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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十三章 大将の進軍
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十八 『少女の色』

「……あぁ」


 ヒナギクには何も言えない。


「あぁ……っ」


 肯定し、受け入れることしかできない。そんな結希ゆうきにヒナギクが弱々しく微笑む。ヒナギクを心から笑わせることができないことが何よりも苦しかった。


「ティアナさん! 人工半妖はんようの皆さんの手って空いてますか?!」


 ティアナの傍まで飛んだ火影ほかげに礼を言い、肉眼で彼女たちが見えるであろうティアナに尋ねる。


「空いてない、が、空けさせることは可能だ」


「本当ですか!?」


「お前が呼び出せるすべての式神しきがみをあいつらの援軍にして、鴉の女が所持している札である程度の妖怪を隔離させれば……すべての人工半妖はお前たちの元に集うだろう」


「火影、札は?」


「千枚あります」


「そんなに持ってるのか?!」


「持っています。姫様がこの一年で作った札のすべてが──この羽根と共に」


「……足りる足りないの話ならば充分だが、すべて使うのならば賭けになるな」


 そうだ。紅葉くれはが札作りの神童でその札が誰よりも強力であることは、紅葉が物心ついた時から陰陽師おんみょうじの周知の事実となっている。紅葉に自分たちの札を作ってほしいと懇願する陰陽師がいることも、紅葉が文句も言わずに応えていることも、結希は知っている。

 学校に行き妖怪退治をする日々の中で、何故紅葉がそんなことをしなければならないのかと思った日は何度もある。だが、多分、紅葉は喜んでやっていたのだろう。少しでも嫌だと思ったらちゃんと口にするのが紅葉で、紅葉が言わなくても察するのが千秋せんしゅうや火影だからだ。


 そうしなかったということは、紅葉が誰かの力になれることが嬉しかったということで。町長の娘としても陰陽師の姫としてもかなり多忙な日々を送っているその紅葉が僅かな時間で作っていたのが、火影が所持している札だと結希は思っていた。

 この一年──百鬼夜行が来るかもしれないと騒がれたあの日から毎日三枚以上は作っていないと、千枚には達しない。寝る時間を惜しんで作っていたであろうそれを、そうでなくても紅葉が自分以外の人間の為に作ったそれを、無駄にすることは絶対にできない。絶対に無駄にしたくない。


 だが、妖怪を倒し切る前に人工半妖たちを樒御前しきみごぜんにぶつけると──《カラス隊》や《コネコ隊》の戦力は著しく落ちる。それで後悔はしたくない。


「──っ」


「姫様の札はまだ必要です」


 火影が断言した。紅葉の札は退魔にも人避けにも治療にも使える。樒御前を弱らせていない段階ですべてを使うわけにはいかない。


「わかってる! だから……ティアナさんも加勢してください」


 ティアナは浮いているだけのように見えるが、結希が想像している何倍もの力を今現在も使っているのだろう。肉眼では見えないものが見える彼女の耳には爪ほどの大きさしかない《カラス隊》のインカムがつけられている。彼女といぬいが繋がっていたら怖いものはないだろう。彼女が崩れたら最前線であるここの戦況も変わるだろう。それでも。


「魔力と妖力は違う」


「飛べるだけで充分です!」


 それでも、ティアナならば人を救える。ティアナと乾それぞれが、結希を何度も何度も救ったように。


「……わかったよ。けど、私一人じゃ無理だ」


「っ」


「私は一人じゃない。クレア、グロリア、レオ、グリゴレ、エヴァ、ニコラ、ステラ、はな、そして──イヌマルにも頑張ってもらう必要がある」


 不敵に笑うティアナは、かつて誰もが恐れた魔女そのものだった。ティアナの右目のシジルが青く美しく輝き出す。世界でたった一人しかいない魔女ティアナが、自らの仲間に指示を出している──。


「結希。アリアとアイラを任せたぞ」


「えっ」


「アリアは私と同じ日に生まれたクレアの〝クローン人間〟で、アイラはグロリアの姪だ。血の繋がらない私の大切な家族なんだよ。乾はアリアの家族で、まこは私の友人で、星乃ほしのは真の家族だ」


「…………守ります、必ず──」


 たった五人しかいない人工半妖。結希の家族であるるいたちの夢から生まれた存在は、決して役立たずではない。生まれてきた意味がないわけでもない。



「──俺とヒナギクが!」



 半妖の総大将であるヒナギクは、人工半妖たちの総大将でもある。自分に抱きつくヒナギクの腕の力がほんの少しだけ強ばっても、結希は強く信じていた。

 ヒナギクは〝希望〟なのだから。結希も〝希望〟であると信じていたいから。


「ヒナギク、町には明日菜あすな風丸かぜまるがいる。八千代やちよはまだこの辺りにいるはずだ。亜紅里あぐりもすぐにこっちに来る。俺はずっとここにいるから──やるぞ」


 紅蓮の瞳から悲しみが拭われることはないだろう。それはヒナギクが一生つき合わなければならないくらいに深く深くつけられてしまった心の傷だ。それでも、癒えることのないそれを死ぬまで抱えていくヒナギクだって一人ではない。

 感覚を義姉妹たちと共有しているのならば、義姉妹たちの喜びも笑顔もヒナギクの心に届くはずだから──これ以上一人になろうとしないでほしかった。


「…………っ」


 ヒナギクの紅蓮の瞳から濁りが少しだけ消えていく。拭われた濁りの代わりに姿を現したのは〝透明〟だ。

 紅蓮よりもコバルトブルーの方が、コバルトブルーよりも銀の方が、気高い彼女には似合っている。だが、何よりも彼女に似合っていたのは〝透明〟だった。


 半妖という様々な色と繋がり、様々な色を映し出す〝透明〟をずっと、ヒナギクは濁らせていたのだ。


「あぁ。やろう、やろう……! やれる……! きっと!」


 〝透明〟はヒナギクの双眸から流れ出す涙の色でもある。乱暴にそれを拭ったヒナギクはこの瞬間も凛々しい。折れない剣のように輝いている。


「スザク! セイリュウ! ビャッコ! ゲンブ! オウリュウ!」


 千里せんり以外の全員を呼ぶ。結希の指差す方角へと飛んでいく彼らを見送り、結希は再び息を吸う。


「イザナミ! イザナギ!」


 二人は野良だ。イザナミの負傷で倒れる陰陽師はおらず、それ故に傷の治りは主持ちよりも早い。

 現れたイザナミは舞うように、イザナギは飛ぶように、一直線に落ちていく。二人は結希に目配せさえしなかった。文句も言わず、ただ戦うべき相手を見つめていた。


 箒を傾けて落ちていくティアナを火影は追わない。代わりに集う気配の元へと降りていく。


犬神いぬがみッ!」


 声を出したのは乾だ。犬神は真のことではなく、乾を背に乗せて駆ける犬神のことで。アリアを抱いて現れたアイラは八本の蜘蛛の足を出して速度を上げる。真は木々の上を駆け抜け、星乃は大地を這う。そんな五人が人工半妖だった。


「私らはあいつの腹に穴を開けることができねぇ」


 真っ先に断言した乾の言う通りだろう。誰も、穴を開けるほどの攻撃力を持っていない。


「そうなんだよねぇ」


 アリアが困ったように眉を下げた。


「二年前、町にダイダラボッチが現れた時も全部あの人たちがなんとかしてたからさぁ」


「あの人たち、って」


 言われて思い出す。確かに二年前、町の北側にダイダラボッチが現れていた。南側にある学校にいた結希にその情報が下りてきたのは黄昏時のことだったが、ダイダラボッチを倒せるほどの実力を持っている人物を思い浮かべることができず、その答えを知ろうともしなかった。


「貴様の義姉妹だ」


 そうなのだろう。その時も本営にいたであろうヒナギクは息を吐き、「できることをやれ」と命令する。


「わかり切ってることを命令するな」


 乾は呆れた表情をするが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。ティアナによく似たその笑みのまま、樒御前を見上げている。


「すげぇな」


 それは、感心しているような言い方だった。


「何がですか?」


「最初、あの鬼は今の二倍くらいあったんだよ。それをあいつらと旧頭首が半分まで削ったんだ……すげぇだろ」


 つまり、封印を解かれたばかりの樒御前は二百メートルほどあったということになる。本物の半妖が全員でぶつかって、全員が瀕死の状態になって、やっと半分──絶望さえ感じてしまう数字だが、乾はまだ折れていない。


「ヒナギク。お前も削れてる」


 乾は嘘も吐かない。表情を曇らせたヒナギクに一番大切なことを告げ、「私らにできることは一つしかない」と人差し指を立てる。


「それはなんだ」


「誘導だよ。あの鬼を転倒させる罠は既に完成してる」


 それは、最初に立てた作戦だ。


「問題は、まだ早いってとこだろうけど──心配ねぇよな」


「…………」


 乾に見つめられているヒナギクが、無言で空を見上げた。黒く濁るその空に光はない。それでも、強く拳を握り締めているヒナギクには答えがわかっている。


「まさか」


 結希も感じた。大切な式神の気配と大切な家族の気配を忘れた日は一度もない。


「全員集合まで、あと少しですね」


 真に言われて気がついた。今まで一度も、すべての半妖が揃った日がないことに。


「亜紅里は……?!」


「迎えに行かせろよ。タマ太郎たろう、暇だろ?」


 そうだ。結希には、タマ太郎もついている。使い魔のように結希を愛する火車かしゃは今、犬神の喧嘩相手のような存在になっている。そんな犬神が出ている戦場にタマ太郎がいないわけはなく──現れたタマ太郎を見上げ、結希は強く強く願った。


 この地で再び、亜紅里や芦屋あしや義兄弟たちと巡り会えることを。

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