九 『また次の』
「ふっ、はははっ!」
「何笑ってんだよお前!」
笑われるようなことは何も言っていない。危機感のない風丸に本気で怒っても意味はないと経験上理解しているが、状況がどれほど深刻なのかはわかっていてほしかった。
「だってっ、お前前にっ、ほら、熾夏さんの儀式の時にさぁ、狐祓いのプロフェッショナルなのかって聞いたらそうだって言ったじゃん! あれ嘘だったのに本当に狐祓いみたいなことしようとしてるから……!」
「笑い事じゃない! 天狐が今亜紅里を乗っ取ろうとしてるの! 乗っ取られたら亜紅里の魂が死ぬの! 妖目たちは今から亜紅里を助けに行くの! 風丸は?! どうするの!」
「えっ、殺すってそういうこと?! やべーじゃんどうするってなんだよ俺も行くよ!」
「お前ならそう言うって思ってたよ!」
自分が行って、明日菜も行くなら、風丸だってついて来る。それは、いつもの自分たちとは逆だった。
風丸が先頭を走って、明日菜が結希の手を引いて、必死になって二人について行ったあの日はもう戻ってこない。それでも、今でもこうして三人揃って手を取り合って、同じ場所へと走れること──これは奇跡の一粒だと思った。
先に本殿から出て空を確認する。闇を祓おうとする光が見えるが、あと一歩が届かない。そんな色のままだった。
「で?! どこ行くんだよ!」
「妖目家近くの森!」
「なるほど……お前らもしかして俺のことついでに助けに来た?!」
「ついでだけど?」
「酷い! 土地神の俺が泣いてるぞ?!」
「元々助ける予定だったよ! 予定がめちゃくちゃになっただけで! ッ、二人とも! 俺から絶対に離れるなよ!」
「離れるつもりはないけど……うごぇっ?!」
「……妖怪ッ!?」
小倉家から離れると溢れ出す妖怪の数々は、間違いなく三人の命を狙っていた。
結希はすぐに結界を張り、襲いかかる妖怪へと飛ばして道をこじ開ける。
「すっげぇ! けどなぁそういう戦い方でこの数いけんのか?!」
風丸は鋭い。二人を守る為に妖怪殺しを躊躇わなくなっても、式神を呼び出せない時点で結希は既に詰んでいた。
それは先に行っていた真菊と春と紫苑も同様で、角を曲がると足止めを食らっている三人が視界に入る。矛を持たない三人は結界という盾を張って耐え忍んでおり、結希は口を大きく開いた。
「──馳せ参じたまえ、イザナミ!」
あまりにも早すぎる呼び出しだったが、それに応えないイザナミではなかった。
「──馳せ参じたまえ、イザナギ!」
イザナミを失いたくない結希は願う。
『壊されたのはククリが勝手に作った式神の家よ。わたくしたちが暮らしているところを見てくるわ』
芦屋家の式神はククリとイザナミだけではない。ならば、一番可能性の高い残された式神の名は──イザナミと対になっている彼しかいない。
「ほほほほほほっ! 坊ちゃん、貴方最高よォ! 貴方を信じて良かったわァ、イザナギ! イザナギ! 起きなさい! 戦の時間よォ!」
二つの突風が結界に群がっていた妖怪を抉った。一つは青緑色のイザナミで、もう一つはカグラよりも真っ赤に染まった男型の式神──イザナギだった。
その色はイザナミの補色になっているのだろう。他所の家の式神なのに対のようになっていたヤクモとナナギとは違い、完全な対のように見える。そう。最初から片割れとして生まれたかのように服のデザインまでイザナミと揃えられているのだ。
年齢もイザナミと大差ない三十代前半で、他のどの式神よりも長身に見える。
柘榴色の髪は手入れをしていないのか乱れており、茜色の着物が羽織られているだけの上半身はカグラやゲンブよりも筋骨隆々で驚く。下はきちんと男袴を履いているようだったが、途中で破いたかのように途切れており──着崩していなかったイザナミとは正反対の風姿だった。
イザナギは閉じていた瞳を開いて世界を得る。
「────」
イザナギは何も言わなかった。
真菊が張った結界の上に着地して、太刀を握り締めて妖怪を片っ端から切っていくイザナミを眺めている。呼び出して良かったのだろうか、そんな不安が過ぎった瞬間イザナギが消えた。
「ッ?!」
どこに。そう思った瞬間に背後からも妖怪の断末魔が聞こえてくる。振り返ると、槍を持ったイザナギが上から妖怪を叩いていた。
「ひぎゃあ?!」
刀よりも恐ろしい、肉体が壊れる音がする。それを無言のまま、平然とした様子で続けているイザナギは何者なのだろう。
舞ったイザナミもイザナギに負けていなかった。一気に突いて妖怪を片づけていく。結界に集っていた妖怪はいなくなった。結希は思い切って結界を消し、風丸と明日菜を両隣につけて三人の元へと駆けていく。
「真菊! 春! 紫苑! 行くぞ!」
「行くけどよ! なんだよあの式神! てめぇまた増やしたのか!?」
「あの二人は芦屋家の野良の式神だよ! だから契約してなくても呼べる!」
「ちょちょちょちょちょっと待った! なんで義弟くんがいんのここに!」
「三人も陰陽師なんだよ!」
「なんでっつーのはこっちのセリフなんだけどなぁ! 兄さん! この二人ぜってー足手纏いだろ!」
「いや、そうとは限らない!」
「何言ってんのよバカ! その二人は女狐に操られるんじゃないの?! だったら役立たず! 足手纏い!」
真菊の言うことには一理ある。だが、今まで見てきた古の記憶が二人のことを求めていた。
「天狐は俺たち三人の命を狙ってる!」
三義姉弟の視線を感じる。風丸は薄々気づいていたのだろう、驚いた様子はなかった。
「俺たちに勝つ為に二人のことを操るかもしれない! けど、天狐に余裕がなかったら真っ先に殺されるかもしれない! どっちにしろ俺の結界で二人のことは絶対に守る! 俺たちが囮になるから、三人で叩いてくれ!」
結希の脳裏を過ぎったのは、潰されて亡くなった清行だった。
本人を自らの手で殺したからか、雅臣を生かして利用していたように結希を殺す確率は限りなく低いように思える。結希を殺そうと真っ先に動き出したとしても、今の自分ならば一矢報いることはできるはずだ。
一定の距離を保ってついて来ているイザナギとイザナミがいて、間宮宗隆が唱えた術があれば。《鬼切国成》があれば、きっと。
「結希君!」
瞬間に姿を現した千里は、並走して状況を報告した。
「みなさんに伝えました! ティアナさんたちも加勢してくださるそうです!」
「わかった! ありがとう千里!」
「えっ?! せっちゃん?! なんで?!」
「千里は式神と人間の半妖なんだよ。で、俺の式神」
「おい! 増えてんじゃねぇか!」
「そうだけど、正式に契約したのはスザクと千里だけだよ」
「正式とかもう関係ないでしょ。どの式神もあんただけは生かそうとする。ヤクモとか見てるとそう思うよ」
「ほんっと嫌い! なんなのあんた! 女狐殺したら殺してやる!」
殺せるか殺されるかもわからないのに、真菊は未だにそんなことを言う。これは百鬼夜行でもあるのだ、襲われないのはイザナギとイザナミの援護があるからで、それを見た千里が手を伸ばす。
「千里?」
彼女は、瘴気が夜明けを阻む空を掴もうとしていた。
「千里、こう!」
軽く手を振って見せる。明日菜と風丸には不可解そうな表情をされたが、千里には意図が伝わっていた。
結希に合わせて右手を振った千里の手の中に出現したのは剣で、どれほどじっと見つめても刀ではなく剣にしか見えず、結希は混乱する。
「ほほほっ。珍しいわねェ」
近づいてきたイザナミは、興味深そうに千里が持つ剣を見ていた。
「イザナミこれは?!」
「ツルギよ。わたくしたち刀持ちはすべてを〝断ち切る者〟なの。けれど、剣はそうじゃない。貴方は何かを断ち切るのではなく、〝貫く者〟なのかもしれないわ」
それは、とても千里らしいような。なんとも言えなくて千里を見つめる。千里はじっと、自らの物になった無銘の剣を見つめていた。
大地が震え、千里がそれを手放さないように握り締める。近い──それとも、別の妖怪が暴れているのだろうか。こんなにも必死になって走っているのにまだ着かない。鈴歌という存在のありがたさを思い知る。
「あっ、あれじゃねぇか?!」
紫苑が指差した先を見ると、森から顔を出した天狐がいた。まだ遠い、遠いからこそ天狐の巨大さを嫌というほど思い知る。戦う前に心が折れてしまいそうだ。そんな戦いをずっと続けている大切な家族がそこにいた。
見えてきた妖目総合病院の屋上。そこに愛果の妖力を感じる。向こうももう気づいているのだろう、視線を感じた。
「真菊! 春! 紫苑! 俺たちが先に行く、天狐から見えない位置で援護してくれ!」
「あんたって男は……! ほんと自分勝手! ちゃんと囮やらなかったら殺すからね!」
二手に分かれ、三義姉弟をイザナギに託す。イザナミには千里の援護を頼み、妖目総合病院の裏側を走って森へと足を踏み入れた。
「結希!」
瞬間に飛び下りてきた愛果を一目見て、涙が溢れそうになる。その声が聞きたかった、その顔が見たかった、忘れていた自分を殴ってほしいと思っている。
「勝てる?!」
拒まれなかった。勝ちたい、勝たなければならない、そう思っている彼女にそう尋ねられて思考が止まる。
『で? 今度こそ勝てんのか?』
みんなが自分に勝利を見る。
「勝つ!」
それだけしか言えなかったが、それだけを彼女に言いたかった。ここに立てない家族の分まで、絶対に負けるわけにはいかなかった。
「おう! あいつ倒したら全部終わるんだろ?!」
「みんなを助けて、みんなで帰ろう!」
二人の未来の為にも。今まで出逢ったすべての人々の未来の為にも。
また次の千年の為にも。




