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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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十六 『呪うなら』

 苦しみはいつか終わる。そう信じようとしても信じることができなかった。


 明日菜あすなの体のほとんどが襲いかかってくる瘴気に隠れている。明日菜が呻く度に生きた心地がしなくなり、それがいつか終わったとしても、蓄積された痛みにまた苦しめられるような気がして落ち着かなくなる。

 どれほどの時が経過したのかわからなかった。痛くて痛くて藻掻き苦しむが、自分以上に苦しんでいるはずの明日菜が倒れることはなかった。


 結希ゆうきは《伝説の巫女》の力を侮っていたのかもしれない。


『助けは……不要です……わたしは《伝説の巫女》だから……土地神様を穢す鬼を……この身に集めて……土地神様を救う、予言の巫女だから……どうか、お願いします、どうかわたしに……土地神様を……救わせて』


 《伝説の巫女》を受け継ぐ者の中で、予言の巫女と呼ばれる者の真の力を。


『コロス、コロス、オマエヲ』


 それは亜紅里あぐりの言葉ではなかった。


「クソ天狐てんこ! 私の義妹の体を返せッ!」


 亜紅里の唇から出てくる声さえも亜紅里のものではなく、怒る熾夏しいかは亜紅里の拳を受け流して拳を入れる。


『オマエト、オマエノイモウトヲ、オマエト、オマエノイモウトヲ』


「私は死なないし明日菜ちゃんも死なせない! あぐちゃん! その天狐は天狐じゃない! 自分自身だよ! だから絶対に負けないで! 私は君を信じてるから!」


 熾夏の願いが届いているのかいないのか。たった一人で瘴気を斬って風丸かぜまるを守る結希にはわからない。


『アグリハシンダ、ワタシガクッタ』


 天狐が嗤った。からからからからと、聞いたことのない不気味な笑い声が瘴気に包まれた世界に響いた。


『コロシタ、コロシタ、オマエガココニキタカラ、オマエガウマレテキタカラ、オマエダヨ、オマエ、アスナダヨ』


「お前のせいに決まってるだろ!」


 咄嗟に叫んだが、明日菜の力が揺らいだのを肌で感じた。瘴気に襲われているのではなく、瘴気を吸い込む。そんな瘴気の流れが視界の隅で見えていたからこそ、流れが歪んだ瞬間に気を取られる。


「結希ッ!」


 風丸に突き飛ばされた。刀を持ったまま地面に転がった結希は、風丸に襲いかかる瘴気を目撃して息を呑む。

 簡易結界を張って間に合わせたが、両膝をついて頭を抱えた風丸は──苦しんでいた。


「風丸ッ!」


 風丸は土地神だ。瘴気に触れていなくても、土地が穢れてしまったら息ができなくなるのは必然で。結希はすぐに視線を戻し、明日菜の元へと駆け寄る。


 その瘴気に触れて体が腐ってしまっても。

 行かないという選択肢はなかった。


「いとこの人!」


 誰かをそう呼ぶ人間は、結希が知る限りたった一人だけ。下降した火影ほかげは結希の背中を思い切り叩き、「姫様の札です!」と上昇する。途端に消えた息苦しさは、結希の体を軽くした。


「ありがとう火影!」


 火影は記憶を取り戻していないはずだが、ここに来れたということはるいが記憶を取り戻したのだろう。札を一枚も持っていなかった結希にとってこれ以上に有難い救援はなかった。


「明日菜、どこにいる?!」


 乱れる瘴気の中に突入し、流れの中心にいる彼女へと手を伸ばす。


「ゆうきち……?」


 明日菜は、大粒の涙を流しながら背中を丸めて苦しんでいた。それでもお守りと耳飾りだけは大事そうに握り締めており、明日菜の両手を自分の両手で包み込む。それを解かせて、中にあった耳飾りを明日菜の右耳につけた。

 つけた者がこの世界の音をどう聞くのかはわからないが、芦屋あしや家の家宝が明日菜の心を守るのならば、明日菜が使ってくれた方が良い。


「あ……」


 明日菜の目が見開かれる。


「……これ」


 耳飾りに触れた明日菜の瞳は、涙で輝いているように見えた。


「私の妹を傷つけるな!」


 そう怒鳴る、瘴気で見えない熾夏の声に声を漏らして嗚咽した。


「ゆう吉、ごめん、お願い、お姉ちゃんを助けて」


 あまりにも自然と熾夏のことを〝お姉ちゃん〟と呼んで、明日菜は結希相手に懇願する。


妖目おうまはあの人のことまだよくわかってないけど、あの人には守るものが多すぎる、から……だから、妖目はもう大丈夫だから、お願い」


 熾夏だけではない。結希にも明日菜にも風丸にも、亜紅里にだって守りたいものは存在する。


「お姉ちゃんにも、ゆう吉にも、亜紅里にも、いなくなってほしくないから」


「俺もだよ」


 前を向く明日菜の心は折れていない。そんな明日菜が戦っているから、自分も前を向いていようと思える。

 瘴気の外に飛び出して、辺りに散らばっていた札を拾った。簡易結界を解除して札を風丸の背中に貼り、少しでも良くなることを願う。


「悪ぃ……結希」


「謝んな。お前はそこで堂々としてろ」


「そうだな。それでこそ風丸だ」


「ッ!? ヒナギク?!」


 次々と義姉妹たちが戦闘に加わっていることには気づいていたが、結希と風丸の傍に着地したヒナギクは不可解そうに眉を顰める。


「何故そんな驚いた顔をするんだ」


「いやだって、来るって思わ……」


「貴様らが戦っているんだ。ならば私も戦いに出るべきだろう?」


 半妖はんよう姿のヒナギクは、熾夏と亜紅里を交互に見つめて状況を把握する。亜紅里を乗っ取った天狐は牙を剥いており、隙があればヒナギクのことも殺そうとしていた。


「亜紅里にはお仕置きが必要なようだな」


 ヒナギクと亜紅里が戦うのはこれで二度目だろうか。一度目はヒナギクが追い込まれていたが、二度目はそうとは限らない。熾夏という協力者がいるのだから。


「地下の人間はすべて八千代やちよに任せてきた。八千代も八千代で戦っている。亜紅里、この戦いを終わらせることができるのは貴様だけなんだぞ! 戻ってこい!」


 亜紅里と戦ったあの日からずっと、ヒナギクは亜紅里を信頼している。そのヒナギクの信頼に応えようとしていたことを知っている。


『ナンドモイワセルナ、アグリハシンダ、シイカモコロス』


「お前にそんなことができるわけないだろ!」


 襲いかかってきた狐火は、ヒナギクの薙刀があっさりと仕留めた。風丸を簡易結界の中に入れた結希は瘴気が蠢く中でもしっかりと立ち、少しずつ体が蝕まれていくのを感じながらも思いを告げる。


阿狐頼あぎつねよりが最高傑作なら、その娘の阿狐亜紅里は歴代最強だ! 亜紅里! 証明しろ! 阿狐亜紅里ここにありと! お前はお前だ! 目を覚ませ!」


『ムダナコトヲ』


「──ハッ!」


『ッ』


 死角から飛び出してきた熾夏の回し蹴りを腕で受け止め、亜紅里の顔が嫌悪に染まる。


「私もそう思うよ、あぐちゃん! 君はこの私から逃げることができたんだから! 自分の力を信じて!」


「そうだぞ亜紅里! 熾夏さんは妖目家の歴代最強なんだからな!」


『ナゼ? ナゼ? ナゼ、アグリヲモトメル』


「亜紅里は私の大切な仲間だ! 私たちから亜紅里を奪うその重罪、死んで償え!」


 瘴気の中に消えた熾夏と亜紅里をヒナギクが追った。


『アグリハワタシダ、ワタシノ〝イトシゴ〟ダ』


 瘴気の中でも三人の影がよく見える。そうなるくらいに辺りを覆っている瘴気の色が薄くなっていた。


『ワタシタチハ〝チ〟ガツナガッテイル、オマエタチニハ〝チ〟ガツナガッテイナイ』


「だから何ッ!」


 熾夏の声が心に響いた。


『アグリハワタシノ〝ウツワ〟、ワタシノ〝モノ〟、オマエラノ〝モノ〟デハナイ』


「痴れ者がッ! 亜紅里は貴様の物でもない!」


「血と血の縁は何があっても切れない、そんなのは最初からわかってた! みんなわかってたよ! それでもあの愛が偽物だったとは思わない! だから私は、家族になりたい人を家族って呼ぶ! 離れ離れになったとしても! あぐちゃん、私は君のお姉ちゃんになりたい! 君の人生をそんな風には終わらせたくない!」


「──馳せ参じたまえ、エビス!」


 瞬間に弧を描いて投げられたのは、禍々しい雰囲気を纏う刀だった。


「熾夏ッ!」


 右手でそれを掴んだ熾夏は、エビスを使って刀を託した涙に微笑む。


「涙先輩、愛してるよ!」


 熾夏が抜刀したそれは、《紅椿あかつばき》だった。


 《紅椿》が纏っている瘴気に似た黒い霧は結希の目にしか見えないのだろうか。涙に《紅椿》を持ってくるように頼んだのは結希だが、《鬼切国成おにきりくになり》よりも呪いに蝕まれたその刀に近づくことを──間宮まみや家の血が拒絶していた。


「血がすべてじゃない」


 呟いて、自分へと伸びる無数の鬼の手を振り払おうとする。《紅椿》はその間、絶え間なく──明日菜と同じく瘴気をその身に吸収していた。


 夜明けはまだ来ない。それでも、見渡すと一人一人の顔が見える。夥しい数の妖怪がいることを目で認めて息を止め、その中心が椿つばきであることに遅れて気づく。

 椿も、義姉妹たちも、陰陽師おんみょうじたちも、式神しきがみたちも、町から溢れてくる妖怪を限界まで塞き止めていた。輝く命を燃やし、血を流していた。


「結希……なんで、こんなことになったんだ?」


 大地に頭を擦りつけて問うた風丸は、思い出そうとするかのように数度頭を打って自傷する。


「生まれてしまったから……」


 零れた言葉は、結希の言葉だったのか。


「憎んでしまったから……」


 結希の中で眠る誰かの言葉だったのか。



「……愛してしまったから」



 だから命を懸けて戦ってしまう。結希は拳を握り締めて、間宮宗隆そうりゅうの術を唱えた。

 紅葉くれはの札の効果でそう見えているだけなのか、視界に入る世界から瘴気がすべて消えていく。もう二度と見れないと一瞬でも思ってしまった透き通った空気。透き通った空。


『オマエッ!』


 天狐の憎しみは呪いとなり、瘴気で少しずつ崩れていた結希の体への侵入を許してしまう。だが、今さら結希を呪っても何にもならない。


「俺は、間宮と芦屋の血を継ぐ陰陽師だ」


 立っているのがやっとだったが、これだけは言わないと気が済まなかった。


「呪うなら、母さんと父さんを殺さなかった自分を呪えよ」


 亜紅里の顔が怒りに歪んだ。人差し指と中指を立て、九字くじを切る。


りんぴょうとうしゃかい──」


 空中だったにも関わらず身を翻して逃げる亜紅里は、やはり歴代最強と呼んでも過言ではなかった。

 熾夏とヒナギクが連携して退路を絶つが、亜紅里の逃げ足の速さは異常で。


「逃がすかぁっ!」


 不意に姿を現した愛果あいかの回し蹴りで地面に落ちる。


「──じんれつざいぜんッ!」


 九字は、間違いなく亜紅里を襲った。亜紅里は僅かな呻き声を上げただけですぐに立ち上がり、右足で地面を踏みつけて叫ぶ。


「私の中から出てけ! 出てけ出てけ出てけ出てけ! これ以上自分を嫌いにさせるなッ!」


 その地団駄は大地を揺らした。


「これ以上! これ以上ッ!」


 その言葉は、誰よりも亜紅里自身が自分のことを赦していない証拠だった。


『えぇ〜、信じてよぉ。これからはちゃんと生徒会役員として二人と一緒に戦うからさぁ。……もちろん、赦してとは言わないけどね』


 笑顔の下で誰よりも苦しんでいた亜紅里を赦せるのは──



「ありがとう、亜紅里。殺してくれて」



 ──天狐の傀儡になる為に生まれてきた、衣良いらだけだった。


 衣良に背後から抱き締められた亜紅里は動きを止め、恐る恐る振り返る。声なき涙を流していた衣良は、亜紅里が救った唯一の命だった。

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