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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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七  『神に非ず』

 とある野狐やこは千年を生きて天狐てんこになった。神同然の存在となった天狐は、自らが最も立派な狐であると信じて疑わなかった。

 狐の位を決めると言っても過言ではない尾の巨大さに野狐がひれ伏した瞬間は快感で、土地神に認められた瞬間は幸福で、人々に神として愛された瞬間この世のすべてを手に入れたと錯覚した。人々を化かす力が失いかけた頃に見たのは立派な九つの尾を持つ狐だった。


 天狐が深い絶望に包まれたのは言うまでもない。


 すべての野狐がひれ伏したのは九尾だった。土地神が九尾を認めず人々が九尾に石を投げても、天狐は自らの尾を受け入れることができなかった。


『クウ、クウ、オマエヲクウ』


 目障りな奴を喰って消し、自らが立派な九つの尾を得よう。そうしてまたこの世のすべてを手に入れよう。


『天狐、其方は最早神に非ず』


 土地神よ。何故見捨てる。美しかった白の毛並みが銀にくすむ。変わらなかったのはたった一つの巨大な醜い尾で、何もかもが天狐の思い通りにいかなくて、天狐は牙を剥く。


 堕ちた神は大妖怪として名を馳せた。


 そうなりたかったわけではない。すべてが狂ったのはあの九つの尾が目の前に現れた日からだ。

 また九尾が現れる。九尾は嗤っていた。天狐は嗤うことができなかった。


 目の前にいるのはすべてを狂わせた元凶である九尾の妖狐だ。奴のせいで世界も自分も狂ったのだ。


 潰してしまいたかった。暴れてしまった。九尾を守るように現れた陰陽師おんみょうじのことが、憎くて憎くて仕方がなかった。


『天狐、おまえの気持ちはわかる』


 何もかも踏み潰したと思っていた。そんな中で唯一届く人の声があった。


『憎いんだよな。悔しいんだよな』


 耳に何かが掴まっている。誰だ。誰だ、お前は誰だ。


『おれは芦屋清行あしやきよゆき。おまえの声が聞こえる陰陽師だ』


 優しい声だった。


『おまえの気持ちはわかる。おまえがそうなってしまうのはわかる』


 人の声だった。


『だが、人の世を壊すのは間違っている』


 声だった。


『九尾のことも許してやってほしい。あいつは人を揶揄うことが好きなんだ、神であるおまえが構うほどの相手じゃない。頼むから、自分を取り戻せ──』


 許せるものか。叩き潰した九尾が逃げる。どこに行った。見失った。逃がさない。

 逃げる九尾を見つける。九尾は何を咥えている? 人でもない、妖でもない赤子が、奴の力を纏っている。


 あれはうめと同じだ。生かしておけぬ。


 もう一度叩き潰した。喰おう、奴を。そしてあの尾を我が身に。



りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!』



 掴んでいた九尾が消え去った。逃げたのではない、殺されたのだ。

 九尾を殺したのは、清行でも宗隆そうりゅうでもない。


『おれが相手だ! ──!』


 九尾が投げ出した赤子を抱き締めて、切先を天狐に向けていたのは、星明せいめいだった。

 悪寒が走る。星明に対してではない。星明が握り締めているあの刀──今の名は《天空てんくう》だったろうか。それが恐ろしい。


『星明ッ!』


『清行?! おまえ何故そんなところにいるんだ!』


『天狐を切るのは止めてくれ! 頼む!』


『何故!』


『天狐が恨んでいたのは九尾だ! そいつが消えた今、天狐が暴れる理由はない!』


『見逃せるものか! 天狐は人の世を荒らした大妖怪だぞ!』


『土地神様から見放されても、天狐は天狐だ! それは神殺しだぞ!』


『そんなわけないだろう! 神は土地神様だけだ!』


 清行を振り落とした。落ちていく清行を式神しきがみで抱き留めた星明に睨まれる。その腕の中の赤子には忌々しい九尾が生えていた。




 コノウラミ、ハラサデオクベキカ




 恨みは消えない。いつまでも、永遠に。あの赤子が生きていて、あの九尾の命が繋がっていく限り、永遠に。


『ギャァァアァ?!』


 瞬間に刺された。何に? 首から何かが溢れ出す。止まらない。これはなんだ。


『恨むな、天狐……!』


 清行が何かを自分の体に投げたらしい。今でも深く首元に刺さっている。暴れ回っても抜けない。何故。


『頼むから、それ以上、堕ちないでくれ……!』


『清行ッ! 星明ッ! 無事で良かった! 父様と母様は?! あけぼのが死んだ!』


 梅が来た。人でもない、妖でもない、化け物の子。梅の存在が赤子を生んだ梅への恨みも消えはしない。


『なっ……?! 悪いが二人のことは知らん!』


『梅! おまえは二人を探したいだろうが、少しだけおれたちに力を貸してくれ!』


『天狐……また貴様か! また私の邪魔をするのか!』


『ジャマハオマエダ』


 梅が太刀を抜いた。宗隆が梅に継承した間宮まみやの刀は、天狐に初めて傷をつけた刀で。とても憎たらしい名前がついた刀だった。

 清行を殺しても首元の痛みは消えない。星明と赤子を担いで逃げる梅を追う。痛みが走る。血が迸る。消えてしまうらしい、神になった代償として払った人々を傷つけてしまう力が。ここで死ぬのか? 神殺しは清行になるのか。あの男への恨みも募る。ここで死んで堪るものか。清行の子孫も、梅も、赤子も、生きている。いや、赤子──そうだ、赤子だ。


 同じ手を使った。地の底まで堕ちていることに気づけなかったが、恨みを晴らす為ならば構わなかった。


 女の腹を破って生まれた赤子を喰らう。そうして天狐は自らの命をつけ足した。

 次の世代も。そのまた次の世代も。星明の手によって変わり続ける世を眺めながら、妖目おうまと名を変えた奴の一族を追い続ける。


『おかあさまぁ、どうしてあの子にはしっぽが〝きゅうこ〟あって、わたしには〝いっこ〟しかないのかなぁ』


 我が愛し子よ。お前もそう思うか。天狐の思い通りに事が運ぶ。


『それはね、あの子がお前から尻尾を八つ奪ったからだよ』


『えぇー! ひどい! どうしてそんなことしたの!』


『それはね、あの子がお前のことを心の底から憎んでいるからだよ』


『そうなの? でもね、前にね、あめくれたよ!』


 だからなんだと言うのか。妖目には心を許すな、あの家は我が家の敵だ。次の世代にも、また次の世代にも、そう教える。

 我が愛し子たちよ。お前たちは本当に愛しいね。何もかもが思い通り。早く妖目が滅べばいいのに。狐条院こじょういん家が百目ひゃくめに犯されたと聞いた日はついに滅んだかと満悦したのに。狐条院家は百目の力を得て、隙がなくなった。


 二つの妖の力で滅べば良かったのに。その時に妖目を救ったのは、間宮だった。


 梅を生み出しただけでなく妖目を救った間宮家のことも、我が身を殺した芦屋家のことも、赤子を救った結城ゆうき家のことも、許せそうにない。


 気に入らないものが増えていく。また千年が過ぎていく。

 もう一つの千年で天狐が唯一気に入ったのは、白院はくいんえぬ万緑ばんりょくを妬ましそうに眺めていた愛し子、阿狐頼あぎつねよりだった。


『頼、どうしたのですか?』


 声をかける。


『……おかあさま』


 縋るように自分を見上げた十歳の頼の頭をできる限り優しく撫でた。


『ねぇ、わたしはトクベツなんでしょ?』


『えぇ、そうですよ』


 阿狐家は他の《十八名家じゅうはちめいか》とは違う。神である天狐から生まれ、天狐の為に生き天狐の為に死ぬ。特別な一族なのだとずっとずっと教えてきた。

 だが、《十八名家》は平等を謳っている。だが、いつの世代だったかは忘れたが、白院家が半妖はんようの総大将を名乗り始めた。目障りだ。妖目家も。白院家も。どいつもこいつも。


『大丈夫ですか? 頼』


『おかあさまと一緒にいたら平気』


『……そう。あまり無理はしないようにね』


『うん。おかあさま、大好き』


 天狐も頼が好きだった。万緑に声をかけられても嫌悪感をまったく表に出さずにやり過ごした頼のことを、最高傑作だと思うほどには。


 この愛し子は立派な現頭首になる。そして、世界の頂点に立つ女優にもなれる。


 抱き締めてきた頼を抱き締め返す。……あぁ、早く。早く。


『わたくしも頼が好きですよ』


 一日でも早く。


『うん』


『あなたが半妖の力を引き継いでくれて本当に良かった。三人目を産まなくて済んだのですからね……阿狐家の次期頭首として、阿狐家の未来を頼みますよ』


 この愛し子を喰いたい。


『……うん』


 骨すら残さずに。今すぐにでも。


 《十八名家》の新年会が終わった瞬間に頼を本家に連れ去った。蔵の中で本来の姿に戻る。阿狐家の蔵は天狐が元の姿に戻る為だけに作られた空っぽの蔵だった。愛し子たちを千年も喰らい続けていた蔵だった。

 口を開け、頼を飲み込む。噛み砕くことはしない。これから天狐は阿狐頼として生きるのだから。


 かたんと不自然な物音がした。視線を動かす。見当たらない。そろそろか。姿を変える。たった今喰らった阿狐頼に。


『あ……』


 目が合ったのはもう一人の愛し子だった。


『……ね、ねーさま、今、かあさまに……食べられてないよね?』


理樹りきぃ、お前は本当に悪い子だねぇ』


 震える愛し子──いや、たった今から実弟となった一つ下の理樹の元へと歩き、抱き締める。


『上手な隠れんぼだ。お前が愛しくて愛しくて堪らないよ』


『だっ……お前は誰だ! ねーさまじゃない! かあさまでもない! お前は誰だ! 阿狐家を乗っ取るつもりか!』


『わからないのかい? お前の祖母様で、母様で、お前の姉様だよ』


『違う! 違う違う違う違う! かあさまとねーさまを返せ!』


 十歳の頼は半妖姿になることができなかった。天狐はため息をつき、彼女を早々に喰らったことを後悔する。


『わたくしはここにいますよ、理樹。理樹、わたしね、おかあさまと一緒になれて幸せだよ』


 二人の口調を、表情を、声を真似た。人々を騙すことは千年経った今でも得意だった。


『いやだ……!』


 だが、さすが愛し子と言うべきか。母親と姉が死んだことを悟った賢い理樹は、この世界を拒んで泣きじゃくった。


『どれほど泣いても、喚いても、お前のことは殺さないよ』


 殺せないこと言った方が正しいだろうか。理樹は大切な阿狐家の本家の人間。頼を支える者として産んだ唯一の人間なのだから。


『お前は賢い子だろう? このことを他の誰かに話したら、阿狐家がどうなるかわかるはずだ。阿狐家を守りたいなら、今日見たことは心の奥底にしまい込んで、さっさと子供を作るんだね』


 天狐は阿狐頼として、また新しい半妖を産む。最高傑作の娘。この愛し子が傍にいたら頼のように──実がなる前に喰らってしまう。この子は遠ざけよう。

 ずっと傍に置いていた理樹は良い子だった。十九歳で衣良いらを誰かに産ませ、天狐が阿狐家を没落させた瞬間にどこかに去った。衣良を天狐の元に置いて。衣良を生贄にして去っていった。


 何もかもが思い通り。


 さぁまた百鬼夜行を始めよう。あの日からちょうど千年が経った。天狐よりもさらに上の存在となって、気に入らないものを壊していこう。


 千年待った。千年経った。山に捨てた愛し子を取り戻そう。この手で育てよう。白に近い銀色の娘。憎い憎い銀の色──それもこの愛し子の代で終わりだ。


『だって、あたしも先約してたんだよ? 今でもゆうゆうの隣に立つべき存在はあたしだって思ってるし、他の誰にも負けない自信だってある。だってあたし、本当はゆうゆうの味方になる為に育てられてきたんだもん』


 雅臣まさおみ。清行の子孫であるお前が憎い。お前の息子として産まれた結希ゆうきも憎い。それでも使えるものは使う。


『でも、ゆうゆうはあたしのところに来る前に盗られちゃった。だから『味方になれない』って言うしかなかったし、あたしの味方になってくれるのを待つしか生き抜く道はなかった』


『……俺がお前の味方にならなきゃ、お前は殺されるのか?』


『ん〜……それはちょっと違うかな? あたしの命はあたしのものじゃないし、半妖として生まれた以上は子供をたくさん産まなくちゃいけないから』


 そうだよ。お前は産むんだ。また次の器を。お前の代で妖目家のすべての人間を滅ぼし、九つの尾を持つ狐として生きる為に。

 お前はたくさん産むんだよ。理樹という名の失敗を繰り返さないように、お前を支える者は産まなかったのだから。衣良、お前は良い子だね。理樹の分まで生きるんだよ。お前は私のもう一つの手で足だ。脳は要らない。衣良、お前は父の罪を償うんだよ。衣良、泣くな。喚くな。お前は父にそっくりだね。でも、お前だけは逃がさないよ。


 どいつもこいつも逃がさないよ。


 結希、明日菜あすな、それと風丸かぜまる

 お前を喰えば土地神になれるだろうか。


 あぁ、首元が痒い。

 結希、お前を潰したらこれも消えるだろうか。


 ゆうゆう、お願い。こっちに来ないで。

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