十七 『少女陰陽師』
陰陽師の力で、逃亡する陰陽師の妖力を辿る。姿は見えなくても、追いかけているという自信が結希にはあった。
隠し扉の奥にあった狭い通路は、結希でさえどこに続いているのかわからない。自信はあるが、微かな不安があるのもまた事実だった。
通路の奥から光が漏れて、結希は不安を拭うように一気に駆け抜ける。術で出口を開けると、何故か眩いくらいのスポットライトが自分のいる場所を照らしていた。
「……貴方、バカなの?」
視線を正面に移すと、例の少女陰陽師がステージの中央に立っていた。相変わらずフードつきの黒いマントを着用していて、正体がわからない。
「どちらかと言ったら、バカかもな」
「そう。貴方はバカ。女の子だけをあの子の下に置いてきて、私を追いかけてきたバカ。ほんと最低」
自分の言ったバカと少女の言うバカにほんの少し違いがあるように感じられたが、結希は構わずに言葉を続けた。
「けど、これが俺たちの最善だ」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「わかるも何も、これからそれを実現させる」
他の誰かではなく、自分で実現させてみせる。
この覚悟がすぐにできたのは、多くの人々に頼まれたからであり──百鬼夜行という名の悲劇を止める為だった。
すると少女は、フードを深く被り直して重く俯いた。
「何それ。意味不明。……やっぱり私、貴方のことが大嫌い。いっつも、いっつも、ほんとにムカつく」
まるで自分の知り合いであるかのような少女の物言いに、結希は引っかかりを覚えた。知り合いの少女陰陽師は、従妹の紅葉しかいない。それを今日この瞬間になるまで意識したことはなかった。
結希は少女を記憶の中から探そうとして立ち止まる。この六年間で知り合った少女陰陽師は紅葉だけだと断言できた。
できないのは、失ってしまった六年以上前の記憶だった。
「……俺たち、どこかで会ったことがあるのか?」
「それは秘密」
少女はくすっと笑い、人差し指と中指をまっすぐに立てる。そのまま結希と自分との間に線を引いて結界を張り、ステージの上手の方へと背中を向けて逃走した。
ステージの下手にいる結希は冷静に結界を解除し、流れるような動作で少女の行き先に新たな結界を張る。そして、足を止めた少女の背中を、曇りのない瞳で見据えた。
「半妖対半妖。陰陽師対陰陽師。これだって、俺の言う最善の一つだ」
それは、歌七星の台詞に強い影響を受けて出てきた台詞だった。少女は無言のまま、やがてゆっくりと振り返る。
「……ほんとにそう思う?」
「あぁ」
「バッカじゃないの?」
少女はマントの下から紙切れを取り出して、掌に乗せた。見覚えのあるその動作に結希は咄嗟に身構える。
「──馳せ参じたまえ、カグラ」
ドクンッ──結希の陰陽師の力が騒いだ。少女と結希の間には、どこからともなく男性が姿を現す。
カグラという名の式神は、顔だけを赤髪に取りつけた黒い布で覆い隠していた。
胸元を大胆に開けさせた銀朱色の和服。紅い帯に京紫色の袴のコントラストが闇に映える。そこから覗く筋肉は、同じ式神で同じくらいの高身長を持つセイリュウやゲンブよりも明らかに勝っていた。
「命綱の式神さえも置いてきた貴方には、絶対に負けない。絶対に負けたくない……!」
僅かだったが少女の肩が震えた。小さな掠れ声さえもどこか震えていたが、ステージの性質上離れていても聞こえてしまう。
「……だから私は、ここで貴方を殺す」
刹那、カグラがステージの床を穴が開くほど強く蹴った。その体躯に似合わず怒涛のように駆け抜けて、間合いを詰めた刹那に両手に強烈な光を灯す。彼の手が握り締めたのは、日本刀──大太刀だった。
「ッ!」
結希は咄嗟に結界を張った。高く飛んだカグラの攻撃を一度は凌いだが、刃先が当たった部分に視線を上げると亀裂が入っているのがわかる。
「これが私のカグラの実力。貴方のスザクにこれができる?」
にやっと、フードの下で少女は笑った。
「これくらいなら、俺のスザクにでもできる」
スザクをバカにされた。自分ならまだしも、スザクをバカするのは主として許せなかった。それでもカグラの実力が並でないのは確かで、結希は衝動的な怒りを抑え込む。
「カグラ」
結界から十二メートルほど距離を取って着地したカグラは、大太刀をこの数秒で構え直していた。今度は大太刀を振り翳し、ダダンッと床を蹴って亀裂が入った部分に再び降り下ろす。
先に結界から距離を取っていた結希は、壊れた結界を呆然と見上げることしかできなかった。
「今の貴方じゃ私には勝てないの。だから、抵抗なんてしないで大人しく死んで」
少女はあえて口にはしなかったが、式神の実力は主の実力と密接している。そのスザクがいない今、結希の勝ち目はないに等しい。
それでも、結希は。
「……断る」
愛果と約束したから。
依檻に頼まれたから。
歌七星が必ず行くと言ったから。
結希は今、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。
「それは、仲間でも呼ぶということ? 先月貴方が陽陰学園で大規模な退魔術を使ったことはもう知っている。それを使うってこと?」
それでも、その言葉のせいで少女をまっすぐに見れなくなりそうだった。
恐らく、町役場周辺に貼られた札は既に効力を失っている。少女の言う通り、町役場に集まり続けている妖怪を退けられれば何人かは助けに来るかもしれない。
頭では結希もわかっていた。わかっていたが、それを選択肢には入れなかった。
「それは使わない」
本当は、使えないと言った方が正しいのかもしれない。
辛うじて残っている気力を掻き集めて、結希はまっすぐに少女を見つめた。すると、少女はもう一度フードを深く被ろうとして端に触れる。
が、先ほど深く被りすぎたせいでそれ以上深く被れないことに気づくと──なんでもなかったかのように端を離した。
「ほんと意味不明。死にたいならそう言えばいいのに」
「悪いけど、俺はまだ死ねない」
「死んでよ。貴方がいると、私たちは〝ホンモノ〟になれない」
少女はやけくそ気味に何度も何度もフードを深く被ろうとした。フードに隠れていない口元は思いきり唇を噛み締めている。挙げ句の果てには、フードの面積を増やそうと両手でフードを伸ばした。
「お前の言う〝ホンモノ〟が何か俺は知らない。けど、知ったところで死ぬつもりもない」
「…………」
「──仲間じゃなくて、家族を守る為に」
その家族はホンモノじゃなくてニセモノだ。きっと、ホンモノには一生なれないニセモノだ。
「その言い方、ズルい。やっぱり私、貴方がほんとに大嫌い」
少女は我慢し続けていたが、今にも泣きそうになっていることくらい結希にはわかっていた。
退魔術を使わない理由は、体力を大幅に消費するからということだけではない。妖怪を退けたところで、スザク以外の誰かが自分の居場所を知ることなんてできないのだ。
その上、相手は妖怪ではなく陰陽師。半妖の姉妹たちにはどうしても戦わせたくなかった。
主の指示がないからか、カグラも棒立ちのまま動かなかった。ただ、顔の正面──黒い布は結希の方に向いている。
応援もない。
時間もない。
それがわかっていたから、結希は迂闊に手を出せないという言い訳を殴り捨てた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
切った九字はカグラを狙っていた。が、カグラは微動だにせずに突っ立っている。
「主でもない陰陽師の術は、式神には効かない。貴方、そんなことも知らないの?」
「生憎、それを知る機会がまったくなかったからな」
急に挑発的な態度を取った少女に結希は淡々と言葉を返した。
思っていた以上に感情をコントロールできる結希が恨めしくて、少女はカグラに視線を送る。カグラはただ、わかっていると言うように大太刀の切っ先を結希に向けた。
「……俺の主の為に、死んでくれ」
今までの攻撃よりも、遥かに素早い攻撃が結希を捉えた。
結希が完全に躱せたのは最初の一撃のみで、繰り出される冷たい金属の凶器が結希の皮膚を薄く裂く。だが、カグラはどう見ても力技でそれを繰り出していた。
子供が木刀を振り回すようなそれに、視線がわからずとも筋肉の動きで軌道を読む。振られた直後にカグラの腕を掴んだが、掴んだだけでそれ以上は何もできなかった。
カグラが手を止めたところで、結希はゆらりと片膝をつく。
「カグラ? どうしたの? トドメは……」
カグラの落とした大太刀が消滅した。後ろ姿しか見えないカグラに、少女はここに来て初めて焦りと不安を覚える。
ゆっくりと振り向いたカグラは黒い布を上げ、悔しげな表情を少女に見せた後──
「……ごめんな、〝マギク〟」
──姿さえも、消滅した。
「カグラッ?!」
少女は驚き、先ほどまでカグラがいた場所に慌てて駆け寄る。だが、その傍にいた結希にマントの裾を引っ張られて呆気なくバランスを崩した。
「……ッ! 死に損ないのくせに何を!」
倒れた少女に、結希は片手をついて覆い被さる。残っている気力をすべて使ってでも、成すべきことをする為に。
「カグラに術は効かない。だから、一か八かでカグラの体に札を貼りまくった。その札は、俺のスザクが俺に託してくれた札だ」
セイリュウが持ってきた、と言うのは変な意地があってできなかった。
「すごいだろ、スザクは」
「そんなの、私のカグラの方がすごいに決まってる!」
少女は結希の腹部に拳を入れて、結希の下から脱出する。
「カグラは良くやった。けど、今の貴方を見る限りではスザクも消滅したはず。これで私たちはお互いに式神なしとなったけれど、死に損ないなら一人でも勝てる」
片膝さえつけずに倒れた結希は、ゆっくりと少女を見上げた。間近で見上げて、ついに少女の瞳と結希の瞳がかち合う。
「ッ!?」
少女は慌てて飛び退いて、フードを深く被り直した。
「……殺す」
「どう、やって……?」
武器はない。術は陰陽師には効きにくい。そんな中でどうやって殺すんだと純粋に思った。すると少女はきょろきょろと辺りを見回して、一気に九字を切った。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
刹那、ホールのスプリンクラーがすべて破壊された。スプリンクラーからは当然のように大量の水が溢れ出し、うねるように観客席に降り注ぐ。
「これならできる。だって貴方、立ち上がれないんでしょう? だったら──十五センチで充分」
少女は結希の周りに簡易な結界を張り、ホール全体へと行き渡る水ができるだけ多くその内部に集まるように仕向けた。
それだけでは足りないと判断したのか、少女はマントの下から札を取り出してスプリンクラーから飛び出してきた水に浸す。
少女のその行動には、見覚えがあった。
少女は札を構え、術を唱えた瞬間札から滝のような勢いで大量の水を出現させる。
「さようなら」
「……マ、ギク」
少女は目を見開いた。少女が黙ったのを見て、結希は理解する。
「やっぱり、名前、マギクだったんだな」
「どうせ死ぬんだから、そんなこと聞いても意味ないでしょ」
水の増加によって、泳げない結希は必死で開けていた目を閉じた。マギクはそんな結希を一瞥し、背中を向ける。
「おい、まだかよババァ!」
「バッ……!?」
ステージの上手側から聞こえてきた声は、低いが若さが残る声だった。彼もまたマギクと同じマントを着用しており、現した姿は結希と変わらない体躯をしている。
「だから、私はババァじゃないって言ってるでしょ! いい加減〝お姉ちゃん〟って呼びなさい!」
「あ? なんで」
「だって、私たちは……」
「先に言っとくけど、家族じゃねぇから。あいつらもお前も、俺の家族じゃねぇよ」
マギクは静かに俯いた。
結希がいてもいなくても、自分たちはホンモノにはなれないのかもしれない。越えられない、結界とはまた違った血縁の壁が憎い。
「つか、んだよこの結界。ジャマ」
少年は結希が張った結界を消し去り、気だるげにマギクの名前を呼んだ。
マギクは少年のいる方へと走り出した。今にも命の灯火を消そうとしている結希の方を振り返ることは、決してしなかった。




