一 『似たもの姉弟』
《陽陰フェスティバル》が終わり、町役場の入り口で風丸と明日菜と別れる。そのまま踵を返して中に戻り、結希は歌七星の楽屋を目指した。
立ち入り禁止の看板付近にいたスタッフに歌七星の弟だと告げ、奥へと通してもらう。案外あっさりと入れたことに驚き、歌七星の手際の良さに感心しつつも結希は長い廊下を突き進んだ。
そして『《Quartz》様 楽屋』と書かれた紙が貼ってある扉の前で足を止め、ノックをする。すると、すぐに声が返ってきた。
「あぁ、やはり結希くんでしたか」
出てきた歌七星は普段家で見るような私服姿だった。白いシャツの上には黒いベストを着用し、膝まである薄紫色のフレアスカートを履いている。紫色の髪は、銀製のヘアピンで留めらていた。
「お疲れ様でした、歌七星さん」
「ありがとうございます。立ち話もなんですので、どうぞ中へ」
「あ、じゃあ。お邪魔します」
中に入ると、同じく私服姿の千都と瑠花もいた。
「君がカナセの弟? やっぱり雰囲気似てるわね」
「でもでも、家族なのにすっごい他人行儀じゃなぁい?」
「カナセらしいと言えばらしいけど。結希くんだっけ? カナセ、家でもこんな感じ?」
ソファに深く腰をかけていた千都は足を組み換えて、首を傾げて結希に尋ねる。結希は答えようとして、刹那に歌七星に遮られた。
「余計なことを聞かないでください、セント。戸籍上はわたくしの弟ですが、結希くんとは血が繋がっていません。雰囲気なんて似るはずはありませんし、他人行儀なのは当たり前です」
一気に反論した歌七星に、それだけではないだろうが二人は唖然とした表情を見せた。
「ち、血が繋がってない?」
辛うじて千都が声に出す。冷静そうに見えて、慌てると何を言い出すかわからない爆弾を持っているのが歌七星だ。結希は歌七星よりも先に口を開き、補足した。
「俺は歌七星さんの父さんの再婚相手の連れ子です。確かに血は繋がってませんが、家族です」
家族です、を強調すると、千都と瑠花は何故か顔を見合わせた。
何かまずいことでも言ったのだろうか。この説明が通じないのなら、この六年の間大急ぎで詰め込んだ『社会に出てもそこそこ生きていける言葉遣い術』の意味がなくなってしまう。
それを教えた母親を恨みかけると、瑠花が思いもしなかったことを告げた。
「血が繋がってなくても家族ならさぁ、もうちょっと家族らしく振る舞った方がいいよ。私たちにはスキャンダルがあるんだから、熱愛発覚なんて報道された後で『家族です』って言っても誰も信じてくれないって」
瑠花が両方の人差し指で歌七星と結希を指差し、胸の前で絡ませる。その動きは滑らかで、見ていて顔が熱くなるほどだった。
「……っな! ルカ! その指を今すぐにやめなさい!」
同じく顔を真っ赤にさせた歌七星はすぐさま声を上げ、いつかのあの日のような速さで瑠花の方へと駆け出す。
「えぇ?! 指をやめるって何?!」
瑠花は咄嗟に逃げ出して、中央にあるテーブルを上手く使って素早く結希の後ろに隠れた。
「結希くん! その女をわたくしに寄越しなさい!」
「か、歌七星さん。少し落ち着いてください」
その迫力に気圧されながらも冷静でいると、歌七星は一瞬だけ固まって詰めていた息を吐いた。
「……そ、そうですね。取り乱してすみません」
歌七星は崩れた前髪を手で整えて、「ですが」と咳払いをする。
「ルカ、貴方は許しません。さぁ、それ以上結希くんに迷惑をかけてわたくしに説教されるか、降伏するか。どちらかを選びなさい」
「選べません!」
瑠花は結希の真後ろでいやいやと首を振った。それを見た千都はやれやれと首を横に振り、歌七星は呆れた表情で首を横に振った。
ある意味息ぴったりな三人は結希越しに目配せをさせて、結局瑠花が歌七星に降伏することで事態は丸く収まった。
「……まったく。騒がしくてすみません」
「いえ、むしろ歌七星さんが楽しそうで意外でした」
「た、楽しそうですか?」
少しだけ戸惑うように眉を下げた歌七星に、さっきからまったく動いていない千都は口元に手を当てて憐れむような視線を送った。
「……え。結希くん、これで楽しそうなの? 家でのカナセってそんなに無愛想?」
「うるさいですよ、セント」
「はいはい」
自分の鞄を持った歌七星は千都を睨み、結希の腕を軽く引っ張って視線で帰ることを伝える。
「ほーら! そういうので熱愛報道されないようにねー!」
「うるさいですよルカ!」
歌七星が取っ手に手をかけると、ガチャッと勝手に扉が開いた。
「──うるさいのはそっちなんですけど、先輩」
振り返ると、ウェーブがかった紫色の髪を指先で弄る和穂が立っていた。和穂はステージの上で見た時とは明らかに違う鋭い目つきで、先輩の歌七星を見上げている。
「さっきからなんなんです? ピーピーワーワー騒いで……。ガキなんですか? バカなんですか?」
バカを強調させて、和穂は千都と瑠花にも鋭い視線を飛ばした。その視線は最終的に結希で止まって、和穂はわずかに目を見開く。
「貴方、誰?」
「百妖結希です」
和穂の変貌っぷりに動じることはせず、結希は淡々と名前を告げた。最近になってようやく旧姓と設定されている〝間宮〟を名乗らなくなったおかげで、和穂は誤解をせずにそれを受け入れる。
「百妖ってことは百妖歌七星の弟ね。《十八名家》の百妖家は本当にガキが多いようで。それじゃあガキに慣れているのも当然かしら」
「……泡魚飛さん、貴方も《十八名家》ならば言葉遣いを一から勉強し直してはいかがですか?」
怒気が見え隠れする歌七星の声色は、今までにないほど冷めきっていた。
《十八名家》の泡魚飛は歌手を多く輩出している一族で、芸能界ではトップレベルで顔が広い。そんな芸能一家本家の一人娘である和穂は忌々しそうに顔を歪め、歌七星に視線を戻した。
「怖い顔ですよ。仮にもアイドルならば笑いなさい」
歌七星はそう言って作り笑顔を浮かべた。和穂は舌打ちをして、すぐさま弾けるような笑顔を作る。
「カナセ先輩の笑顔はその程度ですかっ?」
「まっさかぁ~! カナセ、もっと笑えるよ!」
終いには声まで作り、満面の笑みのまま張り合い出した。
千都と瑠花は恐怖を端正な顔に張りつけて、手を取り合いながら寄り添い合っている。止めようにも止められない状態の二人を確認し、結希は歌七星の肩に手を置いた。
「歌七星さん、そろそろ時間ですよ」
この状況から一刻も早く抜け出すべく、意識して遅めの速度で話しかける。すると、歌七星は笑顔を止めて掛け時計を確認した。
「……そうですね。つき合わせてすみません、結希くん。行きましょう」
歌七星は二人に軽く頭を下げて、和穂の真横を通り過ぎた。和穂は何も言わずに笑顔を無表情に戻し、歌七星の背中を見送る。
「千都さん、瑠花さん。お邪魔してすみませんでした」
「う、ううん。むしろいてくれてありがとう」
「ホントだよー……。怖かったぁー……」
和穂に視線を向けると、和穂は気まずそうに結希の視線を避けた。結希はそんな和穂の態度を見て、あえて何も言わずに歌七星の後を追う。
「……なによ、歌七星の奴。つまんないの」
和穂は誰にも聞こえないように呟いて、《Quartz》の楽屋から出ていった。歌七星と同じ紫色の髪を弄りながら、もう一度だけ「つまんないの」と誰にも知られずに呟いた。
*
歌七星の後を追って、結希は町役場の地下駐車場に止めてある車の前で足を止めた。待っていた歌七星は車の鍵を開けて結希に視線を向ける。
「遅かったですね、結希くん」
「少しだけ千都さんと瑠花さんと話をしてました」
「……そうですか。わたくしが言うのもあれですが、急ぎましょう」
歌七星は運転席に乗り込み、結希は助手席に座った。
初めて乗る百妖家の車は、さすがと言うべきか大人数が乗れるようになっている。シートベルトを閉めて歌七星が車を発進させると、必然と言うべきか沈黙が訪れた。
「結希くん、改めて先ほどはすみませんでした」
「謝ることではないですよ。あれは泡魚飛さんに非がありますから」
「それでもわたくしが大人気なかったです。ダメですね、泡魚飛さん相手だとついカッとなってしまって」
歌七星は眉を下げてハンドルを回した。景色が変わって、陽陰町の町並みがよく見える。
「いいんじゃないですか? たまには」
「……はい?」
「歌七星さんも泡魚飛さんも自然体だったじゃないですか。喧嘩さえしなければ二人は結構気が合うと思いますよ? ……あ、数年後はいい先輩後輩になっているかもしれません」
歌い方が似ていると思っていた。けれど、意外なことに似ている部分は他にもあって。
「自然体、ですか」
歌七星は笑みを漏らして赤信号でブレーキをかける。歌七星を盗み見ると、歌七星は結希をじっと見つめていた。
「わたくしたちも他人行儀をやめないといけませんね」
「熱愛報道は困りますからね」
苦笑すると、歌七星は「当然です」とため息をついた。
「すぐには無理ですが、多分、この後ならば少しは自然体でいられると思いますよ」
結希は無意識のうちに背筋を伸ばした。歌七星は車を発進させながら、言葉を紡ぐ。
「──百妖家の三女、私のたった三人しかいない姉の一人のお見舞いですからね」
「……あの、歌七星さん。その人の名前はなんて言うんですか?」
「結希くんは知りませんでしたっけ? 真璃絵──百妖真璃絵です」
百妖真璃絵。
六年前の百鬼夜行で重症を負い、死ぬはずだった彼女をたった十一歳の結希が陰陽師の術で瀕死の状態に留めた百妖家の三女。
他にも高度な術を使い、その代償として十一歳前の記憶を失った結希は幼馴染みの明日菜を泣かせた。
膝の上で密かに拳を握り締める。
後悔しているわけではない。ただ、未熟だった当時の自分が許せないだけだった。
会いたい。
真璃絵に会えば、何かが少しでも変わるような──失った記憶が少しでも取り戻せるような気がしていた。




