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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第二章 永久の歌姫
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十一 『泡沫の平穏』

 一年で着慣れた緋色の制服が懐かしい。結希ゆうきは新入生の椿つばきのように、着慣れない群青色の制服に眉を潜めた。


「気になる?」


 不意に話しかけてきた愛果あいかは、ドカッと音をたててリビングの椅子に座る。長テーブルの上に置かれた朝食を食べようとする愛果に、結希は短くこう答えた。


「……少しだけ」


「まだ一週間しか着てないじゃん。いつかまた慣れるって」


 それは、昨年度生徒会長になって制服が一年間だけ変わった先輩からのアドバイスだろうか。結希は肩を回して違和感を確認しながら愛果の台詞を受け止める。


「〝いつかまた慣れる〟、よな」


 先月あれだけ慣れないと思っていた百妖ひゃくおう家の暮らしにさえ、慣れてしまったのだから。


 朝日あさひが今すぐこの町に帰ってきて、元の家に戻されることになったとしても。あまり認めたくはないが、寂しいと感じてしまうだろう。

 結希は自分の食器をキッチンに戻し、テーブルの上に置いてあった麻露ましろが作った弁当を持った。普段は学食で済ませている分、弁当の重みがありがたい。


「おはよ〜……あれ、結兄ゆうにぃ今日は弁当?」


「おはよう椿ちゃん。ほら、今日は……」


「二年は遠足でしょ」


 二年前に着慣れた緋色の制服に身を包む愛果が口を挟んだ。朝に弱く、まだ寝ぼけ眼を擦っている椿はその一言で赤い両目を煌々と見開く。


「遠足! いいなー、結兄! アタシも行きたい!」


「アンタは来年まで我慢でしょ。つか、遠足って言っても町内一周するみたいなモンじゃん。たいしたことないっての」


「愛果はそうかもしれないけど、《十八名家じゅうはちめいか》じゃない人からしたら楽しみにしている人の方が多いんじゃないか?」


 遠足と言っても、普通ではない陽陰おういん学園は普段なら入ることを許されていない場所への立ち入りを許可されていた。

 が、そこは《十八名家》ならば誰でも入れるような場所で、こういうイベントを好む風丸かぜまるがうんざりとした表情をしていたことを思い出す。


 生徒会といい、風丸が《十八名家》を毛嫌いしている節があるのは気のせいではなかった。


「そう言うアンタはどうなのさ」


 面白くなさそうに表情を歪めた愛果は尋ねる。


「俺は別にどっちでもないよ」


 風丸のそういう部分が愛果にもある気がして、それでも結希は偽りなく本音で答えた。その返答に愛果は気を緩ませて息を吐く。


「じゃ、行ってくる」


「……あ、いってらっしゃーい」


 愛果の態度で遠足への期待が折られたのか、椿は気の抜けた声でリビングを出る結希を見送った。愛果はそんな椿からばつが悪そうに視線を逸らす。

 同時に、百妖家に来た人間が結希で良かったと心底思った。


 《十八名家》に嫉妬も羨望もしない人間は珍しく、なおかつ陰陽師おんみょうじであり集団での自己主張があまりない。それは、《十八名家》で、半妖はんようで、女だらけの百妖家にとってこれ以上にないほどありがたかった。


 そして、個人的にも──。


「でもさぁ、愛姉あいねぇ


 急に話しかけられた愛果は、びくっと肩を震わせる。


「アタシは楽しくない遠足なんて絶対ないって思うよ」


 まだ戸口を見つめる椿の横顔を横目で盗み見た愛果は、もう一度期待に胸を膨らます椿に目を細めた。


「アンタはまだ一年だし、そう強く思ってた方が逆にいいのかもね」


 不快じゃないため息が漏れる。

 新たに扉を開けた心春こはる月夜つきよ幸茶羽ささはの登場で、長く感じたこの会話は終わった。





「おはよう、〝副会長〟」


 先に集合場所の町役場まで来ていたヒナギクは、これも先に結希ゆうきに声をかけてきた。集合場所や時間は班によって異なっており、町役場周辺にいる学生はヒナギクしかいない。


「おはよう。早いな、ヒナギク」


「私には班長としての責任がある。誰よりも早くに来て班員を待つのは当然の責務だ」


 世界の法則でも述べるかのように、ヒナギクは真顔で言い切った。


 生徒会での関係と同じで、一応副班長という肩書きを持つ結希も集合時間の十分前には着けるようにしていた。が、その法則に従うと一体何時からヒナギクはここにいたのか。

 あまり無理をするなと言いたいが、ヒナギク相手に言っても無理そうだと判断して止めておく。生徒会であれ班であれ、自分にできることはヒナギクへのさりげないフォローを忘れないということだけだった。


「おはようございます」


 新たな声の登場に、黙っていた結希もヒナギクも視線を向ける。そこには学級委員長の神城千里かみじょうせんりが緊張した面持ちで立っていた。


 学級委員長という立場になる前から制服改造──もしくは着崩したりしなかった千里は、学園のお手本として愛果あいかの逆を行く有名人だった。

 千里は色違いとなる学級委員用の緋色の腕章を左肩につけ、光の加減でパステルピンク色にも見えるアーモンド色の髪をお団子にしてきちんと一つに纏めている。


 生徒会メンバーとは違い、逆に群青色が似合わなそうな千里はそういう意味でも学級委員長に合っていた。


「あぁ。おはよう」


「おはよう、神城さん」


 千里はわずかに微笑んで会釈した。

 クラスメイトに向けるようなものではないが、結希もヒナギクも他のクラスメイトとは違って気にはしなかった。


「後は風丸かぜまる亜紅里あぐりか」


「そういえば、昨日風丸が遅れてくるって言ってたな」


 昨日、結希は学校が終わった直後に小倉おぐら家を訪れていた。


 町で一番大きな神社に隣接する豪邸が風丸の家で、その神社に麻露ましろが巫女として働いている。

 五月十七日が風丸の誕生日だと知っていた結希は、一緒に帰って軽く祝った。風丸は驚きつつも嬉しそうに結希と話し、最後の最後で明日の遠足の話題になった途端にうんざりとした表情を見せたのだ。


『結希、俺はもう決めた』


『……決めたって、何を?』


 一応聞いてやる。そうでもしないと風丸の機嫌はなかなか直らないと経験上知っていた。


『俺は明日、ぜってー遅刻してやるってな!』


 ビシッと決め顔で親指を立てた風丸は、来るには来るらしい。あまり乗り気ではないが心の片隅では楽しみにしている、そんな印象を受けた。


「副会長。風丸はいつの間にそれほどのバカに成り下がったんだ」


「出逢った時からあんな感じだったな。ヒナギクの方が知ってるんじゃないのか?」


「必要以上に話さなかったからな。私が知っているわけないだろう」


 何故か得意顔のヒナギクは腕を組んでふんぞり返る。二人の会話に早くもついていけなくなった千里は、曖昧に笑っていた。


「神城さん、行きたい場所ある?」


 すかさず結希がリュックサックの中からあまり役に立たないしおりを取り出す。ここには簡潔にだが見学できる場所が記されていた。


「そうですね……」


 千里は結希が広げた頁を凝視した。しばらくして戸惑った表情のまま顔を上げて、結希と目を合わせる。


「あの、私なんかの意見を聞いてもいいんですか?」


「いいも何も、神城さんと俺以外は《十八名家じゅうはちめいか》だから」


「副会長、誰がなんと言おうと貴様は既に《十八名家》の一員だ」


 口を挟んだヒナギクを無視して、結希は「風丸も神城さんに合わせるって言ってたし」とつけ足した。困ったように笑う千里に対して、少しだけ申し訳なく思う。

 千里も結希と同じく自己主張はあまりしないタイプだった。どちらかと言うと流されやすいタイプだろうとも思う。


 班決めの際、元から決まっていたかのように自分の席の周りにクラスの群青色が集まった。

 緋色の中で余ってしまった千里が人数の都合で群青色に混ざったのだが、そのことによって彼女が感じるアウェーはきっと並みではなかった。


「私は……」


 ついに千里は俯いてしまった。

 元々《十八名家》ではない自分になら千里も打ち解けてくれるだろうと思っていたが、千里のその行動はヒナギクの主張を肯定するものだった。


「おっはよー!」


「待ち合わせ時間ちょうどだな、亜紅里。良くやった」


「そんなの当たり前じゃーん、楽しみにしてたんだし。ゆうゆうもせんりんもはよはよー」


 沈んでいた空気を強風で吹き飛ばすかのように現れた亜紅里は、結希の持つしおりを大袈裟な動作で覗き込む。


「せんりんは行くとこ決まったの?」


 せんりんと呼ばれている千里は、「いえ、まだです」と思わず亜紅里から距離を取った。


「じゃあ、ゆうゆうは?」


 ゆうゆう、そう呼びながらしおりから顔を上げ、亜紅里は天色の瞳で結希を見つめる。その距離わずか十センチといったところだろうか。

 千里とは違い動じない結希は、「どこへでも」と持っていたしおりを亜紅里に手渡した。


「むっ! もー、『どこへでも』って言っちゃダメな台詞なんだからね? ってことであたしはここ行きたい!」


 一瞬にして自分から話題を逸らした亜紅里は、しおりではなくある建物を指差した。結希たちが亜紅里の指先を辿ると、横にも縦にも長い町役場が建っている。

 陽陰おういん学園の遠足はしおりに書いてある公共施設に行き、そこにあるスタンプを三個集めれば自由解散という形になっていた。後で感想文を書いてスタンプが押されたしおりと共に提出をすれば、それで終わりだ。


「異論はない」


 ヒナギクが認めれば、結希にも千里にも、そしてこの場にいない風丸にも反対意見はなかった。


「やったぁ!」


 弾ける笑顔を見せる亜紅里は、結希たちが思っていた以上にこの遠足を楽しみにしていたらしい。よく見れば目の下にくまがついていた。


「決まったな。行くぞ」


「っえ? ぐっちーは?」


「ここにいる」


 全員が視線をヒナギクの手元に向けると、ぐったりと力の抜けた風丸が首の根っこを掴まれていた。


「きゃあっ?!」


 見慣れていないこの光景に驚く千里は、すかさず結希の後ろに隠れる。一人で大笑いする亜紅里の頭に置くようなチョップをして、結希はヒナギクの手から風丸を回収した。


「何やってんだよ、風丸」


「……ヒナに握り潰された」


「自業自得だ」


「くきぃー!」


 奇声を発して悔しがる風丸を半ば引きずりながら、結希は先を行くヒナギクたちの後をついていく。


「お前、いつ来たんだ?」


「お前らが仲良さげにしおりを覗き込んでいる辺り」


 ──仲良さげだったか?


 それを余計な言葉だと判断した結希は、改めて町役場を見上げた。町役場の中に入るのは歌七星かなせの誕生日に《陽陰フェスティバル》が開催された日以来だった。


 町役場といってもただの町役場ではなく、陽陰町の町役場は《陰陽フェスティバル》の舞台となるステージや飲食店が設備されている。

 浮くようにして本格的な茶会ができる茶屋があるのは、ここを管理する結城ゆうき家の現頭首であり町長の結城千秋せんしゅうの趣味だった。


 適度な温度に調節された広大なロビーの中で、誰よりも先を行く亜紅里が元気よく駆け回る。


「亜紅里、走ったら危ないだろ」


 ため息まじりに声をかけると、亜紅里は「はいはーい!」と返事をしつつも輝く瞳でロビーを観察していた。


「元気だなー、あっちゃん」


 到着する前から疲弊気味の風丸は、腰を曲げつつもなんとか一人で歩く。ヒナギクはそんな風丸を一瞥し、飽きれ気味に首を振って銀髪をはらりと揺らした。


「その、スタンプというのはどこにあるんでしょうね」


 本来の目的を忘れていない千里は、亜紅里とは違う意味でロビーを見回した。ヒナギクも千里に倣い、ゆっくりと視線を走らせる。


「どこも簡単には見つからない場所に設置されてあるらしいからな。全員、気を引き締めて探すぞ」


「そうだヒナ。学園長から答えを聞いてたり……」


「する訳ないだろう。握り潰されたいのか」


「潰されたばっかだ!」


 ガシッと腰の辺りに重みを感じたら、それは風丸がシャツの裾を握る重みだった。


「風丸、重いから離せ」


「嫌だ! どうせ女子だったらそんなこと言わねーんだろ! 離すもんか!」


「されたことないしお前男だろ。何ちょっと女々しいこと言ってんだよ」


「女々しくねーし!」


 風丸は結希を自分の盾にする為にヒナギクの方へと押す。

 困ったように笑いながら自分たちを眺める千里が視界に入り、結希は思いきり足を止めた。急な動作に足をもつれさせる風丸の腕を、結希は危なげなく掴む。


「ここは手分けして探した方が無難だな」


 町役場の広さを考慮して提案すると、「いや……」とヒナギクが顎に手を当てた。


「遠足は班行動が鉄則だ。分かれるのは本意ではない」


「あたしはゆうゆうに賛成だなぁ」


「私はどちらでも大丈夫です」


 女性陣の意見にヒナギクは眉を寄せた。が、その程度で意見を変えるヒナギクではない。


「じゃあしばらく五人で行動して、見つからなかったら分かれるってことでいいか?」


「おう、俺はそれでいいぜ」


 ヒナギクはしばらく渋っていたが、「その前に見つけ出す」とやけに張り切りながらもう一度先陣を切っていった。遅れて千里も歩き出す。結希と風丸は顔を見合わせて、千里に並んだ。


「あれ? あっちゃんは?」


 風丸の声に振り向くと、さっきまですぐ傍を走っていた亜紅里が忽然と姿を消していた。

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