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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十三章 大将の進軍
286/331

幕間 『彼方の新世界』

 幼い頃から傍にいてくれたのは、七歳も歳が離れた従兄の桐也きりやだった。私よりも大きな桐也は私よりも力が弱かったが、親族全員が私のことを見失った時、必ず見つけてくれたのが桐也だった。


 桐也は特別だった。母様や叔母様以上に特別だった。桐也がいない日々を想像することはできなくて、桐也はずっと傍にいてくれるものだと思っていた。だが、それは本当に幼い頃の話でしかなかった。

 私と桐也は七歳も歳が離れているのだ。桐也が中学生になった瞬間、桐也の傍には結城涙ゆうきるいという男が立ち。遠くから監視してくる親族たちと陰陽師おんみょうじたちの視線に気づかない振りをしながら、私は独りを噛み締める。


 ──襲いかかってくる痛みをずっと、我慢しながら。それが普通だと思っていたから。


 母様がどれほど痛むのか尋ねてきた時、初めてこれが普通ではないことなのだと知った。母様もこれに苦しんでいること。私たちが普通ではないこと。そして改めて私が総大将という存在であることを告げられる。


雪之原麻露ゆきのばらましろ炎竜神依檻えんりょうしんいおり骸路成真璃絵ろろなりまりえだけではなく泡魚飛歌七星ほうぎょうひかなせまで戦闘に加わったのに、お姉様と比べたらあまり苦しそうではありませんね……」


「慣れたというのもあるのでしょうが、彼女たち自身が怪我を避けているのでしょうね」


「……え、何故ですか?」


「彼女たちは八年前から家族として生きています。ただの同居人という関係だった私の時とは違い、骸路成真璃絵と泡魚飛歌七星が怪我をしないように、雪之原麻露や炎竜神依檻が守っているのでしょう」


「お姉様が私を守ろうとしているように?」


「私がいつ、貴方のことを守ったのですか」


「昨日も今日もきっと明日も。私はずっと現頭首として産まれた白院はくいんえぬ万緑ばんりょくに守られていますよ」


「私は、貴方に守られていますよ。千桜ちざくらが桐也を産んだ功績は、大き過ぎるくらいです」


「お姉様がヒナギクを産んだことに比べたらちっぽけですけど。その調子であと一人も頑張ってくださいね」


「……貴方も、産みたければもう一人産んでもいいんですよ」


「そんな願望はありません。桐也一人で充分です」


「……そうですか」


 小学校に通う前の私は、母様と叔母様がなんの話をしているのかわからなかった。いつだって、二人は私が総大将であることしか私に語ってくれなかった。


 桐也が傍にいてくれたら良かったのに。


 桐也は私のことを忘れてしまったかのように結城涙と絆を結んでいた。それは、私が小学校に通うようになってからも、桐也が高校に通うようになってからもそうだった。

 その頃にはもう他人同然だと思っていたのに。忍び寄った影は嫌でも私に白院・N・桐也は家族なのだと思い知らせてきた。





 その日は、徐々に瘴気が濃くなってきたなんでもない日々の一つだと思っていた。

 小学校の教室の窓からぼんやりと外の景色を眺めていた私は、普段の何倍もの数の妖怪が町に溢れ出してきたのを目撃して。


『緊急避難命令! 緊急避難命令!』


 桐也きりやの声に息を止めた。


『町民は皆、陽陰おういん学園生徒会と《十八名家じゅうはちめいか》の指示に従って地下に避難せよっ! これは……コード・ゼロ! コード・ゼロ!』


 コード・ゼロ。想定された災害の中で最も危険なものに名づけられる零番は──百鬼夜行だ。

 黄昏時にすべてが壊れる。桐也の焦りが滲む声に混じって首御千しゅうおんぜん家の誰かが校内放送で指示を出している。


 私はその指示を無視しなければならない。


 担任としてずっと私を監視していた親族の一人は、目線でそう懇願していた。この場から出て母様の元に行けと。死ぬな、と──。

 立ち上がって教室を飛び出す。場所は陽陰学園だ。桐也がいる場所で、母様もいる場所は、この町で一番安全な場所。その場所が遠い。


「──ッ!」


 命を削って姿を変える。なるべく早く辿り着けるように屋根の上に移動して、想像以上の人数の陰陽師おんみょうじ式神しきがみが戦っている姿も目撃する。


 私は半妖はんよう。私は、総大将。


 けれど彼らの総大将は私ではない。ぐるりと町中を見回して、妖怪が町役場へと向かっていることに気づく。

 母様がいつの日だったか言っていた。町役場で働く陰陽師は多いと。その町役場から出て総大将を守ろうとしている彼らにとって、これは日常の一つのはずで。今まで一度も妖怪退治をしたことがなかった私は、じんわりと内側から滲み出た恐怖に怯えた。


 私が産まれた頃から妖怪退治を始めている雪之原麻露ゆきのばらましろが、今この瞬間恐怖に体を震わせている。日常的に妖怪退治をしているはずの炎竜神依檻えんりょうしんいおりが、骸路成真璃絵ろろなりまりえが、泡魚飛歌七星ほうぎょうひかなせが、綿之瀬鈴歌わたのせれいかが、妖目熾夏おうましいかが、首御千朱亜しゅあが、猫鷺和夏ねこさぎわかなが、百鬼夜行を前にして怯えている。


 千年前の百鬼夜行がどれほど恐ろしいものだったのか母様から聞かされたことはあるが、知識ではなく感覚で理解したことは一度もなかった。

 名前だけ知っている半妖たちが恐怖して初めて、私は百鬼夜行の怖さと、妖怪退治の怖さを知った。


「痛っ……?!」


 右腕に鋭い痛みが走る。感じたことのない痛み。これは──真璃絵だ。

 私のことをいつも苦しめる真璃絵は今日も誰かの盾になっているらしい。母様も栄子えいこは迷惑だと言っていた。けれど、それが餓者髑髏がしゃどくろの宿命であることを知っていたから、私は今日も真璃絵を赦す。


 両足はまだ無事。妖怪が町役場に向かっている今の内に、母様と合流しよう。私はまだ、ぬらりひょんとして何をすればいいのかわからないから。


 精一杯走った。どの妖怪も私だけを無視して進軍している。無視されなかった別の誰かが襲われていても、私は──どう助ければいいのかわからなくて。

 半妖姿の母様が彼らを救った瞬間、涙が溢れた。


「ヒナギク」


 私のことを名前で呼ぶ数少ない人間の口から名前を呼ばれたのは久しぶりだ。


「はいっ……!」


 母様は私を抱き上げて、痛むところがないかとすぐに尋ねる。


「ぜん、ぶ……」


 限界だった。真璃絵だけではない。全員が傷つきながら戦っているから。

 どうしてと思ったが、ほとんど全員が別々の場所で戦っていた。普段は塊になって戦っているのだ、一人になればそうなってしまうのは理解できる。


「…………ヒナギク」


 母様の声に熱が生まれた。


「スズシロと共にいなさい」


 そして、五年前に産まれた妹の名前を告げた。


「…………え」


「ヒナギクだけは死なないように」


 どうして母様はそんなことを言うのだろう。私は総大将で、だから母様の元まで走って、これからって思ったのに──。助け方はわからなくても、戦える、のに。戦いたいのに。


「…………ッ」


 母様に触れて自分が震えていることに気づいてしまった。


 怖い。痛い。辛い。苦しい。泣きたい。逃げたい。助けて、誰か。


 ありとあらゆる方向から負の感情が流れてくる。右腕だけじゃない。左腕も、両足も、全部が本当に痛くて早く終われと願うことしかできない。


「……いや、です」


 だから強く強く思う。ここで戦わなければ総大将ではないと。顔も知らない半妖たちに顔向けができないと。


「絶対いや……!」


 誰かの為ではなく、自分の為に戦いたかった。


「栄子が死にました」


 ぬらりひょんとして傷ついているのは、私だけではない。私は母様の言葉を飲み込むことができなかった。


「骸路成家の現頭首が亡くなるほどの戦いで、私はヒナギクを亡くすわけにはいかないのです」


 母様の紅蓮の瞳には、泣きじゃくる私が映っている。

 私が弱いから、母様はそんなことを言うのだろうか。


「ヒナギクだけではありません。貴方と同じ世代の半妖は全員、生きなければなりません。私は今から彼女たちの元に向かいます」


「母様ッ!」


雪路ゆきじも、燐火りんかも、栄子も、七緒ななおも、乙梅おとめも、そうも、瑠璃るりも、茉莉花まりかも、槐樹えんじゅも、涼凪すずなも、与音よねも、エリスも、背負う想いは同じです。麻露と、依檻と、真璃絵と、歌七星と、鈴歌と、熾夏と、朱亜と、和夏と、愛果あいかと、椿つばきと、心春こはると、月夜つきよと、幸茶羽ささはと──」


 母様はそこで言葉を切る。



「──亜紅里あぐりを、頼みますよ」



 その名前を初めて聞いた私は、口内で「亜紅里」と呟いた。

 母様は私を担ぎ直し、町役場へと駆けていく。視線を上げると母様の城である陽陰学園が視界に入って、今でも桐也が避難を呼びかけていることに気づいて顔を歪める。


千桜ちざくら! 避難は終わったのですか!」


 すぐに足を止めた母様が声をかけたのは、叔母様だった。見ると叔母様の顔も歪んでいる。桐也が息切れする度にコバルトブルーの瞳が揺れると、私の心臓も握り潰された。

 避難誘導をしていたほとんどの《十八名家》は、全員大人だった。子供はみんな避難しているが、桐也が避難しないのは陽陰学園の生徒会役員だからで。白院はくいん家の人間だからで。叔母様は私と母様が傍に降り立ってようやくこれが現実であることに気づき、首を縦に振った。


「C地区は完了しました! 今から全員でD地区に向かいます!」


「いいえ、貴方はこれからヒナギクと共に地下へ避難してください」


「ッ?!」


「ヒナギクを、頼みます」


 触れ合っていた肌と肌が母様の手によって離される。温もりが消えていくとどうしようもないくらいに寒くなって、すぐに叔母様に触れられて、嫌だと思っても抵抗することはできなかった。


「あぐっ……?!」


 瞬間に首元に強烈な痛みが走ったから。右腕も左腕もまったく動かない今、首元に触れて無事を確認することはできず──ただ、ただ、和夏の首が吹っ飛んだことを知らされただけで。何もできないまま叔母様の腕の中で苦しみ続ける自分を呪った。


「ヒナギク。貴方の苦しみは、私が断ちます」


 母様は栄子が死んだと言った。和夏の首が吹っ飛んだだけでもこんなにも痛いのに、どうして母様は涼しい顔で立っていられるのだろうと思って──それが母様の強さなのだと納得する。


 そんな母様と同じくらいに、私は強くならなければいけない。


 小さな絶望が膨らんでいく。私を抱えたまま桐也よりも先に避難しなければならなくなった叔母様も泣かなかった。桐也も戦うことを止めなかった。


 母様が亡くなってしまったら、私が白院家の現頭首になる。私が、強いあの人たちを率いなければならなくなる。そして、傷ついても傷ついても立ち上がることを止めない半妖たちのことも率いなければならなくなる。


 地下都市の、《十八名家》専用の建物の中のベッドの上で。


「ねーさまぁ!」


 ぼろぼろに泣きながら私を見ていたスズシロの為にも強くなりたかった。


「死んじゃやだぁ!」


 死にそうになっているのは私ではない。


 町役場を死守する戦いで敗北し、群がる妖怪の隙間に血だらけのまま挟まっている麻露で。生身のまま戦場を駆け、この町を守る為に町役場の屋上で命を差し出した血だらけの依檻で。町役場の手前で砕けた血だらけの真璃絵で。陸上という不利な立地で戦い続けた歌七星で。町を飛び、盾となり、力尽きた鈴歌で。千里眼で捉えた妖怪を、できるだけ多く屠った熾夏で。戦闘に長けていないにも関わらず戦い続けた朱亜で。首から上を失った和夏なのだ。


 これは私の痛みではない。なのに脳が体の痛みだと判断するから、脳と体がすれ違い続けてわけもわからないまま心が裂ける。


 高熱を出して唸っていた。気絶と覚醒を繰り返していた。

 百鬼夜行は、私が息を止めている間に終わっていた。


 本当に、何もかもが綺麗に終わっていた。町民が地上に戻れるほどに、百鬼夜行の爪痕はどこにもなかった。

 私が倒れている間に生き残った《十八名家》の全員が元に戻したのだろうか。いや、そんなことが一日でできるほど生き残ってはいないはずだ。目が覚めてすぐに伝えられたのは、母様と叔母様とスズシロの生存で、桐也の訃報だったから。


 人々がまだ眠っている早朝に住宅街の道路に立った私は、春風に全身を撫でられながら、朝焼けの空を見つめる。


 瘴気はない。死臭もない。何もないこの世界で、あるものは人々の命の鼓動だけだった。


 歩き、妖目総合病院に辿り着き、半妖が眠る階へと足を運ぶ。戦場に出なかった愛果と椿と心春と月夜と幸茶羽の気配はどこにもなかった。それに少し安堵する。目覚めている五人にはまだ会えない。会いたくない。

 大怪我を負ったまま眠り続ける八人を視界に入れて、自らの罪の重さを知る。彼女たちは命を懸けて戦ったのに私はどうしてそうすることができなかったのだろう。どうしてこの体は動かなかったのだろう。


 何が総大将だ。


 こんな総大将なら、いない方がマシだ。家族となった十三人にとって私はいないも同然の存在なのだから、このまま消えてなくなりたくて──母様に「死なないように」と言われたことを思い出す。


 母様の願い通り、私の世代で死んだ半妖は一人もいなかった。こんなにも傷ついているのに、あの和夏を含めた全員が驚異の回復力で生還している。


 半妖の力は歳を重ねると衰えていくらしい。老いて亡くなる年齢になると普通の人間と何一つとして変わらない存在になる。だから、母様の世代の半妖は半分も亡くなってしまっていた。

 その理を言い換えると、若ければ若いほど妖怪としての力が強いということだった。そんな若さに、私たちは生かされて──何もかもが上手く廻っていることに嫌気が差した。


 そういう風に千年も廻る《十八名家》の宿命から逃げたくなった。


「ヒナギク」


 いつの間にか背後に立った母様に怯える。


「今日から貴方が総大将です」


 言っている意味がわからなかった。


「世代交代ですよ。私は、手足を半分失いましたから」


 私がすべてを背負うのだと思った。


「貴方の世代が全員無事で、良かったです」


 何一つとして自分から望んだものはない。けれど私は誰からも多くを望まれる。


「…………」


 心を壊せば、楽になれた。

 そんな地獄同然の百鬼夜行を終わらせたのは私と同い年の少年陰陽師で、堪えていたすべてを吐き出す。動けなかった私や大怪我を負った半妖の代わりに世界を救った〝奴〟のことが──憎くて、羨ましくて、あまりにも差があり過ぎることに気づいて諦める。


 総大将として一人で立たねばならない私よりも少年陰陽師の方が尊い存在になるのなら。私が歴代最低の総大将になっても、誰も私を責めないと思った。


 心を壊して、諦めれば、何もかもが楽だった。


 人間としても半妖としても最低最悪の恥ずかしい総大将で構わない。

 母様の城である陽陰学園で出逢うまで、あと五年。生徒会役員として肩を並べるまで、あと六年。


 母様から発表されるその日まで、私は顔も名前も知らない〝奴〟を待ち続ける。その前に自力で見つけ出せたなら──それを奇跡と呼ぼう。





 陽陰おういん学園生になって初めて、相豆院愛果そうまいんあいかの姿を見た。愛果の母親である咲把さわは百鬼夜行があった年の二年前に亡くなっており、咲把が生きていたら五年前の百鬼夜行も何か変わっていたのだろうかと思う。そして、私が咲把の分も頑張れば良かったのだと勝手に傷つく。


 そんな私と同じ傷を生徒会長となった愛果も抱えていた。だが、私と愛果は決して似た者同士ではなかった。


 私は器。総大将を継ぎ、半妖はんようという大輪の花を咲かせる者。

 物心ついた時からそうなる準備を母様を含めた親族全員からさせていたのに、あの日から五年経っても、器が完成されたような感覚にはならない。


 心を壊し、諦めたからだろうか。


 歴代最低の総大将になれば楽になれると思ったのに、そうするにはあまりにも眩し過ぎる花が愛果で依檻いおりだった。

 五年前で歩みを止めているのは私だけのようだった。あと二年で桐也きりやの年齢を越してしまう私は、副会長としてこの町の為に一体何ができるのだろう。


 何もかもが嫌になる。私は何も、望んでいない。


 だからだろうか。答え合わせの年になっても、私は少年陰陽師おんみょうじを見つけることができなかった。見つけようともしなかった私の耳に、「で? その知らない家に上がり込んだ感想は?」という風丸かぜまるの声が届く。

 あいつは私の席の近くで何をしているんだ。近づいている間に、後ろの席の──陰陽師のクラスメイトがこう答える。


「そういう言い方やめろよ」


「実際そうじゃんよ〜」


 風丸が私の席に、陰陽師がその後ろの席に座った。


「結局さぁ、お前の母親は百妖ひゃくおう家とどういう関係だったんだ?」


 風丸を殴ろうとした私は足を止め、言葉さえも失う。


「おい、急に黙るなよ」


「疲れたんだよ。百妖家って大家族だから……」


 やはりあの百妖家だ。風丸よりも陰陽師と話がしたくて、私はこちらを向くようにわざとらしくブーツの音を出す。そうして初めて、私と陰陽師の目が合った。

 私とは正反対の漆黒の髪は、思わず撫でてみたくなるくらいに綺麗で。同色の瞳は闇にも見えるが、光の加減では夜空にも見える。中性的な顔立ちは陰陽師を底知れない人物のように見せており、それだけで、かなり、期待してしまう。


「貴様。今、百妖の名を口にしたな」


「え?」


「そして上がり込んだとも」


 そう言ったのは風丸だ。念の為風丸を一瞥し、嘘ではないことを確認する。



間宮結希まみやゆうき。どういう意味か報告してもらおうか」



 クラスメイトとなった時点で全員の顔と名前は覚えていた。真後ろの席の男が陰陽師であることには気づいていた。躊躇うことなく陰陽師のネクタイを掴んで引っ張り、引き寄せる。強そうには見えないが──陰陽師の強さは見た目ではないのだろう。


「ヒナ、ストップストップ! そろそろ依檻ちゃんも来ちゃうし、立場的にそういうのはヤバいだろ! ていうか、女の子がこんなことしちゃダメだって!」


 立場的に、なんて言われても痛くも痒くもない。


「問題ない。容赦なく握り潰す」


 私はその立場を望んでいない。その立場に相応しくもない。守るべきものなんて何もないのだ。


「……そういう考え方をするのって、俺の知る限りヒナぐらいだぜ」


「人が全員同じ考えをするのなら、私は人をやめてやる」


 そうでなければ生きていけない。私のような総大将だっていたっていいはずだ。

 あんな地獄があって、母様から総大将を託されても、私は歴代最高の総大将になろうとは思えなかった。桐也が亡くなって、望まれてしまった第二子を拒んだ叔母様の壊れてしまった心を私だけでも尊重したかった。


 全員が同じ考えを持っていたら、潰れてしまう誰かがいる。全員が違う考えを持っているから、一人一人の人間が尊いのだ。亡くしたくないから守ろうとするのだ。


「先生が来たからもう止めよう」


 風丸を押し退けようとして、陰陽師に止められる。話したいことは色々とあるのに。見つけたのかも、しれないのに──私は風丸を席から退かして陰陽師に従う。


「なんでうちの学校って、在校生全員が入学式に出ないといけないのかしら。係の生徒しか出ないとこもあるのに」


「依檻ちゃん、それマジで言っている?!」


「そうよ。まぁ、この町じゃ白院はくいん家が運営しているのがほとんどだから知らない人が多いんだけどねぇ」


 今年の入学式に興味はない。探していた陰陽師は真後ろに座っている陰陽師で間違いない。

 私はあの日と変わらずぼんやりと窓の外を眺め、桐也はこの場所から避難を呼びかけていたのだと思う。あの日のことは鮮明に覚えているのに、自らが飛び出した城で亡くなった桐也の遺体を見下ろしていた時の母様の表情は、何故だか思い出せなかった。


 その年の生徒会長に選ばれたのはやはり私で、副会長に選ばれたのは何故か百妖結希と名を変えたあの陰陽師だった。

 陽陰町を守った男女が同じ名を名乗ること。そう考えたら不自然ではないが、そう感じる資格もないのに悔しさが滲む。半妖には、ずっと少年陰陽師の存在を伏せられていたのだ。ずっと彼を待っていたのは私だけのはずだったのに、何故? 私が最低最悪のバケモノだから罰が当たったのか?


 だが、六年もかかった答え合わせだけは誰にも邪魔されたくない。


「ゆうきち、一緒にかえ……」


「百妖結希、貴様は残れ」


 彼の隣に立って戦うのは私ではないからこうなった。そう考えたら納得できるから、彼に、彼が副会長である理由だけは伝えたい。


「生徒会長と副会長のみで話したいことがある。明日菜あすなは先に帰ってくれ」


 幼馴染みだと言う明日菜と睨み合った。半妖でない明日菜には関係のない話だ、いや……そう思うなら、半妖であり総大将であり白院家の次期頭首であることを受け入れてそれらしく振る舞わなければ筋が通らない。


 過去に犯した大罪は、どれほど悔いても一生消えなかった。それさえも受け入れて、数多の亡者から罵声を受ける覚悟もして、茨の道を進まなければ、彼をこの場に留める権利がなくなる。


 楽になりたいのに、彼が百妖結希と名乗り明日菜の幼馴染みだと発覚した時から誰にも渡したくなくなってしまった。

 この気持ちに恋という名はつかない。それでも傍にいてほしかった。



「──私の真名は、白院・ぬらりひょん・ヒナギク。この世に生を受けたその時から、半妖の総大将を務めている」



 総大将らしいことをしたことなんて一度もない。それでも名乗った。名乗ってしまった。もう、後には引き返せない。


「それと俺の副会長指名になんの関係が……」


「大有りだ。陽陰学園生徒会執行部は、別名《百鬼夜行迎撃部隊》なのだから」


 だから桐也は亡くなったんだ。その生徒会長になったのだから、あの間宮結希が傍にいてくれるのだから、ちゃんとやらなければ。彼と会話を進める度に、自覚と責任が双肩にのしかかっていく。


「──それに貴様は、十一歳の若さで百鬼夜行を迎撃したと聞いているが?」


 本当は、聞いていない。


「……だから俺が副会長に指名されたのか」


 だが否定されなかった。


「そうだ。町の重要機関を牛耳る《十八名家》は、そのどれもがその地位に永遠と居続ける代わりに百鬼夜行を撃退する使命がある。稀に私のような者が生まれるのがその証拠だが、残念なことにほとんどはただの人間だ」


「ちょっと待て。《十八名家》はすべて半妖の一族なのか?」


 そうだ。そう言いかけた私の頭を私が殴った。


 雪之原雪路ゆきのばらゆきじ炎竜神燐火えんりょうしんりんか骸路成栄子ろろなりえいこ泡魚飛七緒ほうぎょうひななお綿之瀬乙梅わたのせおとめ妖目双おうまそう首御千瑠璃しゅうおんぜんるり猫鷺茉莉花ねこさぎまりか。相豆院咲把。鬼寺桜槐樹きじおうえんじゅ小白鳥涼凪こしらとりすずな芽童神与音かいどうしんよね鴉貴からすぎエリス。


 今目の前にいる彼は彼女たち十三人の娘の家族を名乗っているのに──肯定することなんて絶対にできない。そんなことは口が裂けても言えないのだと、彼女たちの家族になれなかった私は首を左右に力なく振った。


「全部ではない。…………白院家と百妖家のみだ。貴様の親族の結城ゆうき家は半妖ではないだろう」


 これでいい。


「あぁ、陰陽師だ」


 安心したように笑う彼の表情を見ていることが辛かった。


「話が少し逸れたが、これで私が貴様を〝右腕〟に指名した理由がわかっただろう。この学園内で私の右腕が務まるのは、現状貴様しかいないのだから」


「……それはよくわかったよ。確かに今の話を聞く限り、俺以外の人間には務まらない。ましてや《十八名家》以外の人間に生徒会は無理だ」


「我が校の生徒会はただの生徒代表で、未来の頭首を育てる場所というだけではない。町の秘密を知り、力もある貴様が理解してくれると非常に助かる」


「けど俺は、明日菜たちを巻き込みたくない」


 そんな真っ直ぐな優しさを見ていることも辛かった。


「その言い方だと、近い将来百鬼夜行が起こると言っているみたいだな」


「そんなわけないだろ」


 呆れられた。だが、百鬼夜行に次があるなら、私には一体何ができるのだろう。





 阿狐亜紅里あぎつねあぐり半妖はんようであることが判明した時、私が副会長に吐いた嘘が綻んだ。

 嘘を嘘で塗り重ねて訪れたのは亜紅里の収監場所──《十八名家じゅうはちめいか》の本部で。亜紅里が半妖、そんな話を副会長から聞いた時、母様から言われていた言葉を不意に思い出していた。



『──亜紅里を、頼みますよ』



 最初からそう言われていたから、亜紅里が収監されている理由の半分は私にあるも同然だった。

 罪悪感に苛まれながら再会した亜紅里が、ぽつぽつと自らの生い立ちを語っていく。半妖として産まれたにも関わらず百妖ひゃくおう家の一員になれなかった亜紅里は私と同じで、母親の器として産まれてきた者同士で、話を聞けば聞くほどに傍にいてほしいと思う。


「私には……敵が多すぎる」


 何もかも諦めたように告げた亜紅里のことを抱き締めたかった。


「問題ない」


 ありのままの亜紅里のことが好きだった。


「何度も何度も言わせるな。私は貴様がいいんだ」


「なんで……」


 自分のことを愛せない。そんな亜紅里の想いでさえ痛いくらいにわかってしまう。


「……似てるから」


 だから、そう言って少しだけ亜紅里に甘えた。私のことを亜紅里にだけは知っていてほしかった。


「だから、亜紅里に傍にいてほしいんだ。襲いかかってくる敵が妖怪だろうが半妖だろうが陰陽師おんみょうじだろうが神だろうが関係ない。私は亜紅里がいいんだ」


 そして、副会長が──結希ゆうきがいいんだ。


 これから百鬼夜行が起こると言っているように聞こえたが、百鬼夜行は本当に起こるようで。あの日、私と副会長は互いに嘘を吐いていたのだと思うと罪悪感からほんの少しだけ解放される。

 隠しごとはするなと言っておいて、真っ先に隠しごとをしてしまった私の罪を消してくれるようだったから。百鬼夜行で誰のことも救えなかった私の罪を償う日が来るのならば、償いたかったから。



「私たちは《十八名家》だ。血で家を、力を、職を、言葉を、意志を、継いでいくのが〝私たち〟だ」



 あの日導けなかったから、今度こそは導きたい。

 亜紅里の母親──正確には阿狐家の始祖である天狐てんこが暴れた時に私にとっての二度目の百鬼夜行が起こっていたが、私は結局、あの時も役には立たなかった。ずっとずっとなんの役にも、誰の役にも、立っていなかった。


 背負ったつもりだったのに、何も背負えていない。


 百妖義姉妹だけではなく亜紅里や火影ほかげまでもが覚醒したのに、他でもない私が覚醒していないからだろうか。

 結希の隣を百妖義姉妹や亜紅里に譲り続けていたから、私はいつまで経ってもいてもいなくても変わらない人間なのだろうか。


 命を燃やす副会長と亜紅里の傍にいたい。ずっと我儘を言ってはいけないと思っていたが、言っていいのだろうか。

 勇気を振り絞って願い、彼女たちと芦屋あしやの陰陽師と共に京都へと赴く。彼女たちと共に行動して初めて、彼女たちという人間を知る。そこには、私にとっての一度目の百鬼夜行で、私があれほど苦しんだ理由が存在していた。


 彼女たちは愛し合っていたから、百鬼夜行が起きるその日まで互いが互いを守っていたのだ。愛し合っていたから、百鬼夜行で傷ついた自分の身以上に家族の身を案じていたのだ。


 密かに傷ついた私に寄り添って温もりを共有してくれたのは、亜紅里だけだった。亜紅里だけが何もかもわかってくれる私のすべてで。何をしていても、ずっと副会長のことばかり考えていた。

 天狐との戦いで傷ついた副会長。前線に出れない副会長。風丸かぜまるの身を案じる副会長。そんな彼に私が言える言葉は、土地神の──風丸の死守。ただそれだけ。


 私たちのことは気にせずに風丸のことだけを守っていてほしい。風丸だけを守れたら、それは、私たちの負けにはならない。

 鬼の封印が解かれても。鬼に傷つけられても。風丸がいればなんとかなる。副会長がいてくれたら、なんとかなる。


 ぬらりひょんの力で唯一町に戻った私は、完全に回復していない副会長と風丸を視界に入れてほんの少しだけ困惑した。安心したような、それこそ私がいたらなんとかなると思っていそうなその表情が、私を奮い立たせていく。



「……私は私の宿命から逃げない」



 ようやく口に出すことができた。


「亜紅里や八千代やちよ明日菜あすなが宿命から逃げなかったように、私も絶対に逃げたりはしない」


 口に出したら自分のことを心から誇れたような気がした。



「俺も逃げない」



 その言葉に驚く。副会長は最初から逃げていない。最初からずっと戦っていた人なのに。



「父さんが封印を解いたんだ。樒御前しきみごぜんは俺が倒す」



 夜空のような彼の双眸が、世界で一番好きなのだと自覚した。


「……前に、言ったよな」


 鬼を捉えて進軍する途中で副会長が言葉を漏らす。


「何を」


 言葉を交わす余裕はないのに、今だけはこうしてなんでもないような会話を楽しみたい。

 だが、副会長の声色は何かを責めるような──叱るような、そんな口調で。私が何をしたのだろうと考え、一つ思い出す。彼は私を責める権利がある、彼と私だけが共有している思い出の中に。


「『私に隠しごとをしたら調教だ』って。ヒナギク……それを今、お前にも言うよ」


 そこは、今の私にとって触れられたら脆く崩れ落ちてしまう場所だった。私たちは一度も互いが嘘を吐いていたと答え合わせをすることなくここまで来てしまったのだ。触れられたくなくて瞬間移動する。


 あぁ。泣いてしまいそうだ。



「お前に全部背負わせた俺を赦してほしい。だから全部曝け出せ──何を言われても赦すから」



 赦すと言われるだろうと予想していたから、その優しさに甘えてしまう自分が嫌だった。


「義理じゃ、ないんだ」


 想像以上に声が震える。


「でも、この気持ちに愛という名はつかない。それはあまりにもあいつらに失礼だと思うから……言えなかった」


 副会長のことは好きだ。だが、この気持ちに愛という名がつかないのは本当だ。だが、副会長以外の誰かがどこにもいないのも本当だ。こうして副会長に触れている今が一番幸福で、一番安心する。そんな副会長のことを随分前から本気で愛している奴らのことを知っている。


「でも」


 こっちを見てほしくて副会長の頬に触れる。目と目が合った。欲が溢れる。



「──私は絶対に貴様が欲しい」



 涙も、溢れる。


「六年も待ったんだ。これ以上は、待てない」


 唇で唇に触れた。欲しいものがこの行為一つですべて手に入るわけではないと知っていてもなお、触れたかった。

 自分の姿が変わっていく。これが覚醒というものなのだろう、ぬらりひょんとして未熟な私が覚醒しても何にもならないかもしれないが、私は、これから訪れるであろう新世界を副会長だけではなく彼女たちと共に生きていきたかった。


 そう思えるくらいに彼女たちの輪の中は居心地が良くて、私の中に流れてくる感情がようやく私のものになった感覚があって、こんな状況だというのに生まれて初めて生きていると実感する。


「六年前、私は、戦えなかったんだ」


 これ以上を望んで赦してくれるなら、私の懺悔も聞いていてほしかった。

 この事実を聞いた副会長から嫌悪されても、嫌われても、構わない。聞いて赦してほしかった。神父のように、母親のように、私が受け入れ続けたように、受け入れてほしかった。


「……戦えたのに、戦えなかったんだ」


 誰にも触れてほしくなかった場所を曝け出す。


「え」


白院はくいん家に生まれた半妖は、物心ついた時から力が使えるんだよ。私が百妖家に預けられなかったのは、私が百妖家の人間になることを拒んだ母様の意思でもあったが……私の存在が百妖家の義姉妹たちに良くない影響を与えるかもしれないという、他の《十八名家》の頭首たちの意思でもあったんだ」


 副会長の戸惑いが伝わってくる。それでも、何も言わずに聞いていてくれる。


「頭首たちは、自分たちよりも先に力を使いこなせていた母様に劣等感を抱いていたんだろうな。他人だったから我慢できたことも、家族だったら我慢できなくなることなんて山ほどある。それを娘たちに味合わせたくなかったんだろう」


 母様にも叔母様にもスズシロにも、そして桐也にも、私が我慢していたことなんて一つもない。他の親族たちが我慢できないと騒いだこともない。だがそれは、私たちが家族ではなかったからだ。

 血の繋がりはきちんとあるのに、そこは、上下関係がはっきりとした会社のような場所だった。そして、会社の上下関係以上に従うことと命ずることが当然だった。そんな世界を家族とは呼ばないだろう。これは、百妖義姉妹たちや芦屋義兄弟たちを眺めて気がついたことだ。


「なのに、私は……戦えなかったんだ。戦場に出るよりも先に流れ込んできたあの人たちの恐怖と痛みが、肌を刺して……内蔵が暴れ狂って、動けなかったんだ。私一人だけが無傷だったんだ、この手で守れた命がたくさんあったはずなのに、貴様はそれでも動いてこの町と人を救ったのにっ」


 副会長の手が私の手に触れる。ずっとそうしていてほしいと思ってしまうのは何故だろう。副会長が傍にいるからか、泣きじゃくりたいのに妙に落ち着く。


「……貴様の存在を知った時、吐いたよ。自分がどれだけ情けなくて愚かだったのか嫌というほどに思い知った。馬鹿なのか? 化け物なのか? って、思ってた。貴様は……馬鹿だったけど、化け物じゃなかった。たくさんの命を背負って戦った英雄だったよ」


 私が副会長に対してずっとずっと思っていたこと。私のすべて。きっといつまでも吐き出せるだろう。

 私が守れなかった代わりに副会長が守ってくれたと言ったら私の代わりにやったわけではないと多方面から突っ込まれそうだが、半妖の総大将と名乗っても不思議ではないような偉業を成し遂げた彼だから好きだ。


「同い年だから、同じ年の生徒会役員になることはわかってたんだ。私の〝右腕〟が務まるのが貴様しかいなかったのは本当だが、貴様に私が相応しくない……相応しくなれるように頑張ってみたが、どうしても届かない。触れられたと思っても、貴様は遠い。こいつらが今ここにいるのは、貴様がいるからだろう? あの日貴様が繋いだ命で、貴様に感化された命で、貴様が戦っているから駆けつけてくれた命なんだろう?」


 好きだから悔しい。出逢う前から頑張れていたら、戦って生き抜いていたら、堂々と彼の隣に立って相棒だと名乗れたのに。



「…………私は、私が恥ずかしい」



 いっそのこと嫌ってくれ。その方が私を救う唯一の赦しになるだろうから。

 そう思った私の手を強く握り締めた副会長は、なんの躊躇いもなく罰を与えてくる。


「…………大丈夫なのか?」


 その言葉は毒だった。


「何がだ」


「自分が今言ったんだろ。六年前、恐怖と痛みが肌を刺したって。内蔵がって」


 そういうことなら。


「大丈夫だ」


「なら俺の目を見て言えよ。今がそうじゃないなら俺の目を見てくれよ」


 副会長の声も震えている。


「……本当に大丈夫だ」


「そんなわけないだろ!」


「大丈夫なんだよ。六年前から今日まで何度、あいつらが傷ついてきたと思ってるんだ」


「……ッ」


 どうして副会長は私の代わりに傷ついたような表情をするのだろう。傷つけたかったわけではないのに。


「隠しごと、すんなよ」


 あぁ。そういうことか。


「してないよ。……というか、話を逸らすな」


 六年前の百鬼夜行で壊れてしまった痛覚は、今この瞬間も戻ってきていない。冷覚も温覚も壊れてしまった。五感が壊れていないことが唯一の救いかもしれない。五感だけは誤魔化せないのだから。


「私は貴様に相応しくない。相応しくないから、貴様に従う」


 息を吸い込んだ。



「……私の王は、貴様なんだろう?」



 今日もまた、楽になれる道を探して選んでしまった。なのに。


「ヒナギク、町には明日菜と風丸がいる。八千代はまだこの辺りにいるはずだ。亜紅里もすぐにこっちに来る。俺はずっとここにいるから──やるぞ」


 対等に扱ってくれることが嬉しかった。


「あぁ。やろう、やろう……! やれる……! きっと!」


 覚醒したからだろう。生まれて初めて自分の中から力が溢れてくる。自分の力をどのようにして使えばいいのかが、わかる。


 真璃絵まりえの肩に手を置いて、真璃絵の細胞──半妖を半妖たらしめるそれに声をかける。


 起きろ。起きろ。戦の時間だ。

 戦え。戦え。尊厳を守る為に。


 真璃絵自身も覚醒している。真璃絵によって生み出される餓者髑髏がしゃどくろは私の想像以上に大きく、身震いしてしまうほどだ。


「みんな」


 その〝みんな〟の中に、私が含まれていることが嬉しい。



「──百鬼夜行、始めるわよぉ」



 それはもう二度と思い出したくもない地獄の名だったが、この戦にそれ以外の言葉が当て嵌らないのも事実だった。

 他でもない六年も眠っていた真璃絵がそう言ったからだろうか。誰一人として拒絶反応を出している者はおらず、鬼に対して一矢報いようと表情を変える。その瞬間にわかってしまった。


 私たちは半妖だ。半分人間で、半分妖怪なのだ。だからだろう、心のどこかでは百鬼夜行に対する羨望もあったのだ。


 自分たちの力を遠慮なくぶつけることができる相手をずっとずっと探していた。これは妖としての本能だ。私たちの百鬼夜行は陰陽師である副会長や芦屋義兄弟にはわからないかもしれないが──そう思って、副会長の双眸に流れる無数の星々を見つける。瞬間に思わず笑ってしまった。


 好きだ。なんの脈絡もなくそう思った。好きだ、好きだ、大好きだって。


 麻露ましろと共に鬼の足元を固定して、依檻いおりを連れて炎を撃ち込む準備をする。二人は私の世代の中で最も戦闘経験がある二人であり、私たちをどんな時でも見守ってくれた二人だった。

 そんな二人だから、信頼してすべてを託せる。二人は──百妖家の長女と次女は、全員の思いを背負って戦ってくれる勇敢な戦士だった。真璃絵と共にしばらく戦えなくなるだろうが、三人の意思は百妖家の義妹たちに受け継がれている。そんな彼女たちの背中を眺め、私は副会長と亜紅里と共に走り出した。


 副会長が中心となっている陣形が心地良かったが、亜紅里のせいでいつの間にか私が中心となる陣形に変わっている。


「ど、どうしたんだ亜紅里」


 抗議しようと思ったのに、何故か亜紅里は幸せそうだった。


「こっちの方が右腕左腕生徒会って感じするでしょ」


 私はすべてを結希に託したのに、亜紅里はそうは思っていないようで。


「語感いいなそれ」


 何故か結希もそんな風に反応する。


「どうでもいいことに反応するな」


 だが、どうでもいいからこそ大切なのだろう。また思わず笑ってしまう。もう少し早く気づければ良かった。私は何もかもが出遅れている。


「ヒナギク、亜紅里」


 不意に、副会長が真面目な表情で声をかけてきた。声色も真剣そのものだから私も亜紅里も身構えて、互いに顔を見合わせて、副会長の次の言葉を待つ。


「ありがとな、その……」


 なんの礼か。そう思って。



「優しい嘘を吐いてくれて」



 少しだけ照れくさそうにしながら私たちの目を見て告げた副会長が愛おしいと思った。


「なんのことだか」


 わかっているくせに亜紅里はわからない振りをする。私はただの嘘吐きなのに。亜紅里ほどの優しい嘘ではなかったのに。律儀にそう言われると嘘を吐いて良かったと思える。私も、副会長に返さなければならない言葉がたくさんある。


「私も」


 亜紅里のようにわからない振りをされたらどうすればいいのだろう。いや、伝えたいから伝えるんだ。それが私だから。


「ありがとう」


 それ以上の想いがあるが、言葉にすることはできなかった。照れ隠しで今度は亜紅里へと視線を移し、「亜紅里も」と隣にいてくれることを感謝する。


『……半妖の総大将が会長らしい』


『阿狐の娘はどいつなんだ、何故《十八名家》は始末しない』


『半妖と陰陽師の裏切り者が生徒会だなんて世も末だ。土地神様は一体何をしている……奴らに天罰は一つもないのか』


『その土地神様が金髪の男って本当なのか……? 小倉おぐら家が騙してるんじゃないだろうな』


『一人が《伝説の巫女》らしいが、それは一体なんなんだ?』


芽童神かいどうしん家の現頭首も所詮は高校生の代理王だろう? 歴代最低の顔ぶれじゃないか』


『まともそうなのが半妖の総大将くらいだものな』


『可哀想に。荷物ばっかり抱えさせられて』


 私だって歴代最低だった。他人に誇れる私ではなかったから、恐怖と不安が顔に出ないように必死になった。

 それでも傍にいてくれた五人の為にも。ずっと戦ってくれていた十三人の為にも。生きとし生ける尊いすべての人類の為にも。右腕と呼びたい副会長の為にも。


 私は今日も白院・えぬ・ヒナギクになる。


 この戦いが終わったら新世界が幕を開けるだろう。彼方を見つめ、思う。ヒナギクの花言葉が希望であり平和であるから、その名に恥じぬ歴代最高の総大将でありたいと。

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