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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十二章 孤軍の銀狐
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五  『魂の欠片』

 甘すぎる恋のようなパステルピンク色の髪が千里せんりの動きに合わせて揺れる。以前は光の加減でその色に見えていたが、今は完全にその色のようだ。薄暗い蔵の中でも美しく見えるその髪は紅の紐で結ばれており、腰まで伸びるおさげが床に毛先をつけている。両膝をつけて結希ゆうきを見下ろしていた彼女はラベンダー色の瞳から流れる涙を強引に拭い、「良かった」と震える声で呟いた。


「一体何が……」


 言葉を漏らし、千里の左手に右手を掴まれていることに気づく。このまま無様に倒れている姿を見られることが恥ずかしくて起き上がろうとすると、全身に鋭い痛みが走った。


「あっ、起きないでください! 死にかけていたのでまだ危険です!」


「えっ」


「もう少し待っていてください!」


 そう言って、千里は結希の右手を両手で優しく包み込んだ。

 薔薇色と唐紅色の二種類の着物も、スザクと同色の菖蒲色の帯も、彼女が先ほどまで着ていた陽陰おういん学園の制服ではない。一目見ただけでそれが彼女の半妖はんようとしての姿なのだと理解する。パニエが入っているような短いスカートとその中の短いパンツのような緋袴でさえスザクによく似ていて、彼女の中の、抗えないスザクの血を強さを知る。


 だが、先祖の血を強く受け継いでいるのは彼女だけではなかった。


明日菜あすなは……?」


 隣で横たわっている明日菜に視線を移す。当代の《伝説の巫女》と呼ばれている彼女は眠っているように見えるが、千里の死にかけたという発言が胸中の不安を増していく。


「明日菜ちゃんは眠っているだけみたいです。ただ、結希君は物凄く苦しんだ後に気絶してしまって……ごめんなさい、原因って私ですよね?」


「否定はしないけど、俺が望んだことでもあるし。そんなことより千里は? 平気なのか?」


 式神しきがみ陰陽師おんみょうじの写し鏡である。命と命で繋がっている友でもあり、家族でもある。

 それは千里も知っていたようで、自分の全身を不思議そうに見回した。


「確かに痛くも痒くもない……あれ、待ってください結希君、じゃあもしかして」


 刹那の外の轟音は、結希と千里の主従の中に生まれた〝最悪〟を肯定するものだった。


「スザクッ! オウリュウッ!」


 一ヶ月も勝敗が決まらなかった戦況が大きく変わる。千里から送られてくる妖力を最後まで受け取る時間は、ない。


「明日菜! 起きろ明日菜!」


 飛び起きて明日菜を揺さぶった。千里のおかげか痛みはほとんど消えている。


「ん……んん……? あれ、ゆうきち……?」


 明日菜は無事だった。真璃絵まりえを目覚めさせたあの日、風丸かぜまるの中の土地神の記憶を見ていた自分たちと同じ状況だったらしい。


「ここの蔵の中には何がある?!」


「え、蔵?」


そうさんや御先祖様から何か聞いてないか?!」


妖目おうま家の歴史書とか、家宝とか……あと、巫女装束とか……?」


 聞いただけでは、天狐てんこに対抗できるものがあるとは思えなかった。


「千里、ありがとうもう大丈夫。全員に明日菜が見つかったことと劣勢になった阿狐頼あぎつねよりとの戦いに俺が加勢することを伝えて、椿つばきには鬼寺桜きじおう家の蔵に行くこと、るいには結城ゆうき家の蔵に行くことを伝えてほしい」


「えっ? でも結希君、貴方が阿狐頼との戦いで一番やっちゃいけないのが〝加勢〟だって……!」


「何があっても阿狐頼に操られない人じゃないと戦えないとも言ったはずだ。俺は陰陽師だから自分の身は自分で守れる」


「式神はどうするんですか!」


 結希の気絶によって、スザクは間違いなく倒れただろう。千里は半分人間であるが故か倒れずに済み、オウリュウは──



『……オーは、キミの式神。キミが、オーの、最初で最後の主』



 ──オウリュウ、は?


 式神は主と共にある。主でない者には従わない。思えば結希は、オウリュウと一度も契約を交わしていなかった。

 オウリュウは野良の式神だ。それでも間宮まみや家の式神ならと呼び出し続けて、オウリュウがずっとそれに応じてくれていたおかげで、自分も他者も結希の式神だと認識していただけなのだ。


「オウリュウは?!」


 希望に縋った。


「オウリュウもダメです!」


 また絶望に包まれる。


「シケたツラしてんじゃねぇよ」


 現れたのは、その色に染まったゲンブだった。ゲンブは千里の頭部をわしゃわしゃと撫で、「〝なった〟ならつべこべ言わずにさっさと行け」と忠告する。


「っ」


 その言葉に傷ついたのかと思ったが、そうではなかった。


「はい! 行ってきます!」


 決意を胸に千里は飛ぶ。ラベンダーの匂いだけが残ったせいか、ゲンブは鼻を乱暴に擦った。


「スザクとオウリュウの代わりならやってやるよ」


「頼む」


 たった今、ビャッコとセイリュウが加勢した。そのことは結希だけでなく、遠く離れた千里も気配でわかっただろう。


「で? 今度こそ勝てんのか?」


 その今度こそはこの一年の話ではなかった。千年だということは、結希とオウリュウだけが知っていることだろう。


「勝つしかないんだよ」


 今日を逃したらもう二度と勝ち目はない。千里と同じく決意が揺らがなかった明日菜の瞳が結希を見つめている限り、負けは認めない。


「それが答えなら、てめぇを信じて命かけてる奴ら全員に謝れよ」


「誤解させたらごめん。勝算はある」


 昨日までの自分だったらこうは言えなかっただろう。自らの力が明日菜に触れたことによって見えた記憶は、すべてが失ってはならない記憶で。

 あけぼのが力を貸してくれたのかは定かではないが、あの記憶を抱き締めていれば、阿狐頼には──天狐には勝てる。


 だが、あと少しだけ何かが足りなかった。


 欠けているのは忘れてしまった四人の義理の姉妹なのか、千年前の記憶なのか、刀なのか。それとも。


「なんだよその勝算って……」


 ゲンブの声を掻き消した轟音は、あまりにも近くで発生したものだった。衝撃が伝わって立てなくなり、明日菜を支えてゲンブに後方まで引っ張られる。


「……あったとしても、もうアウトだな」


 その言葉は結希を貶すものではなかった。ゲンブと同じく視線を移し、ぐにゃりと曲がった門を見つめる。


「扉の前に土砂がある。こっからはもう出れねぇ」


「なっ……」


「……そんなっ」


「出るなって言ってるみてぇだな」


 その意思には覚えがあった。ここに自分たちを封じ込めた者がたった今目と鼻の先で戦っているのなら、どさくさに紛れて物理的に行く道を塞ぐことは簡単だ。


 それは一体誰なのだろう。


 ビャッコとセイリュウ、そして数人の式神たち──ククリ、カグラ、ツクモ、タマモも絶対にそんなことはしない。四人の義姉妹たちなのだろうか。家族を危険な目に遭わせたくない──その気持ちはわからないでもないが、こんなことまでするのかとも思う。


「ゆう吉、行こう!」


 明日菜に腕を引っ張られた。


小倉おぐら家に行ったらまだ間に合うかも!」


 少し前まで妖怪のことも陰陽師のことも知らない世界で生きていたのに、迷うことなく進もうとする彼女の心が尊くて驚く。

 何が彼女をそんなにも強くさせているのだろう──。いや、彼女を弱くさせているのは自分なのではないだろうか。初めて見た明日菜の表情が泣きじゃくっていたあの顔だから、自分が勘違いしていただけではないだろうか。


 油断したら心が悲鳴を上げそうだった。階段を駆け下りる明日菜について行くことが精一杯で、気を張りつめていないと吐きそうになる。


「ゲンブ、《カラス隊》の本部から《鬼切国成おにきりくになり》を持ってきてくれ」


「わかった」


 それでも、明日菜にとって自分が不要な人間だとは思いたくなかった。気を奮い立たせて前を向き、明日菜を追い抜かす。


「あっ! ゆう吉、ちょっと待って何か落ちた……」


 全力を使ったからだろうか。何かを落とした感覚はなかったが、明日菜の音が闇の中に消えて自分だけの音が響く。立ち止まって視線を上げると、螺旋階段のほぼ真上の位置にいる明日菜が掌をじっと見つめていた。


「明日菜?」


「ゆう吉、これ……」


 下りてきて手渡されたのは、お守りで。目を凝らすと〝安産祈願〟と書いてあった。


「…………」


 中に何かが入っている。そう思うほどに膨らんだそれの中身を引っ張り出すと、掠れた呪文が不気味な古い白いリボンが掌の中で転がった。


「……なんなの、それ」


 結希だってそう言いたい。わからなくて握り締める。これは誰かの呪いだろうか。いや、呪いではない。



『だけじゃないよ』



 深い愛だ。


 溢れてきた涙の止め方は誰も教えてくれなかった。あの馬鹿な義姉に言いたいことはたくさんあるが、言葉が詰まって上手く出てこない。


 まだ、形見だなんて不吉な言葉は彼女の口から言わせたくなかった。


 急に泣き出した結希に戸惑っても、叱責はしない。明日菜は結希を抱き締めて、何も言わずに背中を擦る。

 その姿があまりにも〝姉妹〟だと思うから、結希は泣き止むことができなかった。


『もう陰陽師ひとりで背負って戦うな。……ここには、半妖ウチらがいるじゃん』


 自分だって背負って戦っているくせに。


『正直、今でも怖い。言って誰かを傷つけたらって思うと、辛くなる。……でもね、いつか言えたらいいなって思うの』


 その日をずっと待っていたのに。


 あまりにも酷くて、優しくて、愛しくて、早く行かなければと思うのに一歩も動けなかった。

 彼女たち三人はなんて自分勝手なのだろう。あと一人がどうしても出てこない。三人とは違う術がかけられているようだ。三人を思い出した今だからそう思う。


 雪之原麻露ゆきのばらましろ

 炎竜神依檻えんりょうしんいおり

 骸路成真璃絵ろろなりまりえ

 泡魚飛歌七星ほうぎょうひかなせ

 綿之瀬鈴歌わたのせれいか

 妖目熾夏おうましいか

 首御千朱亜しゅうおんぜんしゅあ

 猫鷺和夏ねこさぎわかな

 相豆院愛果そうまいんあいか

 鬼寺桜椿。

 小白鳥心春こしらとりこはる

 芽童神月夜かいどうしんつきよ

 芽童神幸茶羽かいどうしんささは


 白院はくいんえぬ・ヒナギク。

 鴉貴火影からすぎほかげ


 小倉家と結城家と百妖ひゃくおう家を入れると十七家になる。

 そうしたらやはり、あと一つは阿狐家なのだ。その阿狐家の少女の名が、存在が、まだ思い出せない。


 魂の欠片を奪われたかのような感覚で、一刻も早く彼女のことを思い出したいと心が騒いだ。だが、運命は嘲笑うかのようにあの門を閉ざした。それが願いだとでも言うように。


「明日菜」


「何?」


「ありがとう、もう大丈夫」


「なら良かったけど……それが何か聞いてもいい?」


「俺と明日菜の姉さんのだよ」


「え?」


「妖目熾夏。千里眼を使うことができて、相豆院愛果は化けることができて、小白鳥心春は言霊が使える。あの三人なら俺たちから記憶を奪うことはできるだろうな」


「あ……思い出した……」


 頷いた。良かった。明日菜でも簡単に思い出すことができたなら、これはそれほど強力な術ではないということになる。

 最も強力な術をかけたのは、間違いなく阿狐家の少女だった。阿狐頼が術者でないと確定している以上、これは間違いではない。


 愛果と心春だけではこんな作戦を思いついて実行することはできないだろう。熾夏ならばやりかねないが、愛果と心春は巻き込まないはずだ。だから多分、阿狐家の少女がすべてを操っている。これもきっと間違いではない。

 三人は操られているのだろうか。三人の能力を考えるとそれはあり得ない。少女に従っているのだろうか。三人の──というか熾夏と愛果の性格を考えるとそれもあり得ない。少女を救おうとしているのだろうか。家族を守って、少女を救う──あり得る話だった。



『ユウキ、わたしね、この幻は優しい嘘だって思うよ』



 ならば結希も救いたいと思う。たった一人ですべてを救おうとし、母親と殺し合っているであろう少女のことを。

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