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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十四章 悪鬼の巫女
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十二 『お待たせ』

 カゼノマルノミコトが来た時と同じように姿を消して町役場まで下がると、紅椿あかつばきの片手が空く。


 息を呑む結希ゆうきの傍らで紅椿の片手が握り締めたのは、《天狐切丸てんこきりまる》だった。それは鬼寺桜きじおう家が代々受け継いでいる家宝の一つで、椿つばきの愛刀で──間宮宗隆まみやそうりゅううめの愛刀でもあった陰陽師おんみょうじの刀だ。


『タノム』


 宗隆の伴侶で梅の母親だった紅椿がそれを使用することに感慨深いものを感じていると、いきなり手を離される。


「ずぁ?!」


 真っ逆さまに落ちていった。ずっと紅椿と共にいて戦うものだと思っていたから、足手纏いだと言われているようで傷ついて──椿もそうだったのだろうとようやく気づく。


『だからって、周りの人を見捨てるなんてことアタシにはできない!』


 椿が自分は足手纏いなのかと傷ついて叫ぶ直前、なんの躊躇いもなくそう言った。自分よりも他人のことを優先して助けようとする彼女が、結希にとっては眩しかった。

 百妖ひゃくおう義姉妹たちは誰一人として周りの人間を見捨てるような人間ではないが、椿だけは本当に、誰よりも曇りのない正義感を持っている。椿だけは本当に、純度の高い〝いい子〟なのだ。


 心優しく他人を思いやることができる清純な心春こはるや無垢で無邪気な甘えん坊の月夜つきよでさえ吐く毒はあるのに。椿は何度も、そうやって他人の醜さを暴いていく。

 椿も〝悪い子〟だったら良かったのに。そう思った人間は一人ではないだろう。それくらい容易に椿は相手に劣等感を植えつけるが、椿本人も足手纏いという劣等感を抱いていて。


『違う! 適材適所って言うだろ? 昔から町中は陰陽師が、その他は半妖はんようがって決めていたから俺たちは今の今まで出逢わなかったんだ。俺は、椿ちゃんを足手纏いだなんて思ってない。ただ、俺たちにはできないことをやってほしいんだ』


 そんな彼女にそう伝えていたことを思い出した。


『ユウキ!』


 地面に落ちる直前の結希を受け止めたのは、誰も屋形車の中に乗せていないタマ太郎たろうだった。紅椿が結希を託した妖怪のタマ太郎は百鬼夜行が起こった今でも狂っていない。


『ユウキ、ブジ。ブジ』


 会えたことを喜ぶタマ太郎の背に落ちていた結希はすぐに体勢を立て直し、「ありがとう」と数回撫でる。

 タマ太郎に跨って抜刀したのは《鬼切国成おにきりくになり》だ。これで樒御前しきみごぜんの右肩を斬る。誤って雅臣まさおみを斬らないようにする為に必要なのはモモの力で、タマ太郎に降下させる。


 その途中で視認した明日菜あすなはまだ、《紅椿》と共に瘴気をその身に取り込んでいた。《伝説の巫女》として役目を果たす為に戦っている彼女の体はまだ耐えており、彼女が紛れもなく二つの妖怪の血を引く人間であることを証明している。そして、あぁも簡単に瘴気を取り込めるその姿が、妖怪に好かれる性質を持つ者の末裔であることも証明していた。


「明日菜ッ! ごめん! もう少し耐えろ!」


 ずっとずっと、守りたかった。六年前に目が覚めて、泣きじゃくる明日菜を見たあの日から、明日菜には笑っていてほしかった。

 同じように泣きじゃくっていて結希に守りたいと思わせたのは、明日菜だけではない。降下する結希に手を振っている紅葉くれはもその一人だったが、紅葉は従妹で陰陽師だ。結希が記憶を失う前から妖怪と戦う宿命を背負っていて、王のたった一人の子供として陰陽師の未来まで背負っていた彼女に何もしないまま笑えと言うのは酷な話で。だからせめて、明日菜や風丸かぜまるには何も知らないまま──百鬼夜行で戦って命を失うような危険を知らないまま生きていてほしかった。


 ごめんとしか言いようがない。自分がもっと強かったら、明日菜を巻き込む前から戦えたかもしれないのに。もう少しだけ馬鹿だったら、良かったのに。下手に賢かったから明日菜に色々と耐えさせてしまう。



「──ゆうきちッ!」



 結希をそう呼ぶ人間はこの世界に一人しかいない。結希のことを〝結兄ゆうにぃ〟と呼ぶ人間が椿だけのように、明日菜は何故か、昔から結希をそう呼んでいる。


妖目おうまは! 大丈夫だから! だから! 頑張って!」


 体育祭で応援しているかのような言い方だった。拍子抜けしてしまうが、「生きて」よりも軽くて──また明日が来ると錯覚してしまう。

 結希は《鬼切国成》を握り締めていない左手を軽く上げて明日菜に返事をした。タマ太郎は降下し終わっており、半妖たちと陰陽師たちの中心に着地する。


「ゆぅ!」


「紅葉……!」


 何故戻ってきたとは言えなかった。結希が紅葉だったら同じことをする。それは同じ血が流れているからというわけではなく、大切な人を守りたいという気持ちだった。


「妖怪は任せた!」


 百鬼夜行で狂う妖怪はまだ倒せていない。その妖怪を任せる相手は、紅葉がいい。


「……でもッ」


 紅葉は迷い、口を開いた。妖怪も脅威だが、樒御前の方が何倍も危険だとわかっていた。


「姫様、妖怪を倒しましょう──」


 口を開いた結希を止め、火影が間に割って入る。

 鴉天狗の半妖の火影は黒翼で紅葉の元へと飛び、両手で半妖たちと陰陽師たちを囲む妖怪を差した。



「──〝約束〟をしたのは、姫様の御先祖様の結城星明ゆうきせいめい様です」



 それは、千年前の話。結希の中で眠る間宮宗隆が亡くなった後の話だ。

 百妖義姉妹たちも、芦屋あしや義兄弟たちも、ヒナギクも、亜紅里あぐりも、千里せんりも火影の話に聞き耳を立てながら戦っている。彼らにとって、火影の話は無関係な話ではない。結希にとってもだ。


「だから姫様は姫様なんです。千羽せんば様が亡くなって、るい様が負傷して前線に出れない今、姫様だけが結城星明様の血を継いでいる陰陽師様なんです。だから火影は、姫様に戦ってほしくなかったんです……。その約束を一番守らなければならない御方だから」


 火影の表情は、結希にもよく見えた。今の今まで見たことがない、切なさに染まった表情は──愛する者の覚悟を受け入れた少女の顔だ。

 そんな火影が羽ばたく度に黒翼からひらひらと落ちていくのは黒い羽根で、それを手に取った紅葉は静かに顎を引く。


 知っていたのだ。千年前を見れないであろう紅葉も、すべての始まりである日々のことを。


 火影を見つめ返す紅葉の表情には迷いがない。それは結希が知らない紅葉の表情で、どことなく大人びて見える。そして不意に違和感を覚え、紅葉が化粧をしていないことに気づいた。

 結希の記憶の中にいる紅葉は、ほとんど化粧をしていた。紅葉はまだ十五歳だが、そうしていたのは自分を大人っぽく見せる為だと思っていた。だが、多分、本当は違う。自分の素顔を誰にも見せたくなかっただけなのだろう。決して醜いわけではないが、結希は初めて、本当の紅葉に出逢えた気がした。


「守るに決まってるでしょ」


 そこにいるのは、泣きじゃくっている紅葉ではない。


「やはり、そうですよね。そう言うと思ってました」


「だから、くぅのことを守ってくれるんでしょ?」


「これからもずっと、お傍にいたいですから」


「くぅもそう思ってるよ。だから、ゆぅ。任せてくれてありがと。〝にぃ〟ってずっと呼んでてごめん。けど、にぃと同じくらいゆぅのことが大切だったのは本当だから……にぃの代わりに色んなこと、教えてくれたこと、嬉しかったから」


「嫌じゃなかったし傷ついてもいない」


 誤解を解きたくて早口で答える。


「ずっと、嘘吐かせててごめん」


 結希に優しい嘘を吐いていたのは、ヒナギクと亜紅里だけではない。紅葉も。そして火影もだ。


『火影の本名は忘れてください、いとこの人。いとこの人は……どうか、優しい嘘の中で生きてください』


 百妖義姉妹の中で初めて本名を知ったのが、百妖義姉妹の従妹の火影だった。火影は百妖義姉妹に血の繋がりがないことを知っていて、当時の結希は知らなかった。

 あの時火影が差した優しい嘘は、百妖義姉妹たちが偽りの家族ということで。それを結希に知られないようにしてくれていたことに後から気づいたのだ。


「火影もごめん。俺は火傷してないし、後悔もしてないよ」


 火影の表情はより一層切なく濁る。


「火影、は」


 そんな話をしたのは文化祭があった九月のことで、あの頃はまだ火影との間に壁があった。


「嫌でした。いとこの人が百妖家に関わって、真実を知ったら、さらに傷ついていくことが目に見えていましたから」


 なのに結希のことを誰よりも心配してくれていた。


「けど、杞憂でしたね」


 そうであって良かったと安堵してくれた。紅葉と火影も大切だが、百妖義姉妹のことも同じくらいに大切になったから、血の繋がりなんて関係ないと本気で思えた。


「ねぇゆぅ、『陰陽師として、人との縁は大切にしなさい』ってお母さんが言ってたこと覚えてる?」


「え? 覚えてるけど」


 紅葉はこんな時に何を言うのだろう。


「あれね、本当にそうだって思うよ。くぅはゆぅを守れるくらい強くなったと思うけど、ゆぅはきっとくぅ以上に強い」


 そのまま、片手で弄んでいた火影の羽根に息を吹きかける。


「〝約束〟は一人じゃできないし。くぅには火影がいるし。にぃもいるから……妖怪は任せて」


 紅葉は、いつか見た孤独な姫君でもなかった。結希は紅葉から視線を逸らし、見上げた場所に小さな白い点があることを確認する。


「お供致します」


 火影が紅葉の上空を陣取った瞬間、紅葉が何かを妖怪へと飛ばす。

 吹っ飛んだのは妖怪だった。結希は間髪入れずに九字くじを切り、紅葉が札のように飛ばしたものが火影の羽根であることに驚く。それは、紅葉が作った札よりも威力があった。


「ゆぅ! 行って!」


「ほんとにね。なんでこっちに来たのかなぁ」


 呆れたのは熾夏しいかだ。結希は我に返り、本来の目的であるモモを探す。モモは、真菊まぎくの傍にいた。


「いいの? 紅椿を一人にしても」


 熾夏は椿が紅椿になってしまったことに気づいている。


「よくないです! 戦力を整えてすぐに行きます!」


「ほぅ? キミは誰を戦力に選ぶつもりだ?」


 落下して辺りの空気を冷やしたのは、ほとんど回復した麻露ましろだ。


「私は行けるわよ?」


 依檻いおりも。


「私も。百鬼夜行続けられるわよぉ」


 そして、真璃絵まりえもいる。


『ギャアアァァァアァア!!!!』


 結希と美歩の耳を劈く絶叫は樒御前のもので、だが、紅椿はたいした攻撃をしておらず──



「やっと、効いて、きましたね……」



 ──か細い声で笑ったのは、歌七星かなせだった。


「歌七星さんッ!」


 眠る歌七星の呼吸が浅かったことを結希は知っている。歌七星の切り札がなんだったのか知らないせいで、歌七星が未だに衰弱している理由がわからなかった。


「…………ボクはユウキについてく」


 鈴歌れいかがそう言うということは、最前線に出れるということだ。


「弟クン! 鬼! 弱ってるよ!」


 熾夏が百目の力を使い、状況を伝えてくれる。


「ほぅほぅ! 全員で畳かければいけるかもしれないのぅ」


 こんな時でも朱亜しゅあは戦国時代に生まれたお転婆なお姫様のようなことを言う。


「それも大事だけど──ユウ、バキちゃんを助けに行こう?」


 意外なことに、和夏わかなはいつもの和夏だった。結希は和夏を見下ろして、彼女が初めて会ったあの日とほぼ同じことを言ったことに気づく。


「行っておいで。雑魚はウチらに任せてさ」


愛果あいか……! 戦えるのか?!」


 もう駄目だと思っていた。実際歌七星は回復しておらず、鈴歌の一反木綿いったんもめんに大人しく乗っている。

 だが、いつもそうだったように──愛果は結希の背中を守るように、小さな背中を見せて立っていた。


「雑魚限定! あっちを相手する力はない! けど、椿はウチの大事な妹だから……! 椿に何かあったら行く!」


 十女の椿が、二個上の九女の愛果を異常なまでに尊敬していたことを結希は知っている。椿は元から運動が好きだったらしいが、特定の部に所属せず多くの運動部に顔を出して助っ人をしていたのは、元来の断り切れない性格だけではなく──仁義を重んじる愛果の真似事でもあったのだ。

 そんな二人から喧嘩の術や格闘術を教わっていた心春は未だに《言霊の巫女》として事態を静観している。だが。


「『土地神の加護を受けた精霊よ、我に力を与えたまえ』──」


 心春は、ここだと判断したらしい。



「──『穿て』ッ!」



 弾け飛んだのは、樒御前の脇腹だった。


春姉はるねぇ! やるよ!」


「しっかりしろッ!」


 月夜と幸茶羽ささはがすぐに心春を回復させた。心春はもう、戦えない。だから鈴歌が最前線に出れるのだ。


「副会長! 出れる半妖全員でやるぞ!」


「でもっ」


「妖怪は大丈夫そう! 来たよ!」


「まさか」


 彼が森にいた時は、まだ百鬼夜行が始まっていなかった。来たということは、森の妖怪が町に出てきたか──倒したかのどちらかで。集中する暇もなかった結希は、「モモ! 父さん引きずり出すぞ!」と声をかける。


「芦屋は全員行っていい!」


 紅葉の札が再び妖怪の群れの中で炸裂した。陰陽師の大半を樒御前に向かわせて構わないという紅葉の強い意志を感じる。そんな紅葉を支えることができる陰陽師は──。



「お待たせッ!」



 イギリスから来た陰陽師、ステラだった。

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