十四 『執念』
研究所にいる風と乾が出した数値は、半妖の力と瘴気の両方だった。町全体が瘴気に包み込まれている今、それがない場所は特殊な結界が張ってある複数の式神の家だけで。その中で半妖が力を出している場所は──現状たった二つしかなかった。
『片方の半妖の数値が消えたよ。これは間宮家かな』
「じゃあ……!」
『特定完了だ。行ってこい』
「はい! ありがとうございます!」
『いや、君のことじゃないよ』
「えっ?!」
『とにかく、北北東に向かってくれ』
「はい、わかりました!」
真璃絵がスマホを操作して通話を切る。真璃絵は結希が無理矢理おぶったままだ。そんな彼女を研究所に置き去りにするわけにもいかず、このまま北北東まで連れて行くこともできず。
「真璃絵さん、バス停まで連れて行きます。そのまま家に……あいだ?!」
駄目だった。彼女は百妖義姉妹の三女だから。
「わたしも、いっしょに、行くわ」
家族のことを決して見捨てない、愛に溢れた義姉妹たちの──そんな彼女たちを物理的にも精神的にも守ってきた三女なのだから。そして、今はもうたった三人しかいない骸路成家の長女兼最年長者なのだから、共に行くと言い出すのは自然だった。
「足は、引っ張らないから」
腕に力が込められる。自分が真璃絵をおぶっているのではない、自分が真璃絵に抱き締められている──そんな気がする。
「でも」
「いやって言っても、ついていくわぁ」
自分の体を掴んだ複数の人骨の手を、振り解くことができなかった。ただの骨のはずなのに餓者髑髏というだけでこうも強力な骨になるのか。こんな強力な骨に守られていたのか。
吐く息が白い真冬であるにも関わらず異様な汗を掻いている。結希はまだ、真璃絵という人物の欠片も知らない。彼女にどんな言葉をかけたらいいのかもわからないから、「頑張る」という言葉に「程よく」としか返せなかった。
「……わかり、ました」
百妖義姉妹たちの執念深さだけは知っている。彼女たちは何があっても諦めない、何があっても戦っている者の元に駆けつけてくる、だからこちら側が折れるしかない。
「ありがとお」
真璃絵はきっと笑っている。そう思うのはこの数日の積み重ねであり、眠り続けた六年の重さであり、百妖義姉妹たちの彼女に対する愛があったからだった。
そんな真璃絵をおぶってどれくらい走っただろう。研究所を包み込む森から離れ、目的地がはっきりした瞬間に方向を変えて突っ込んだ場所も森で。どこか雰囲気が異なるそれに違和感を感じながら開けた場所に飛び出すと、そこに広がっていたのは裁判所を包み込む自然公園だった。
結希が今まで走ってきた場所はそんな自然公園の一部である整備された森だったのだろう。裁判所を縄張りとしている小白鳥家の人間は知っていても裁判員の知り合いはいない結希は、そのまま走る。時間がかかる上に体力も削られるが、向かう手段はこれしかない。
そんな結希と真璃絵を覆った影は、あまりにも大きかった。
「馬鹿正直に走るな、馬鹿」
「…………乗って、二人とも」
その声だけで誰かがわかる。低空飛行で結希と並んだ一反木綿は鈴歌の力の一部であり、黄昏時が近い今、どの妖怪よりもはっきりと姿を保つそれに飛び移る。
調査だけでなく戦闘にも加わるらしい乾は白衣を脱ぎ捨てて《カラス隊》の軍服に着替えており、スマホを耳にあてがっていた。
「二人とも、なんで……!」
言葉にした瞬間に殴られる。殴ったのは鈴歌で、それがあまりにも意外で、どうしていいかまたわからなくなった。
「…………言ったでしょ。連れてくって」
「それに、風から場所を聞いて正確な位置を特定することができるのは私だろ? 芥川と真、他の隊員も待機してもらっている。何かあった時の為にな」
多くの人たちに支えてもらっている。そのことを理解しているつもりだったが、改めて、思い知る。
「鈴歌さん、乾さん……真璃絵さん」
拳を強く握り締めた。
「俺は、阿狐頼を倒すつもりはありません。阿狐頼を倒しても百鬼夜行が止まるとは限らないなら、二人の命を優先します」
「止まるとは限らないってどういうことだよ」
「美歩が言っていたんです。百鬼夜行を起こすか起こさないか決めるのは妖怪だ、自分たちは百鬼夜行を起こす為に結界を壊していたわけではない、って」
「なるほど、嘘じゃなさそうだな」
結希だけでなく美歩の心も透視したのだろうか。乾が信じたということは真実と言っても過言ではなく、安堵する。
「…………できるなら勝ちたいけど、命を優先するのは正しい」
「そうねぇ」
「…………でも、この人数だったら、救うこともできない」
「そうねぇ」
「…………マリ姉、戦えるの?」
「できるわよぉ、ぷんぷん」
「…………無理しないでね」
「しないわよぉ、ぷんぷん」
義姉妹の中でも上位に位置するほどにマイペースな二人の会話は異様に時間がかかる。
「鈴歌さん! 途中で駅前の方に行ってほしいんですけど!」
「…………そこで待ち合わせするの?」
「はい。そこで!」
「…………わかった」
彼らはもうすぐそこまで来ていた。式神たちと一緒に間宮家の式神の家には行かずに結城家で待機していた彼らの行動は異様に早く、車に乗っているのかと思うほどだ。
気配を辿る。妖怪の気配ほどではないが、陰陽師の気配は用意にわかる。
視界に入った例の車は、結城家の車だった。運転しているのは結城家が雇っている運転手でも涙でもない。この気配は、多分、母親だ。
「……ッ」
結希の母親で、雅臣の元妻の朝日だった。
妖怪が徐々に徐々に半透明であった体を元の姿に戻していく。そんな黄昏時の、瘴気もまったく消えていない中での運転は非常に危険だ。免許を取っていない結希でさえわかることなのに彼女はまったくわかっていない。その助手席と後部座席に誰を乗せているのかもわかっているのだろうか。別れた夫の養子たちを連れてそんな彼の元へと向かおうとしている彼女は、今何を思っているのか。
「紫苑! 美歩! 春!」
名前を呼ぶ。中にいる三人に聞こえるように。
「だけじゃないよ」
瞬間に一反木綿の体が弾んだ。乾と真璃絵と共に宙を舞い、一反木綿の体に戻って鼓動が大きくなった心臓を撫でる。
「しいちゃん、わかちゃん」
「なんで二人まで?!」
百妖義姉妹たちのことは呼んでいなかった。呼びそうな人間が宙にも舞わずに隣で大人しく座っているが、それにしたって来るのが早すぎる。
覚醒後の半妖姿をした二人は獣の妖怪の半妖で、それを可能にすることができるほどに身体能力が高い二人だった。
「なんでって、家族でしょ? つき合うよ」
熾夏が当たり前のように笑っている。義姉妹たちの中で誰よりも先に家を出た彼女がそう言って笑っている。麻露と変わらない愛を持っているからこそ麻露と異なる愛を家族に注いでいる彼女が誰よりも眩しかった。
「相談された時から何かあるんだろうな〜って思ってたから、いつでも行けるように準備してたんだよ〜」
和夏も両手をヒラヒラと振って笑っている。猫のように気ままに過ごしている彼女だって、家族に危険が迫っていたら誰よりも先に駆けつける。一つでない人格を持っていて、きっとどの人格も家族のことを愛しているのだろうと思う。
「…………まぁ、命を助けたいって部分も阿狐頼のこともまったく聞いてなかったけどね」
「芦屋義兄弟が全員揃っていることもな」
説明しろ、そんな四人の視線が突き刺さる。相談した時は式神の家の中に入りたいとだけ話していた自分の方が圧倒的に悪かったが、予想通り怒られてしまった。
「阿狐頼が潜伏している式神の家の中に入りたくて、けどそれは倒す為じゃなくて、中に閉じ込められている人を──真菊を、助けたくて」
「マギクを?」
ぽかんと口を開けたのは和夏だった。亜紅里を守る為に結希と共に真菊と戦ったことがある彼女は、信じられないとでも言うような顔をしていた。
「それはなんで? 真菊は阿狐頼の仲間じゃないの?」
「違うんだろ。こいつがそう言うってことは」
「これは……全員が集まってる時に言います」
「…………そういうことなら、わかった。絶対に助けて帰ろうね」
その支えが今日も、嬉しかった。




