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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十一章 骸骨の覚醒
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十七 『おかえりなさい』

熾夏しいかさん!」


 何が始まろうとしているのかは、陰陽師おんみょうじの血がわかっていた。わからないのはあの赤き空の下、大切な人たちが暮らしている町の状況だ。


 阿狐頼あぎつねよりを倒しても、千年前の百鬼夜行が起こらないとは限らない。倒さなければ、六年前の百鬼夜行が起きてしまう。


 そんなの、滅茶苦茶だ。どうしろと言うのだ。倒せと言うのか。そんなの──



「私はやるよ、弟クン!」



 ──そうだ、そうなのだ。やるしかない。


「町は〝お姉ちゃん〟たちに任せて大丈夫! 私は阿狐頼を殺るから、みんなは私のサポートをお願い!」


 前、そう言われたから彼女の表情が見えていたわけではない。ただ、怒声にも聞こえる雄叫びは、命が削れてしまうような力強さと悲惨さが滲み出ていた。


 やるしかない。今ここで決めなければならない。


 少し前まではしゃぎ声を出していた熾夏のその声が、ここに集った和夏わかな愛果あいか椿つばき心春こはるの心を震わせる。


 〝始まった〟のだ。〝始まって〟しまったのだ。


 悲劇は、ある日突然訪れる。幸福は、ある日突然壊される。自分たちが一番恐れていたそれは、阿狐頼という人間の手によって引き起こされたそれで。許せない──憎しみを纏って突撃するのは、変わらず芦屋あしや義兄弟だった。

 九字くじを切って狐火を蹴散らし、突撃する五人の道を新たに創る。阿狐頼の間合いに入った式神しきがみ四人は既に刀を構えており、我に返った和夏も鉤爪を伸ばして振るう体勢を整えていた。届け──心の叫びが聞こえてくるような覇気が体を震わせる。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 はる紫苑しおんの声が重なった。阿狐頼本体を狙ったその九字は確かに彼女を捉えていた。阿狐頼は怯んでいない。苦しむ顔さえ見せていない。


 化け物──口が裂けても言うつもりはなかったが、心がそう感じていた。


 炎のような狐火が間髪入れずに五人を襲う。五人は一切怯まない。体勢を整える必要もなくそのまま刃を下ろして切る。


「まだッ!」


 熾夏の声。血を撒き散らさずに霧散したのは阿狐頼の体だ。どこにいる、気配が辿れない、まさかすべては幻術だったのか──いや、熾夏に幻術は効かないはず。


「『幻術ッ、解除せよッ』!」


 続いて叫んだのは心春だった。百鬼夜行が起きなかったとしても、誘拐されていた事実が変わらない言霊使いの小人の半妖はんよう。椿の肩に乗って参戦している彼女の声は強ばっており、それ故なのか世界の崩壊に時間を要している。


「わかねぇ後ろ!」


 愛果も叫ぶ。瞬間に振り向いた和夏の反射神経は凄まじく、熾夏には劣るものの幻術に対抗できる愛果の幻術で阿狐頼が姿を現す。


「──ッ!」


 いたのだ。ずっと。ただそこに。手前に自分の幻を置いて攻撃を躱していた彼女は半妖の姿をしており、結希は初めて、阿狐頼の素顔を肉眼で見つめる。阿狐頼は、半妖姿もやはり亜紅里あぐりによく似ていた。


「お前がッ!」


 和夏が吠える。知らない人格だ、感情のままに蹴りを繰り出し、片手で止められて捻られる。

 骨が折れた。離れていたのに聞こえた音は和夏の悲鳴に掻き消される。そんな二人を影が襲った。阿狐頼に直撃した巨大な足の骨は砕け、和夏を掴んで引き離した巨大な手の骨はすぐに消え去る。


 落下する和夏を受け取ったのは椿だった。真璃絵まりえは一言も言葉を発しないまま、また新たな骨の手を出現させて阿狐頼の捕獲に努める。


 彼女は、どうしようもないくらいに〝三女〟だった。


 ここには熾夏、愛果、心春という幻術戦に強い義姉妹たちがいる。妖怪の血が最も濃く流れているが故に常人離れした動きを見せる和夏もいる。未だに覚醒はしていないが、義姉妹の中で最も力に恵まれているのはずの椿もいる。だが、ほとんどが百鬼夜行未経験者の〝妹〟たちだった。

 熾夏は最初からそのことに気づいていた。気づいていたからこそ共闘ではなく援護を求めた。義理の姉として戦いを強要せず、現頭首の仲間として彼女たちの顔を立てた。義姉としては逃げてほしかっただろうに、傍にいてくれることを望んだ。義姉として独りで戦おうとしていた熾夏の心を目に見える形で救うように四方八方から飛び出してくるのは餓者髑髏がしゃどくろの手だ。それを避ける阿狐頼は、最早一人ではなかった。


「どうすんだ?! どんどん増えてくぞ!」


 焦る椿の声で我に返り、結希ゆうきは息をする暇もなく九字を切る。遅れて春と紫苑が、そして美歩みほが声を揃えて詠唱する。

 十数人を同時に倒したはいいが、阿狐頼の幻術が途切れることはなかった。その力は一体どこから湧いてくるのだろう、このままでは埒が明かない。


「『土地神の加護を受けた精霊よ、我に力を与えたまえ』──」


 絶望さえ感じたと言うのに、心春の声は清らかなものに戻っていた。義姉妹たちが傍にいる、たったそれだけのことが彼女に勇気を与えるのか、滑らかで鮮明に聞こえるそれは世界を変える言葉を発する。


「──『幻術よ、世の理から』ッきゃあ?!」


 短い悲鳴。耐えられずに振り返ると、心春も、心春を乗せていた椿も、椿に抱えられていた和夏も姿を消していた。


「心春ッ! 椿ッ! 和夏さんッ!」


「阿狐頼ッ! 私の妹に何をした!」


「殺す! 早くウチの家族を返せ!」


「……っ」


 何が起こった。わからない。前以外は何も見ていなかったから。それは、熾夏も愛果も真璃絵もそうだった。


「落ち着けあんたら! 幻術だ! 女狐はそういう戦い方をする奴だから惑わされるな!」


 阿狐頼のことをよく知っている美歩に袖を掴まれる。そうだ。冷静に。冷静になれ。一年前はそれができていたじゃないか。


「クソッ! 戦いづれぇ! 熾夏! 本体はどれだ!」


 姉とは呼ばない。共に暮らしていたが故に遠慮なく名前を呼んで力を求める。


「それ! あれ! そこにいる!」


「わからないから攻撃して!」


 指差す熾夏に春が無茶なことを言った。熾夏は遠距離攻撃ができない。近距離攻撃が得意な彼女は走り出し、共に走り出した愛果に目配せをして首肯する。


「お願いしいねぇ!」


 両腕を突き出した愛果のそれに足を乗せ、熾夏は空へと高く跳んだ。骨と骨の間を跳んで攻撃を躱していた阿狐頼はそんな熾夏へと視線を移し、煩わしそうに目を細める。


「スザク! オウリュウ!」


 奴だ。煩わしそうな表情をしている理由がわからずに腹が立つ。

 二人の式神に続いてタマモとツクモもただ一人の阿狐頼の元へと向かった。同時にすべての阿狐頼がタマモとツクモに飛びかかる。邪魔された。二人が彼女たちを切り捨てても幻は尽きない。



「──死ねッ!」



 憎しみを込めて腹から吐き出す。百鬼夜行を知っているが故の怒りと、家族に危害を加えられたが故の怒りが医者の彼女にそれを言わせる。

 自分だけではなく、彼女の心も悲鳴を上げていた。狐火を身に纏って阿狐頼の顔面に拳を振り下ろす熾夏の姿は勇ましい。決着をつけてくれ、そう思う。


「────」


 阿狐頼は片手で熾夏の拳を止めた。二人の腕と腕がぴんと伸びたまま動かなくなる。どちらも同じ力を持っているのだ、強いも弱いもない。


「まさか……」


「まさかって何!」


「阿狐頼も覚醒しているのか……?」


「っ」


 覚醒の概念は知っていたが、阿狐頼もそうかもしれないと思ったことは一度もなかった。隣で足を止めていた美歩は息を呑み、阿狐頼へと視線を移して目を細める。


「阿狐頼が他の頭首と違うのは……そういうこと?」


「姉さんたちもいつかは……いや、もしかしたら、本気を出したら……」


 ……阿狐頼に勝てるかもしれない。それを口に出すことはしなかったが、そう思えた。


「お覚悟ッ!」


 幻を切り殺してようやく追いついたスザクが阿狐頼の背後に回る。思い切り振り被った。逃げることはできないだろう、熾夏が阿狐頼を引き止めている限り。

 ぴくんと阿狐頼の耳が動いた。結希もスザクもそれを見逃さなかったが、スザクの手元を強く叩いた彼女の尻尾を避けることはできなかった。式神の誇りにかけて刀を落とすことはしなかったが、そのせいで真っ逆さまに落ちていく。身を翻して着地したスザクは阿狐頼を見上げ、「オウリュウ!」と仲間の名を呼んだ。


 オウリュウは、タマモとツクモと共に他の阿狐頼を引き受けていた。熾夏と相対していても自分の幻を出すことを止めなかった阿狐頼の力はある程度の時間が経ってもまったく尽きない。驚くほどに無尽蔵だ。

 覚醒が理由なのだとしても、覚醒した義姉妹たちの力は無尽蔵ではなかった。だから何もわからない。だから勝利への道筋が描けない。


 ククリが理由は聞き出せなかったと話した通り、阿狐頼の思考がわからないのも痛かった。彼女の〝クローン人間〟は饒舌に話していたはずなのに、本体はずっと無言なのだから恐ろしさが倍増していく。

 スザクと代わったオウリュウが跳んでも、阿狐頼は動揺さえ見せなかった。最も長く生きた式神であり最も強いと噂されている彼でさえ焦った様子も見せずに対処する。もう陰陽師である雅臣まさおみ真菊まぎくから力を借りることができないのに、彼女は何故自分一人の力でなんでもできてしまうのだろう。


 何故、何故だ、何故──。


「阿狐頼ッ!」


 わからないからひたすら吠えた。


「この世界で生きているのはお前だけじゃない! なんでそれがわからないんだ! なんでその力を人殺しに使うんだ! その力は人々を守る為にある力なんだぞ!」


 結希はそう信じていた。自分が大切に思う義姉妹たちには人とは違う力があって、それは人を殺すことが可能な力で、自分は化け物だと簡単に言ってしまうような力で。心優しい彼女たちは決して化け物ではないと、ただ半妖という存在であるだけなのだと、そう言ってあげる為に結希がずっと考えていた答えを今ここで言いたくはなかった。同時に、それを一番言わなければならない相手が阿狐頼だった。


 彼女が手足として使っていたのは実の娘の亜紅里であり、自らの〝クローン人間〟だった。どちらも自分と同じ能力を所持している阿狐家の血が入った眷属たちで、彼女のその行動の一つ一つが、阿狐家以外の力は不要と言っているようで腹が立つ。



「羽虫が……」



 鮮明に聞こえた阿狐頼の肉声の──第一声がそれだった。

 結希を見つめる天色の瞳には心の底からの侮蔑が込められており、仮にも結希の実父から力を借りていたとは思えない態度に一瞬戦く。



「邪魔だ、どいつも、こいつも。どうして私の邪魔ばかりする」



 理解できない、鬱陶しい、そう言いたげな表情をする阿狐頼こそが理解できなかった。


「ッ?!」


 熾夏の拳でさえ容易に折られる。不要になった物を捨てるかのように熾夏の手を離した阿狐頼は、その手を軽く払って襲いかかる骨を砕いた。


「それは、みんなが、生きているからよぉ」


 骨の持ち主である真璃絵は、変わらず苦痛の表情を浮かべなかった。


「貴方の願いは、きっと、貴方独りの世界だけで叶う、願いなのね」


 そう告げた真璃絵は、いつの間にか美歩とは反対側になる結希の隣に立っていた。



「──可哀想」



 その口調にも、憐れむ笑みにも、機械のようなぎこちなさはどこにもない。


 ──真璃絵だ。


 知らないはずなのにそう思った。和夏のような多重人格者というわけではない、彼女こそが真璃絵なのだ。


「……なんだと?」


「同じ言葉は二度も言わないわぁ」


 化け物ではない。彼女たちは、半分が妖怪なのだ。妖怪の血が流れているのだ。

 毒々しい赤きの下で半妖の力を出し続けた真璃絵がようやく、正しく、深い眠りから覚めたのだ。


 それは、涙が溢れてしまうくらいに嬉しくて。和夏と椿と心春が消え、熾夏と愛果でさえ阿狐頼に敵わない中でも、なんとか心を保っていられる光になって心に染みる。


「……おかえりなさいっ」


 微笑みで応えた真璃絵のその表情は、麻露ましろにも、依檻いおりにも、歌七星かなせにも見えるそれだった。

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