七 『世界の歯車』
「ッ! 崩れるぞ!」
視界に入ったのは、結界の上に乗っていた妖怪たちが次々と落下していく様だった。爆音を立てて崩れていくそれを見守っている暇はなく、「千里!」と結希は敢えて彼女を呼ぶ。
「はい!」
隣に姿を現した彼女は今でも半妖の姿をしており、その瞳は今でも希望に満ち溢れている。
「涙たちに札を!」
告げるとすぐに芦屋義兄弟たちが手持ちの札の半分を千里に手渡した。
「承知致しました!」
すぐに姿を消す千里と涙に地下都市の防衛を託し、結希は一瞬で辺りを見回す。セイリュウは既に合流しており、ククリも朝日の傍から離れていない。芦屋義兄弟たちは全員自分に紅葉の札を貼っており、真菊は結希と紅葉にも札を貼る。
「あっ、ありがとう……!」
「ふんっ。くぅの札なんだからくぅに貼るのは当然でしょお?」
陰陽師として急成長したと思っていたが、変わっていない部分もあるらしい。突っ込もうかと思ったが、真っ先に心春を乗せたポチ子が町役場に突っ込んでいく。
「心春?!」
焦ることも驚くこともなくすぐに小人の半妖姿に変化した心春に、次々と百妖義姉妹たちが続いていった。
彼女たちには躊躇いがない。図書館の屋上から飛び下りて妖怪に紛れながら町役場に突入していくが、妖怪は彼女たちを攻撃しなかった。
『ドコ、ドコ』
『ドコニアル』
意を決してオウリュウではなくスザクに掴まる。結希だけでなく、一人では飛び下りることができない陰陽師たちは全員自らの式神に掴まった。
「ククリは双さんたちの傍にいて!」
ククリは素直に朝日の命令を聞く。すべての妖怪が町役場に向かっているとはいえ町役場の外が安全というわけではない。双は少しだけ顔を顰めたが、朝日に文句は言わなかった。
「頼む」
「勿論でございます!」
微笑むスザクやママも町役場から飛び下りる。出遅れてしまったが、禁術庫の場所はあの時共にいた心春が知っているだろう。
札のおかげか妖怪はまったく近づいて来ず、陰陽師では真っ先に町役場に突入した結希とスザクは一瞬でロビーを確認する。妖怪はどこへ向かえばいいのかわかっていないらしく、いつものように徘徊していた。町役場のどこに行っても妖怪がいるようになるのは時間の問題だろう。
スザクは結希を抱えたままエスカレーターを駆け上がる。あの時の結希は歌七星を抱えていたが、あの時の結希よりもスザクの方が数倍も速く駆け上がれていた。
あっという間に最上階となる三階に辿り着いた結希とスザクは、そのまま左後ろ側にある立ち入り禁止の通路へと急ぐ。相も変わらず人避けの術が効いているようだったが、それに阻まれる可能性がある者はいなかった。
長い通路の奥にある厚い扉を開け、ようやくスザクが結希を下ろす。横に広がる新たな通路は今日も広く、そこに百妖義姉妹たちがいた。
「お兄ちゃん!」
ポチ子から心春の声が聞こえてくる。妖怪は、まだ来ていないようだった。
「ポチ子! どうなんだ?」
ここに来るまでで妖怪から探し物の手掛かりとなる言葉は聞こえてこなかった。隣にいるママもそれが何かわからないのか、一歩も動かずにポチ子の言葉を待っている。
『ここにあるよ』
だが、ポチ子はそれが何かわかっているようだった。
「ていうか、さっきの話ビッミョーに終わってないよねぇ?」
熾夏が唇を尖らせる。その間に、火影と紅葉、芦屋義兄弟たちと彼らの式神、朝日とセイリュウが次々と辿り着く。
「陽陰町がこの国の中心にあるから外の神や妖怪がこの町に来るってどういうこと?」
『妖怪は神様が生み出したものじゃなくて人間が生み出したものよ。妖怪の瘴気を祓おうと思ったら、人間がたくさん住んでいる都よりも国の中心から祓った方が効率がいいでしょう?』
ポチ子は心春を乗せたまま歩いてった。仕方なく、結希たちもポチ子について行く。
『だから神様はこの町に贈り物をしたの』
陰陽師の力を持たなければ迷子になってしまいそうになるほどに変わり映えのない迷路のような部屋を、ポチ子は迷うことなく進んでいく。視界に入るすべての木製の古びた扉は閉ざされており、中で保管されている物の力はまったく感じることができない。ポチ子にしか感じることができないそれは、一体どのような物なのだろう──。
「……あ」
声を漏らしたのは、ずっと黙っていたオウリュウだった。オウリュウは珍しく目を見開いており、「……え、でも……」とこれまた珍しく戸惑い出す。
最古の式神のオウリュウは、妖怪の探し物が何かわかったようだった。
「……〝あれ〟はもう、ない」
それは、掠れた声だった。出逢ってから初めて感情らしい感情を見せたオウリュウのその表情は絶望で、唇を震わせながら悲しそうに顔を歪める。
『用があるって言ったでしょう? けど、結界が張られていたから入れなくて。止められなかったの』
オウリュウが喉を鳴らした。オウリュウは式神だ、過去に何があったとしてもオウリュウの意思で何かが行われることはあり得ない。だからオウリュウは悪くないはずなのに──静かに幾筋もの涙を流している。
「──いいえ、ありますよぉ」
子供に語りかけるような優しい声色が狭い通路の天井から降ってきた。先頭を歩くポチ子の前に姿を現したのは、町役場に保管されている資料すべてを読破した過去がある千秋の式神のビシャモンだ。
「おうりゅう、あります」
しっかりとした声色で告げたビシャモンは、「ね?」とポチ子へと視線を移す。
「……うそ、だって、〝あれ〟は結城家の誰かが……」
「切りました。ただ、捨てたわけではないですよぉ」
オウリュウを泣き止ませようとしているのか、ビシャモンが柔らかく微笑んだ。オウリュウは裾で涙を拭ったが、悲しみや後悔は拭えていないようだった。
「ちょっと、あんたらさっきからなんの話してるのよ」
結城家の話ならば紅葉は黙っていない。ビシャモンは紅葉にも微笑みを向け、「ついて来てくださいなぁ」とポチ子と共に歩き出した。
そう言った通り、それほど歩かずに彼女は他の扉と大差ない扉をゆっくりと開く。中もかつて歌七星と心春と亜紅里が戦った部屋と大差なく、天井にまで届くほどの本棚や棚が壁中に取りつけられていた。
「あ、ありましたぁ」
ビシャモンが真っ直ぐに歩いていく。そこは、別の部屋では隠し扉にもなっている場所で──真菊と亜紅里の表情を盗み見ると、その場所も隠し扉になっているようだった。
「これですよねぇ? ポチ子」
ビシャモンが桐箱の中から取り出したのは、二枚の鏡だ。
『それだけしか残っていないの?』
二枚だけでも充分なように思えたが、ポチ子にとってはそうではないらしい。
「んん〜、そもそも切った理由は寿命だったからですよぉ? みんなが反対したので決定に時間がかかってしまって、ほとんど材木として使えなかったんですからぁ」
ビシャモンは二枚の鏡を持ち替えて、自分たちに鏡が埋め込まれた木材を見せる。そこには結城家の家紋が彫刻されていた。
「何それ」
この場にいる者の中でそれを持つ権利がある人間がいるとしたら紅葉だけだろう。
「陽陰町に八条という名さえつかなかった頃からこの地にあった桜の木の一部ですぅ」
「……その木、オーが召喚されるずっとずっと前からあったから、五百年くらい前に寿命が来たの。それで、危ないからって、結城家の誰かがみんなの反対を押し切って切っちゃって……でも、腐ってたから、何も残ってないって思ってた」
知識の宝庫のビシャモンと最古の式神のオウリュウがそう言っているのだから、それはこの町の真実だ。
『その木は国の瘴気を祓う為に神様がこの地に贈った木なの。人間の負の感情から生まれた妖怪はその木に瘴気を吸い取られるんだけど、瘴気は妖怪にとっても多すぎたら毒だから──千年前の妖怪は、この地に救いを求めて来たんだよ』
千年前の妖怪はこの地で救われたのだろうか。千年前の百鬼夜行を知っている結希はすぐに救われていないと結論づけ、今が千年前の続きであることを思い出す。
過去は過去ではない。今でもあり、未来でもある。
「あ……」
ようやく気づけた。妖怪がそれを探している理由を。
「あいつらは救いを求めているの?」
誰よりも離れた場所から自分たちを見守っていた朝日は、眉間に皺を寄せていた。朝日は負の連鎖を断ち切る為に結希にすべてを託したが、朝日が妖怪を殺し続けていた過去も朝日が間宮家の末裔として虐げられていた過去も消えたわけではない。朝日だって、ずっと救いを求めてきた〝誰か〟の一人だ。
『そうだよ』
神の使いであるポチ子はそんな朝日の過去を知ろうともせずに肯定する。
『神様の贈り物の木がなかったら、また同じことが繰り返されるから』
「じゃあ今すぐ贈りなさいよ。町の結界はもうないでしょ」
愛果はポチ子を責めるようにそう告げたが、ポチ子は首を縦に降らなかった。
『木は、そう簡単には育たないよ』
何もないところから育った木を贈れるような神は存在しないのだろう。探し物は見つかったが、進むべき道はまだ見えない。
『この世界の歯車は、一体いつから狂い始めてしまったんだろうね』
この時代に生まれた自分たちには、ポチ子の問いに答えられない。ただ──
「その木が、育つまで……」
──ただ、思うことはある。
「……その木が育つまで犠牲になるのは《伝説の巫女》なのか?」
瘴気を消すことができるのは、妖目家に生まれた《伝説の巫女》の明日菜。そして、瘴気を消す術を唱えることができる結希だけだった。




