十七 『王の決断』
陰陽師の王族である結城家には六月に屋根を破壊されてから結界が張られており、それは今でも破られていない。それでも、その周囲に群がる妖怪は──いた。
「オウリュウ!」
名を呼んで、開けていた前簾から身を投じる。
「お兄ちゃん?!」
「なっ……」
風が全身を痛めつける前にオウリュウが結希を受け止めた。陰陽師と式神は結界には阻まれない。上空から結界の中に突入し、残された月夜と幸茶羽を見上げる。
「タマ太郎! そこにいろ!」
タマ太郎も、座敷童子の双子も、妖の血が入っているせいで結界の中に入ることができなかった。周囲にいる妖怪はタマ太郎──正確にはタマ太郎の屋形車の中にいる双子を狙っているが、すぐさま跳躍したオウリュウに討たれる。
「ゆぅ!」
「結希、帰還感謝です!」
結城家から飛び出してきた王と王女は、結希の想像以上に切羽詰まった表情をしていた。それだけで、結希が不在の間に何かがあったのだと悟った。
「一体何が……」
「こいつらやってもあんま意味ない! こいつら朝からいるんだもん!」
「はぁ?!」
「半透明だったけどね。夜が明けても瘴気が薄く残っているし、そんな妖怪が徘徊してるし。迂闊に近づけなかった上に肝心の君がいなかったからしばらく様子を見ていたんだけど、その様子だと退治した方がいいのかな」
視線を上げると、初めて会った時よりも透き通った肉体を持つ千羽が浮いていた。
「千羽が知恵を絞って原因を探り、紅葉と火影が現場に行って様子を見、俺が全員を統率です。歯車は上手く回転ですが、俺たちにはやはり、結希が必要です」
急接近してきた涙はそれだけでは満足せず、何故か顔まで近づけてくる。冷たさを感じる薄花色の瞳なのに、膨大な熱が結希の瞳を奥の奥まで見つめてくる。
そこには答えがあった。その答えを涙は見つけることができなかった。
「結希くん、妖怪はなんて言ってるの?」
「こんな大事な時にいなかったんだから何かしてたんでしょ?! ねぇ、何かわかったの?!」
「オウリュウの峰打ちを確認です。……妖怪は、不殺ですか?」
答えへの手がかりを見つけた涙は、正気を問うわけでもなく、決意を固めたわけでもなく、結希の口から明確な答えを聞く為に問いかける。
「……なるべく、不殺だ」
その決断を理解も納得もしていないようだったが、三人は結希の意思を尊重するように一度深く頷いた。
「なるべくってことは、危なかったら殺していいんでしょ?」
「そうだ」
「でも、できるなら生かしてほしいんだね?」
「そうだ」
「結希。陰陽師の王として質問です。結希は陰陽師と妖怪──どちらの味方ですか」
「両方だ。俺は人と妖怪が共存できる道を探したい、けど持っている情報が偏ってるから全員が持っている情報を共有して確認したい。陰陽師も半妖も《十八名家》も関係なく、一度全員を集めたいんだ」
「共存……って」
「紅葉が反対したい気持ちはわかる。けど、このままだと次の百鬼夜行を終わらせたとしてもまた次の百鬼夜行が起こるかもしれない。俺はそれを断ち切りたいんだ」
涙も、千羽も、紅葉も黙る。六年前の百鬼夜行で多くを失くした三人に酷なことを言っている自覚は当然あったが、断ち切りたい、ただそれだけは受け入れてくれると信じていた。
「そんな顔しなくてもいいよ。僕たちは結希くんについて行くから」
「変な心配もしなくていいよ。ゆぅは昔からそんなこと言ってたし」
「俺たちが結希を必要としているのは、結希が芦屋家の〝聞く力〟を所持しているからです。俺たちが忌み嫌われたその力を重視したのは、今度こそこの戦争を終結させたいからです」
「っ」
「結希。俺たちには妖怪の声が聞こえません。故に俺たちは妖怪について無知です。陰陽師のように『助けて』と発言し苦悶しているなら、俺も結希と同様に思考します。百鬼夜行を、千年の戦争を、終結させる為に」
「……涙」
ずっと、涙は代理王であると思っていた。
亡くなった千羽の代理で、まだ継げない幼い紅葉の代理王。だが、今目の前にいる涙は紛れもなく陰陽師の王だった。陰陽師を守る為に数ある道の中からより良い道を選び進もうとする、千羽や紅葉にはないものを持った王だった。
「だから僕は結希くんについて行く。百鬼夜行を終わらせた英雄でも、《十八名家》の王でもなく、人と妖怪を結ぶことができる唯一の陰陽師として──結希くんの傍にいるよ」
「ゆぅもにぃもるいも妖怪に優しすぎだと思うけど、誰も死なずに済むならそっちの方がいいってくぅも思う。ゆぅはそうしたいんだよね? 妖怪を助けることは、みんなを守ることになるって……そういうことでいいんだよね?」
頷いた。
『ユウはもしかしたら、人と妖怪を繋ぐ凄い人なのかもね』
そして、不意に思い出した。今思えばかなり大切なことを言っていた和夏は、あの日のことを覚えているだろうか。
「俺は、家族を守りたい」
そんな彼女と共に生きた全員を思い浮かべて告げた。瞬間に頷いたのは紅葉だった。
「人と妖怪の子孫であるあの人たちの為にも、共に生きる道を探したいんだ」
「いとこの人は相変わらずですね」
聞いたことがないほどに優しい声色が空から降る。家から出てきた瞬間に飛んでオウリュウに加勢したのは、鴉天狗に変化した火影だった。
闇に火影の闇色が溶ける。すぐに目で追えなくなったが、オウリュウのように気絶だけで済ませているのだろう。金剛杖で殴打する音だけが聞こえてきた。
「結希様!」
戻ってきたスザクが隣に立つ。
「皆様と連絡が取れました! 皆様各家でどのような対応をするのか協議していましたが、すぐに来てくださるそうです!」
「全員朝から妖怪がいたことは知っているのか?」
「ご存知でしたが陰陽師として実行することが決まっている結城様の家にすべて任せていたらしく、出陣はしていません!」
「わかった、場所は結城家だって伝えてくれ!」
「承知致しました!」
「千羽!」
結城三兄妹の意思を確認したら後は早い。目線を合わせる為に下りてきた千羽と両隣に立った涙と紅葉は、濁りのない綺麗な瞳で結希を捉えていた。
「瘴気の消し方を教えてくれ!」
自分はもう覚えていない。そんな術があることさえ知らなかったのだから、きっと既存の術ではない。
それを知っているのは、星読みを覚えていた千羽だけだと──自分と共に術を生み出していた彼だけだと信じて疑わなかった。
「それは……」
「えっ、どうしたのにぃ。覚えてるよね? にぃがゆぅの術を直したんだから」
「……覚えてないわけじゃないけど、あの術は一人じゃできないんだよ」
「なら俺たちも助力です。千羽、その術は……」
「ごめん、そうじゃないんだ。必要なのは陰陽師の数じゃなくて、土地神様」
「嘘、それってつまり……」
「そう。小倉風丸くんから力を借りなくちゃいけないんだ」
「……そんな」
風丸の現状を知っていた結希は言葉を詰まらせる。できないことはないだろう、それでも、たいした力は望めないだろう。それを承知で実行したら、風丸を余計に苦しめてしまうかもしれない。
「だから難しいと思う。けれど、この瘴気を消したら彼の体調は少しだけでも良くなるかもしれない」
「どれも推測です。確定でないなら実行は不認可です」
口を挟んだ涙に同意する。それだけは結希も認められない。
だが、土地神が弱体化したせいで瘴気を消すことができないなら──為す術はもうどこにもなかった。
「何もかも断言できない。僕たちは知らないことが多すぎるんだね」
「同意です。この千年、俺たちは妖怪を退治です。それだけです」
「ゆぅ、土地神以外から力借りれないの?」
「土地神に匹敵するほどの力を持っているのは……」
『《言霊の巫女》は、土地神の加護を唯一受ける小人が瀕死の時になる別の姿だ。……下手したら、本気を出した総大将よりも強い』
「……心春だ」
「心春?」
「なら待機です。心春は出陣済みです」
結希の脳裏を過ぎったのは心春だった。だが、正確に言うと《言霊の巫女》だ。彼女を瀕死にさせるわけにはいかない、彼女だけが繋がることのできる相手に助力を仰ぐ。
「『土地神の加護を受けた〝精霊〟よ、我に力を与えたまえ』──」
その言葉を待っていた。
「──『停止せよ!』」
結界から飛び出して、一反木綿に乗る彼女を呼ぶ。無謀かもしれない、そんな考えは落ちてきた彼女が否定した。
「心春!」
結希の掌の上に着地した彼女は花が咲くような満面の笑みで。
「お兄ちゃんっ!」
結希への恐怖心を克服し、共に戦ってくれる彼女は、結希に背中を向けてすぐさま妖怪を警戒した。
妖怪が動きを止めたことにより傍らに下りてきた火影とオウリュウは、同じく駆けつけてきた一反木綿を視認する。
「鈴姉がみんなを拾ってくれたの! みんないるよ!」
義姉妹たちだけではない。顔を出して結希と目を合わせたのは、ほとんど前線に出てこないヒナギクだった。
「停止は長く続かないから、話があるなら今のうちにお願い!」
「タマ太郎の中に月夜と幸茶羽がいる!」
タマ太郎、それだけで誰かわかるのだろう。すぐさま飛び出した和夏は跳躍でタマ太郎の背中に乗り、器用に移動して屋形車の中へ入る。
「心春と一緒に瘴気を消したい、消えた時妖怪がどうなるのか確認したい、だからなるべく殺さないで足止めだけしていてほしい!」
「えっ?! ぼく?!」
「了解!」
「待って、どういうことお兄ちゃん! ぼくが瘴気を消すの?!」
完全に戦う姿勢だった心春は慌てた。火影とオウリュウが百妖義姉妹と合流し、直後に足止め要員でもある麻露が氷柱を発生させる音が聞こえてくる。
「精霊の力を俺たちに貸してほしいんだ。できる?」
「そんな……やったことないからわからないけど、ぼくは言霊使いだから。やってみるよ」
やる前からできないとは言わなかった。そんな強さが心春の中にあるとは知らなかった。
「ありがとう」
告げると心春が微笑みを返す。頼られることが嬉しくて堪らない、それが滲み出ている笑みだった。




