十六 『仇』
「さっすが私の〝お姉ちゃん〟のまり姉だ! いお姉や鈴歌みたく覚醒後が人の姿になってるけど、めちゃくちゃ強くなってるね〜!」
はしゃぐ熾夏を窘める〝お姉ちゃん〟はここにはいない。愛果以下の姉妹たちが一斉にこちらを見た気がしたが、結希は芦屋義兄弟たちと同じく式神の家の周辺に意識を向けていた。
「父さん! 姉さん!」
結界を破った時点で阿狐頼には気づかれている。春はそう思ったのか全力で二人のことを呼び、それに合わせて陰陽師である四人が二人の陰陽師の力を探る。
「ククリとカグラも! いるなら早く返事をしてっ!」
今にも泣きそうな美歩の声が耳朶を打った。それだけで心が締めつけられる、どうしてあの日自分は父親を引き止めなかったのだろうと思う。
心のどこかで父親と真菊なら大丈夫だろうと思っていたのだろう。二人は阿狐頼に一番近い人間だから、会いに行っても殺されないと思っていたのだろう。
それは間違いだった。阿狐頼は実の娘の亜紅里でさえなんの躊躇いもなく殺すことができるのだ。仲間だった──仲間とさえ思っていなかったのかもしれないが、二人を殺すことに対しても躊躇いなんてなかったはずだ。
「返事しろよジジィ! ババァ!」
何度も家族じゃないと主張している紫苑だって、あの二人には情を持っている。帰ってきてほしいと願っている。結城家に残ったであろう多翼とモモも、二人の帰還を待っている。彼らを引き裂く権利を持っている人間はこの世界のどこにもいない。
集中しろ。全神経を研ぎ澄まして探し出せ。聞きたいことが、話したいことが、まだあるから──森の奥底で微かに息をする二つの気配に気づいて口を開いた。
「見つけた!」
叫んだ瞬間、鈴歌の一反木綿が急旋回をしてうねる。
「しゃがめ!」
乾の怒声が耳を劈いた。抱き合っていた真璃絵ごと一反木綿に倒れ込むが、音が聞こえていても攻撃はいつまで経っても届いてこない。
「マリ姉……?!」
視線を真璃絵から外すと、今回もまた餓者髑髏の腕が辺り一帯に生えていた。無数の骨のアーチだ。それらがすべての攻撃を受けている。
「真璃絵さっ」
「だいじょーぶよぉ」
目と鼻の先にあった真璃絵の笑顔は、苦しむ人のそれではなかった。
彼女は餓者髑髏の半分妖怪。覚醒前は餓者髑髏とまったく同じ姿をしていた義姉妹の盾。それが今、鈴歌がそうなったのと同じように体と能力の分離によって痛覚の分離に成功している。
覚醒は危険なものかもしれない。それでも今、その力が義姉妹たちのことを助けている。その力が今、自分たちのことを助けてくれている。
洋館から飛び出してくる無数の青い狐火は、真璃絵一人で充分に受け止めることができるものだった。骨が破壊されることがなかったのは心春の言霊による強化のおかげで、一反木綿がどこに向かっても真璃絵と共に骨のアーチで庇ってくれる。
「しい姉! 阿狐頼はどこ?!」
「洋館の最奥の部屋! 愛ちゃんは私のサポートよろしく!」
熾夏と愛果も幻術を駆使しているようだった。何故か全方向に飛んでいく狐火を見てそう判断し、鈴歌に飛んでいく方向の指示を出して息を吐く。
「ユウ! 来るよ!」
人一倍警戒心が強い和夏の視線は洋館に固定されていた。
「結兄! どうすんだ?!」
指示を仰いだ椿は戦う準備を整えていたが、結希に戦うという選択肢はない。生きてここから帰るのだ。生きて帰らなければならないのはここにいる全員であり、一人として欠けていい人間は存在しない。
「このままで行く!」
その判断が最も正しいと信じていた。
瞬間に爆破した洋館は、跡形もなく崩れ去る。それが勝利の証なのか火蓋が切って落とされたのか、誰の目から見ても判断がつかなかった。
「父さん! 姉さん!」
春の声とすぐそこまで来ていた二人の気配に気を取られ、阿狐頼の出現に遅れて気づく。だが、まだ大丈夫なはずだ。熾夏と愛果の力を信じている──瞬間に燃やされたのは破壊した結界の外を含んだ一帯すべてだった。
「熱……くない!」
骨の隙間から溢れてきた狐火が幻術だと気づいていた人間は惑わされなかったが、純粋な椿は騙される。それが椿の良いところだが、阿狐頼との戦いには向いていない。
「兄さん! 無傷で帰ることは無理そうだぜ!」
「そうだね! 奴は半妖だから、俺たちがこいつらよりも前線に……」
「てめぇじゃねーよ! 結希! このまま逃げても町までついて来るかもしれねぇぜ! そうなっても戦わねぇって言い続けるのか?!」
「倒しても倒さなくても百鬼夜行には関係ない、それでもやるなら手伝うから!」
向いているのは、やはり陰陽師である自分たちなのだろう。紫苑と春と美歩の視線が自分に刺さる。
「阿狐頼は六年前、妖怪を操って偽物の百鬼夜行を引き起こしました」
瞬間に一反木綿に飛び乗ったのは、雅臣を抱えたククリと真菊を抱えたカグラだった。
「その理由までは聞き出せませんでしたが、あの方は妖怪を守りたかったわけではない──」
「──あの方は、他の誰よりも自分のことだけが大切なんだ」
ククリとカグラの話を黙って聞いていた雅臣と真菊には覇気がない。駆け寄った春と美歩の二人に微笑むことが精一杯で、どこからどう見ても衰弱している。
「助けてくれて、ありがとう、みんな」
「父さん……」
「は?! 父さん?!」
「愛ちゃんシッ! それ以上は今はダメ!」
「半妖のみんなも、どうもありがとう」
「…………そういうのは後で聞くから、今は休んでてくれ」
「本当にそう! ククリとカグラも今は休んでて!」
「駄目、お願いだから、無理しないで……」
真菊が伸ばした手に掴まれた美歩はその手を優しく振り解く。
「姉さんたちは無理したのに? 悪いけど、今回は言うこと聞けないから」
「俺たち全員問題児だからね。父さんと姉さんの仇は討つ、今まで迷惑かけた分のお返しくらいさせてよ」
「てめぇらのことはどうでもいいけど、六年前の百鬼夜行の元凶が本当にあの女狐なら、ぶっ殺さねぇと気が済まねぇ! 行くぞてめぇら!」
「紫苑?! ッ、鈴歌さん! 父さんと真菊をお願いします!」
一反木綿から飛び出してしまった紫苑の後を追いかける。すぐに続いた春と美歩も、洋館の跡地に佇む巨大な九尾の妖狐を睨んで進む。
春と紫苑の両親は、六年前の百鬼夜行で亡くなった。多翼とモモもその時に身寄りを亡くしてしまい、孤児という存在に心を痛めた雅臣に善意で引き取られた。
彼らの怒りと絶望を正しく理解することは、きっと一生できないだろう。千羽を亡くした時に感じた痛みよりも確実に上だとわかるから、その傷に軽率に触れることができない。
「──馳せ参じたまえ、タマモ!」
「──馳せ参じたまえ、ツクモ!」
紫苑がなんと言おうと二人は間違いなく双子だった。偶然にもほとんど同じタイミングで式神を召喚した二人は、嗤う妖狐にタマモとツクモを突っ込ませていく。
「──馳せ参じたまえ、スザク! オウリュウ!」
式神を持たないが故に結希の隣を走っていた美歩にオウリュウをつかせ、タマモとツクモに追いつくように指示を出した。壊滅した式神の家の主だった芦屋家の血と能力を受け継いでいるのは自分たちだ。春と紫苑と同じくらい、阿狐頼と戦う理由を持っている。
「ワタシも戦うよ」
あっという間に自分たちに追いついたのは、和夏だった。同じ近距離型とはいえ騙されやすい椿が最前線に出るのは危険だろう、ここは数多の人格を持っている和夏に頼った方がいい。
「あの百鬼夜行が偽物の百鬼夜行なら──あの人が起こした殺人事件なら、レイの家族の仇でもあるから」
和夏は心から幼馴染みの麗夜のことを愛している。義弟である結希のことも愛している。
その愛は結希に伝わっていたが、麗夜にはまったく伝わっていない。そのことをどちらかというと気づきにくい結希の方は知っているのに、今も和夏の麗夜に対する愛を感じるのに、伝わっていないことが不思議で不思議でならなくて。そんな和夏をこんなところで亡くしたくないと強く思う。
「気をつけて!」
そう言って送り出した。心配だが、和夏は決して弱くない。義姉妹の中で最も濃く妖怪の血を受け継いでいる彼女は、既に我を忘れて動きを加速させていく。
妖狐はまったく動かなかった。疾走する五人を一瞥することさえなかった。狐火を周辺に出現させて、迷うことなく五人の顔面へとそれを飛ばす。そんな高度な攻撃は、義姉妹も娘の亜紅里もできることではなかった。
義姉妹たちの実母であり先代の半妖でもあった彼女たちの力は若い頃よりも衰えていると聞かされたのに、何故阿狐頼だけ現役世代よりも強力なのだろう。
百鬼夜行に関わったすべての妖怪を操っていたという事実も驚愕すべき事柄だった。そんなことは亜紅里にはできない。多分、歴代の阿狐家の頭首もできなかっただろう。できたならば、阿狐家だけ能力の強さが段違いということになる。何もかもが規格外、そんな相手が自分たちの敵、六年前と今回の黒幕──。
戦っても戦わなくても意味はないと思っていたが、六年前から痛みに耐えていた人々にとっては家族の仇だ。無視できない、そんな相手。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
戦うという意志を持っている彼らを守るのが自分の役目。今はただ最前線に出て戦う五人を守るのが、陰陽師である自分たちの使命だった。
九字を切って狐火を消す、できることをただ進めていく。熾夏と愛果、椿と心春も駆けつけているのが視界に入った。一反木綿の鈴歌は乾と雅臣たちを乗せてこの場から離れていく。それを引き止めることはしない。
「──ッ?」
思わず振り向いた。義姉妹たちの最も後ろに立っていたのは、まだ動きが鈍い真璃絵だ。強さはこの数分で完全に証明されたが、彼女を一人にすることはできない。
阿狐頼のせいで誰よりも深い痛みに襲われ、六年を奪われた彼女を、一人にすることは。
「弟クン! 前!」
瞬間に熾夏に頭を叩かれた。
「まり姉のことが心配なのはわかるけど、君だって狙われないわけじゃないんだからね!」
その言葉通りに狐火が飛んでくる。心春の言霊で事なきを得たが、再び飛んでいく狐火は──毒々しい赤き空を引き連れて、陽陰町に向かっていた。




