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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十一章 骸骨の覚醒
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十一 『できることがあるのなら』

 四限目が終わった瞬間に学校を早退し、自分たちの家がある坂道の前で真璃絵まりえと待ち合わせをしていた結希ゆうきが午後三時に訪れたのは、綿之瀬わたのせ家の研究所だった。

 陽陰おういん町の東の森の中に位置するこの研究所はすべてが蔦で覆われており、現役で機能している施設だとはとても思えない。見た目をまったく気にしていないのは綿之瀬家らしいといえば綿之瀬家らしいが、名家の一族としてもう少し気にしてもいいのではないかと思う。


 呆然と突っ立って入口を探していた結希の前に姿を現したのは、私服に白衣を羽織ったいぬいだった。彼女は足を止め、結希と真璃絵──そしてタマ太郎たろうを出迎えに出てきたのか顎を動かして二人を呼ぶ。

 ずっと結希の肩に手を置いて歩行していた真璃絵は恐る恐る手を離し、自力で立った。自分に歩幅を合わせながら少しずつ歩く結希と共に乾が待つ方へと進み、何も言わずに待っていた彼女と合流する。


「そいつか」


「はい」


 乾が見つめている頭上にいたタマ太郎を持ち上げて、腕の中に抱く。間宮まみや家の式神しきがみが全員家を空けているせいでほとんど一人ぼっちだったタマ太郎は、久々に結希に会えて嬉しそうに喉を鳴らしていた。


「で、そっちが骸路成ろろなり真璃絵だな」


 最初は話の中に含まれていなかったが、真璃絵が目を覚ましたのなら話は別だと言ったふうの指示でここまで来た真璃絵はゆっくりと顎を引く。

 真璃絵は自分が研究所に収容されかけたことを知らない。最初から最後まで妖目おうま総合病院で眠っていただけだと思っている。だがそれは間違いで、真璃絵はこの六年の間ずっと綿之瀬家と妖目家──正確には風と明彦あきひこに生かされていた。


「ていうか乾さん、仕事はいいんですか?」


 今は緊急事態でどの家も忙しいはずだ。特に乾の本来の職場は妖怪を専門とする組織《カラス隊》で、乾はそこの要であり班長という立場なのだから一番忙殺されていると言っても過言ではないはずなのに。


「緊急事態だからだよ。私の能力を今一番必要としているのは綿之瀬家だ。そう自覚しているし、隊長からの指示でもある。だからここにはアリアはいないぞ? あの子の能力は現場で使うモンだしな」


「あぁ、確かにそうですよね」


 アリアと乾は綿之瀬家の養女だ。二人とも妖怪専門の研究員にはならず、人工半妖はんようとして《カラス隊》に従事している尊い人たちだ。


「さぁ、行くぞ。風たちが待ってる」


「たちって他に誰かいるんですか?」


「馬鹿か。《十八名家じゅうはちめいか》の全家が検証に関わると言ってただろ」


「あっ、じゃあ皆さん来てるんですか?!」


「そうだ。お前らはその旧頭首を待たせてるんだよ」


「すみませんでした」


 時間通りに来たのに何故か怒るような口調で言われ、二人揃って背中を丸める。乾はそんな二人を中に入れ、複雑な迷路のようになっている廊下を歩かせた。


「凄いですね、このぐにゃぐにゃ感」


「まぁ、妖怪が来たり脱出したりした時の時間稼ぎが必要だからな」


「もしそうなったらめちゃくちゃ怖いですね……」


「そうなった時になんとかしたのがお前ら二人だろ」


 断言された。だが、乾の言うとこは正しかった。

 結希も、真璃絵も、百鬼夜行の時に自分の身を犠牲にしたにも関わらず死ぬことができなかった生存者なのだから。結希にその記憶はなくても、真璃絵はきっとそうではない。昨日のことのように覚えているはずだと思って恐る恐る視線を落とすが、真璃絵はあまりにも──そう、あまりにも普通の顔をしていた。あまりにも感情らしい感情が見られなくて心臓が止まりかけたくらいに、真璃絵の顔は何も表していなかった。


 まるで、なんとかするのが当然で──何も怖くなかったと思っているかのような、そんな感じが表れていた。


「来たか」


 乾が指紋認証で開けた扉の先にいたのは、風と明彦と蒼生そうせいだった。輝司こうしが《カラス隊》の隊長として忙殺されている以上、蒼生が来るしかなかったのだろう。少しだけ意外だったがそう納得して、冬乃ふゆの恭哉きょうやがいることも確認する。


「お兄さん」


 話しかけてきたまこの腕に抱かれていたのは、化け猫だった。


「その子が?」


「はい。あんこです」


 黒猫のあんこは真の腕の中が一番落ち着くのだろう。心地良さそうに眠っている。


『ナンダ、ソイツ。ヘンナヤツ』


「あんこだよ、タマ太郎くん」


 頭を上げて鼻を突き出したタマ太郎に微笑みで答えた真は、タマ太郎の言葉をきちんと理解することができていた。


 タマ太郎もあんこも妖怪だが、結希と真によって名前で縛られている。だから普通の妖怪とは違うが、二匹はそもそも町内の妖怪と生まれ方からして異なっている。だから何もかもが違う。それを科学的に証明しなければならない。そして、それを見届けなければならない。妖の力を受け継ぐ姉に、妹に、従妹に代わって。


 実験室の奥の方には吹雪ふぶきがおり、めぐむも、和穂かずほも、青葉あおばも、鬼一郎きいちろうも、八千代やちよもおり、じっと時が動くその瞬間を待っていた。


「全員揃ったから始めよう。真璃絵」


 綿之瀬家の旧頭首であり、この研究所の責任者でもある風の手招きで真璃絵が傍から離れていく。


「真璃絵さんに何するんですか、風さん!」


 昨日は普通に塩対応をしてしまったが、真璃絵のことが大切でないわけではない。守りたいと思う気持ちはまったく変わっていないから、風が真璃絵に何をするのかと考えただけで恐ろしくなった。


「…………大丈夫」


 振り返ると、いつの間に実験室に入ってきたのか──綿之瀬家現頭首の鈴歌れいかがそこに立っていた。


「大丈夫、って」


 鈴歌は数ヶ月前、真璃絵が研究所に収容されることを反対していたはずだ。そこで風と口論していたことを結希はまだ覚えている。


「検査だよ検査。目覚めてから一度も行ってなかっただろう? 明彦も呼んでいるし、ここではっきりすべきことははっきりするべきだ」


「健康診断みたいなものだからそんなに怖い顔しちゃ嫌よぉ? けど、言葉足らずだったみたいでごめんなさいね?」


「真璃絵を呼んだ時点で察してほしいところではあるがな。真璃絵、これを持って半妖姿になってほしい。できるか?」


「……う、うん」


 手渡された小型の機械を握り締めて頷いたが、真璃絵が姿を変えることはなかった。きょろきょろと辺りを見回して、困ったように鈴歌を見つめる。


「…………風、この中じゃ狭い」


「いや、この中で大丈夫なはずだ」


「…………なんで? マリねぇ餓者髑髏がしゃどくろだから、もっと広い場所が……」


「なってみたらわかるさ。だろう? 真璃絵」


 そんな彼女に全員の視線が注がれる。真璃絵はごくりと唾を飲み込み、一瞬だけ結希に視線を移して、室内に突風を発生させた。

 空気がビリビリと震えている。真璃絵がこれから半妖になることを伝えている。餓者髑髏がどのような妖怪なのか知っていた結希も、ごくりと唾を飲み込んだ。個体差はあると思うが、麻露ましろが大型妖怪だと称した真璃絵の半妖姿は──人の骨の姿ではなかった。


「……え?」


 真璃絵は、真璃絵のままだった。いや、もう少し正確に言うと、白い着物を着た真璃絵の姿をした真璃絵だった。

 どういうことなのかまったくわからない。袖から出ている真璃絵の左手だけが人骨で吐き気がする。真璃絵はぽかんと自分の姿を隅々まで見つめ、何かが閃いたのか軽く右手を振って人骨の手を自分の剥き出しの肩に生えさせる。


「やっぱりな」


 そう言ったのは乾だった。


「…………ユウキ?」


 ドスの効いた声が右側後方から聞こえてくる。ぴったりと背後に張りついた鈴歌は確実に怒っており、殺気まで放っていた。


「…………どうしてマリ姉が覚醒してるの?」


 どういうことなのかまったくわからなかったのは、そういうことだった。覚醒のきっかけが陰陽師おんみょうじの口づけだと結希も義姉妹もわかっているから、鈴歌はこんなにも怒っているのだろう。


「いやっ、俺は何も知らな」


「…………したの? ちゅう」


「してないです!」


「…………じゃああれは何? マリ姉がユウキを襲ったってこと?」


「わかりませんけど! 少なくとも〝それだけ〟じゃないじゃないですか!」


「…………だからってちゅうの可能性が消えたわけじゃないでしょ」


「記憶にないですから!」


「…………最低」


「いやっ、そういう意味じゃなくてですね?!」


「…………じゃあどういう意味?」


 ぎゅうっと制服のブレザーを握り締めて訴える鈴歌の頭がこれ以上近づかないように必死になって抑えていると、「何してるんだ」とその場にいたほぼ全員から突っ込まれる。

 本当にそうだ。《十八名家》の旧頭首たちやその親族たちが一堂に会しているこの空間で義姉弟喧嘩をしている場合ではないのに。


「……な、なに、これ?」


「覚醒したんだよ、お前は」


「ど、ゆー、ことなの?」


「覚醒っていうのは、陰陽師や土地神が半妖に力を分け与えることによって目覚める半妖の真なる力のことだ」


「えっ、何それ知らないですけど俺」


「綿之瀬家の最新の研究結果で判明したからな」


「ど、どんな研究したんですか」


「聞き取り調査とデータと私の目だ」


 結希は何も知らなかった。頭首の鈴歌でさえ細かいことは聞かされていなかったらしく、目を見開いて風と乾のなんでもないような態度を見つめる。


「真璃絵、返してくれ」


 真璃絵から小型の機会を受け取った風は奥の部屋に引っ込んでいった。真璃絵はまだ自分の姿が不思議で不思議で仕方がないらしく、眺め回して結希の方へと歩いていく。


「……真璃絵さん」


「…………マリ姉」


 他の義姉妹たちの変化は凄まじいのに、人間の姿の真璃絵が目の前にいるみたいだ。それくらい、彼女の左手くらいにしか変化らしい変化が見られなかった。


「ゆう、くん」


 ようやくはっきりと名前を呼ばれる。


「れい、ちゃ、ん」


 ぴったりとくっついてくる鈴歌がびくりと体を震わせる。


「……わたし、たたかえる、よ」


 その言葉を飲み込む為にはそれなりの時間が必要だった。すぐには理解できなかった。



「わたし、も、たたかって、みんなのやくに、たつからね」



 微笑む真璃絵は美しい。今の今まで自分がいなければ歩けなかった幼女のような自分の義姉は、この一週間で本当の本当に自分の義姉になってしまった。


「俺は、姉さんを守りたいです」


 ブレザーを握り締めていた手にまた力が込められる。



「今度こそ」



 六年前、この場にいる義姉妹たちの親族だけでなく、多くの人々を結希は救った。結希を救った人は、知らないだけでイヌマルの他にもたくさんいるのかもしれないが、麻露や依檻いおりの話を聞く限り真璃絵ただ一人であることを知っている。


「わたし、は、ゆうくんを救うことが、できて、嬉しいわ」


 そのまま鈴歌とタマ太郎ごと抱き締められた。

 言葉にならないような甘い匂いがする。鈴歌のバニラのそれと混じりあったのはミルクのような甘い匂いで、意識が朦朧とする。


「俺も嬉しいです」


 真璃絵にこうして抱き締められたのは、数少ない奇跡の連続の一つのような気がした。

 異性としてではない。本当に弟として愛されていると感じるから、嬉しくなる。


 彼女たちが義姉妹にならなかったら、彼女たちが愛を知ることはなかったのだろうか。結希が百妖ひゃくおう家に来たばかりの頃はあまり感じなかったが、背後にいる鈴歌然り、多くの義姉妹からの愛を感じる。


 だから、迷惑かもしれないが、まだ諦める時期ではないのかとも思う。


 芦屋あしや義兄弟たちは今どんな胸中で日々を過ごしているのだろう。百妖義姉妹の中の誰かが雅臣まさおみ真菊まぎくのような目に遭ったら、自分はきっと耐えられない。


「もう二度と、離れないで」


 鈴歌に腹部を抓られた。だが、もう逃げない。できることがあるなら全部やろう。そう思う。


「だから、真璃絵さん」


「?」


「今から死ぬ気で鍛えてください」


「?!」


 涙目になる彼女に早速腹筋をさせる。鈴歌や旧頭首たちから不審そうな目で見られたが、気にしない。


「…………いつものユウキで安心した」


「ちょっと待ってください、いつもの結希お兄さんってこんな感じなんですか……?」


 腹筋が何十回か終わった頃、風が奥の部屋から戻ってきた。

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