十一 『愛と呪い』
紅椿がカゼノマルノミコトごと結希を抱き締めた。
『ツカマレ!』
樒御前から守ろうとしてくれていること。それが堪らなく嬉しくて、ずっと紅椿のことを誤解していたのだと思えてくる。
紅椿は、自分が亡くなっても、間宮宗隆が亡くなっても、間宮宗隆のことを愛していた。紅椿の目的も、この千年も、ただそれだけだったのだ。
『陽陰町は広いんだけどなぁ。鬼寺桜家の半妖として産まれてきた鬼の三分の一くらいが、人生の伴侶として間宮家の陰陽師を選ぶこと──結希くんは知ってる?』
紅椿から感じる椿の体温はまだ温かく、体も鬼のものとは思えないほどに柔らかく、一年もずっと一緒にいたのに初めて椿のカメリアの匂いを知って、椿の体に情けないほど強くしがみつく。二月中旬の気温も相俟って目頭が急に熱くなった。
紅椿と会話を重ねて紅椿のことをもっと知りたい。それでも、椿が紅椿のままでいいわけがない。椿はまだ生きていると信じている。実の母親の遺言を守る為に実の妹を殺そうとしている虎丸の手は、汚させない。未来の為に自分の命を簡単に捨てることができる恭哉に何も、諦めさせない。
──愛は呪いだ。
紅椿を見ていたらそう感じずにはいられない。今まで出逢ってきた《十八名家》の人々を思い浮かべて。芦屋を名乗る義兄弟を思い浮かべて。自分が彼らの為にしてあげたいと思っていることを心の中に吐き出して、〝答え〟として同じ心の中に流れていく様をただ見つめる。
《紅椿》を折って、椿を取り戻すことができたら、紅椿にはもう二度と会えないだろう。
百鬼夜行で衰弱して、風丸の中から消え去ったら、カゼノマルノミコトにもう二度と会えないように。
「…………千秋さん」
千秋が心配した通りになってきている。結希は芦屋家と間宮家の間に産まれた陰陽師だ。妖怪と会話することができる、妖怪を愛してしまう陰陽師だ。あまりにも相性が悪い両家の特徴をしっかりと受け継いで産まれてきてしまった自分の姿が、樒御前の青眼に映る。
『ズルイッ!』
何故、カゼノマルノミコトは千秋と朝羽の間に産まれることになった千羽に宗隆の魂を宿らせなかったのだろう。そう思って、結城家が《十八名家》であることを思い出す。
結城家の人間は紅椿を斬った。紅椿から最も嫌われている陰陽師である以上、紅椿と結ばれることは天と地がひっくり返ってもあり得ない。だが、《十八名家》同士が結ばれることは、《十八名家》が許さない。
それは、ここ最近の涙と熾夏を見て理解したことだった。
結希ではなく千羽と明日菜が出逢っていたら、同じことになっていたのだろうと想像しかけてすぐに止めた。想像さえしたくなかった。
「結希! てめぇはなんで毎回毎回トラブルに巻き込まれてんだよ!」
名前を呼ぶ声が聞こえてきて我に返る。見ると、紫苑が芦屋義兄弟を引き連れて走っていた。
熾夏が引き連れている百妖義姉妹たちも。ヒナギクも。亜紅里も。火影も。千里も。そして──紅葉も。樒御前と戦っていた全員が、妖怪を倒しながら追いかけてくる。
あれも呪いだ。
結希を含め、本来とは違う形で出逢ってしまった彼らはそれぞれに不自然な愛を向けている。
雅臣が拾わなければ赤の他人だった芦屋義兄弟たちの愛を、朝日が繋げなければ同居人だった百妖義姉妹たちの愛を、百妖義姉妹たちの出逢いにより弾かれてしまった彼女たちの愛を、結希の前では千羽の存在を悟らせなかった紅葉や涙の愛を、呪いと呼ばずになんと呼ぶのだろう。六年や一年程度の付き合いしかないのに、自分が自分ではないほどに彼らのことを愛してしまったからわかる。
呪うことも、呪われることも、特別なことではない。
どこにでも転がっているもので、時が経てば歪んでしまうものだ。歪めば歪むほどに、狂ってしまうものだ。
『ズルイズルイズルイズルイ!』
子供のようにそう言い続ける樒御前も、きっと誰かのことを愛していた。
『ズルクナイ!』
四十五メートル以上も身長差があるのに、樒御前に力負けしていない紅椿が宗隆へ向けるそれと大差ないほどに。
「紅椿! ここで樒御前を討つ!」
だから、樒御前は倒さない限り止まらないだろう。これから紅椿とカゼノマルノミコトと共に行こうとしていた場所には、明日菜と涙がいる。失いたくない。
『ワカッタ!』
椿とはまだ会えない。紅椿の件がなく、明日菜と出逢わなければ、結希が愛した女性は椿だっただろう。結希と椿は住む世界が違うが、陽陰学園の生徒会室で必ず出逢う。それは、紅椿の愛と呪いによる避けられない運命だった。
「カゼノマルノミコト! 明日菜と涙がいるとこまで下がれ!」
そして、避けられない宿命がある。紅椿が力負けしていないのもあるが、四十五メートル以上も身長差があると攻撃を当てることの方が難しい。当たらないうちにカゼノマルノミコトには逃げてほしかった。
『力は貸せる』
「土地神としての自覚があるなら下がれって言ってんだよ! 風丸じゃないんだから早く行け!」
『……必要ならば呼べ。我は、其方を失うわけにはいかない』
「嫌になるくらいわかってるよ!」
今陽陰町を蝕んでいるのは百鬼夜行だ。全員の力で力を削いだ樒御前ならば、百鬼夜行の一部として戦える。だが、六年前と比べると戦っている者の人数に大幅な差があった。
半妖に旧頭首たちの援護がないように、陰陽師には仲間がいない。何人が亡くなったのかは把握していないが、定例会で見た老人の数と子供の数と同じくらいの大人たちがいない。紅葉が率いていた陰陽師を人数に加えても圧倒的に足りていない。
乾が定例会で怒ったのも無理はなかった。その定例会で自分が何を言ったのかも思い出してしまった。
『……狂っているからこそ、俺たちはここからいい方向に変わる努力をします。ですが、俺は何もわからない。記憶がないから、過去を知らない。何故裏切り者と呼ばれているのか、誰が亡くなったのか。例えば紅葉、ずっと一人っ子だと思ってたけど、紅葉には兄か弟がいたんじゃないか?』
変わる努力をしてきただろうか。亡くなった陰陽師の墓参りもしていないのに、何を偉そうなことを言っていたのだろう。腰に下げている《鬼切国成》に触れる。
これから斬るのは紅椿ではない。樒御前だ。
樒御前の右肩に視線を移し、そこに雅臣がいることを祈る。結希は今でも雅臣のことを許していない。許すつもりもない。愛していないから呪いもしないだけ感謝してほしいと思うほどに雅臣が嫌いだ。
そんな雅臣の力を借りなければならないことに気づいてしまった。




