十九 『独りぼっちの夢と夢』
今度こそ見間違えたりはしない。目が覚めた結希の手を、六年前もそうしていたように幼馴染みの明日菜が握り締めていた。
「……ゆう吉」
明日菜は結希の視線を辿って、ぱっと瞬時に手を離す。そして伏し目がちになり、ゆっくりと口を開いた。
「今の状況、わかってる?」
「……なんとなく」
明日菜が傍にいる時点で、ここは百妖家の自室ではなく明日菜の母親が経営する妖目総合病院だと気づいていた。ベッドに横たわる結希を、明日菜が眉間に皺を寄せて見下ろしている。
「一応説明すると、ゆう吉は町役場付近で通り魔に襲われて病院に運ばれてきたの」
そんなことになっているのか、俺──と、結希は内心で苦笑した。
「あぁ」
明日菜には嘘をつきたくなくて、生返事をして誤魔化す。
「明日菜、今何日?」
「五月十九日午後五時二分三十二秒。まだ傷口が塞がっていないから、ゆう吉は今日も入院することになっているの」
「そっか」
今回も入院する羽目になってしまった。
先月の背中の火傷の跡は今も消えずに残っていて、今回の切り傷も消えない跡になることくらいは考えなくてもよくわかる。
明日菜から視線を外して天井を仰いだ結希は、小さく息をついた。
『そして何よりも、わたくしたちよりも回復力のない貴方が入院してしまったのですよ?! あの時、わたくしたちがどれほど結希くんを心配していたのかわかりますか!?』
その時結希の脳裏を過ぎったのは、歌七星だった。次にスザク、そして明日菜、最後に愛果たち百妖家の家族が姿を現す。
「バカ」
視線を明日菜に戻すと、明日菜は先ほどよりもぎゅっと眉間に皺を寄せていて、きゅっと唇を結んでいた。
「どうしてゆう吉は、いつもそうなの? どうしてゆう吉は、ゆう吉を心配してくれている人のことを考えないでそんなことを言うの?」
明日菜の目元が、本当に一瞬だけ光った。
そんな明日菜は六年前に一度見たきり見ていない。
「ゆう吉は、いつも、なんだかんだで一人じゃない。少なくとも、妖目がゆう吉を一人にはさせない。なのにゆう吉は、いつも一人だって思ってる。妖目はゆう吉のそんなところ、とても嫌い」
「……ごめん、明日菜」
「許さない」
結希は体を起こそうとして、けれど体中の至るところを包帯に巻かれていて動けなかった。医者のたまごの明日菜はそんな結希に気がついて、額に鋭いチョップを落とす。
「動いたらもっと許さない」
「…………」
「許してほしかったら、一日でも早く退院すること。わかった?」
「…………わかった」
もし今腕が動いたならば、結希は布団を被って自分を隠したかった。代わりに目を閉じてみるが、明日菜の視線が突き刺さる。
「なぁ、明日菜」
「何?」
「一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「なんでもいい。ちゃんと答えるから」
結希が念を押して尋ねてみても、明日菜の返事は変わらなかった。それでも結希は、「怒らないで聞いてほしい」と前置きをする。
「……六年前、なんで明日菜は俺の幼馴染みで居続けてくれたんだ?」
六年前、今とまったく同じような状況が妖目総合病院であった。記憶を失った直後の結希にとって、自分を泣きじゃくりながら見ていた明日菜は見ず知らずの他人だった。
「……それは、どういう意味?」
わかりにくいが、確かに明日菜は怒っていた。
「六年前の俺は、記憶を失った上に誰とも関わろうとしなかっただろ? なのに明日菜は、六年以上も前から俺の幼馴染みでいてくれる。明日菜以外は全員離れていったのに、なんでだろうってずっと思ってた」
「なんでって、ゆう吉だから」
その返答は、前にも似たような形で聞いたことがあった。
結希はさも当然という表情をしている明日菜を見据える。
「それだけじゃ、アバウト過ぎてよくわからないんだけど」
明日菜は目を閉じて、しばらく黙ったまま何かを考えていた。時刻を秒数まで教えた明日菜が言葉をぼかすのは珍しく、結希は明日菜に対して初めて不安に近い感情を抱く。
百妖家の養子となった結希に対して明日菜が抱いた感情を、この瞬間になってようやく結希は理解したような気がした。
「……一番ゆう吉に伝わりやすいように話すと、六年以上も前の話になる。ゆう吉はそれでもいいの?」
確かめるような明日菜の口調に、結希は言葉が詰まった。
六年以上前の話は、誰もが結希に気を遣って触れられたことがない。
「ダメなの?」
だからこそ、明日菜は言葉をぼかしていたのだろう。
「……いや。話してくれ」
明日菜はベッドの周りを囲んでいるカーテンに視線を向けた。そのままどこか遠い物を見るような目つきに変わり、ぽつぽつと語りだす。
「妖目たちの親同士は、昔から何故か仲が良かった。だから、物心がついた時から……多分、生まれた時から、妖目たちは顔を合わせていた。でも、今のような関係になったのは小学校一年生の頃。ある日妖目は、教室に一人でいるゆう吉に気づいたの」
ずっと、切り捨てた友人の人数が異様に少ないことに気づいていた。当時はそうだと思わなかったが、風丸の交友関係の広さを見て初めてそうだと気づいたのだ。
そして今、明日菜からそうだったと明言され、長年心の奥底に沈殿していたものが軽くなった。
「当時から妖目は医者になりたかった。だから、夢の為には邪魔な存在でしかないトモダチは作らずに、一人でいた。だから、同じクラスにいるゆう吉の存在に気づいた時、つい、尋ねたの。『貴方はどうして一人なの?』って」
「……それで、俺は?」
「『大切なものを守りたいから勉強しているの。その為にはトモダチと遊ぶ時間もないから、一人になっちゃうのはしょうがないよね』」
明日菜はわずかに口角を上げて微笑んだ。
「ゆう吉はこう言った」
「……なんだそれ」
恥ずかしい。四月に見たアルバムの中の幼い自分からは、想像もできないような台詞だった。
「ちなみに、将来の夢はヒーローだって」
「はぁ?! それはさすがに嘘だろ」
「ううん、ほんと。『町を守るヒーローになりたい』、って……」
明日菜は口を閉ざした。
その時の結希の表情は、戦隊物のヒーローに憧れるどこにでもいるような無垢な少年ではなかった。〝何かに囚われている〟ような表情で、それに負けないように強くなろうとしている必死な表情だった。
「…………そっか」
結希は明日菜の言う過去の自分に触れた。
町を守るヒーローというのは、多分、陰陽師のことだろう。当時から妖怪のことを知らない明日菜に『陰陽師になりたい』とは言えずに、そうやって誤魔化したのだろう。
「うん。それで、妖目は思ったの。ゆう吉は妖目と一緒で、夢に向かって頑張れる人なんだって。妖目たちは他の人とは違うから、妖目たちが互いの傍にいるようになったのは必然だった。少なくとも、妖目はゆう吉にだけ心を許せた。だから妖目たちは幼馴染みなの」
初めて聞いた明日菜の記憶を自分の中で探してみた。どこを探しても見つからない記憶の欠片に傷つけられても、結希はこれから先、何度だって探すだろうと思う。
「ゆう吉が記憶を失っても、妖目は記憶を失った程度でゆう吉との縁を切るほど安い関係を築いたつもりはない。ゆう吉は妖目にとって、生まれて初めての──」
その瞬間、明日菜は視線をさ迷わせた。口をへの字に曲げて、何かを考えているように見える。
「──ごめん、ゆう吉。いい言葉が見つからなかった」
普通に幼馴染みでいいんじゃないかと思ったが、明日菜が必死で考えて出した結論に口出しする気はなかった。
「いいよ。答えてくれてありがとな」
「うん」
短く返事をした明日菜は頷いて、「そろそろ出る」と、結希の返事も聞かずに足早に病室から出ていった。
左耳上に結ばれた藍色の髪が見えなくなるまで、結希は明日菜を目で追っていた。




