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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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十六 『千代に八千代に』

「じゃあ、今すぐ誰かに──」


 ──電話しよう、そう言おうとして思い出す。ズボンのポケットに入れていたスマホが、充電切れで動かないということに。


幸茶羽ささは、誰かに電話してくれ!」


「だっ、誰か?!」


熾夏しいかさんとか!」


「ッ! わかった!」


 瞬間の幸茶羽の返事は素直だった。こういう時は麻露ましろと言うべきなのだろうが、どういう顔で麻露に会えばいいのかわからなかった結希ゆうきは、素直に麻露と言うことができなかった。

 完全に私情を挟んだが、長女の麻露よりも強力な半妖はんようの熾夏に来てもらえるのならこれ以上に頼もしいことはない。僅かな希望を抱いて幸茶羽に任せ、あえて触れなかった月夜つきよの表情を盗み見た。


 月夜は、唇を噛み締めて結希の方も幸茶羽の方もまったく見ようとしなかった。


 幸茶羽の手には温もりが戻ってくるが、月夜の手はどれほど強く握り締めても血が通ってないのかと疑うほどに冷えている。麻露のあの手のようだ──そこまで思って、忘れようと思ってもまた麻露を思い出してしまうことに気づき視線を戻した。

 その先の幸茶羽は、使命感に燃えた表情で熾夏が出るのを今か今かと待っていた。すぐに出ることができないのは、向こうでも何かが起こっているのか。それとも、頭首としての仕事が山積みなのか。


「出ない……!」


「じゃあ片っ端から!」


 それでも縋る。スザクと妖怪が戦闘を始めた。なるべく戦わずに帰る──そうは言っても襲われるのだからこうなってしまうのは避けられないことだった。


「オウリュウ!」


 殿を務めていたオウリュウに声をかけ、彼も戦闘に加わらせる。薄々感じていたことだったが、いざ妖怪との戦闘が始まると──スザク一人では到底対応できない数の妖怪が住宅地へと続く大通りに群がっていた。


「下僕ッ! 誰も出ない!」


 走り続け、これ以上先へと進むことができなくなった瞬間、悲鳴にも似た声が幸茶羽から上がる。すぐさま結界を張って瞑目するが、近くに半妖の気配はなかった。陰陽師おんみょうじの気配さえ、どこにもなかった。


「スザク!」


「承知致しました!」


 こうなってしまったら直接彼女たちの元へと向かうしかない。オウリュウならば辛うじて耐えられると判断してスザクを飛ばす。


「結希様! こちらを!」


 そしてすぐに戻ってきた彼女は、その手に持っていた《半妖切安光はんようきりやすみつ》を結希の手に握らせた。結希は既に、両手を月夜と幸茶羽から離していた。


「下僕ッ! 負けないで!」


 幸茶羽の声を羽にして、オウリュウが打ち漏らした妖怪の懐へと忍び込む。《半妖切安光》を使って戦うのは随分と久しぶりのような気がしたが、これでずっと訓練していた。今目の前にいる妖怪が弱いとは思わないが、手加減をしなかったセイリュウやゲンブの方がもっとずっと強かった。

 振り撒かれる瘴気で本体を見失わないように目を凝らし、図体が大きいせいで動きが素早くない妖怪の体を的確に切りつける。


『ア、アァ……』


 オウリュウほど実力があるわけではない結希は、妖怪を峰打ちで済ませることができなかった。



「──ごめんな」



 心から零れる。自分が弱いせいで死なせてしまった。傷つかないわけがない。だが、これ以外に方法がないのも事実だった。

 言葉にならない声を出しながら瘴気へと化す妖怪を見上げると、目と口だけしかないその顔でも苦しんでいることがよくわかる。だから余計にまた思う。



 ──妖怪にも自我がある、と。



 そのことを去年の春よりもずっと前から知っていた結希は、不意に去年の春に愛果あいかと戦った野狐やこのことを思い出した。そして、彼らが正気だったことも。


「お兄ちゃん」


 冷たい手が、《半妖切安光》を握っていない左手をぎゅっと握り締めた。あまりにも気配なく唐突だったせいで心臓がぎゅっと縮んだが、優しいとは言い難くても包み込むようなそれに驚いて思わず彼女を見下ろしてしまう。


「……大丈夫?」


 彼女は、間違いなく結希の知っている月夜だった。


「……え?」


 腑抜けたような声が漏れる。心の声がいつもすんなりと出てくるせいなのか、月夜は本気で悲しそうに眉を下げていた。


「大丈夫、って」


「気づいてないの? 今のお兄ちゃん、すっごく傷ついた顔してるんだよ」


 手に力が込められた。その込め方は怒りという感情に傾いていたが、自分のことを心配している彼女の感情も嘘ではなかった。


「下僕」


 結界から出て来た幸茶羽は月夜が握っている方の手の手首を握り締めて引っ張った。二人に引きずられて結界の中に戻った結希は、混乱しているせいで二人の行動の理由の答えを出すことができなかった。


「つきね、妖怪のこと、死んでも許すことはできないと思う」


 月夜は母親側の人間だ。妖怪を殺すことを目的として生きている。幸茶羽がどちら側なのかは知らないが、思えば今までの月夜と幸茶羽はどこまでもわかりやすい人間だった。

 自分が何をしたらどんな反応をするのか一番わかりやすかった二人なのに、今この瞬間の彼女たちの反応はわからない。月夜と真逆だった幸茶羽は月夜の思考がわかるのか、悲しくて寂しそうな月夜と同じ表情を見せていた。


「けどね、お兄ちゃんがそんな顔しながら妖怪のことを殺すのは、違うって思うよ。それはわかるよ」


「……なんで?」


 きっと、幸茶羽も同じ意見なのだろう。その意見は考えてもわからない。



「──だって、つきはお兄ちゃんのこと好きだから」



 答えを言われてもわからなかった。


「だから、お兄ちゃんの傷ついた顔も、苦しそうな背中も、見たくない。だったら殺してほしくない。お兄ちゃんが傷ついて、つきとささちゃんがお兄ちゃんの心の傷を治すことができたとしても、そう思うよ」


 考えることを放棄してしまいそうだった。


「ささも、下僕が妖怪を殺しまくって得る勝利なんていらない。負けるのは嫌だし、死ぬのもすごく嫌だけど、下僕の心を殺してまで生きたいとは思わない」


 それでも、受け止めて理解しないといけない。二人が大切なことを話しているのは理解できるから、もう少しだけ理解する為の言葉がほしい。


「どうしてそこまで……」


「言わなかったっけ?」


 好きだから。その一言で説明できるほど結希は二人に何かをしてあげた記憶がない。いや、何かをしないと好かれないと思っている自分が異常なのだろうか──



「つきは、お兄ちゃんを笑顔にしたい」



 ──ここに来てようやく微笑んだ彼女は、とても狡い人間だった。


「それだけだよ」


 太陽のような眩しさのある笑顔ではない。温もりはないのに闇を照らし、眩しくもないから眺めて綺麗だねと言える月のような微笑みがそこにはある。


「ささも下僕の笑った顔が見たい」


 負けじと視界に入ってきた幸茶羽は、笑ってはいなかったがいつもの棘々しさがどこにもなかった。不貞腐れているように見えるのにそう感じないのは、幸茶羽の心境に大きな変化があったからだろう。


「だから、下僕が笑えることをしよう」


 眩しくはないが、彼女の全身から輝きを感じた。


「そんな無茶な……」


 だが、そんな無茶を軽々と言ってしまえるのもこの二人だった。


「妖怪を殺すか、救うか。下僕はどうしたい?」


 幸茶羽が改めて突きつけてくる。結希は眉間に皺を寄せ、自分の心の言葉を探る。心から溢れてきた言葉を紡いで、二人はどんな表情を見せるのだろう。


「操られているなら助けたいけど、妖怪の瘴気が人と世界にとって毒なことには変わりがない。だから俺たちは今の今まで妖怪を退治してきたんだし、これから先もそうしなきゃいけないんだと思う」


 また、瘴気だった。いついかなる時も瘴気が自分たちの前に現れる。



「殺したくはないけど、救うこともできない。俺は──母さんの道にも、父さんの道にも行けない」



 だからといって進まないという選択肢はどこにもなかった。進まなければならないと思うのは、自分が間宮まみや結希だからだ。


 そう思わせている間宮結希という男は死んだ。それでも、六年前に滅んでもおかしくなかったこの世界を救った者として、この状況を生み出してしまった者の一人として、前に進まなければならないと思うのだ。


 今度は、百妖ひゃくおう結希として。


 百妖家に彼女たちが義姉妹として集わなければ、一生そう思うことはなかっただろう。出逢えたからこそ多くを考え前へ前へと進んだ結希は、自分の羽となってくれる二人に向かって一体何が言えるのだろう。

 悲しくて寂しそうな表情が見たいわけではなかった。むしろ二人と同じく笑っていてほしかったから、手本として自分が心から笑える道を示さなければならないのだと強く思う。


「俺は俺の道を行く。それがどんな道なのかはわからないけど」


 答えはまだ出せない。出す為に全員が集まる必要があるのだ。


「つきはわかるよ」


 それでも月夜は迷いのない眼をしていた。


「お兄ちゃんはみんなを助けたい。人も、妖怪も、助けたい。欲張りだけど、そういうヒーローみたいなことができる。つきが大好きなお兄ちゃんはそういう人だよ」


「ささもそう思う。瘴気を消して、百鬼夜行から姉さんたちを助けてくれた下僕なら──兄さんなら、絶対にできる。兄さんが誰よりも優しいってこと、ささはちゃんと知ってるから」


 幸茶羽も真っ直ぐな眼をしていた。それだけで簡単にできるかもしれないと思ってしまうのだから、二人は魔法使いか何かなのかもしれない。


「月夜、幸茶羽」


 日が傾いた。浮かぶ月は徐々に存在感を出していき、来たる夜に備えている。


「俺は、もう一度瘴気を消す」


 新しい羽が生えた気がした。そうしたらどこまでも飛べる気がした。


「それだけでいいと思うんだ」


 結希の仮説が間違いではないなら断言できる。


 瘴気は、人がこの世界に存在する限り消えないのだ。


 それは二度も百鬼夜行が訪れた陽陰おういん町の現在が証明しており、月夜がその身で証明したことだ。消しても消しても消えないものが瘴気だったとしても、陰陽師がいる限り消し続けることはできる。

 無意味だとしても消さなければならないのは、瘴気が濃ければ濃いほどに妖怪が凶暴化しているからだ。薄ければ薄いほどに害がないと証明しているのはママやタマ太郎たろうのように外から来た妖怪で、だとするならば、消し続ける価値はあると断言できる。


 ようやく腑に落ちた。示した道は茨の道かもしれないが、それが自分の道だと胸を張れる道にようやく出逢えた。



「俺は妖怪と共存する道を選ぶ」



 そんな世界が千代に八千代に続けばいい。


『ユウキ、ヨンダカ?』


「呼んだよ」


 振り返ると、出逢った頃よりも巨大化した火車かしゃがにんまりと笑っていた。


「連れてってくれ、タマ太郎」


『ツレテク。ツレテク。オイラ、ユウキヲドコマデモツレテク』


 月夜と幸茶羽を屋形車の中に先に入れ、オウリュウの様子を確認する。オウリュウは未だに乱れぬ動きで峰打ちを続けており、屋形車に入った結希はタマ太郎を空へと飛ばした。


「オウリュウ!」


 声をかけると、屋形車を引くタマ太郎の背中にオウリュウが乗る。それでも妖怪からの攻撃は終わらない。

 陸には陸の妖怪がいるように、空には空の妖怪がいるのだ。前簾を開けて背後を守り、正面をオウリュウに任せる。


『ユウキ、ドコイク?』


「とりあえず結城ゆうき家に!」


 百妖義姉妹はどこにいるのかわからなかった。それでも、結城兄妹はそこにいる。

 確認はしていないが確信はしていた。オウリュウの指示に従ってその方角へと進むタマ太郎は、共存を願う結希の想いにいつだって応えてくれている。


『ワカッタ』


 タマ太郎のことを誰にも明かしていなかったが、今がその時だとも思っていた。

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