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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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十八 『月の夢』

 輝く太陽が地上のすべてを照らしている。その温かさは土地神である風丸かぜまるの傷を癒し、その光は明日菜あすなの中の瘴気を癒す。目覚めていない者は一人もいなかったが、全員がその場から動けなかった。


 結希ゆうきは一ヶ月ぶりに浴びた光が眩しくて目を背け、傍にいる真菊まぎくへと視線を移す。真菊ははる紫苑しおんの元に行く気力がないらしく、寄りかかってくる亜紅里あぐりを好きなようにさせていた。

 今の亜紅里は表の亜紅里と裏の亜紅里のどちら側なのだろう。どちらでもない雰囲気を身に纏っており、傍に呼び寄せた衣良いらの手をずっと握っている。人肌恋しいとでも言うようなその様子は、大切な者を亡くした者の様子と酷似していた。


「…………」


 そんな亜紅里にどんな言葉をかければいいのだろう。今の亜紅里は何も失っていない亜紅里ではない。天狐てんこの命を奪った亜紅里で、母親の命を奪われた亜紅里だ。

 そんな亜紅里に真菊は言葉をかけなかった。真菊も家族の命を奪われた側で、その命を奪った原因を作ったのは天狐で。春と紫苑と同じく敵を討った彼女は、亜紅里を好きなようにさせるだけではなく結希を遠ざけることもなかった。


 終わったのだ。今、ようやくそれを実感することができた。


 徐々に力が抜けていく。比例するように心と体が悲鳴を上げる。

 結希は、人間と妖怪の共存を望んでいた。それを叶えるつもりで行動していた。掴み取りたい未来があり、そうしたいと言葉にして伝えていた。その未来を自らの手で潰してしまったのだ。


 自分たちを囲む義姉妹たちは悪くない。妖怪を殺したと責めるつもりは一切ない。守ってくれてありがとうと素直に言える心はある。

 それでも、ただただ虚しく、ただただ悲しかった。この痛みは一生消えない。心臓の一番大切なところに刻まれてしまった。この痛みと共に死ぬのだと思った。


「帰らなければな」


 麻露ましろの呟きを聞いた全員が頷いたが、誰も腰を上げることができなかった。

 結希はゆっくりと瞳を閉じる。生きることができなくなったのではない。陰陽師おんみょうじの力を使いたかったのだ。


 どれほど疲弊していても、この体に流れる赤き血がすべてを教えてくれる。力がこの場所に向かっているのがよくわかった。


「……来ますよ」


「……え?」


 天狐を殺して百鬼夜行が終わった。天狐の力が消えてすべてが終わった。ならば。


「あ、ほんとだ。なんかすっごくうるさい……」


 耳に手を当てて告げた和夏わかなは、誰が来ているのかわかったのだろう。嬉しそうに笑って音がした方向へと顔を動かす。


「来てるって誰が……」


「そのうちわかりますよ」


 誰一人として心当たりがないのか、ぽかんと口を開いていた。だが、ただ一人だけ──火影ほかげが立ち上がって息を呑む。


輝司こうし兄さん……!」


 そして、はらはらと流れた涙を拭った。


 少し前まで森だった荒地に現れたのは、漆黒に染まっている《カラス隊》の特殊車両だった。


「輝司……か」


 わかった瞬間に安堵した麻露は、同級生でもある輝司のことを義姉妹の次に信頼していて。


「あははっ。有難いわねぇ」


 《カラス隊》と対立していた《グレン隊》の今は亡き大将、かがりの従妹でもある依檻は疲れていても笑顔を見せる。


いぬい……アリア……」


 るいが呼んだ人工半妖はんようの二人も当然乗っているだろう。《カラス隊》の隊員でもあり涙の義妹でもある二人がいて初めて、彼らはここに来れたのだろうから。


 特殊車両から次々と下りてくる隊員たちは、《カラス隊》の隊服さえ着ていなかった。


「みんな! 大丈夫?! 怪我人は?!」


 真っ先に駆けてきたアリアは金色の髪を振り乱しており、「だから、いないって、言ってるだろ……!」と息を切らしたいぬいに制止される。


「よ、良かったぁ〜! 良かったよぉ〜!」


 泣きじゃくるアリアは涙を見つけ、涙のことを思い切り抱き締める。涙はぎょっと目を見開いてアリアの体を支えたが、やがて表情を緩めて抱き締め返した。


「良かった……良かったよぉ……本当に……っ」


 アリアにとって、涙は残された数少ない義兄弟だ。真菊と春と紫苑がいなければ失われていた命で、視界にエビスを入れた涙は、思い出したように涙を流す。そんな涙の背中を、熾夏が無言で撫で続けた。


「皆さん、お久しぶりです」


 記憶を取り戻した輝司も私服姿で、結希を中心にできた輪を眺める。


明彦あきひこくんが妖目おうま総合病院を開けるそうです。全員そちらにお連れしてもよろしいですか?」


「……頼む。もう、バカを叱る気力もないんだ」


 麻露が言うバカとは熾夏と愛果あいか心春こはるのことであり、亜紅里のことでもあった。だが、本人たちは麻露以上に疲れ切っており、自分たちがそのバカだということに気づいていない。


「えぇ。担架に乗せますので、大人しく運ばれてください」


 輝司が言った通り、隊員たちは即席で作ったような担架やキャスターつきの椅子を持ってここまで来ていた。


「……随分と急いで来てくれたんだな」


「申し訳ございません。互いのことを忘れてバラバラに過ごしていたので、全員を集めること自体に膨大な時間がかかってしまったんですよ」


「……そうか」


「遅くなって、本当に申し訳ございません」


 眠りについた麻露を隊員たちに運ばせて、輝司は一人一人の様子を確認しながら歩いて回る。最後に足を止めたのは結希の前で、残されていたのは結希と火影だけだった。


「……大丈夫ですか」


 輝司との交流があまりない結希でも、輝司のこの台詞が珍しいことには気づいていた。


「……大丈夫です」


 体を起こしていた結希は、立っている輝司に負けないように立ち上がろうとし──彼が腰を下ろしたことに驚く。


「ならば、あの言葉は嘘だったのですか」


「っ」


「『俺は、妖怪と共に生きる道を探したい』。最初にそう言ったのは貴方でしょう?」


「…………」


 痛いところを突かれた。全員が生き残ることを考えていて、そのことを忘れていてくれた方が何倍も良かったのに。


「嘘じゃ……ないです」


 無力さを思い知る。そんなことはないと全員が言っても、望む未来を掴めなかった以上──自分は駄目な人間だと思ってしまう。

 溢れてしまった涙を見た相手が何故輝司だったのだろう。近くも遠くもない場所で結希を見ていた輝司は、同じく近くもなく遠くもない場所で自分たちを見ている火影へと視線を移す。


「あの子は半妖で、私の伯母も半妖です」


 泣きじゃくっていた結希は、輝司が何を言おうとしているのかわからなかった。


「そして、貴方が歩むべきだった人生に、半妖はいないはずでした」


 だが、それだけはわかる。陰陽師の家に産まれ、陰陽師の家で育つ結希の人生に──《十八名家じゅうはちめいか》から産まれた偉大なる彼女たちの人生が交わるなんて有り得なかった。


「それでも貴方は半妖と出逢い、半妖と共に生きることを選び、半妖の為に妖怪へと手を伸ばした。私は、そんな貴方のことをバカだと思いながら……眩しいとも思っていました」


 バカで構わない。そんなことを言われる資格はない。


「私は百鬼夜行を終わらせることができればそれで充分だったんです。それは、私以外の皆もそう思っていたはずなんです。ですが、貴方だけがその先の未来を見ていました。百鬼夜行を繰り返してはならないと言った──貴方に私たちは未来を見たんです。伯母が死んで、火影が産まれていたという事実が暴かれて、鴉貴からすぎ家の信頼が揺らいだ時、私は火影を受け入れることができませんでした。あの時の私は醜かったと思います。火影自身に非はなかったのだから」


 隊員たちが近づいても特殊車両の中に乗らず、ずっと輝司の背中を見ていた火影がぽかんと口を開く。


「火影は我が家の王です。灰を被った娘でも、毒を飲む息子でもありません。王が生きやすい未来を自分たちの手で切り開くことができたらどんなに良いだろうと思っていました。それを最初に言った貴方の心を、私は案じているのですよ」


「…………」


 期待してくれる人がいた。その人の期待に応えることができなかった。ますます溢れ出した涙を輝司は止めない。火影も止めない。そう思ったが──



「まだ、終わってません」



 ──火影は首を振って否定した。


「百鬼夜行が終わっただけです。太陽が沈めばまた妖怪は出てきます。だから、いとこの人が泣く理由は……まだないはずです」


 火影もまた涙を流す。


「まだ、終わったなんて……思ってないです。火影は始まりだって思います。だからまだ、諦めないで……そんなの輝司兄さんらしくないです」


「私の何を知っているんですか、と言いたいところですが……そうですね。私らしくないのは認めましょう」


 輝司は立ち上がり、ずっと紅葉くれはの札を撒いて全員の援護をしていた火影を呼ぶ。

 駆けつけてきた火影と輝司が並んで立つ姿を初めて見た。そして初めて、亜紅里と衣良の阿狐あぎつね従兄妹と同じように──二人が鴉貴家の特徴を脈々と受け継いだ従兄妹であることを実感する。二人ぼっちの家族ではない二人は結希にそれぞれ肩を貸し、ずっと待っている特殊車両へと歩き出した。そんな二人に支えられながら、まだ夢を見てもいいのかと──どこまでも広がる雲なき青空を見て結希は思った。

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