七 『転校生と生徒会』
歌七星の誕生日の翌日は平日の水曜日で、誕生日当日は陽陰学園の創立記念日だった。町役場主催の《陽陰フェスティバル》は全校生徒が休日であるその日中に行われており、今日は久々の登校日となる。
結希が陽陰学園に登校する時、いつも傍にいるのが義姉と義妹の愛果と椿だった。
愛果も椿も眠そうにしながら隣を歩いているせいで、人にぶつからないように肩を抱き寄せて操作をするのが結希の役目となっている。そんな些細なことに気を配るのも、最早日常と化していた。
「おはようございますっ、センパイ!」
明るい声がして振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた翔太がいた。
不意に、四月に入院していた時の熾夏の台詞を思い出す。結希は最初彼女の言葉を何も信じていなかったが、今の翔太は第一印象を覆すほどに従順で、心から結希に懐いていた。
「おはよう、翔太」
最初は当然戸惑っていたが、五月にもなれば慣れてしまう。結希が僅かに微笑んで返すと、翔太は嬉しそうに愛果を突き飛ばして結希の隣を確保した。
「ちょっ! いきなり何すんだこのクソチビ!」
「へぇ。ガキの次はチビ、ねぇ。ボクとアンタの身長はほぼ一緒。人のこと言えないんじゃないの〜?」
「うっ、ウチは女だからいいんだよ! アンタは男でしょーが!」
「何言ってるんだし。成長が早いのは女だよ。ボクはこれから伸びるんだもーん」
「いーや、伸びない! 絶対伸びないっ!」
双子のように瓜二つの容姿をした二人がいがみ合う。金髪の愛果と、胡桃色の髪の翔太。容姿も言動もこんなに似通っているのに、二人は出逢った時から何かと馬が合わなかった。
「愛姉、翔太! なんで喧嘩してるの?!」
眠気がすっかり吹き飛んだのか、目を見開いた椿はあわあわと二人の仲裁に入る。そんな椿を無視した二人は、拳を強く握り締めて睨み合った。
「今日こそ一発そのみぞおちに入れてやるっ!」
「やってみなよ。ボクだって入れてやるしっ!」
《十八名家》で学園一の問題児──愛果。そして、同じく《十八名家》で裏社会を牛耳っている《風神組》の跡取り息子──翔太。
容姿や言動だけでなく境遇もどことなく似ている二人は、今にも殴りかかりそうな勢いだった。
「はいはいはいはい、ストーップ!」
結希が止めに入る前に、明るく、そしてどこか面白がっている声が聞こえてきた。二人の間に割って入る高身長の女性は依檻で、オレンジ色の髪が太陽の光で輝いて見える。
「ぶっ……!」
二人はすぐさま彼女に肩を組まれ、顔を豊乳に押しつけられた。依檻から離れようと藻掻く姿も似ている二人は、同じタイミングで依檻のみぞおちに一発入れる。
「ぐほぉっ?!」
くの字に曲がった依檻は、二人を離して真後ろに倒れた。
これには結希も椿も呆れた表情をしつつ他人の振りを決め込むしかない。だが、悲しいことに不名誉な方向で有名な百妖家は、いつも一緒くたに見られていた。
「もう二度とこんな真似しないでくれる? バカが伝染るからぁ」
「ふんっ、今度やったらタコ殴りの刑だからな! 覚悟してな!」
「やだなぁ二人とも。そんな怖い顔してたらせっかくの可愛い顔が台無しよ〜?」
家族になったばかりの結希や入学したばかりの椿は、学園一の不良と学園一のダメ教師が身内にいる限りまともな学園生活は送れないことを予感する。
男性恐怖症という他者には理解され難い痛みを持ち、他の誰も通っていない近所の女子中に通う心春のことが羨ましく思えるくらいには──愛果も依檻もこの学園では異端だった。
「別にいいし。ボクはどんなボクでも可愛いに決まってるんだから」
「ふっ、ふんっ! バカバカしいっ! うっ、ウチはもう行くし!」
自慢気に語る翔太とは対照的に、顔中を赤面させた愛果は大慌てでそっぽを向いた。金髪を尻尾のように揺らして校舎へと走っていくその後ろ姿を、翔太は勝ち誇ったような表情で見送る。
「ようやく二人きりになれましたね、センパイ!」
「えーっと……」
翔太への返答に困っていると、存在を主張するかのように椿が翔太のシャツを引っ張った。
「ほーらっ! 行くぞ翔太!」
「ちょっ、椿?! アンタまでボクとセンパイの邪魔をする気?! 信じらんない! 百妖の人間みんなみんな訴えてやる!」
「いーからいーから!」
さすがの翔太も鬼の半妖の馬鹿力には敵わなかったのか、ずるずるとあっという間に引きずられていく。そんな中でも結希への敬愛を忘れずに主張する翔太に苦笑して、手を振った。
そして、結果だけを見ればなんだかんだで二人の喧嘩を止めたことになる依檻の方へと視線を移す。依檻は去っていった三人の背中ではなく、まっすぐに正門の方を見据えていた。
「何をしているんですか?」
以前に依檻が正門に来ていたのは入学式の日で、その日も結希と愛果の喧嘩を止めていたことを思い出す。来た理由は単純に生徒の顔を見たかっただけらしいが、今だけは違うように思えた。
「ただの人探しよ」
たったそれだけしか言わない依檻も、長女の麻露のように多くを語らなかった。
その部分が、結希の母親で麻露の養母でもある朝日に似ていた。だから結希も、それ以上は追及しなかった。
*
名字が間宮から百妖に変わっても、結希の前の席の住人は白院・N・ヒナギクということで変わりはなかった。
目の前に座る銀髪の少女は、今日も今日とて窓の外に視線を向けている。その姿が絵になるのだから、ヒナギクを見ている生徒は結希だけではなかった。
コバルトブルーの瞳は時に冷たく時につまらなさそうに色を変え、彼女の思考を闇に落とす。長いウェーブがかった銀髪は青い紐のリボンでツインテールに結ばれており、時折シャンプーの匂いがする。童顔だが高貴な雰囲気が滲み出ているヒナギクはフランス人形のようにも見えたが、それだけに緋色の制服が似合っていないと思うのは結希だけではなかった。
「おはよ〜」
教室に入ってきた依檻が教壇に立つと、自然と会話が聞こえなくなる。そうでもしなければ依檻が雑談に入ってなかなか出席を取ろうとしないからだ。
「もう五月の十一日なのねぇ。早い早い……って、あぁっ!」
「どうした依檻ちゃん!」
結希の親友、風丸が悲鳴を受けて席を立つ。
「昨日かなちゃんの誕生日だったの忘れてたわ!」
そして前のめりになってずっこけた。
風丸のリアクションは古かったが、人気者ということもあってか変にウケている。結希がそれをやったとしても、滑ってしまうのがオチだろう。
「ほんと失敗したわ。家族の誕生日は全員覚えてるのに……」
「じゃあ結希の誕生日はー?」
「四月十八日よ」
ドヤ顔で即答した依檻に「おぉ〜」とまばらな拍手が起きる。まばらだったのは、結希の誕生日を知る人間が風丸と依檻のみだったからだろう。
「どうでもいい。さっさと報告して終わらせろ」
麻露に似た、低いがよく通る声の持ち主はヒナギクだった。性格といい表情といい、どこか麻露に似ているヒナギクは依檻の天敵かもしれない。
「はいはい。じゃあまずは転校生を紹介するわね」
素直に言うことを聞いた依檻は、扉の方へと視線を向けた。
「転校生?!」
風丸が驚くのも無理はない。町外からわざわざ通う生徒はいるが、転校生は結希が知る限り初めてだった。
「なんだそれ! 依檻ちゃん、聞いてないぞー!」
「もっと早くに言ってよぉー!」
文句を言うクラスメイトとは違い、依檻が正門に来ていた理由に結希は一人で納得する。
依檻が探していたのは転校生だ。
普通の学校ならともかく、陽陰学園は広大な敷地のせいで迷子になる新入生が多発している。
ガラッと、唐突に開く扉に誰もが視線を奪われて──
「とーうっ!」
──バク転で入ってきた少女は、大きく跳躍して教壇の上に着地した。
緋色のスカートが危なげに揺れるも、黒いレギンスがしっかりと守る。化け物か──そう思うほどに運動神経抜群な少女は、顔を上げて笑顔を見せた。
「阿狐亜紅里、十六歳っ! 誕生日は七月五日、血液型はB型、身長は百五十五センチ! バストはギリギリCカップ! あたしのことは気軽にあっちゃんって呼んでね!」
天色の瞳でウィンクをする彼女は、バランスのいいポーズを決める。亜紅里の弾丸のような自己紹介に、さすがの風丸もどう反応すればいいのか戸惑っているように見えた。
「あ、質問はウェブで! なんでも答えちゃうぞぉー。例えばぁ……」
「はい終了ー」
腰を依檻に掴まれて子供のように下ろされた亜紅里は、「えぇー!」と抗議の声を上げた。
「あっちゃんの席は一番後ろよ」
「依檻ちゃんのイジワル! 貧乳になれ!」
亜紅里は唇を尖らせつつも、ヒナギクや結希がいる列の左隣を歩く。きょろきょろと辺りを見回していたが、天色の瞳は結希を見て動きを止めた。
目と目が絡む。息が止まる。時間まで止まったような感覚に陥り、何も考えられなくなって鼓動を早める。刹那、茶髪のおさげに触れた亜紅里は逃げるように視線を逸らした。そして、何事もなかったかのように自分の席へと駆けていった。
そんな亜紅里を視線で追うこともできないまま、結希は呆然と──呆然と、元に戻る心音を聞いた。
「それと、五月の中旬になったからあれがあるわよ」
依檻は「こっちの方が本題かもね」と、持っていた茶封筒を全員に見えるように掲げる。それは、初めて見るものだった。
「じゃじゃーん。生徒会の役員表よ」
亜紅里に負けないくらい上手いウィンクをして、依檻はその茶封筒を開ける。亜紅里以外の生徒は「またそれか」とでも言うような態度で、大した反応はしなかった。
陽陰学園は広大な敷地に充実した教育設備、中高一貫校で制服が可愛い等、多方面から支持を集めている人気校だ。おまけに結界が張ってある希少な学校ということで、大体の《十八名家》はここに通っている。
学費が高いわけではないおかげで誰でも通えるようになっているが、その特殊な環境のせいで生徒会も普通ではなかった。
「今年は誰が選ばれるのかしらね」
そう依檻が言うように、生徒会役員は創始者の一族──現学園長の白院・N・万緑の指名で毎年決められていた。
そして、選ばれるのは《十八名家》の生徒がほとんどで。彼らがいない世代は一般生徒が選ばれるが、人数を大幅に減らす年も多々あった。だからこその反応だった。
「つってもだいたい見当がつくけどな」
《十八名家》の風丸が不満げに言う。
結希の目の前に座るヒナギクも、そして誰も触れなかったが後ろの方で「どゆことどゆこと?!」と尋ねまくる亜紅里もまた《十八名家》だった。
(阿狐……。一族の人間がまだこの町にいたのか)
和穂の一族、泡魚飛家は主に歌手を。そして亜紅里の一族、阿狐家は主に役者を多く輩出している。
かつては泡魚飛家と同じくらい業界での顔が広かったが、その名をテレビで聞かなくなったのはいつの頃だったか。
「毎年六人くらいが選ばれるけれど、今年もそれは変わらないみたいね」
依檻は茶封筒に入っていた紙を見て、そう言った。
「じゃ、読み上げるわよ。阿狐亜紅里。妖目明日菜。小倉風丸。芽童神八千代。白院・N・ヒナギク──」
あいうえお順に読み上げる依檻は、そこで何故か大きく息を吸い。
「──百妖〝結希〟」
自分の名前が出て嫌そうな表情をしていた風丸は、結希の名前が出た途端にぽかんと大きく口を開いた。
ポーカーフェイスを貫くヒナギクに変化はない。未だに状況を理解していない亜紅里は首を捻り、結希は漆黒の瞳を見開いたまま固まった。
「以上の六名は放課後生徒会室に来るように、だって。うちのクラスからは四人ね。しかも弟が生徒会なんて鼻が高いわ〜」
依檻は茶封筒を片付けて、出席簿を片手に出欠を取る。
「じゃ、ショートホームルームはこれて終わりよ」
にやにや笑う依檻は最後に結希を一瞥し、教室から出ていこうと足を向ける。
「ッ、依檻さ──百妖先生!」
その背中に向かって、ようやく我に返った結希が大声で呼び止めた。
「なぁに? 何か質問?」
「どう考えても、俺が生徒会なんておかしいですよね」
生徒会に入りたくても入れない生徒がこの学園には存在する。元々《十八名家》ではない結希はそれを知っていた。
やってみたいのに自分は〝身分〟が違うからと諦めて、どうせ役員は《十八名家》だからと大勢の生徒は興味さえ持たない。今のクラスメイトの反応を見ただけでもそんなことは容易にわかる。
だからこそ、陰陽師というだけで百妖家の一員になった結希は肩身が狭かった。
「そう? 私はあっちゃん以外は予想通りだったわよ?」
「どうしてそう思うんですか」
できるなら、この学園で生徒会をやりたがっている誰かに譲ってあげたかった。どうしても《十八名家》しかなれないのならば、椿や翔太で良かったんじゃないかとも思う。
「──結希だからよ。ただそれだけ」
依檻はそう言い残して教室から出ていった。
──自分だから?
そんな疑問が止まらない。力が抜けたように席に戻ると、様々な視線を浴びていることに遅れて気づいた。
「……血なんて繋がってないくせに、なんであいつが?」
自分でもそう思う。
「まみ……百妖君ってあんな風に怒るんだ。ちょっとびっくりしちゃった」
怒ったというよりも困惑に近かったが、結希は何も言えなかった。
たった六年分の記憶しかない高校生の陰陽師──百妖結希にとって、陽陰学園の生徒会という立場はあまりにも重すぎる。
そして、百鬼夜行のことを考えると──余計に頭が痛んだ。




