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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十一章 骸骨の覚醒
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十九 『真実と絵空事』

結希ゆうきくん、はるくん、紫苑しおんくん、朝よー。早く起きなさーい』


 扉の外から聞こえてきた声は、母親の──芦屋朝日あしやあさひの声だった。

 閉じていた瞼をゆっくりと開け、二段ベットの上段から梯子を使って下りていく。下段に眠っているのは紫苑で、反対側の壁際に置かれた二段ベットの下段に眠っているのが春だった。その上段が寝床である多翼たいきは既に起きているのだろう。二人を起こして扉を開け、一階に下りてリビングに入る。


「おはよう、三人とも」


「おはよう、父さん」


 チェアに座ってコーヒーを飲んでいた芦屋雅臣まさおみに挨拶を返し、同じテーブルを囲んでいる姉妹たちに視線を移す。


「どうした? 目覚まし時計が鳴らなかったのか?」


「かけ忘れてたのかしらぁ? 電池が切れてたなら変えないとだめねぇ」


 雅臣と同じくまだ仕事に行く準備をしていないのは、麻露ましろ真璃絵まりえだ。仕事が早い依檻いおり歌七星かなせの姿は変わらずなく、新人として駆け出したばかりの鈴歌れいか朱亜しゅあ、そして大学生の和夏わかなはまだ起きていないようだった。


「まったく。出るの遅れたら待ってあげないからね?」


「えー?! なんでだよ菊姉きくねぇ! 一緒に行った方が楽しいだろ?! アタシは三人のこと待つからな!」


「出るのが遅れたら、の話よ。もちろん間に合わせてくれるんでしょう?」


「間に合わせるよ、何があっても」


 告げると真菊まぎくは嬉しそうに微笑んだ。その言葉を実現させる為に三人揃ってテーブルにつき、食べ盛りのモモに自分の分のヨーグルトを分ける。


「……っ、いいの?」


「いいよ、食べな」


「……あり、がと、お兄ちゃん」


「えぇー! モモずるい! つきもお兄ちゃんのヨーグルト欲しいー!」


「ささも欲しい! 結希! なんでいつもモモばっかり甘やかすの?!」


「モモが末っ子だからだよ」


「やだー! つきも末っ子になりたいー!」


「月夜、幸茶羽。あまりモモと兄さんを困らせないの。紫苑、俺たちのヨーグルトを分けてあげよ?」


「こいつらが欲しいのは俺たちのじゃねぇだろカス」


「えぇ〜?! じゃあ僕が貰っていい〜?!」


 二人分のヨーグルトを貰って飛び跳ねる多翼を麻露が叱る。父親と母親である雅臣と朝日が子供たちを叱ったことは一度もなく、どんな時でも口を出すのが麻露という長女だった。父親と母親の役割を担っているのが、麻露という長女だった。

 それを疑問に思ったことは一度もない。うちはうちで他所は他所だ。長女が父親であり母親であることの一体何がおかしいのだろう。おかしくはないはずだ。おかしいと言う方がおかしいのだ。


「……お兄ちゃん、どう、したの?」


 尋ねたモモの空色の瞳を見つめ返す。綺麗な色だ。ずっと見ていても飽きないと思うのに、この色をこんなに見続けた日があっただろうかと疑問に思う。

 ……何故、疑問に思うのだろう。自分はモモが生まれたその時から彼女の兄なのに。


「……モモこそ、どうしたんだ?」


 血の繋がった兄のはずなのに、時折怯えたようにこちらを見つめるモモのことが心配で心配で堪らなかった。

 以前のモモもこうだったような気がしたが、怯えている瞳の色が空ではなかったような気がして息を止める。そう、空ではない。地に生い茂る草のような色だった気がする。


「……わから、ない」


 モモの言葉をこんなに長く聞いたこともないような気がする。


「……わから、ないの」


 わからないというもどかしさは、結希も同じだった。だが、答えを出すことはできなかった。

 父親と母親がいて、社会人の姉がいて、高校生の自分たちがいて、中学生の美歩みほがいて、小学生のモモたちがいる。この中に草のような色の瞳を持つ者はいない。


「いってきます」


 誰よりも早く準備を済ませていた美歩がリビングの取っ手に手を置いた。緋色のセーラー服は女子中学校の制服で、陽陰おういん学園の制服ではない。美歩が何故その中学校に通っているのかは忘れたが、学校が楽しいのか今日も誰よりも先に家を出ていった。


「結希、早く食べないと置いていくわよ」


 真菊に急かされて食パンに齧りつく。兄なのに兄とは呼ばない同い年の妹は結希と違って既に群青色の陽陰学園の制服を着ており、それが余計に結希のことを急かしていた。





 行ってきます、そう言って飛び出してLED電球がすべてを照らす地下都市の住宅街を五人で走る。周囲の壁はコンクリートでできており、天井はガラスでできている人工的に作られた町は、今月の頭から全町民によって使用されていた。

 今月の頭──一月十日に起きた出来事は、誰もが忘れることのできない出来事として後世まで語り継がれていくのだろう。季節外れとも言うべき未曾有の自然災害が同時多発的に発生し、全員で地下に避難せざるを得なくなったのだ。


 あまりにも突然のことだったが七年前も似たようなことが起きており、避難に慣れていた町民たちはストレスなく暮らせているようだった。だが、結希ゆうきは何故かそれを経験した記憶がなく、太陽光を浴びることができないことへの不満を募らせていく。

 そして、またいつか外に出れると信じている町民の中で唯一と言ってもいいほどに、言語化できない不安を感じていた。


 何故これほどまでに焦るのだろう。遅刻が確定したわけでもないのに。


 断言できるのは、避難後に白院はくいん家の現頭首であるヒナギクが下した決断のおかげだった。

 ヒナギクは、学生の負担を減らす為に住宅街に一番近い施設を小学生から大学生までの教育施設として利用することを宣言したのだ。その時の彼女の姿は美しく、そして眩しく、同じ生徒会であることを恐れ多く思う。だが、ヒナギクは一度も庶民である結希と真菊まぎくを邪険に扱ったことはなかった。


 校門と呼べるような門も柵もない施設に滑り込んで、それぞれがそれぞれの教室に赴く。


「遅かったな、結希。真菊」


 真っ先に声をかけてきたのは、ヒナギクだった。


「こいつが寝坊したのよ」


「間に合ったんだからそんな顔すんなよ!」


「走らされたんだからいいじゃない」


「いやでも寝坊したのは俺だけじゃないだろ!」


「ってことは春と紫苑だなぁ〜?」


「ぐおえっ」


「ちょっと、くっつかないでよ風丸かぜまる!」


「え〜? お前らはセットで可愛がらねーとどっちか拗ねるだろ〜?」


 背後から近づいて首を締めるように抱き締めてきたのは風丸で、彼の体をこれでもかと二人で殴る。


「ははっ。いいぞ、もっとやれ」


「面白がるなよヒナー! ぎゃー!」


 普段は滅多に笑わないが、ふとした瞬間にヒナギクが笑うと──やはり自分たちは仲間なのだと思えた。


「あの、そろそろホームルームの時間ですよ。席についてください」


「あっ……」


 そして、彼女は仲間ではないから申し訳ないと強く思う。


「……ごめん、神城かみじょうさん」


 学級委員の彼女は首を左右に振って自席に戻った。四人も揃って自席に向かい、真菊、結希、風丸の並びで腰を下ろす。それは芦屋と小倉おぐらで並んでいるからだが、目の前に座った真菊の後ろ姿が何故か妙に新鮮だった。そして、結希の隣の席に座っている相手が神城千里せんりであることも新鮮だった。


 何故だろう。何が違うのだろう。あいうえお順に座っているはずなのに、何が間違っていると言うのだろう。


 辺りをゆっくりと見回した。窓際の方にはヒナギクがいる。どうして高貴な彼女の銀色には見覚えがあるのだろう。仲間とはいえ自分たちは身分が違うのに──結希がヒナギクの後ろの席だった日なんて、一度もなかったのに。

 視線を正面に戻そうとして、隣の千里が目に止まる。千里は教科書を読んでいたが、その目はまったく動いていなかった。文章を目で追っていないなら、それは読んでいるとは言わない。無表情で教科書を見つめている彼女の横顔に見覚えはなく、思い出そうと思えばすぐに笑う彼女の姿を思い浮かべることができた。


 何故だろう。何故自分は彼女の笑顔を知っているのだろう。ただのクラスメイトなのに、何故こんなにも気になるのだろう。


 千里と目が合った。互いにぎこちなく会釈をして、結希はじっと、千里のラベンダー色の瞳を見つめ返す。千里も何かが気になるのか、結希の瞳をじっと見つめ返していた。


「あの……」


 千里が口を開いた瞬間に依檻が入ってくる。タイミングの悪い人だ、冬なのに今日も薄着で行動していて身内として死ぬほど恥ずかしい。


「さぁさぁ、今日もホームルーム始めるわよ〜」


 千里が全員に号令をかけた。今日も、何も変わらない一日が始まる。


 そう思った瞬間に扉が開いた。扉を開けたのは、全身が真っ白と言っても過言ではないくらいに真っ白な青年だった。ただ、きょろきょろと辺りを見回す金にも見える黄色い瞳はそうではない。

 青年と目が合った結希はごくりと唾を飲み込んで、「……結希?」という問いに顎を引いて答えた。


「あんたが……」


 眩いくらいの乳白色で、くせのある短い髪にも。汚れなど一つもついていない真っ白な着物にも、無数に巻かれた金色の鎖にも、首輪のような金属製のチョーカーにも見覚えはない。



「……あんたも、夢の中にいるのか?」



 その言葉に強く刺された。


「……誰だ」


 警戒心を剥き出しにして短く尋ねる。真菊も、風丸も、千里も、依檻も、ヒナギクも彼の存在に気づいているようだったが、他の全員の目にはまったく映っていなさそうな彼は間違いなく化け物だった。


「俺の名前はイヌマル。式神しきがみって言ったらあんたはすべてを思い出すか?」


「しき、がみ……」


 反芻する。噛み砕く。どこかでそれを、聞いた気がする。


「あっ……」


 短く声を上げたのは、千里だった。


「……わ、私……!」


「お前はまだ夢の中にいるのか?」


「イヌマル、あまり意地悪したら可哀想」


「けど、主……」


 イヌマルという変わった名前を持つ彼がそう呼んだ相手は、結希と同い年くらいの少女だった。

 どこからどう見ても西洋人の彼女は流暢な日本語を話しており、イヌマルに似た月白色の髪が彼女が動く度に揺れる。


 イヌマルのことは見えなくても、彼女のことは見えるらしい。あまりにも美しい容姿を持つ彼女の登場に周りは沸き立ち、「転校生か」と騒ぎ出す。


「違うよ。わたしは、ユウキに会いに来ただけ」


「は?! なんで結希?!」


「ユウキは、この町のヒーローだから。ユウキなら、わかってくれるって思ったから」


「……俺は……」


 どこかで見た気がする紺青色の双眸が結希を貫く。彼女のことを、自分は知っている? 彼女は何故、自分を知っている?


「わたしはステラ。ステラ・カートライト。陰陽師おんみょうじだった三善猿秋ミヨシサルアキの弟子で、祓魔師ふつましの〝クローン人間〟なの」


 知らない単語が彼女の口から次々と流れる。知らないから聞き逃したい、そう思うのに──やっと、この不安の正体を掴めたような気がして身を乗り出す。


「わたしの師匠は七年前の百鬼夜行で死んだ。今回の百鬼夜行で犠牲者は出なかったみたいだけど、戦いはまだ終わってない。それは、わかるでしょう?」


 頷けなかった。結希はまだ、何も取り戻せていない。


 それでも、それが真実なのだと思った。この世界は、夢の中なのだと思った。

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