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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十四章 悪鬼の巫女
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十五 『鬼の夢』

 地面に落ちた樒御前しきみごぜんの右腕を、月夜つきよ幸茶羽ささは芦屋あしや義兄弟たちとその式神しきがみを乗せた鈴歌れいかが追いかけていく。

 雅臣まさおみの救出は任せよう、自分は今、右腕を斬り落とされた樒御前の目の前にいる。痛みと怒りで暴れ出した樒御前の左腕は結希ゆうきを殴ろうとしていたが、結希を支える紅椿あかつばきの左足が見事に防いで事なきを得た。


『サワルナ!』


 そのまま蹴り飛ばし、二人は樒御前の右腕のように落ちていく。結希は今でも自分を大切そうに抱き締めてくる紅椿の腕に触れ、着地の衝撃に備えた。


『ユウキ、クルナ。アブナイ』


「危ないのは俺だけじゃない」


『ユウキ、マモル。シナセナイ。シナナイデ』


「死なないよ」


 紅椿は間宮宗隆まみやそうりゅうを愛している。そのはずなのに、紅椿の口から出てくる名前はずっと〝ユウキ〟だった。

 自分は紅椿に何もしていない。悔しいが、それは椿つばきに対してもだ。義兄妹として今までずっと過ごしてきた椿ならばともかく、紅椿に愛おしそうに名前を呼ばれる理由がわからない。


「紅椿は……どうして〝俺〟のことが好きなんだ」


 その想いを受け入れることはできないのに、気づいたらそう尋ねていた。紅椿とこんな風に話せる時間はもうないだろう。聞ける時に聞いておきたかった。


『…………』


 紅椿の息が止まる。紅椿は、地面に着地した後も結希の問いに答えなかった。


「…………」


 答えることができなかったのだろう。結希を抱き上げたまま動かない紅椿の表情を確認する為に思い切って彼女を見上げると、驚いて固まったままの紅椿と目が合った。


『ワカッタ』


「何が」


『……ワカッタヨ』


「だから何が」


 結希にもわかったことがある。紅椿は、理由もなく結希を愛していたのだと。結希が宗隆の魂を持っていなければ、紅椿は結希に近づくこともなかったのだと。


『……ワタシハ、ソウリュウヲマモレナカッタ』


 それは違うと宗隆は言うだろう。結希が、宗隆が紅椿を守れなかったのだと思うから。


『……アヤカシト、ニンゲンノ、タタカイヲ……トメラレナカッタ』


 息が止まったのは結希の方だ。今にも泣きそうな表情をする紅椿が千年前、妖怪と人間の戦いを止めようとしていたなんて誰が想像できただろう。


『アヤカシト、ニンゲンハ、コロシアウノガ〝アタリマエ〟ダ』


 それは、千年経った今でもそうだ。


『ケド、ソウリュウハ……ワタシヲ、アイシテクレタ』


 結希は半妖はんようの義姉妹たちを愛している。妖怪のタマ太郎も愛しているが、彼女たちに出逢う前に紅椿のような鬼の少女に出逢っていたら、その少女を心から愛せただろうか。


『ユウキハ、アヤカシト〝キョウゾンスル〟トイッテクレタ』


 泣いたのは紅椿だ。紅椿が泣けば泣くほどに、彼女は妖怪ではなく普通の少女になっていく。紅椿が出したであろう瘴気が消えて、空気が澄んでいく。



『──ワタシハ、ソノ〝タマシイ〟ヲ、アイシテイル』



 そう見えているだけで、紅椿は今でも立派な妖怪だった。だが、瘴気が消えたのは事実だった。


「結希君!」


 瞬間に隣に立ったのは、千里せんりだ。その手にはるいが持っていた《紅椿》が握られている。


「……あ」


 持ってくるように頼んだのは自分だ。紅椿の気持ちを受け入れないと決めたのも自分だ。


「ありがとう」


 告げて紅椿から無理矢理下り、《紅椿》に手を伸ばしてそれに触れられることに気づく。触れても体に違和感はなかった。


「いえ。では、私はもう行きますね!」


「あ、あぁ、頼む」


 千里はすぐに間宮家の式神たちと合流する。自分たちも早く行かなければ、そう思うが《紅椿》に対する違和感が拭えない。

 真後ろにいる紅椿へと視線を移すと、紅椿は涙目のままきょとんとしていた。


「紅椿……」


 ……どういうことだ。そう問う前に、紅椿が口を開いた。


「……結兄ゆうにぃ


 紅椿は結希のことをそう呼ばない。それは、結希や義姉妹たちがずっとずっと待っていた椿独自の結希の呼び名だ。


「椿……?」


 確かめるように名前を漏らす。椿はゆっくりと顎を引いて、きょろきょろと辺りを見回して、樒御前と戦う義姉妹たちを視界に入れた。


「えっ、椿、だ、大丈夫なのか? 紅椿は?」


 《紅椿》を折るつもりでいた結希にとって、椿の突然の目覚めは予想外の出来事だった。頭が未だに追いついていない。何もわからない以上手放しで喜ぶこともできなかった。


「アタシは大丈夫……紅椿、は──」


 椿は紅椿の存在を知らないわけではないようだった。自分の心臓がある部分に手を当てて、瞳を閉じ、納得したかのような晴れ晴れとした表情を結希に見せる。



「──ここにいる」



 結希が望んでいたのは紅椿の完全消滅だった。だが、今は椿が戻ってきてくれたことが何よりも嬉しい。今だけは、手放しで椿の目覚めを喜ぶ。


「椿ッ!」


 駆け寄って椿を抱き締めた。椿と笑いながら話ができていたのは十二月までのことだ。今年に入ってから椿の様子はどこかおかしく、義姉妹全員が椿の身を案じていた。


「ちょっ、結兄?! 苦しい苦しい! 嬉しいけど恥ずかしい! 落ち着けって! ちょっ! ちょっ! あぁーっ!」


 ここにいるのは十二月の頃の椿だ。離したくなかったが、奇声を出す椿が心配ですぐに離れる。椿は顔を両手で覆っており、「結兄ごめん……!」と何故か謝った。


「え?」


「そ、そ、その……! 色々ッ!」


 大声で叫んだ椿は落ちる際に納刀した《天狐切丸てんこきりまる》を抜刀し、髪色や瞳の色のように真っ赤な顔色のまま結希の傍を通り過ぎる。

 彼女が目指す場所にいる相手は樒御前だ。義姉妹たちが戦っている時に何もしない椿ではない。結希はそんな椿の勇ましい背中に妙な安心感を覚え、「椿!」となんの不安もなく彼女を呼び止めた。


「これ!」


 投げずに手渡したのは《紅椿》だ。紅椿が椿に戻る直前、結希は紅椿が普通の少女──いや、今思えばうめや椿のようになっていたことを思い出す。

 多分だが、紅椿は千年前に抱いた恨みを先ほどほとんど晴らしたのだ。何かを恨んだ理由を赦したのかもしれないし、紅椿を覆っていた何かを振り払ったのかもしれない。


 これも憶測でしかないが、今の紅椿に残っているのは後悔だろう。宗隆を救うことができなかった。妖怪と人間の戦いを止めることができなかった。そう言った彼女が椿に体を返したのは、椿に後悔をしてほしくないからだろう。


「……いいのか?」


 椿が驚きながら《紅椿》を受け取る。


「椿に使ってほしいんだ」


 結希は《鬼切国成おにきりくになり》しか使えない。椿の方が、《天狐切丸》と《紅椿》──その二振りを使いこなせる。


「結兄、ありがと」


 そう言って笑う椿のことを大切にしたい。この瞬間は紅椿が存在していなければ最初から訪れていた幸福の時だったが、紅椿が存在していた事実がある今、紅椿が自分たちにくれた幸福の時となっていた。


『ズルイ!』


 陽陰おういん町の地面が大きく揺れる。着地して叫んだのは樒御前だ。彼女は何を妬んでいるのだろう──椿が紅椿でなくなった今、樒御前が紅椿を狙う理由はないはずだ。


「…………」


 椿が無言で眉を下げる。それは、樒御前を憐れんでいるようで──椿にしかわからない樒御前の過去があることを察する。


「椿」


 慌てて椿の隣に立った。前に出て彼女を守るように動くことは、今の彼女を貶めることと同義だ。椿と共に戦いたい。そう願って樒御前を倒すよりも先に紅椿を倒すことを選んだ結希にとって、これは望んでいた未来に近い。


「アタシも結兄のこと好きだよ」


 いきなり告白された。それは、紅椿が本性を現したあの時の返事なのだろうか。



「──アタシは、鬼だ」



 そうであることは、初めて会ったあの日から知っている。半分妖怪なのは椿だけではない。なのに椿は、結希の理解よりも重くその事実を告げている。


鬼寺桜きじおう家の人間の力は私たちの中の誰よりも強い。強すぎるからこそ、誰よりも気をつけて見ていてあげないといけない』


 麻露ましろもそう言っていた。もしかしたら鬼寺桜家は結希が思っている以上のものを抱えているのかもしれない。


『俺たち鬼寺桜家の祖の鬼は、まだ死んでねぇ! 俺たちが人間の振りして《十八名家じゅうはちめいか》の中に紛れてたことがそもそもの間違いだったんだ! だから俺は──妖怪を討つ!』


 結希が思っている以上に虎丸とらまるの意思は軽くないのかもしれない。

 鬼寺桜家は間宮家の遠縁だ。何度も結ばれているにしては遠縁であることを知らなかったが、鬼寺桜家の問題は間宮家の問題でもあると思っている。間宮家がなければ今の鬼寺桜家はないのだから。鬼寺桜家にとっての間宮家の重要さは、妖目おうま家にとっての間宮家と大差ないように見えた。


「結兄に会う前から夢を見てた。理由はわからないけどアタシには首しかなくて、たくさんの人を噛み殺してる夢だった。アタシは誰かに救われたり守ってもらえるような半妖じゃない。誰かを傷つけることしかできないんだって思ったから、何も、できなかった」


 結希は、その椿のその一言で椿の半生が見えた気がした。


 椿が異様に見えるほどに他人に優しかった理由。それが夢のトラウマならば、腑に落ちるのだ。


「結兄は、そんなアタシのことを守ってくれた。アタシのことアタシだって気づいてなかったのに、アタシは鬼だったのに……救けてくれたんだ」


 あの日のあの出来事は、結希の心の中にも深く深く刻み込まれている。あの出来事があったから、結希は朝日あさひの心意に気づくことができたのだ。あの家に預けられた理由を知った。戦う理由が増えたのだ。

 椿にとってもそうだったらしい。あの時泣きじゃくっていたように大粒の涙を流した椿は、拳を振り下ろす樒御前の左手を右手で受け止める。


「──ッ」


 顔面の近くまで迫っていた樒御前の左手を凝視するだけで、結希は何もすることができなかった。


「大好きなんだよっ……」


 絞り出された声に胸が締めつけられる。結希は椿に何を言えばいいのかわからなかった。


「……大好きだから、辛かったんだよな」


 左手で《天狐切丸》と《紅椿》を持ち、右手で樒御前の左手を包み込もうとする椿は、樒御前のことを殺そうと思っていないようだった。

 椿は樒御前の過去を知っているだけではない。樒御前に共感している。妬ましくて叫んでいる樒御前のどこに共感することがあったのだろう。ずっと樒御前の言葉が聞こえている結希でもわからないことだった。


『……ツライ』


 会話が成立している。ここは椿に任せた方が良さそうだ。


『ダカラ、オマエ、ズルイ』


 樒御前はそう訴えた。椿は先ほどと同じように顎を引いた。


「……わかってる。アタシは恵まれている方なんだ」


 同じ鬼だからだろうか。樒御前は他の半妖には目もくれず、同じ鬼である椿を見つめている。

 樒御前が恵まれていなくて紅椿や椿が恵まれていることがあるのだろうか。彼女たちの違いがわからない。だから、これは樒御前と椿の戦いなのだと理解した。


「けど、だからってアンタが恵まれないままでいいわけがない。アタシはアンタもそうであってほしい」


 樒御前は陰陽師おんみょうじと椿を殺そうとしている。結希は椿から殺されかけたわけではないが、椿は結希がそうしたように樒御前を救おうとする。



「──アタシがアンタを愛するよ」



 椿はこの町の強烈な光だ。夢で何度も人を殺していたとしても、その手はまだ汚れていない。その心も汚れていない。

 本当に、この世界で初めて会った人間が椿だったら──結希は椿を誰よりも大切に想っていただろう。そう思うくらい、樒御前に心を寄せる椿は慈母のように美しく微笑んで温かく包み込んでくれる。



『──オマエジャナイ』



 樒御前は笑っていなかった。冷たい水を椿に浴びせて突き飛ばす、怒り狂った鬼のままだった。


 彼女はまだ恨んでいる。誰かを。何かを。千年経った今でもなお。


 いや、彼女にとって彼女を歪めた出来事があったのは千年ではない。真璃絵まりえにとって前回の百鬼夜行が六年前ではないように、樒御前にとっては一日も経っていないほど直近の出来事なのだ。


『シネッッ!!』


 樒御前の足が上げられる。


「椿ッ!」


 戦わなければならなかった。椿に戦う気がないならば、結希が椿を結界で守る。

 だが、椿もそこまでお人好しではないようだった。自分はどうなっても構わない、だが、結希が巻き込まれるならば話は別だ。そう言うように結希を抱き上げて紅椿のように高く飛ぶ。


「ッ!」


 着地した場所には半妖と式神全員が揃っていた。全員椿が元に戻ったことに気づいており、椿が説得しているならばと手を出さずに待っていたらしい。


「つばちゃんおはよう。調子はどう?」


 自分たちの状況を全員に伝えていたのが熾夏しいかなのだろう。戦いが再開されると理解した刹那に準備運動を始めている。


「うぇっと……! だ、大丈夫だと思うけど……」


「ほぅほぅ。本当に元に戻っておるのぅ」


「鬼って大変なのねぇ。ずっとあのままじゃなくて良かったわ」


「ど、どういうことだよぉ……! アタシそんなに変じゃなかっただろぉ……! 違うよなぁ……!」


 椿の声が段々と弱々しくなっていった。先ほど少し思ったが、椿は十二月以降の記憶や紅椿になっている時の記憶があるようだ。再び顔色を真っ赤にさせて慌てふためくと、義姉妹全員からいじられる。


 いつも通りの百妖ひゃくおう家だ。


 結希は視線を空に移し、タマ太郎たろうから自分たちを見守っている歌七星かなせ心春こはるを確認する。鈴歌、月夜、幸茶羽も上空におり、結希と目が合った瞬間に各々軽く手を上げた。


 全員がいる。いてくれる。百鬼夜行の最中だが、結希は自分が充分過ぎるほど恵まれていることを再確認した。


 背筋を伸ばして自分たちを探している樒御前を見上げる。樒御前が感じているのは陰陽師と鬼の気配だけなのだろう。

 樒御前は陰陽師の集団よりも鬼である椿に固執し始めている。


「椿、やれるか」


 短く尋ねたのはヒナギクだった。椿は一瞬だけ固まったが、すぐに力強く胸を叩く。


「大丈夫ッ!」


「本当に大丈夫なのか?」


 だが、結希だけはすぐに信じることができなかった。

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