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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十四章 悪鬼の巫女
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七  『ただ一人の少女の為に』

 鬼寺桜きじおう家の人間すべてを知っているわけではないが、人を想うことに関しては右に出る者はいないくらいに慈母のような性格をしている人たちだと結希ゆうきは本気で思っている。

 その真っ白な心は、ある意味では人間離れしていると言えるのかもしれない。それでも、誰よりも人間として大切な感情を抱いている彼らのことを、〝人間の振り〟と──その先の言葉を告げることは絶対にしたくなかった。


「……椿つばき


 今でも自分の体を強く強く抱き締めている彼女の腕に手を添える。それくらい、何があってもその手を離してほしくなかった。

 間宮まみや家の本能が抗うことを拒んでいる。だが、芦屋あしや家の理性は、いつまで経っても抗うことを止めようとしない。諦めない。それは間宮家の本能も同じで、結希の心身の中では未だに二つの血が争っている。酸欠状態に近いのか、徐々に思考回路が低下しているような気がして──倒れないように椿の腕を頼りにした。


「結希、離れないで」


 椿がようやく口を開く。結希のことが好きで好きで仕方がないとでも言うような熱い視線も感じてしまう。椿は、落ちてきてから一度も虎丸とらまる恭哉きょうや、そして京馬きょうまの方を見なかった。


「結希くん早く!」


 どうしてこうなってしまったのだろう。どこを間違えてしまったのだろう。考えても答えはでない。

 少なくとも、椿はずっと目の前にあるものに対して誠実に向き合い続けてきた。誠実でなかったのは結希だ。雅臣まさおみ朝日あさひを大切にせずに目を逸らし続けてきた罰が当たったのだろうか。何が正解だったのかもうわからなかった。


「結希君! 本当にもう駄目なの?! 本当に──!」


 蒼生そうせいの叫びで止めていた息を吹き返す。それは僅かだったが、霞んでいた視界が綺麗に晴れていく。

 本当に、どうしようもないほどに鴉貴からすぎ家の人間は強欲だった。何もかもが自分の思い通りになるまで我を貫き通す。鬼寺桜家の正義感が誰かの為の正義感ならば、鴉貴家の正義感は自分の為の正義感だ。だが、それにずっと救われていた。彼らの我は一度も進むと決めた道から逸れない。彼らがいる限りまた同じ道に戻れるから、結希は蒼生に向かって首を左右に振った。


 自分はまだ、椿に何もしていない。義兄としても先輩としても、何もしてあげられていない。陰陽師おんみょうじの術を試したわけでも、元に戻す為に戦場を駆けたわけでもないから──諦めるのはまだ早い。


「──っ」


 蒼生は結希の答えを認め、安堵する間もなく自分の周囲を警戒する。当たり前だ。ここは最前線でさえない戦場の中心で、樒御前しきみごぜんの肉体は傍で、動かなければ瘴気に取り込まれる。椿がすべての妖怪を倒してもまた新たな妖怪が産まれて。誰の命も危険に晒されている。


「どうして……」


 言葉を漏らしたのは椿だ。


「……どうして、アタシたちの邪魔をするの?」


 心底不思議そうに首を傾げる椿に呪いらしさはない。そうだ、結希は椿の状態を正確に把握していない。今の椿は椿ではないが、結希が知る紅椿あかつばきでもないのだ。


「椿、こっち!」


 椿の手を引いて、虎丸に背中を向けて、全力で走る。樒御前が倒れた瞬間に周辺の家屋が倒壊したが、逃げる道はまだ残されていた。


「っ」


 椿が息を呑む声が聞こえる。


「椿ちゃん?! 結希くん?!」


 妖怪を討つと言っておきながら武器を所持しているようには見えなかった虎丸だが、逃げられるとは思っていなかったようだ。慌てたような、焦ったような──初対面の馬鹿っぽそうな口調を裏切らない何も考えてなさそうな言動にも救われた。なんだかんだ言いながら良くも悪くも周りに恵まれていると実感する。一人でも欠けていたらここまで辿り着けなかった。この道は正解ではなかったかもしれないが、間違いでもないと胸を張りたかった。


「どうして」


 椿が手を握り返しながら尋ねてくる。時間稼ぎ──それ以外の答えが結希の中から溢れてくる。

 間宮家でもない。芦屋家でもない。結希自身が椿をどのように思っていて、椿をどうしたいのか。その結論を口にしないと、この一年で重ねてきた〝思い出〟が本当に消えてなくなってしまう。


 消えないように掻き集めようとして、背筋が凍った。思わず椿に覆い被さり、瞬間に聞こえてきた声に絶望する。



りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」



 どうして、半妖はんようでもなければ宗隆そうりゅうとの血も遠い虎丸がそれを──。


「俺たちのお爺様は間宮家の陰陽師なんだ」


 口がぽかんと開いてしまう。振り向いて、あっという間に追いついてきた虎丸を見上げる。


陽陰おういん町は広いんだけどなぁ。鬼寺桜家の半妖として産まれてきた鬼の三分の一くらいが、人生の伴侶として間宮家の陰陽師を選ぶこと──結希くんは知ってる?」


 虎丸は笑っているが、その血の色のような目は笑っていない。あの虎丸が自分らしさを捨ててまで椿を悪いヤツにする理由は──その呪いの強さを知っているから、なのか。


「ッ!」


 身の危険を感じたのか、椿に抱えられて空を飛ぶ。一瞬にして小さくなった虎丸が自分たちに手を出すことはなく、遠ざかって、見えなくなる。

 着地してから椿の体を抱き締め返し、死ななくて良かったと僅かに震えながら瞑目した。走馬灯ではない〝思い出〟が次々と蘇ってきて止まらないのだ。


 悔しくて簡単には認めたくないが、それは雅臣と朝日が結希に贈ったかけがえのない一年だった。二人にそのつもりはなくても結果的にはそうなっており、百鬼夜行の為だとか妖怪の為だとかは関係なく、ただ一人の少女の為に出逢ったのだとさえ思える。

 間宮家の本能ではない。芦屋家の理性でもない。虎丸の言葉が嘘ではないことはわかるから、望んでいるにしろ望んでいないにしろ間宮家の陰陽師としか結ばれない紅椿の生まれ変わりを救う為に自分は今ここにいる。


 その為には、絶対に椿と結ばれてはならない。


 嫌だと、自分の中の宗隆が叫ぶ。黙っててくれと、押し込める。

 今この瞬間に解決しなければならない一番の問題は樒御前だ。躊躇いが命取りになることを知っている芦屋義兄弟たちは既に瘴気の中に突入しており、椿と自分のことを鬼寺桜家に託した彼らの判断を英断にしたくて考える。


 椿が完全に椿ではなくなったのは、あの瘴気に触れてからだ。椿をあの瘴気から離したことはきっと間違いではない、だからと言ってこんなところにい続けるわけにもいかない。


「椿」


 どうしようもないくらいに不器用な義兄で申し訳なかった。多分、実兄の虎丸もそう思っているだろう。



「俺も椿が好きだよ」



 好きだから、救いたいのだ。同じ人間を永遠に愛し続けるその魂ごと、救われてほしかった。


「うん、好き、アタシも好き」


 彼女の死では彼女どころか誰のことも救わない。彼女を生かしたまま、すべてを救いたい──蒼生に感化された願いを掲げる。虎丸の為にも。


「けど、それはお前じゃない」


 理性を奮い立たせる。本能に従うことは簡単だが、理性が本能を抑えられないわけがないのだ。


「俺は俺のことを本気で心配してくれて、無邪気に笑ってて、正義感が強くて、素直で運動神経が良くて色んな人と仲が良い椿が好きなんだ」


 椿の口角がぴくっと上がる。


「──ナゼ」


 良かった、本気でそう思って気が緩まないように気を引き締める。


『ナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼナゼ!!!!』


 化けの皮が剥がれていく。椿の姿は何一つとして変わらなかったが、紅椿がずっと椿を演じようとしていたことがわかっただけでも大きな一歩だ。


「俺が、間宮宗隆じゃないからだ」


 結希にとっては千年前に終わった話だ。だが、朝日を愛する雅臣の想いも、宗隆を愛する紅椿の想いも、完全に理解できないわけではないことが苦しいことに変わりはなかった。

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