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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第一章 金狸の幻術
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幕間 『遠い日の約束』

 揺れないように飛行する一反木綿いったんもめん鈴姉れいねぇに運ばれて、ウチらは妖目総合病院おうまそうごうびょういんへと駆け込んだ。


鈴歌れいかあいちゃんは先に家に帰ってて!」


 しいねぇ結希ゆうきを担架に乗せ、待機していた医者や看護婦たちは変化へんげを解いたシロねぇ朱亜姉しゅあねぇ、わかねぇのことを治療室へと運んでいく。


「でもっ!」


 本当に帰ろうとする鈴姉の肩を掴んで、いつの間にか人間の姿に戻っていたウチは叫んだ。


「帰りたくない! シロ姉たちはともかく、結希は……っ! 結希がっ!」


「じゃあそこで待ってなさい!」


 しい姉は看護婦に差し出された白衣を羽織って、結希が乗った担架を押しながら駆けて行った。

 そんな姿が見えなくなって、力が抜けたウチはその場にへなへなとしゃがみ込む。


「…………アイカ」


「ごめん鈴姉。鈴姉は帰りたいよな」


 別に薄情だとは思わなかった。

 鈴姉も、ウチと同じで六年前の〝あの日〟を境に変わってしまった。ウチと同じで心が砕かれてしまったから、無理強いはしない。


「…………ボクには、イオねぇたちに報告をする義務がある」


 そういえばそうだった。ウチらの中で唯一飛行できる鈴姉は、百鬼夜行を受けて状況を迅速に報告する役目を担わされていた。

 心を砕かれてもう立てないと思っても、ウチと違って明確な役割を背負わされ、その役割に従順できる鈴姉のことが死ぬほど羨ましい。ウチにできることは、本当に何もない。


「…………だから、アイカがユウキの傍にいて」


 顔を上げると、鈴姉の姿はもうどこにもなかった。目を離すとあっという間にどこかへと消えてしまう、そんな危うさを持つ鈴姉のせいで不安を掻き立てられる。


 怖い、そう思うのにこの体はもう豆狸まめだぬきには変化しなかった。


 唇を強く噛み締めて、床にしゃがみ込んでいる自分の弱さに嫌気が差す。

 残った力を振り絞り、なんとか立ち上がったウチはソファに座る。瞬間、慌ただしい足音が廊下の奥から聞こえてきた。


 藍色の髪を振り乱している少女のことは知っている。結希の幼馴染みの妖目明日菜おうまあすなだ。この病院の跡取り娘でもある後輩はウチの方には目もくれず、何故か治療室へと走っていく。


「ちょっと」


 明日菜はウチの声に気がついて、けれどその扉を開けようとした。


「待ちなってば!」


 勢い良く振り向いた明日菜は、しい姉の千里眼のように存在感を放つ瑠璃色の瞳でウチを睨んだ。その目には、暗くてよく見えなかったけれど大粒の涙が溜まっている。


百妖ひゃくおう……愛果あいか!」


 明日菜はカツカツと大きな音をたてて近づいてきた。強く胸ぐらを掴まれて、反射的に明日菜の手首を握り締める。

 目の前の明日菜が痛みに顔を歪めるが、怒りの方が強いらしくウチの胸ぐらを絶対に離そうとしなかった。


「ゆうきちが大怪我を負ったのは貴方のせい?!」


「ッ!」


「答えて!」


 責めたてる声が胸を刺す。ウチは明日菜の手首を離した。

 ウチがこれ以上この子に抵抗する権利は──ないと思ったから。


「やっぱり貴方のせいだったの。朝日あさひさんが貴方の親と再婚したらしいけど、こんな目に合わせるのならもう二度と近づかないで!」


 何も、言えなかった。

 ウチは結希の幼馴染みの明日菜に、ぶつける言葉を持たなかった。


「悪人の貴方がゆう吉に近づかないで! せっかく六年前……っ、あの状態から回復できたのに! 妖目はもう二度と、ゆう吉に辛い思いをさせたくないのに……!」


 明日菜の涙が、頬を伝って床に落ちた。その涙は綺麗だった。


 明日菜が言っている六年前に何があったのかは考えなくてもわかる。あの忌々しい百鬼夜行のことだ。

 きっと結希は、優しい人だからその時も大怪我を負って。優しい人だから、何も言わずにウチらの傍にいる。


「アンタが治療室に行ってどうするの」


「手伝いくらいならできる」


「なんの資格も持ってないくせに。邪魔なだけじゃない?」


「そんなこと……!」


「実際、アンタは今ウチらの邪魔をしてる」


 明日菜の眉が上がった。唇が怒りで震えている。


「もう一度言うと、叩く」


「邪魔なの。ウチらの……百妖家と結希の絆の邪魔なのさ!」


 パァンッ、頬に鋭い痛みが走った。

 当たり前だ。なんの力も持たない明日菜をウチらの戦いに巻き込ませない為に、邪魔者扱いしたんだから。


「〝絆〟って何……。一体なんなの」


 明日菜は震えた声色でそう尋ねた。

 明日菜と結希は幼馴染みだけど、ウチらと結希は半妖はんよう陰陽師おんみょうじという運命の関係にある。町と人を守る為に大怪我を負った優しい結希は、きっとウチらでしか守れない。そんな世界に、優しい明日菜を巻き込む訳にはいかない。


 明日菜は、結希の為に泣ける純白で無垢な〝人間〟なのだから。


「アンタにウチらの絆を断ち切る権利はない。……ウチらの絆は、アンタには言えないけれど」


 今度こそ守ってみせる。だから結希、早く目を覚まして一緒に家に帰ろうよ。


「ゆう吉は、ずっと何かに囚われていた。妖目にはそれが何かわからなかったけれど、貴方にはわかるの? その絆は、ゆう吉を助けてくれるの……?」



「──助ける。ううん、絶対に守る」



 明日菜は瞳を閉じて、涙を流しきった。ウチの胸ぐらを掴む手を離して、明日菜はゆっくりと手首を擦る。


「ごめんなさい」


「ウチこそごめん。痛かったよな」


「かなり」


 明日菜はくしゃりと無理矢理笑って、ウチの隣に座った。


「先輩。ゆう吉のこと、よろしくお願いします」


「当たり前」


 それは強がりなんかじゃなかった。

 強がってたのは、ずっと堪えていた涙だった。





 美しい陽陰おういん町が茜色の夕日に染まる。ウチはその中を豆狸まめだぬき姿で走っていた。


「いおねぇのばか! ばかっ、ばかぁっ!」


 イタズラ好きのいお姉は、驚くと豆狸になってしまうウチをずっと面白がっていた。いお姉は今日もイタズラをして、当然豆狸に変化へんげしてしまったウチはついに家出を決意する。

 人間の姿に戻ることも忘れて、逃げた公園のベンチの下にウチは隠れた。隠れて、不安定な自分の妖力を呪った。


 ──嫌だよ。こんな力、いらないよ。


 胡桃色の毛が土に汚れるのも構わずに、ウチは這いつくばって泣きじゃくった。そんな時だった。

 長く伸びる影がウチの小さな体を覆って、じいっと見つめてくる。毛が逆立って、必死に逃げることを考え始めた刹那だった。


「泣いてるの?」


 声変わりしていない、本気で心配しているようなその声にウチは顔を上げて。透き通った漆黒の瞳と視線を交わした。


「大丈夫? どこか痛いの?」


 ──心。


「心?」


 ウチは目を見開いた。この同い年くらいの少年は、ウチの言葉がわかるのかと。生まれて初めて心が通じ合える人間に出逢えたのかと、体が歓喜で震え出す。


 少年は、ウチの言葉を受けて手を差し伸ばした。


「怖くないよ」


 その言葉を疑わなかった。


 ウチは少年の掌に自らの狸の手を乗せて、ベンチの下から引っ張り出してもらう。そのまま少し離れた場所にあるブランコに座り、少年はウチを膝の上に乗せた。

 見上げると、茜色の空に夕日がぽっかりと浮かんでいた。


「ぼく、心の治し方がわからないんだ。だから狸さんの心はぼくには治せない」


 悲しそうに少年が言った。ウチはまた、声に出して喋りはしなかったが──ありがとう、ただそう思う。


「どうしてありがとうなの? ぼく、狸さんの傷治せないんだよ?」


 すぐさま少年が言葉を返した。声に出さなくても少年と会話ができるありがたさが心地よい。その気持ちだけで充分嬉しい。


「……狸さん」


 ──ありがとう。


「……ごめんね」


 ──ありがとう。


「いつかぼくが今よりもっと強くなったら、狸さんの傷、絶対に治してあげる! 〝約束〟するっ!」


 少年はそう言って、ウチに無理矢理指切りげんまんをさせた。少年の言動に再び驚いていると、少年はへへっと笑って無邪気にウチを抱き締める。


「ッ!」


 声が出そうになるのを必死になって堪えていると、少年が「あれ?」と指を差した。少年の人差し指の先──公園の入り口にいる一匹の豆狸が、こっちをじっと見つめている。


「お母さんが迎えに来たのかな」


 ウチより一回り大きな豆狸が親に見えるのか、少年はおもむろに立ち上がった。それはあながち間違ってなくて、豆狸に変化したしいねぇはどこか不機嫌そうに見える。


結希ゆうきくーん。帰るよー」


「あ、ぼくのお母さんも呼んでるから行くね」


 ──え?


 ウチの不安を読み取ったのか、結希はウチを地面に下ろす時に微笑んだ。


「また会えるよ。だって約束したもんね」


 あぁ、そうだ。そんな気がする。だってウチの声が聞こえるんだから。

 自分の気持ちを伝えたくて大きく頷いた。その瞬間が人生で一番幸せだった。


 別れたウチと結希は、それぞれの保護者の元へと駆け寄る。振り返ると、母親と手を繋いだ結希がウチに手を振っていた。

 思わず手を振ろうとして、できないことに気づいて、数歩前に出てきたしい姉がウチの視界から親子を隠す。


『しい姉!』


 文句を言った。言われたしい姉は普段とは違う空気を身に纏っていて、それ以上の発言を許してくれそうになかった。

 しい姉に連れられて入った公衆トイレで人間の姿に戻ったウチたちは、無言で帰路につく。向かう先は結希たちとは正反対にある森の中。半妖ウチらしか住んでいない秘密の家だ。


あいちゃん」


「し、しい姉……怒ってる?」


「当たり前でしょ。あの男の子、陰陽師おんみょうじだったんだよ?」


「えっ?」


「あの子が子供じゃなかったら、愛ちゃんのことが半妖はんようだってわからなかったら、愛ちゃんは今頃死んでたかもしれないんだよ?」


 しい姉はウチに詰め寄った。片方しかない目はどう見ても本気で、ウチは真実なのだと思い知る。

 しい姉は狐だからあまり好きじゃないけれど、ウチのことを本気で心配してくれていると知った茜色の日。


 当時十一歳のウチは、人生に関わる約束をした。





 ゆさゆさと揺さぶられて目を覚ます。目の前にいたのは、窓から漏れる朝日に照らされたしいねぇだった。


「しい姉っ!」


 勢い良く体を起こす。と言ってもソファに座ったまま寝ていたから、しい姉の額に自分の額をぶつけてしまった。


「いった! あいちゃん慌てすぎ!」


「ごっ、ごめん! しい姉結希ゆうきは?!」


「一命は取り留めたよ。だから安心して学校に……」


「行かない! 今日は結希の傍にいる!」


 食い気味でそう言ったが、しい姉は眉間に皺を寄せて、叱るように腰に手を当てた。


「本気で言ってる? 明日菜あすなちゃんは渋々とだけど学校に行ったよ?」


「本気。ウチは優等生の明日菜と違って不良だし、問題ない」


 すると、断言したウチに向かってしい姉はさらに眉を潜めた。


「不良って。まだそんな〝ごっこ〟をやってるの?」


「〝ごっこ〟じゃない! ウチは不良だ!」


 立ち上がって、綺麗に染め上げた金髪を見せびらかす。かつての髪色だった胡桃色は、もうどこにもない。


 六年前、鈴姉が感情を殺したように。ウチは一番弱くて情けなくて役立たずな自分を殺したのだ。


 不良として形から入って、ウチが弱いなんて思ってるヤツは家族以外どこにもいなくなって。……まぁ、結希が怖がらずに接してきたのには驚いたけれど。何も、知らなかっただけなのかもしれないけれど。それが今まで生きてきた中で一番嬉しかった。


「はいはい、もういいよ」


 しい姉は諦めたように呟いて髪を掻いた。よく見ると、目の下にくまがある。


「結希の病室は?」


 徹夜したんだ、とは言わなかった。しい姉は、六年前も今も疲れどころか弱ささえ見せない悪い悪い女狐だ。だから心配なんてしてあげない。

 面倒臭そうに病室番号だけを告げて、しい姉は仕事に戻っていく。そんなしい姉の幸せを願った。




 病室に足を運んで、ベッドで深い眠りにつく結希の顔を覗き込む。その顔には、六年前の面影がある。

 廊下でぶつかったあの時は、結希があの日の少年だなんて思わなかった。まさかと思ったのは、結希が陰陽師おんみょうじだと知った時。まともに見て来なかった結希の顔を観察し、椿つばきを助けたとみんなから褒められたあの表情が、どこか懐かしかったのだ。


「……ごめん」


 何度も酷いことを言った。何度も自分の自己満足でしかない〝不良ごっこ〟につき合わせた。

 何度も暴力を振るって、傷つけて、危ない目にも合わせてしまった。


 謝りたいことはたくさんある。本当はもっと誠意を込めて謝らないといけないのだろうけど、結希はそれを求めていないような気がした。

 出逢ってから今までの日数も、交わした会話の数も、大切な姉や妹と比べたらゼロに近い。それでも、こうやって謝ったら困ったような顔をするような気がするのだ。


「ありがと」


 そう言ったら、少しでも笑ってくれるだろうか。自分は何もしていないと謙遜するかもしれない。ウチはまだ、結希のことを全然知らない。


 近くにあったパイプ椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。靴を脱ぎ、膝を抱え、息を吐く。


 これから、嫌というほど長い時間を一緒に生きることになるのだろう。結希を知る時は、結希が目覚めてからでも遅くはない。


 額を膝に乗せて笑みを零した。こんな気持ちになれたのは、きっと六年ぶりだった。


「……ありがとう」


 ありがとうが溢れて止まらない。今回のことも、覚えていないかもしれないけれど、あの日の約束を守ってくれたことも。全部全部ありがとう。


 そこまで思って、不意にしい姉がここに来る前に言っていた自分の覚醒を思い出した。

 これも、ありがとうだ。


「ウチの傷はもう消えたよ。〝とっておき〟も、もう使わないくらい強くなれたから……だから、さ。早く目を覚ましてよ」


 結希の手を握り締めた。

 眠る結希を今も弟だとは思えない。弟になってしまうと、自分が本当に望む関係にはなれないから。



「──ちゃんと、〝約束〟守ってよ」



 祈るように呟いた。

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