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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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二十 『茨道に亜ぐ紅の里程』

 駆け寄ってママを抱き締めた亜紅里あぐりを、結希ゆうきは少し離れた場所から見守っていた。

 ママにとっての亜紅里と亜紅里にとってのママはどういう存在なのか聞かなくてもわかる。捨てられた半妖はんようの乳児とそれを拾った妖怪は親子だ。引き裂いても裂けない、血ではなく心で繋がったこの世でたった一人だけの存在なのだ。


 そんな存在は結希にはいない。転がってきたポチを抱き締めて暖を取り、ポチ子の尾に触れて付け根から先端まで撫でる。ポチ子の尾は結希の腕の長さと変わらなかった。

 小さな御先狐おさきぎつねでさえ尾は二本あるのに、一本しかなかった天狐のそれは巨大だった。階級よりも尾の数を羨んだ天狐の心情はわからなくもないが、だからといって排除しようとする天狐の心情はわからなかった。


 排除する勇気がなかっただけなのかもしれない。排除しようと思った相手は、同じく結希を排除しようとした真菊まぎくだけだ。

 そんな彼女のかつての相棒──ビジネスパートナーだと言った亜紅里は、ママの毛の中に埋まったまま戻ってこなかった。


『キュ?』


 そんな亜紅里を不審に思ったのか、ポチ子が腕の中で動く。目と口と鼻があるようには見えなかったが、じっとママと亜紅里を見つめているような気がした。


「大丈夫」


 声をかけるとまた動く。瞬間、金色の毛の中の奥にある真っ黒な双眸と目が合った。


「──ッ」


 驚いてポチ子を手放しそうになる。慌ててポチ子を支えて改めて見ると、ポチ子はまばたきをしていた。


「ポチ子?」


『キュキュッ!』


 尋ね、ポチ子の元気な返事を聞く。気が抜けてしまいそうなほどに元気なポチ子は、結希の腕の中を気に入ったようだった。


『ア』


「えっ」


『アキュリ!』


「喋っ……た?」


 元々喋ってはいたが、そのすべてが鳴き声だったポチ子がずっと伝えたかった言葉を結希は知らない。


『アキュリ! ママ! スキャ!』


 ポチ子の心を、ずっと知らなかった。


「ポチ子は……亜紅里とママが好きなんだな」


『スキャ! スキャ! ユキュモスキャ!』


 言葉を覚えたばかりの乳児のように喋るポチ子は、結希の背後に視線を回してまた『スキャ!』と弾けた声を出す。


「すきゃ?」


 振り返ると、義姉妹たちが全員揃っていた。その中にはヒナギクも、火影ほかげもいた。


『キュー!』


 結希の腕から勢い良く飛び出して地面を転がり続けるポチ子は、嬉しそうで。ママから顔を離した亜紅里も、全員を視界に入れて破顔した。


「寒くない? 大丈夫なの?」


 掌に炎を灯して歩いてくる依檻いおりは、全員のことを温めているらしい。暑さに弱い麻露ましろだけが依檻から離れて歩いているが、まったく寒そうに見えなかった。


「温もりがそこを走ってるんでクソ寒いです」


「あははっ! かわいそ〜に。こっちにいらっしゃい」


「防寒具も着ずに外に出るからですよ」


「いやいや。私らが着てるの妖目おうま家に貯蔵してた防寒具だから。私に感謝してよね〜」


 どんな時でも喋っている義姉妹たちに怪我はないようで、安堵する。依檻の炎に温まる為に全員で依檻を囲んでいると、亜紅里が結希と鈴歌れいかの間から顔だけ出してきた。


「あったか〜い」


「ママも充分あったかいだろ」


「え〜! そうなの? 触ってみた〜い!」


「え〜、ママは私だけのママなんだけど〜?」


 瞳を輝かせる月夜つきよに嫉妬しているらしく、亜紅里は唇を尖らせる。


「じゃあいいや」


「えっ」


 駄々を捏ねられると思っていたのか、驚いた様子で月夜を見つめる亜紅里は知らない。少しずつ幸茶羽ささはに近づいていく月夜と、少しずつ月夜に近づいていく幸茶羽のことを。


「やだー、それはちょっと寂しいー。もっと我儘言ってよー」


「え? なんで? 言わないよ?」


 わざとらしく驚いた表情を見せる月夜を唖然とした表情で見つめる亜紅里は、一人一人の表情を確認して今の月夜を知った。


「そっちこそ、我儘を言っていいんだぞ」


 微笑む麻露は亜紅里のことを想っている。いや、この場にいる全員が亜紅里のことを想っている。

 一年前はそんな関係性ではなかった。傷つき、傷つけられていた。だが、少しでも何かが違っていたら義姉妹となっていた十六人だ。手を取り合って当たり前のように歩いていけた十六人だ。


『弟クン、狡いよ。亜紅里も狡い。火影も狡い。ヒナギクも狡い。おかしいよ、ルールを守った家の子がこんなに辛い思いをしてるのに、その原因を作った養母の子とか、母親に山奥に捨てられた子とか、母親に幽閉された子とか、母親に守ってもらった子の方がいっちばんいい思いをするのはおかしいよ』


 今でも瞳を閉じると思い出す。熾夏しいかがそう言っていたことを。


「だから、言わないって言ってるだろ」


「え〜、意地っ張りぃ〜」


 その熾夏は亜紅里を揶揄って笑っていた。何が引き金となったのか全員が口を開いて何かを言っていたが、十六人が同時に話すと何を言っているのか聞き取れなくなる。


「静粛です」


 気配なく現れたるいは両耳を手で塞いでおり、不愉快そうに顔を歪めていた。再会した頃はほとんど無表情だったが、傍らにいるエビスのおかげか表情が柔らかくなったような気がする。


「涙もいたのか」


「当然です。何故不在だと推測ですか」


 確かに涙も怪我をしていたが、真菊まぎくはる紫苑しおんのおかげで結希と同じくほとんど無傷だったはずだ。


「なんですかその顔は! 俺の主だって疲れてたんですからね!」


 膨れっ面を見せるエビスは涙の擁護をしたが、それはそれで嫌だったのか涙は前を出ようとするエビスの服の裾を引っ張った。


「今は深夜です。病院に帰還です」


 騒がしい義姉妹たちを呼びに来た涙は、《十八名家じゅうはちめいか》として、町長秘書として、町民のことを考えて追いかけてきたらしい。


「ま、こんなクッソ寒いところに長時間もいる気ないしね」


 背中を丸めて中に戻ろうとする愛果あいかは寒さに弱いらしい。結希と同じ体勢のまま全員が戻ろうとする瞬間を待っている。


「そうねぇ。お話は中でもできるものぉ」


「私が話したかったのはみんなとじゃなくてママなんだけど?」


「なら、亜紅里以外の全員で戻るかのぅ」


「えっ、ちょっと待ってよ! 仲間外れ反対!」


「自業自得だろ」


「ゆうゆうどうしてこんな時に口を開くの?!」


 全員から弄られ続ける亜紅里は、素でそう言っているようだった。先ほどまでの萎れた様子はどこに行ったのか、表情をころころと変えている。


「…………自業自得だから」


鈴姉れいねぇまで! あたし何もしてないのに!」


「してたでしょ〜。アグはたくさん頑張ったから、明日はお肉パーティーしようね〜」


「お肉?!」


「良かったな、亜紅里」


「よ、良かったけど……でも……」


 俯く亜紅里は、嫌がっているわけではなかった。その感情は困惑なのだろうか。ほんの少しだけの遠慮を感じる。


「贅沢者」


 以前までの彼女だったら鼻を鳴らしていたかもしれないが、幸茶羽は腕を組むだけだった。


「もっと上をくれって言ってるわけじゃないから!」


「みんなの好きな食べ物でいいんじゃないかな? ぼくはみんな頑張ったと思うよ」


「あ、思い出した。熾夏、愛果、心春こはる、亜紅里もそこに並べ」


「あっ」


 人差し指でその四人を差した麻露は、離れていくその他の義姉妹たちには目もくれない。笑っているのは依檻と朱亜しゅあだけで、普段笑う側の熾夏は顔面蒼白になりながら目の前の麻露をじっと見上げる。


「お仕置だ」


 周囲の温度を下げた麻露は笑っていたが、目はまったく笑っていなかった。


「ちょっと待って! 寒いのだけは止めて! もう充分寒いから! 待って!」


「ちっ、違うのシロねぇ! ぼくは止めようってしいねぇに言ったよ!」


「えっ?! ちょっとはるちゃん! 今私のこと売ったよね?! 待って! そんな子じゃなかったよね?! みんないつからそんなに悪い子になったの?!」


「貴方たちに似たんじゃないですか?」


 部外者面をしている火影の言うことが一番正しいだろう。むしろ今まで似ていなかった方が奇跡だと言えるくらい、心春も月夜も──ずっと黙ったままの椿つばきもいい子だった。


「誇らしいのぅ、熾夏? 鈴歌?」


「…………同意を求めないで」


「何故じゃ?! これはわらわらに似たということじゃろう?!」


「…………自意識過剰」


「ほんとそうだよ自意識過剰! こんな子たちに育てた覚えはありません!」


「私もないからな」


「ひっ?!」


「あんな風に戦えと誰が言った。誰が教えた」


 麻露の周囲にだけ雪が降る。それをわかっていたその他の義姉妹たちと結希と涙は、麻露に捕まった四人を哀れみ──同時にこうやって笑えることを口には出さずとも喜んだ。


「わかっていたなら先に言ってください」


 遅れて離れた火影に文句を言われる。


「ごめん」


「ごめんじゃないですよ」


 火影は溜息を吐き、隣に立って雪を見つめる。そんな火影の言葉通りの世界になったことにも喜んで──転がっていたポチ子が氷柱の中に閉じ込められた四人の元に走るのを眺めた。


「副会長、今大丈夫か」


「ん、大丈夫」


明日菜あすな風丸かぜまるのことなんだが……完全回復には時間がかかるようだ」


「……え?」


 一瞬で脳内が白に染まる。どういうことなのか理解するまでに時間がかかる。


「明日菜の中にある瘴気はまだ消えていない。土地が傷つき精霊が力尽きている今、風丸も普段通りというわけにはいかないようだ」


 ヒナギクの報告は離れていた義姉妹全員にも届いており、その視線がヒナギクに注がれる。


「…………二人は今、どこにいるんだ?」


 思うところも言いたいことも一つではなかったが、とにかく二人に会いたかった。今すぐ二人の顔が見たかった。


「同じ階の端の部屋に明日菜と芦屋あしやの女が、その隣に風丸と芦屋の男がいる」


「ありがとう」


 すぐに病院へと走る。ヒナギクがついて来る気配がして、また別の気配を感じて足を止める。

 振り返ると、ヒナギクが不審そうに自分を見ていた。麻露と四人を笑っている義姉妹たちとそれを止めるエビスがいて、涙は──結希と同じく星空を見上げる。


「副会長?」


 嫌な予感がした。


「ヒナギク……」


 この嫌な予感をどういう風に伝えればいいのだろう。


「なんだ」


「……まさか」


 結希と涙が見つめる星空には、陽陰おういん町を覆う結界がある。その結界に──ヒビが、入る。


「涙ッ!」


 結希の異常なまでに焦った声に驚いた半妖たちは動きを止め、結希と涙が見つめる星空へと視線を移した。


「なんだ副会長、何が起きているんだ!?」


「不味い不味い不味い不味い……!」


 声が漏れる。ママもポチ子も気づいているのか警戒心を顕にさせており、義姉妹たちを戸惑わせる。

 結界が見える結希と涙は──崩れ落ちていく結界を呆然と眺め、情けない声をぽつりと漏らした。


「……なんで」


 それだけがこの感情のすべてだった。結界の欠片が月明かりを受けて煌々と輝く。それでもこの絶望感は和らがない。

 義姉妹たちも何が起きたのか気づいたらしい。肌を刺す不気味な空気は、全員が感じていたことだった。

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