九 『旧頭首』
妖目家の女性は幸せになれない。
それが妖目家にかけられた呪いなのだと、別れる前に明彦が言った。男性として生まれた自分には呪いがない──だから好きなように生きることができるが、双やその娘である熾夏や明日菜、双の実妹で自分の母親である一玻はそんな風に生きることができない。彼女たちの地獄は死ぬまで続くのだと、そう言った。
異変を察知して下りてきた涙も明彦の話を聞いていたらしく、「妖目家の呪い……?」と困惑している。そんな涙に千秋の言葉を伝え、結希は双を追いかけた。
妖目家の旧頭首で先代の半妖である双が向かった場所は町役場で、周辺の広場に人影が見える。ここまで風丸を引っ張ってきた結希は目を凝らし、避難もせずにただ立っていた人影の正体に気がついた。
「燐火さん、乙梅さん……」
炎竜神家の旧頭首で先代の半妖である燐火と。
綿之瀬家の旧頭首で先代の半妖である乙梅。
依檻の母親でもある燐火と鈴歌の母親でもある乙梅は顎を引き、双を迎え入れる。この場に集ったのは、六年前に生き残った半妖の旧頭首たちだった。
「遅くなりました」
瞬間に気配なく現れたのは、青色の髪を持つ女性だった。真っ直ぐに伸びた背筋と皺が少ない顔から年齢を想像することはできないが、朱亜に似たその雰囲気と状況で彼女が首御千家の旧頭首であることを悟る。
「瑠璃が最後だったわね」
目の前に飛び下りてきた女性が持つ茶髪と緑色の猫目はどこからどう見ても和夏に似ており、瑠璃は「茉莉花には誰も敵わないですよ」と溜息を吐いた。
「最初に来たのは私じゃなくて涼凪よ」
「言霊はもう使えないと聞いていましたが?」
瑠璃の視線の先にいたのは、木に寄り添っていた桜色の髪の女性だった。涼凪は悲しそうに眉を下げ、「近くにいただけよ。戦力にはならないわ」と木から離れる。
「精霊の力もないし、土地神様も眠っている」
風丸を見下ろす若草色の瞳に希望は残っていなかったが、すべてを諦めたわけではないのか前を向いてこの場に集った旧友を眺めた。
「貴方たちはどう?」
涼凪の問いかけは、ここで戦いを挑む結希にとっても重要なものだった。
瑠璃が最後。それはつまり、旧頭首たちが増えることはもうないということだ。雪之原家の旧頭首も、骸路成家の旧頭首も、泡魚飛家の旧頭首も、相豆院家の旧頭首も、鬼寺桜家の旧頭首も、芽童神家の旧頭首も、鴉貴家の旧頭首も亡くなっている。
十四家の内の七家の旧頭首たちが亡くなるほど六年前の百鬼夜行は地獄だったのかと思って、この場に六人しかいないことに気づく。
あと一人──
「私は戦えますよ」
──全員が集うのを待っていたかのように姿を現したのは、白院・N・万緑だった。
「貴方も戦うのですか」
「……まだその時じゃないでしょう」
乙梅と燐火は、先代の総大将である万緑の参戦を認めていないように見える。
「この状況になってもまだそんなことを言いますか」
万緑は、ヒナギクと同じように前線に出ることを躊躇っていなかった。
「涼凪、貴方は土地神を死守しなさい」
「えぇ」
「茉莉花、鬼の姿は見えましたか」
「山が邪魔で見えなかったわ」
「瑠璃、貴方の首はどこまで飛びますか」
「半径一キロが限界です」
「乙梅、貴方は飛べますか」
「一時間ならば」
「燐火、貴方の炎は」
「……火炎放射器くらいかしら。けど、条件が合えば山火事だって引き起こせるわ」
当たり前のように旧頭首たちの現在の能力を確かめ、旧頭首たちも当たり前のように答えている。
「双、貴方は」
「千里眼しか使えません。鬼は現在、琵琶湖の中を走っています」
「琵琶湖を走る?!」
「そんくらいでっけぇってことか……?!」
ならば、乾が告げた一時間という時間にも説得力が生まれる。
「鬼が水中にいる間に泡魚飛歌七星が追いつけば、陽陰町に辿り着く前にある程度の戦力は削れるでしょう」
水中戦であれば歌七星の右に出る者はいない。だが、双が告げた通り、歌七星が陸地を移動することは困難だった。
「鈴歌は何をしているのですが」
そんな歌七星を戦場に連れて行くことができるのは鈴歌だけだ。乙梅もそう考えたらしく、最悪の事態が脳裏を過ぎる。
「京都に残された者たちを回収しています。泡魚飛歌七星がというよりも、綿之瀬鈴歌が間に合えばの話かもしれませんね」
「今誰が鬼と戦っているんですか?!」
「熾夏、猫鷺和夏、相豆院愛果、鬼寺桜椿、それと──貴方の式神の少女二人」
「ヒナギクは死んだのですか」
六人ならば自力で樒御前に追いつくことができるだろうが、同じく自力で追いつくことができそうなヒナギクの名前は上がらなかった。乙梅と同じく娘の能力を誰よりも理解しているのは母親である万緑のみ。
「いいえ」
否定してほしい、そう願った通りの答えが返って──目の前に下り立った白銀の少女がヒナギク本人であることに安堵した。
「ヒナギクッ!」
瞬間移動で町に戻ってきたヒナギクの衣服は破けている。
「おい! 大丈夫かヒナ!」
風丸と二人で片膝をついたヒナギクの両側を支えるが「大丈夫だ」と振り解かれた。
「貴方だけ逃げてきたのですか」
万緑が傷ついた娘にかける言葉はあまりにも冷たい。ヒナギクは万緑がいることに気づき、自らが他の家の旧頭首たちにも囲まれていることに気づき──一瞬だけ怯む。
「いいえ」
双と同じ返答をしたヒナギクは、申し訳なさそうな緋色の瞳で結希を見つめた。
「千里が、『行け』と」
ヒナギクは、それだけしか言わなかった。
「……千里は」
「戦っている。貴様の家の式神、全員と共に」
「勝算は」
「ない。それでも、あいつらは鬼を琵琶湖に沈めるつもりだ」
琵琶湖に沈めても勝利にはならない。樒御前の恨みが晴れることもない。それだけでは意味がないが、千里は何を考えているのだろう。
「琵琶湖で鬼の勢いを殺し、力を削ると」
乾は陽陰町を戦場にする覚悟ができているが、千里は陽陰町を戦場にする覚悟ができていない。
「それでも突破されるだろうが、今の状態のまま貴様の元に行かせるつもりはない──と」
だが、ここで樒御前を倒すならば、ここに辿り着く前にある程度消耗していないとここも必ず突破される。絶対に突破されてはならない最後の地が陽陰町なのだ。千里の判断は、客観的に見たら間違っていない。それでも結希は、ヒナギクのように千里にも帰ってきてほしかった。最前線で戦っているのが間宮家の式神たちならば、本当に間宮家が滅んでしまうように思えて涙が溢れそうになる。
「全町民の避難が完了した……」
双が呟いた。
「……けれど、《十八名家》の人間は全員外に出ているわね」
泣きたいのは自分だけではない。滅んでしまいそうになっているのは間宮家だけではない。
「貴方たちは、誰に家を任せてきたの」
双が憂うような瞳を見せた。その瞳は、熾夏も明日菜も時々見せていたことを思い出した。
「でも、誰もあの子たちを止められないでしょう? 現頭首が最前線にいるんだもの……」
茉莉花が諦めたような笑みを零す。
「六年前もそうだったわね」
涼凪は灰色に染まった曇天を見上げた。
「行きましょう。鬼を止めるのは、あの子たちの役目ではないですから」
瑠璃はその体を茉莉花に傾け、茉莉花は瑠璃の体を支える。
「……最期まで静かに暮らしたかったわ」
燐火は両手に炎を灯し、辺りを照らした。
「万緑。貴方が指示を出すのでしょう? 従います」
乙梅は万緑の隣に立ち、瞑目した。
「ヒナギク」
万緑は乙梅に応えない。代わりにヒナギクに声をかけて乱れていた呼吸を整えていたヒナギクはすぐさま背筋を伸ばす。
「一人も死なせないように」
それは、万緑がヒナギクだけにかける呪いだった。
総大将とはいえ、万緑もヒナギクも人から生まれた人間であることに変わりはない。他の半妖との間に違いなんてものはない。
全員が生まれた家は、対等な関係を築く《十八名家》だった。だからか旧頭首たちは、結希とヒナギクが思っている以上に互いを信頼し合っていた。
親の愛を知らないただ一人の王ではない。
現頭首たちのように偽りの家族として育てられていなくても、十四人で駆け抜けた夜があり、十四人で命を懸けた夜がある。
その絆は十四人にしか理解できない絆で、七人が欠けてしまっても消えることのない不思議な絆で、終わることのない縁だ。
「……わかっています」
震える声でヒナギクが答える。結希はそんなヒナギクの右側に立ち、風丸はヒナギクの左側に立った。
万緑はその光景を無表情のまま眺め、一反木綿に変化する乙梅に乗る。燐火も双も瑠璃も茉莉花も乗り込んだが、涼凪だけがこの場に残って六人を見送る。
瑠璃はすぐさま首を飛ばして、その体を茉莉花が支えた。双が万緑の傍らに立って、状況を事細かに伝えている。ただ一人だけ進行方向の逆側を見つめている燐火は五人の背中を守っているように見えた。その様子は、現頭首たちと何も変わっていなかった。
「陰陽師のことはよくわからないけれど、千秋のところに行けばいいのかしら」
残された涼凪は泣かない。
「千秋さんは……」
千秋の気配を探ると、千秋は町役場の中にいた。彼だけではなく、町中の陰陽師が町役場の中にいる。
「……中にいます」
「行くなら私も行こう」
「え、なんか準備とかねぇの?」
「貴様は相変わらずの大馬鹿者だな。貴様らが死ねば勝算はなくなる。貴様らを守ることが現状最大の準備なんだ。涼凪さんだけでは盾にしかならないだろう」
すぐさま風丸を握り潰そうとしている時点で言動に矛盾が生じているが、いつも通りを努めようとする二人のおかげで中に入る勇気を持てた。
「そうね。腐っても半分妖怪だから、たいした傷では死なないけれど」
微笑む涼凪は冬乃と心春によく似ている。星乃──そして真が今何をしようとしているのかも気になるが、乾の言葉通りだと樒御前の到着まであと三十分もない。
急いで中に入り三階へと上がると、ホール会場から千秋が出てくるところだった。
「千秋さん!」
「結希くん、来ておったのか」
「はい! 千秋さん、ここに陰陽師がいるのは──」
「囮である」
「──え?」
「彼らは戦えぬからの。涼凪くんのように」
心が折れたというわけではなかった。陰陽師の力が使えないという意味だった。
町民を地下に避難させ、陰陽師を町役場に避難させ、樒御前の攻撃対象を町役場に逸らす。それが千秋がやろうとしていることで、町役場を狙う樒御前を倒すことができる陰陽師は──結希と涙と千秋のみだった。
《十八名家》 家系図
①百妖→半妖側の政治家
旧頭首 仁
長女 麻露(現姓:雪之原)
次女 依檻(現姓:炎竜神)
三女 真璃絵(現姓:骸路成)
四女 歌七星(現姓:泡魚飛)
五女 鈴歌(現姓:綿之瀬)
六女 熾夏(現姓:妖目)
七女 朱亜(現姓:首御千)
現頭首 仁壱
八女 和夏(現姓:猫鷺)
九女 愛果(現姓:相豆院)
次男 結希(旧姓:間宮)
亜紅里(現姓:阿狐)
十女 椿(現姓:鬼寺桜)
十一女 心春(現姓:小白鳥)
十二女 月夜(現姓:芽童神)
十三女 幸茶羽(現姓:芽童神)
次男 (存在なし)
長女 火影(現姓:鴉貴)
②雪之原→検察官を輩出
旧頭首 ?(死亡)
旧頭首 白雪
現頭首 麻露
次女 ?
長女 吹雪
長男 伊吹
③炎竜神→暴力団:紅炎組
旧頭首 燐火
旧頭首 密
現頭首 依檻
三女 恵
次女 ?
長男 炬(死亡)
④骸路成→弁護士を輩出
旧頭首 ?(死亡)
長女 真璃絵
現頭首 麗夜
次女 翔子(死亡)
夫 アラン(死亡)
妹 グロリア
└ステラ
長女 愛来
⑤泡魚飛→歌手を輩出
旧頭首 ?(死亡)
現頭首 歌七星
旧頭首 和穂
旧頭首 ?
長男 奏雨
⑥綿之瀬→研究所の管理・研究者の輩出
旧頭首 トメ
旧頭首 乙梅
旧頭首 風
現頭首 鈴歌
長男 五道(死亡)
長女 小町(死亡)
養女 乾(旧姓:相豆院)
養女 有愛(旧姓:ダンカン)
長男 シキ(死亡)
次男 イト(死亡)
妻 セシル(死亡)
長男 オリバー(死亡)
妻 ベラ(死亡)
長女 クレア
└コーデリア(有愛)
⑦妖目→病院の管理・医者を輩出
旧頭首 双
現頭首 熾夏
次女 明日菜
次女 一玻
旧頭首 明彦
⑧首御千→教師を輩出
旧頭首 ?
旧頭首 瑠璃
旧頭首 青葉
現頭首 朱亜
次女 ?
長女 貴美
次女 ?(死亡)
長女 ?(死亡)
長男 千貴
⑨猫鷺→特別救助隊の輩出
旧頭首 茉莉花
旧頭首 叶渚
現頭首 和夏
長男 ?(死亡)
長男 真
⑩相豆院→暴力団:風神組
旧頭首 咲把(死亡)
夫 大志
旧頭首 鬼一郎
現頭首 愛果
次男 翔太
長男 陣悟(死亡)
妻 緑(死亡)
長女 乾(現姓:綿之瀬)
⑪鬼寺桜→警察官を輩出
旧頭首 槐樹(死亡)
旧頭首 京馬
旧頭首 虎丸
現頭首 椿
長男 玄石(死亡)
妻 天梛(死亡)
長男 恭哉(現姓:芥川)
⑫小白鳥→裁判所の管理・裁判官を輩出
旧頭首 涼凪
旧頭首 冬乃
現頭首 心春
次女 ?(死亡)
長女 星乃
⑬芽童神→資産家
旧頭首 ?(死亡)
旧頭首 ?
現頭首 八千代
長女 月夜
次女 幸茶羽
長男 ?(死亡)
長女 亜子(死亡)
⑭白院→全私立学校の創始者・学園長
旧頭首 万緑
現頭首 ヒナギク
次女 スズシロ
次女 ?
長男 桐也(死亡)
⑮阿狐→役者を輩出
旧頭首 頼(死亡)
現頭首 亜紅里
長男 理樹(死亡)
長男 衣良
⑯結城→陰陽師側の政治家・町長
旧頭首 千秋
妻 朝羽
妹 朝日
長男 千羽(死亡)
長女 紅葉
次男 ?
現頭首 涙
⑰鴉貴→警察官を輩出
旧頭首 ?
旧頭首 エリス(死亡)
旧頭首 蒼生
現頭首 火影
旧頭首 エリカ
長男 輝司
長男 ?(死亡)
長女 ?(死亡)
長女 翡翠
⑱小倉→神社の管理・神主の輩出
現頭首 雷雲
長男 風丸
長女 陽縁
夫 輝久
? (今年三月出産予定)
《その他》 家系図
○芦屋
長男 雅臣
妻 朝日(現姓:間宮)
長男 結希(現姓:百妖)
長女 真菊(旧姓:?)
次男 春(旧姓:末森)
三男 紫苑(旧姓:末森)
次女 美歩
四男 多翼(旧姓:?)
三女 モモ(旧姓:土御門)
長女 玉依(死亡)
長女 美歩
○三善
長男 ?(死亡)
妻 ?(死亡)
長女 京子
長男 猿秋(死亡)
└花
○神城
長男 珠李
妻 先代スザク(死亡)
長女 千里




