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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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十五 『遠い未来で』

 咄嗟に口元を手で覆う。今まで見てきたどの瘴気よりも濃度が高そうに見えるそれに触れたら、自分たちは一体どうなるのだろう。


「結界を張ってください!」


 ククリに命じられてすぐに張った。ククリがそう判断したように、この瘴気は普通ではない。明日菜あすな風丸かぜまるだけでなく、陰陽師おんみょうじでさえも毒になる瘴気だ。それは辛うじて残っていた生命である雑草を枯らし、徐々に戦場を覆っていく。何度も何度も祓っても、またこの世界を襲ってしまう闇の力は何よりも強力だった。


「私にはいいッ!」


 苦しそうに顔を歪めても、決して膝をつこうとしない亜紅里あぐりが叫ぶ。


「私は半妖はんようだぞ! 死にはしない! 私たちの動きも封じてどうするんだ!」


 その姿は瘴気に覆われ、同じ結界の中にいるククリと千里せんり以外の全員が、消えてしまったように見えた。


「アタシも要らないッ!」


 手と手が離れた瞬間に貫いてくる寂寥感を祓うように叫ぶのは椿つばきで、まだすべてが断絶されたわけではないと前を向く。


「アタシが一番瘴気に強いからッ! ここじゃないとみんなの役に立てないからッ! だからッ、守らなくていいからッ! アタシはもう弱くないからッ!」


 泣き叫ぶような声が結希ゆうきの鼓膜を振るわせた。胸が締めつけられるような、命が終わるその瞬間のような──自分を襲うこの切なさはなんなのだろう。


「お願い結兄ゆうにぃ!」


 椿は、初めて会ったあの日からずっとそう呼んで慕ってくれていた。毎日毎日一歩前を歩いていた愛果あいかの背中が恋しくて、一歩後ろを歩いていた椿の笑顔が忘れられなくて。二人の泣いた顔も怒った顔も覚えていて、これからも見ていたいと思えて。


『それって……! 結兄までアタシのことを足手纏いだと思ってるってこと!?』


 そんな特別で大切な子を、これ以上傷つけたくなかった。足手纏いなんかではない。何度そう言ったとしても椿はきっと信じないだろう。

 命を懸けてこの場所で戦っていた愛果と心春こはるの間に産まれたという事実が消えない限り。月夜つきよ幸茶羽ささはが能力に目覚めたという事実が消えない限り。


「わかった──」


 椿にそんな風に願われたら、なんでもかんでも叶えてあげたくなる。


「──頼む!」


 亜紅里と椿、そして熾夏の結界を解除した。熾夏は狡い人間だ。結希が結界を解除するとわかっていて、何も言わずに待っていたのだ。この状況の解決策を考えながら。


「まぎっ、真菊!」


 呼んですぐに躊躇ったが、この瘴気の中にいる彼女にしか頼めないことがある。


「何!」


 返事があったことに安堵した。こんな状況になっても無視してくる彼女ではない。


「町役場から盗った巻物の中身って読んだのか?!」


「はぁっ?! 読む暇もなく貴方に盗られたわよ!」


「だよな……」


「確かに、禁術を少しでも多く知っていたらこんな状況になる前に倒せたでしょうね」


 肩を落とした結希の呟きに対し、ククリがあからさまに溜息を吐く。


「あれって誰の命令だったんだ?」


阿狐頼あぎつねより……いえ、天狐てんこです。真菊様たちに話をしたのは雅臣まさおみ様ですが」


 禁術を得た真菊に戦いを挑んだら、きっと勝てなかっただろう。そういう意味では取り返せて良かったが、これでもう打つ手がなくなってしまった。今知っている術では──あの間宮宗隆まみやそうりゅうの術では、勝てない。


「…………」


 瘴気を完全に祓えないわけではなかった。だが、千羽せんばと生み出したあの術は、人を犠牲にする術だ。


 自分自身が〝最後〟であることはわかっている。


 だが、それは今なのだろうかと迷う。迷ってしまう。そんな時間はどこにもないのに。それが正しいとも思っていないのに。


「結希君」


 千里の手が肩に触れた。


「私は結希君が何を考えているのかはわからないけど、抱え込んでいることはわかります。結希君はこの町のヒーローですし、自分がなんとかしなきゃって思う気持ちもわかります。だからこそ、私を頼ってほしいんです。そうしてくれなきゃ嫌なんです。私は結希君と対等になりたいから」


 千里はまだ諦めていない。それがわかってしまうくらいに命に溢れた瞳だった。それが、現状この世界でただ一人の〝貫く者〟である千里だった。


「もう充分頼ってるよ……」


 そして、充分過ぎるくらいに救われていた。


「……義彦よしひこ!」


 結界の中に瞬間移動で入ってきたのは、結界を拒んで辺りを歩いていた義彦だった。千里が諦めていないということは、自分も諦めていないということで。明治時代の陰陽師である義彦ならば禁術を知っているかもしれない──そう思ったが、義彦は首を横に振った。


「千年前の禁術を百年前の俺が知ってるわけないだろ、罪人」


 義彦は結希が間宮家の人間であることを知っていた。間宮家への憎しみは消えていないらしく、美歩みほの中に間宮家の血が流れていなくて良かったと安堵する。


「結希君は罪人ではありません」


「千里、いいから」


 半妖を殺し続けた義彦には何を言っても無駄だとわかっていた。千里は納得していない表情を見せていたが、結希に従って口を閉ざす。


「弟クン」


 結界がノックされた。解決策を探す結希の元にやって来た熾夏は、「あのね」と言葉を続ける。



「天狐が死んだ」



 その言葉をずっと待っていたが、妖怪にも神にも死という概念がないことを知っている結希は素直に喜ぶことができなかった。


「厳密には死んでないんだけど、天狐はもう力を出すことができないし、実体を持つこともできないから、死んでるのと一緒だよね」


 そういうことだと思っていた。神は、名と記憶と祠で存在することができる存在なのだ。

 名を奪われ、人々の記憶の中から消え去り、祠を破壊された天狐は永遠に神にはなれない。天狐は一生何者でもない何かとして──名もなき何かとしてこの世を彷徨うことになるのだろう。美歩に討伐された義彦にさえなれずに。


「負けないって信じてるけど、後はあぐちゃんが自分の中にいる天狐に勝てば、天狐はもう二度と私たちの前には現れない。けど、そうなった時、世界が真っ黒のままだったら──それは私たちの負けだよね?」


「……わかってます」


「弟クンは、どこまでだったら許せる?」


「……なんのことですか?」


 ごくりと唾を飲み込んだ。間近にいるはずの熾夏の顔さえ見えない瘴気が憎たらしい。



「明日菜ちゃんは《伝説の巫女》だよ」



 そのことに気づいていない明日菜ではなかった。


「ッ!」


 瘴気のせいで気配が紛れて気づけなかったが、結界の中にいる明日菜は今まで通りの明日菜ではなかった。


「私はもうこれしかないと思ってる。これが一番、誰のことも犠牲にせずに瘴気を消せる方法だと思ってる」


「でもそれは明日菜が!」


 《伝説の巫女》とはいえ、瘴気に強いわけではない。《伝説の巫女》も瘴気に苦しむ。そのことを知らない熾夏ではないはずなのに。


「あぐちゃんも苦しんでる。戦ってる」


「……それとこれとは話が違います」


「そうかな。あぐちゃんは自分の意思で天狐に飲み込まれた。明日菜ちゃんは、自分の意思で瘴気を飲み込んじゃ駄目なのかな」


「熾夏さんは明日菜の姉じゃないんですか?! どうしてそんなことをさせることができるんですか?!」


 熾夏ならば絶対に許さないはずなのに。


「……知らないわけじゃないでしょう? 私は最低最悪の化け物なんだよ?」


 そんなことはないと知っていた。熾夏は──熾夏という人間も、泣いて、笑って、怒って、誰かを愛して、誰かに愛されている。そうだ。熾夏という人間は、他の者の為に汚れることができる九尾の妖狐と百目の半妖なのだ。


「同じ妖目おうまの人間、妹なのにね」


 声を震わせている熾夏は、実の妹に対する血も涙もない感情に結希よりも戸惑っているようだった。だが、逆だ。同じ妖目の人間だからだろう。


(……とおい、みらいで……)


 結希の中に間宮家の血が流れているように。


(……わたしの、たましいが、あなたのおやくに……たてますように)


 熾夏と明日菜の中には妖目家の血が流れている。


『──宗隆とあけぼのの魂を持つ者よ──』


 その言葉に間違いがないなら、結希の結界の外に出ようとする明日菜のその行動に説明がついた。


「けど安心して。私は明日菜ちゃんに救ってもらったから、明日菜ちゃんのことは何があっても絶対に守る」


 熾夏の気配が離れていく。結希はただ、長い長い息を吐いた。

 瞳を閉じて集中すると、この場に集った全員の気配を感じることができる。ティアナは心春を連れて上空まで逃げており、真菊たちの結界が式神たちとレオたちのことを守っており、椿が一人、瘴気に引き寄せられた妖怪のことを殺し続けている。


「────」


 瞳を開いた。天狐の無力化に成功しても、百鬼夜行はまだ終わっていない。鍵となるのは、やはり《伝説の巫女》である明日菜だった。


「千里、ククリ、義彦、姉さんたちと合流してほしい」


「姉さんって、結希君のですか?」


「すぐそこまで来てる」


「……確かにいるな。全員化け物みたいだが」


 千里とククリは頷き、結界の外に出る。式神は妖怪の一種だ。彼女たちも、義彦も、死にはしない。


「罪人」


「俺の名は結希だ」


「間宮の人間の名なんかどうでもいいんだよなぁ」


「じゃあ話しかけるな」


 結希は義彦のことを快く思っていない。彼がモモの先祖であっても。


「そんな態度を取っていいのかぁ? お前は間違いなく神殺しの罪人だよ。そんで、《天空てんくう》を使いこなせてない罪も背負ってる」


 振り向いた。義彦は冷たい笑みを浮かべている。


「《天空》……」


 義彦の時代ではそう呼ばれていたのだろう。確かに牛鬼もそう呼んでいた気がする。


「そいつは空を斬った。この意味がわかるだろ?」


「……え」


 空を斬ったことに疑問はない。この刀が《鬼切国成おにきりくになり》である限り。だが、それだけの言葉では何も伝わってこない。


「わかれよ。空を斬ったんだぞ?」


 空、そう言われて瘴気に隠された天を探した。


「──あ」


 義彦も姿を消す。悔しいが、礼を言おうと思っていたのに。


「そういうことか」


 ならば結希にも明日菜を守ることはできる。《鬼切国成》を抜刀して結界を解除した結希は、周囲の瘴気を斬った。

 空を斬り、神を斬った《鬼切国成》に斬れないものはない。瘴気がない空間を作った結希は瘴気だけを斬って道を切り開き、明日菜と風丸がいる結界へと駆ける。


「明日菜ッ! 風丸ッ!」


「ゆうきちッ!」


 その結界も、解除した。明日菜は周囲をぐるりと見回し、隣に降りてきた姉を見上げる。


「お願い、助けて」


 熾夏がそう縋る相手は、これから先も明日菜だけだろう。明日菜は頷き、両手を広げて空を見上げる。


「風丸、お前も俺と熾夏さんから離れるなよ」


「あったり前だろ! 離れたら死ぬ!」


 きちんとこの状況を恐れている風丸なら大丈夫だ。間を詰めてくる瘴気を斬って風丸を守る結希は、密かに亜紅里の気配を探す。




 コノウラミ、ハラサデオクベキカ




 禍々しい気配が瘴気に紛れて飛んできた。瘴気の中から姿を現したのは、体中に紫色の痣が走った亜紅里だった。


「なっ」


 想定していなかった最悪が嗤う。亜紅里の蹴りを腕で受け止めた熾夏は、「任せて!」と──ただそれだけを叫ぶ。


「お願いします!」


 応える明日菜に瘴気が襲いかかった。明日菜を守ることは、妖目家の二人に対する冒涜だった。


「うぁあっ……!」


 苦しむ明日菜と亜紅里を見ていることしかできないこの状況に、結希も苦しむ。

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