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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第一章 金狸の幻術
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二  『一男十三女』

 夜中になって、あてがわれた部屋の窓を開ける。

 ひんやりとした涼しい空気が室内に入り、好奇心に駆られて深呼吸を繰り返す。濁りのない綺麗な空気は器官を通って肺を満たし、結希ゆうきは閉じていた瞳をゆっくりと開けた。


 そして、冴えた頭で黄昏時の出来事を思い出す。


 麻露ましろから聞いた話によると、この家の住人は十三人にも及ぶ姉妹たち。要するに一男十三女という状態だ。おまけに両者の間に血は繋がっておらず、それは周知の事実となっている。


「……リビング行きづらいな」


 窓枠に額をつけて呟いた。

 夕飯以降から水を飲んでいないせいか、それとも緊張からか酷く喉が渇いている。潤したいが、この家に慣れていないせいで気軽に出れなかった。


 コンビニ行こう、そう思って、学校用の鞄から財布を取り出す。時刻は九時を示していて、結希は迷うことなくポケットに紙切れを突っ込んだ。




 五階にある自室から玄関に行くまで、不思議と誰にも会わなかった。部屋も、廊下も、リビングでさえ明かりがまったく灯っていない。

 同じ釜の飯を食べた姉妹は俯いてばかりだった幸茶羽ささはを入れてようやく十人。つまり、十三人中十人がこの家のどこかにいるはずなのに。


 コンビニに行く必要はないかと悩んだが、非常食として買うのも悪くはない。

 あまりの静けさに多少の不気味さを覚えるが、やたらと目立つ大きな自分の靴を履いた。そして外に出て周囲を見回し、近くのコンビニを探す為に歩き出した。


 百妖ひゃくおう家が住宅街から離れた場所に建っているせいか、街頭はどこにも見当たらない。ただ、夜に馴れているおかげでそれほどの問題ではなかった。

 住宅街の方へと歩を進め、夜空を見上げる。今宵は満月で雲はなく、星もよく見えるいい空だ。だというのに悪寒が走る。


「ッ!」


 身構えた。迷うことなく、感じた気配を辿る為に全力で走った。

 土地勘なんてものはないが、本能を頼りに足を動かす。アスファルトだった道は砂利へと変わり、数々の長方形が視界に入る。


 ──墓石。墓地だ。近いと本能が訴える。


 月明かりに照らされた空気は、重く、黒く、濁っていた。

 立ち止まり、ポケットに突っ込んだ紙切れを構える。すると、墓石の後ろから〝何か〟が姿を現した。


 魚のような目玉が全身に大量に張りついており、それぞれ不規則に動かしている。手足はぬめぬめと湿っており、不気味さが際立つ。

 それは、決して触れてはならぬ物だと示唆していた。


百目ひゃくめ、か」


 それだけではない。


 墓石の周辺に漂っているのは、人魂ひとだま。地面から這い出てきたのは人骨で、ゾンビのように全身を現したのは餓者髑髏がしゃどくろ

 どの妖怪も一匹ではなく、世界が終わるのではないかと思うほどの禍々しさだった。


「こ、こんなにいるのか……?」


 今まで見てきた妖怪は、二匹が限界だったのに。数多の妖怪が放つ瘴気に顔を歪め、それでも紙切れを構え続けて様子を確認。頭は通常の何倍も早く回転する。


 どうする、どうする、どうする。この数を一人で倒せるのか。


 不意に朝日あさひの言葉を思い出した。

 実際にこんな状況になり、あの時の自分の言葉は思い上がりだったと嫌でも思い知らされる。


「何が一人で暮らせるだよ……」


 その言葉が合図となったのか、すべての妖怪が一斉に襲いかかってきた。動けと頭で命令するが、間に合わない。

 肌が冷気を感じた刹那、走馬灯のようなものを見た気がした。が、空から降ってきた何かが、走馬灯を消し去った。


「……ゆ、き?」


 白い雪が頬に触れ、冷たさを残して溶けていく。

 人魂は氷塊となって地面に落ち、百目と餓者髑髏の足元は凍りついていて一歩も動けそうにない。足元の氷は全身に広がり、後には完成された妖怪の氷漬けが残る。


「間に合った、か」


 安堵と共に短く息を吐いた女の声は、雪と同じく遥かに遠い空から聞こえた。

 意識を取り戻しながら視線だけを上に向けると、群青色の長い髪の毛が風に揺れる。緋色の瞳をまばたきさせて、透き通るような白い肌を持つ女は、どこかで見た雪女ゆきおんなそのものだった。


 雪女は空に浮かんでおり、結希は驚愕の声を漏らす。それを加速させたのは、先ほど聞こえてきた聞き覚えのある声だった。



「──ま、麻露さん?」



 そんなわけないと否定する。だが、降下する雪女の顔は麻露に似ていた。

 そんな彼女は蠢く黒い布に乗っており、目を凝らすとそれは一反木綿いったんもめんのようで結希は思わず目を見張る。


 一反木綿は普通白だ。勝手に驚愕して勝手にあり得ないと納得した結希の目の前に、飛び降りた雪女が着地する。

 黒い布はヒラヒラとどこかへ飛んでいった。そんな不自然な動きを見た結希は、動くようになった眉間のしわを深く寄せた。


「下がっていろ」


「嫌です」


 はっきりと声に出して答える。


 麻露の声を持った雪女は、結希と同じように眉間にしわを寄せて「足手纏いだ」と背を向けた。両腕を前に出して構え、掌から吹雪を出す。吹雪はさらに勢いを強め、墓地に群がり始めた妖怪すべてを凍らせる。


「やれ!」


 天空に向かって無意味に叫んだかと思えば、どこからともなく声が返ってきた。

 森中の木々から飛び出してきたのは、尖った両耳の下で赤毛を結んだ、鬼のような〝何か〟だった。裾が短い着物を着て、薙刀を振るい、凍った妖怪を片っ端から木端微塵に破壊していく。


 そして、〝それ〟とは別に飛び出してきたのが、琥珀色の瞳を輝かせた猫又ねこまたのような〝何か〟だった。同じく裾が短い着物を翻し、鋭い爪で氷を引き裂いている。

 猫のようにしなやかに。木の枝を飛び回る度に揺れる二本の尻尾は、やはり猫又のものだった。


 あまりにも素早く動くからか、すべての氷が粉砕されるまであまり時間はかからなかった。


 勝てるか勝てないかと思っていた妖怪は、すべてこの三人によって五分もしない内に倒される。呆気に取られていると、鬼のような〝何か〟と猫又のような〝何か〟は結希を一瞥し、何故かほっと息を吐いた。


 その様子が結希の心に引っかかった、その時だった。


「危ない!」


 叫ぶと同時に、餓者髑髏のものだと思われる右手の骨が地中の奥深くから飛び出してくる。その手はしっかりと、鬼のような〝何か〟の右足を掴んでいた。


「うきゃあっ!」


 少女らしい悲鳴を上げて赤毛が揺れる。雪女と猫又が慌てて反撃しようとするが、それはできなかった。


(距離が近すぎる!)


 雪女の前に飛び出した。右手の人差し指と中指を立て、目を見開く雪女と猫又を他所に結希は深く息を吸い込む。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 横、縦、横、縦、横、縦、横、縦、横。九字くじを切ると、右手の骨は掴んでいた足を苦しそうに離し──跡形もなく、消滅した。


「く、九字……?」


 力が抜けたように膝が曲がり、雪女は地面に崩れ落ちる。

 猫又はそんな雪女を支え、結希は同じように崩れ落ちていた鬼のような〝何か〟の前に右手を差し出した。よく見ると少女のような体つきをしている鬼のような〝何か〟は、俯きながらもそんな結希に向かってゆっくりと自らの手を伸ばした。


 結希は少女の手を引いて、立ち上がらせる。顔を上げた少女は髪色と同じ赤目を持っており、結希の脳内で夕刻に出逢った椿つばきと何故か重なった。


結兄ゆうにぃ、なんで……」


「結兄、って……」


 いや、何故かではない。自分のことを〝結兄〟と呼ぶのは、今のところ一人しかいないのだから。

 結希は口を開閉しつつも、少女の赤目から目を逸らさなかった。


「結希、キミは──」


 赤毛の少女、彼女が椿ならばと振り返る。

 そこには雪女はおらず、結希が知っているあの麻露の姿があった。初対面で見せた余裕が今の麻露にはなく、彼女は唇を小刻みに震わせていた。


「麻露さんですよね?」


 麻露は視線を伏せた。すると、麻露を支えていた猫又が首に巻いていた黄緑色のマフラーを揺らす。マフラーは猫又を隠すように伸び、瞬く間に元の長さへと戻っていった。


 しかし、そこにいたのは猫又ではなかった。


 猫耳と二本の尻尾はなく、結希に視線を向けるのは、同じく黄昏時に出逢ったばかりの和夏わかなだった。


「ユウ、バキちゃんを助けてくれてありがとう」


 和夏は微笑み、結希に支えられていた椿を見つめる。和夏の視線を追うように椿を見下ろすと、鬼のような姿を持つ椿は、今にも泣きそうな顔をしていた。


「椿ちゃん、怪我は?」


 椿を気遣うように吐いた台詞は、何故だかわからないが逆効果だった。みるみるうちに震える椿は、心からの嗚咽を漏らす。


「うぇ……うっ、うわぁあああん!」


 ついにぼろぼろと泣き出した椿に不意をつかれた。

 慌てて麻露と和夏を見るも、和夏は申し訳なさそうに手を合わせて、麻露は見て見ぬふりをするようにそっぽを向いている。二人とも、妹を泣かせたことに対する怒りはないようだ。


 泣きじゃくる椿に抱き締められた結希は、困惑しながらも椿が椿を散らせて元の姿に戻る様を見届ける。そんな椿の背中を時間をかけて撫でていくと、やがて彼女は泣き止んだ。


「結兄、ありがと」


 結希を見上げた椿は、涙を拭いながら無理矢理笑う。


「どういたしまして」


 けれど、結希も笑みで応えた。

 意外と小さかった椿の背中が何かを背負っているように思えて、結希は広がった苦しみを押し戻す。そして、椿の鬼のような姿を思い出して、百妖家の姉妹たちの正体を悟った。


『そうよ。あの子たちならきっと、結希君を守ってくれる。──だから結希君も、あの子たちを守ってあげてね』


 朝日の台詞が何度も脳内で再生された。

 なんとなくだが、結希はその台詞の心意にも気づき始めていた。

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