したってことでしょ?」


「しましたよ。ですが、あれはただの人工呼吸です。キスではありません」


「キッ……?! なんでそうハッキシ言うのさぁ!」


「貴方と違って、わたくしは結希くんに恋愛感情なんてありませんから」


 さらにハッキリと言うと、愛果は立っていられないほど全身を真っ赤にさせてしゃがみ込んでしまった。キッチンに隠れて愛果の姿が見えなくなっている。


 そんな風になってしまうほど、愛果は結希くんのことが──。


「まぁ、結希くんがあと七歳ほど年をとっていたら考えてあげなくもないですけどね」


 そんな愛果が羨ましくもあり面白くて、らしくもなくつい揶揄ってしまう。


「だ、ダメだってば!」


「冗談です」


 本当は冗談なんかじゃない。

 わたくしと結希くんの年の差が愛果と同じくらいだったら、確実に恋に落ちていたと思う。そうならなかったのは、七歳という年の差の現実だ。


「ほ、本当に?」


「えぇ」


 愛果はそろそろと立ち上がって、水をがぶがぶと飲んだ後リビングから何も言わずに駆け足で出ていった。

 わたくしは、無意識のうちにずっと掌の上で転がしていたイヤリングに視線を落とす。


「好きじゃない」


 なら、わたくしは結希くんのことをどう思っているのだろうか。


 答えはすぐに返ってきて、わたくしにとっての結希くんは間違いなくヒーローだった。それも、実母の朝日さんをいとも容易く超えるヒーローだ。


 結希くんはわたくしが一番心を開いていた真璃絵姉さんの命を救い、わたくしたち姉妹が死にかけても守りきれなかった陽陰おういん町を守り、結界まで張ってくれた。


 それは、今から二十年ほど前。わたくしが王子様よりも愛したヒーローそのものだと言っても過言ではなかった。


「あんなにもヒーローが好きだったのに、いざヒーローが現れると好きにはならないなんて……」


 なのにまた、流れるものがある。


「……好きじゃない」


 だってそれは、気づいてしまったから。


「…………好きじゃない」


 ヒーローは王子様と違って、特定の誰かのものにはならない。

 王子様はお姫様のもので、ヒーローは、みんなのものだから。


 そんな至極当然のことに、年を重ねたわたくしは気づいてしまった。ヒーローはわたくしだけのものではないから、もし、もしもし本当に好きになっていたとしても──人魚は諦めることしか知らない。


 わたくしは目元を一気に拭って、ビデオカメラのボタンを無理矢理押した。


「こんばんはー!」


 さらに、無理矢理作った声と映りもしない笑顔でわたくし自身を変えていった。

 普段ならば平気なのに、今だけはこのキャラを演じることがどうしようもなく辛い。それでもわたくしは、世間が幸せから一歩身を引いている普段のわたくしを求めていないことくらい知っている。


「今日はカナセの私生活を紹介しまーすっ! まずはこれ!」


 そうしてわたくしは、家族の次に大切で、命よりも大切なエメラルドのイヤリングを光に翳した。





 その二日後、例の撮影した映像がVTRとして流れるのをわたくしは自室で待っていた。リビングは家族が多くて、とてもじゃないけれどゆっくりと見れる気がしない。


 そもそもこの仕事は夜の情報バラエティ番組のコーナーの一つで、様々な芸能人の私生活が五分間だけ紹介されるというものだった。たったの五分でも世間からの注目度は高く、わたくしの回でなくともこうして真剣に見る価値はある。

 最初に撮った映像はあまりにも声が酷くて何度も何度も撮り直したけれど、キャラはきちんと演じられているはずだった。


「なっ……?!」


 けれど、放送された映像はそれ以前の問題だった。


『つーか、月夜つきよ幸茶羽ささは! アンタらウチに謝れっつーの! 忘れたとは言わせないからな!』


『きゃあー! かなねぇ愛姉あいねぇがこわぁーいっ!』


愛果あいか、貴方は少し大人になるということを覚えなさい。そして月夜と幸茶羽は愛果に謝りなさい』


『愛姉、ごめんなさいっ』


『貴様に謝る口などない』


『シロねぇに……』


『ご、ごめんなさい』


『よろしい』


 映っていたのは、あの日結希ゆうきくんを撮影しようとしてできなかった直後のそれだった。


「ど、どうして……?!」


 慌ててその時の記憶を辿る。けれどわたくしは何も覚えていなかった。

 あの日は納得のいく映像にするまでほとんど寝ていなかった気がする。寝不足がこんなところで結果として現れてしまうなんて、その時は考えてもみなかった。


『ただいま。ん、なんだ歌七星ななせ。今日……というか最近は早いな?』


『ロケの仕事が減ったせいですよ。逆にシロ姉は遅くなりましたね』


『最近バイトが辞めたからな。そのせいだ』


『っあ、シロ姉だ! ちょうどいいところに! アタシもうお腹すいちゃってさぁ……。そろそろご飯にしようよ!』


『普段よりもまだ時間があるじゃないですか。少しくらい我慢しなさい、椿つばき


『うぇ……わかったよ、かな姉』


 あの日の記憶は思い出せなくても、この映像を誰が撮ったのかくらいは考えればわかった。映像に映っている家族と、あの時あの場所にいた記憶の中の家族を合わせてみる。

 映っていない人物は、どう考えても結希くんだった。


『ただいまぁ〜』


和夏わかな、目を閉じたまま歩くのは危険ですよ』


『へ〜きへ〜き、だいじょう……ぶっ』


『和夏、こんなところで寝ると風邪引くぞい? って、鈴歌れいか! 鈴歌まで寝たらダメなのじゃ!』


『…………や。寝る』


『言っても聞かないのなら放っておきなさい。何が起こっても責任はすべて二人にあります』


 頭を抱えた。

 この五年間、ずっと築き上げてきたわたくしのキャラが崩壊していく音がする。マネージャーの映像確認だってあったはずなのに、どうしてこれが放送されてしまったのか。


 次の瞬間ドタバタとうるさい音がして、すぐに部屋の扉が誰かにノックされた。それだけで相手が誰か気づいてしまうのは、単純にこの状況か、足音か、それとも。


「……開いていますよ、結希くん」


 開かれた扉の先にいたのは、普段よりも少しだけ髪が無造作に跳ねている結希くんだった。寝癖だと思われるそれは結希くんが動く度に揺れている。

 どの部屋にも共通している短い廊下を抜けた結希くんは、わたくしが見ていたテレビの画面を視界に入れた途端に表情を変えた。


「やはり犯人は結希くんでしたか」


「すっ、すみません! まさかあれが放送されるなんて思ってなかったんです!」


 普段ならば驚くほど冷静な結希くんだけれども、今は顔色を青ざめさせて必死にわたくしに謝っていた。こんな結希くんは、少なくとも初めて見る。


「起きてしまったことはもうどうしようもありません。ですから謝らないでください」


 愛果とは違って、できる限り普段の結希くんのように冷静になろうと努めたわたくしは大人の対応というものをする。


「何故これを撮ったのか教えてくだされば、わたくしから言うことはありませんよ」


 すると、結希くんは何故かわたくしから視線を逸らした。

 結希くんは何故かよくわたくしから視線を逸らすけれど、これは視線を逸らすほどの理由──ということなのだろうか。聞いて良かったのか後悔していると──


「…………初めて見たんです、ビデオカメラ」


 ──結希くんはやはり視線を逸らしたまま、気恥ずかしそうに答えた。


「…………はい? すみません、今なんと?」


「話には聞いたことがあったんですけど、実際に見たのはあれが初めてだったんです。ですから歌七星さんが家族を撮りたいって言った時、俺も家族を撮ってみたいなぁ〜って……」


 まさかそんな──絶妙に姉心を擽ってくる可愛らしい答えが理由だったなんて。そうだとは思わなかったわたくしは、どうしていいかわからずに固まった。そんなわたくしを見てか、結希くんは「忘れてください」と珍しく頬を赤らめる。


「嫌です。しっかりと記憶しておきますね」


 忘れるなんて勿体ない。

 にやにやしたい衝動を抑えていると、携帯が鳴った。視線どころか顔までもそっぽを向けて恥ずかしがっている結希くんをそっとしておく為にも、わたくしは一度電話に出る。


「もしもし」


『歌七星! あなた、番組見てる?!』


「マネージャー。……はい、おかげさまでバッチリと見ていますけど、何かご用でしょうか」


『なら話が早いわ! あのね、あのコーナーが放送された直後、あなたへの出演オファーが事務所に殺到したのよ! しかもどれもが〝カナセ〟じゃなくて〝歌七星〟のあなたを望んでいるの!』


「……まさか。そんなのあり得ませんよ」


 だって、世間は幸せから一歩身を引いたつまらないわたくしを望んでいるわけがないのだから。


『バカね、これがあり得たのよ! たった五分なのに視聴率だってすごかったんだから!』


 わたくしは言葉を失った。マネージャーは『詳しいことは明日事務所で伝えるわ』と言って通話を切る。切れた後もしばらく呆然としていると、不意に「良かったですね」という声が聞こえた。


「今の、聞こえてました」


 結希くんは少しだけ笑っていた。


「わたくし……」


 わたくしはこの人に、なんて言ったらいいんだろう。

 ありがとうなんて言葉だけじゃ足りないくらい、わたくしが姉なのに結希くんにはたくさんのことをしてもらっている。


「……わたくし……」


 俯いた。ぼろぼろと涙が衣服に水玉を作っていく。


「どうしましょう、わたくし、幸せ過ぎて……消えてしまいそうです」


 感謝の言葉を言いたかったけれど、長年思い悩んでいたことが先に出てきた。


「幸せ過ぎてって、そんなので歌七星さんが消えるわけないじゃないですか」


 これこそ、至極当然という表情を結希くんはしていた。


「ですよね? 幸せ過ぎて消えたりなんかしませんよね?」


 ベッドから立ち上がって、突っ立っていた結希くんの両頬に思い切って触れてみる。僅かな温もりが感じ取れて、やはり消えるなんてわたくしのただの妄想だったのだと思い知らされた。


「……ありがとうございます」


「いや、でもこれただの偶然なんで、礼を言われるようなことは何も……」


「しています」


 これ以上は不審に思われるかもしれない。わたくしは結希くんの頬から両手を離した。


「やはり貴方はヒーローです」


 わたくしがこう言うと、いつも結希くんは眉を下げて笑う。その時その時で見せる感情は違うけれど、今日のそれには喜びが混ざっていた。


『ちなみに、将来の夢はヒーローだって』


『はぁ?! それはさすがに嘘だろ』


『ほんと。『町を守るヒーローになりたい』って……』


 それは、いつかのあの日、偶然聞いてしまったこれのせいかもしれない。わたくしは逡巡して口を開いた。


「結希くん。これはわたくしのわがままなんですけど、聞いてください」


「珍しいですね、歌七星さんがわがままを言うなんて」


 わたくしはわずかに微笑んだ。確かに珍しいけれど、珍しいことをする価値はある。



「──どうか、私たちのヒーローになってください」



 人が生まれて初めて所属する組織は家族だと、どこかの番組で見た気がする。家族という組織は、その家族に無償の愛を与えるのだとも聞いた気がする。

 それを踏まえた上でわたくしは、家族とは人が初めて味わう〝楽園〟だと思った。


 けれど、ここにいるわたくしたちは全員〝バケモノ〟という烙印を押されて生まれて初めての楽園から追放された。そして辿り着いたこの場所は、誰もが幸せになれるわたくしたちの新しい楽園だった。


「結希くんが、この楽園を完成させてください」


 朝日さんが作った楽園にいても、必ず幸せになれるとは限らない。それは人工の楽園で、六年前に無惨に荒らされた楽園でもあったから。


「つまりそれは、どういう……」


「どうかわたくしの家族を助けてください。ヒーローになって、この楽園を、ホンモノにしてください」


 見上げた結希くんは滲んでいた。

 珍しい、というか今日のわたくしはどうかしている。こんなにも何度も泣いて、本来わたくしたち四人の姉がなんとかすべきことを結希くんに頼んでいるのだから。


「初めからそのつもりですよ」


 うだうだと前置きなんかしないで、結希くんは結論だけを告げた。

 依檻いおり姉さんの言葉を少しだけ借りると、王子様はいい人しか助けないでヒーローは悪い人も助けるというのはあながち間違ってはいないらしい。


 どちらかと言うと悪い人に部類される半妖バケモノでも、この人は必ずと言っていいほど助けてくれる。



「──ありがとう」



 結希くんは目を見開いてわたくしを見下ろした。

 幸せを手にした今、消えることを怖れて一歩身を引く幼き日のわたくしが心の底から微笑んでいた。

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