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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十三章 大将の進軍
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六  『理由』

 イザナミがククリに重傷を負わされたのは、町外だったらしい。女性の風姿をしているイザナミが少女の風姿をしているククリに一太刀浴びせることもできずに帰還した事実が雅臣まさおみとククリの強さを物語っており、二人の拒絶の強さも物語っていた。

 肉体が一度崩れたことが原因で前線に出ることができない結希ゆうきは、前線に出ている義姉妹たちから送られてくる情報でしか事態を把握することができなかった。千里せんりは自らの能力を隠さなくて済む義姉妹たちと合流しており、普段は本営にいるはずのヒナギクでさえ前線に出ているという事実も、結希を焦らせるには充分だった。


 その前線には紅葉くれはが率いている陰陽師おんみょうじや、輝司こうしが率いている《カラス隊》もおり、結希の出番はないように思える。それでも、父親だからと話を聞いたその日の内に前線に飛び出していった芦屋あしや義姉弟たちのことを思うと心苦しかった。


「主!」


 全員からの情報を纏めることしかできない時に病室に来たのは、るい式神しきがみのエビスだった。


「と、ついでに結希さん!」


 明彦あきひこに持ってこさせた椅子に座っていた結希は、情報を共有してくれるエビスの帰還をどういう風に受け取ればいいのかといつも迷う。

 悪い報せがあるのか、良い報せがあるのか。事態が進展したのか、停頓したのか──。聞きたいようで聞きたくないような、やはり前線に出たいと焦るような、そんな様々な感情が足を引っ張って上手く反応することができなかった。


「雅臣さんの居場所が掴めそうです!」


「っ、それってどこですか!」


 涙よりも先に反応した結希が真っ先に思い浮かべたのは、陽陰おういん町の外に出てしまった一人一人の顔だった。陽陰町内は最早前線ではない。日本各地にいる彼らのことがずっと心配だったのだ。


「京都です!」


 その地名と場所を知らないほど馬鹿ではない。


「京……都……」


 日本地図を思い浮かべて、陽陰町と異様に離れているわけではないことを確認する。だが、その場所は、町外に一度だけしか出ていない結希にとってあまりにも遠かった。


半妖はんようの方も、芦屋家の方も、京都に向かうそうです」


「承知です。このことを紅葉には?」


「まだ伝えていません」


「紅葉には伝達です。そして、引き続き妖怪に専念することを伝言です」


 紅葉や朝羽あさはには朝日あさひのことも雅臣のことも伝えているが、雅臣を追いかけることだけはしないでほしいと頼んでいた。

 イザナミは負傷したが、雅臣が陽陰町に害をなす者だと確定したわけではない。だから、雅臣に関しては何もせず、陰陽師たちに伝えることもせず、妖怪の調査を継続してほしいと。陽陰町に残っている数少ない陰陽師の一人、千秋せんしゅうも、そんな二人の願いを聞き届けていた。


「はいっ! 承知致しました!」


 敬礼するエビスの雰囲気は、どことなくスザクに似ている。紅葉の元に瞬間移動をするエビスを見つめていた涙は、エビスとまったく同じ顔をしている桐也きりやがそんな性格でないことを知っていた。


 時々寂しそうな表情を浮かべる涙には、今でも桐也のことを大切に思っている心があった。


「……今、エビスさんがいましたか?」


 桐也は彼女の中にもいる。桐也の従妹でヒナギクの妹であるスズシロが結希と涙の病室に来たのは初めてのことだった。


「いたけど……スズシロちゃん? どうしてここに?」


「姉様からの伝言です」


「伝言? エビスかスザクに言えばすぐに伝わるのに、なんでわざわざ」


「貴方だけに伝えたいことがある、と」


 スズシロが言う〝貴方〟は、間違いなく結希のことだった。


「……わかった」


 涙がいるところでは何も言えないだろう。そう思ってスズシロ共に廊下に出て、端の方まで歩いていく。


「ヒナギクがなんて?」


 良いことではない。そう思ってしまうくらい、結希は物事を楽観視することができなかった。



「──『土地神を死守しろ』」



 言われなくても必ず守るのに、何故わざわざスズシロを介してそんなことを言うのだろうと思った。


「姉様は今でも、土地神様の覚醒を望んでいます。土地神様の力と記憶が必要だと思って、焦っています」


「ヒナギクがそう言っていたのか?」


「いえ。こちらはあくまでもスズシロの考えです。姉様は『死守しろ』としか言っていません」


「理由は? 俺は、何があっても風丸かぜまるは守るのに」


 スズシロは結希を無言で見上げている。ヒナギクと結希の板挟みにさせているようで申し訳なくなるが、スズシロしか、ヒナギクの本心を読み取ることができないのだ。


「土地神様しか対抗することができないのかもしれません」


 そんな何かを想像したことは一度もなかった。


「土地神様が力があれば守れる命があるのかもしれません。土地神様の記憶があればわかることがあるのかもしれません」


 スズシロは答えを一つに絞らない。考えられるすべての可能性を吐いていく。


「スズシロは、覚醒に関しては今でも慎重になるべきだと思っています。ですが、六年前の土地神様は覚醒していました。土地神様は土地神様としてスズシロたちを守護し、見守ってくださっていました。ですが今、その土地神様はどこにもいません。この土地は六年も死んでいるのです。今が異常なのです。スズシロも土地神様の覚醒を願い、早く元の世界に戻ってほしいと思っていますが……」


 スズシロは、それ以上の言葉を言わなかった。結希の前で言うべきことではないとでも言うような口の噤み方だった。


「…………土地神は、天狐てんこよりも強い力を持っていると思う?」


「神と大妖怪です。似て非なる力を持っています。天狐を倒したから土地神様がいなくてもなんとかなると言いたいのなら、姉様の不安を拭うべきかと」


 スズシロの言う通りだった。

 ヒナギクは自分たちの力を過信していない。自分が出なければならないほどに事態は深刻だと思っている。今までの陽陰町の歴史では考えられないほどに様々な人々がこの実体のない戦争に身を投じているのだ。そんな時代の総大将である彼女の傍にいてあげることができないなんて、生徒会役員に任命されたあの頃は想像さえしていなかった。


「スズシロちゃん、ここから京都までどれくらいの時間がかかるかわかる?」


「電車で三時間もかからないかと……まさか、行くなんて言わないですよね?」


 スズシロは白院はくいん家の人間だ。ヒナギクの妹で桐也の従妹で万緑ばんりょくの娘だ。

 前線の状況も、結希の現状も、その十歳という若さからでは想像もできないくらいに知り尽くしている。


「行きたい」


 どうしても、「行く」と言ってスズシロを困らせることはできなかった。


「今の貴方では足手纏いになるだけだと思いますよ。体に傷を負ったも同然の貴方はただの陰陽師以下、宿命を持つ結城ゆうき家の人間でさえないんですから」


 スズシロの言っていることは正しい。特別なのはこの世でたった一つだけしか存在していない能力を持っている半妖の彼女たちで、代わりなんてないと断言できる結希の能力は妖怪の声を聞く力だけだ。陰陽師の力そのものには代わりがいる。それでも。


「俺は、芦屋雅臣の息子だ」


 スズシロの熱のない瞳を見つめ返して伝えたい言葉がある。



「──あの人たちの弟で、兄だ」



 行く理由がある。


「……そんなこと、スズシロに言われても困ります」


 スズシロが視線を伏せる。結局困らせてしまったが、スズシロは嫌がっているようにも潰されそうにも見えなかった。


「ですが、皆様はきっと、貴方のことを待っています。スズシロは未熟で、他の現頭首の兄弟姉妹のように姉様を支えることができませんが……何も、できませんが、ただの陰陽師以下の貴方でも救える命と心はあると思います」


 声が震えている。嫌がっているわけでもない。潰されそうなわけでもない。ただひたすらに自分の無力さを嘆く少女だった。


「何もできないなんてことはないよ」


 本心でそう思う。未来を想うヒナギクにとって、スズシロは希望そのものだった。

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