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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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十五 『太陽の笑顔』

「お兄ちゃんッ!」


 妖怪の攻撃を結界で防ぎ、背後に立つ月夜つきよ幸茶羽ささはの無事を確かめる。二人は結希ゆうきの結界に守られており、同じくその中に入っていたスザクは固唾を呑んでオウリュウとククリの姿を注視していた。

 その視線の先。強い色彩を放つ毒々しい赤き空に紛れて、山吹色の狩衣と白い着物の塊が縦横無尽に飛び回っている。塊にしか見えないほどに素早く動く二人は、スザクにはない豊富な経験を駆使して、峰打ちを続けていた。そんな二人に守られている雅臣まさおみは、数十分経った今でも妖怪との対話を諦めていなかった。


「どうして……」


 月夜の心の声が漏れる。


「……どうして、あの人、妖怪を倒したくないの?」


 純粋な疑問のように聞こえたが、そうではないのだろうと思う。彼女にとっては何よりも大切で、何よりも切実な問いなのだろうと思う。


 月夜は初めて会ったあの日から、いや、それよりもずっと前から、半妖はんようである自分の身を快く思っていなかった。


『怖くないの?』


 あの頃は深刻に捉えていなかったが、たったその一言が小学六年生の月夜にとってどれほど重たいものだったのかを想像すると身が張り裂けそうになる。まだ十二歳なのにどんな人生を送ってきたのかと──そう思って、彼女が五歳の時にすべての始まりである百鬼夜行が起こったことに気がついた。


「妖怪は……怖いものじゃないから」


 未だに考えが纏まっていないせいでたどたどしいが、この一年で思ったことを口に出す。

 明日菜あすな風丸かぜまるだけがすべてだった日々も確かに充実していたが、これほど密度の濃い一年間は記憶を失ってから初めてのことだった。


「……怖いよ」


 月夜の口から明言される。月夜にそう思わせ、自分自身のことも恐ろしい存在であると思わせ、何もかもを奪っていった百鬼夜行は次の春で七年前の出来事になる。それほどの月日が経過してもなお、傷が癒えることはない。それどころか自分の父親のせいで新しい傷が増えてしまう。

 それでも、今の父親の後ろ姿を見ていると、希望はまだ残されているような気がした。


「本当なら、って意味だよ。タマ太郎たろうも、ポチも、ママも……スザクだって厳密に言えば妖怪だ。スザクのこと、月夜は好きだろ?」


 どうしてだかわからないほどだったが、これも初めて会ったあの日からそうだった。

 月夜は結希だけでなくスザクに対してもあっという間に懐き、今日まで親愛を示してきた。その結果が今この瞬間に繋がっていると信じている。


「……うん、好き」


 思わず振り返った。その声の調子は、異性をどぎまぎとさせるようなものだった。


「けどスーちゃんと妖怪は全然違う、スーちゃんはつきたちのこと傷つけないし優しいし守ってくれるしお兄ちゃんみたいにかっこいいもん」


 なのにその顔色には生気がない。俯いているせいで目元はよく見えなかったが、月夜には、彼女のアイデンティティとも言うべき太陽のような笑顔がなかった。


「月夜と幸茶羽が違うように、スザクと他の妖怪も確かに違う。けど、妖怪は、本当は人を傷つけるようなものじゃ……」


「じゃあなんでお姉ちゃんやお兄ちゃんたちを傷つけたの?!」


「っ、姉さ」


「つきは死んでも忘れない! お姉ちゃんやお兄ちゃんがボロボロになってベッドの上で寝てたのも! ささちゃんが泣いてたのも! 全部全部忘れられない! 傷つけないならなんで傷つけたの?! なんで?! お兄ちゃんッ!」


 魂が震えるような絶叫。普段笑顔で覆い隠しているその顔には途方もない怒りが滲み出ており、こめかみ辺りに血管が浮き出るほどだった。それは、あまりにも小学生という存在からかけ離れた怒りの化身のようだった。


「ね、姉さ……落ち着いて……」


 叫びで魂を揺さぶられた幸茶羽の動揺が離れていても伝わってくる。その表情は怯えだ。今の今まで片鱗さえ見せなかった月夜の怒りが、あれほど周りに高圧的な態度を取っていた幸茶羽を怯ませている。


「やだ!」


 だが、どれほど怒りを露わにしても月夜の中には結希の知っている月夜もいた。


 百鬼夜行が起こったあの日、二人が何をしていたのかは知らない。だが、確実に言えることは、あの日の悲劇を見た幸茶羽は怯えて月夜は怒ったのだ。


「つきは絶対、妖怪のこと許さない! 絶対の絶対に許さないから!」


「…………」


 そんな月夜を知らなかったのだろう。呆然と彼女を見つめる幸茶羽は、一瞬でもまばたきをしなかった。そして、結希も月夜から目を逸らさなかった。


 妖怪の行いで悲しみ嘆く人々は嫌というほどに見てきたが、怒りを露わにしたのは月夜が初めてだった。これほどまでに強い憎しみを目の前にしたのは初めてではなかったが、他に憎しみを露わにしたのは真菊まぎく紫苑しおんというそれがアイデンティティの一部になっているような人たちだ。

 月夜からは遠くかけ離れていると今の今まで思っていたが、そんな表情をかつて二人から読み取ったことを結希は強烈に覚えていた。


 毒々しい赤き空。高ければ高いほどに濃くなる瘴気は今も徐々に増えていき、結界で守っていないとそろそろ苦しくなる頃だろう。だが、月夜は瘴気とは関係なく苦しんでいた。ずっと笑顔で隠していただけで、彼女も義姉たちと同じくらいあの百鬼夜行で傷ついたのだ。

 拳を強く握り締める。月夜も拳を握っていた。幸茶羽は今にも泣きそうで、その思考はまったく読めない。それでも、月夜が悲劇を見たと言うなら幸茶羽も同じ景色を見たのだろう。彼女も傷ついていないなんてあり得ない。それを一瞬でもこの二人は見せなかった。


 じんわりと、瘴気が増えていく。


 注視していないと見逃すほどに時間をかけて、月夜と幸茶羽の周りに瘴気が増えていく。それは、集まったわけではない。二人から滲み出ているものだった。

 少し前の自分だったら見ても見逃していたほどに、いや、気づけなかったほどに些細な変化だった。だが、今の結希は少し前の結希ではない。瘴気が増えた瞬間を目撃してしまった結希は、今もなお妖怪に話しかけている父親の存在へと意識を向ける。


「大丈夫! 大丈夫だから、落ち着いて!」


 そのことに必死になっていた。だからごくりと唾を飲み込んだ。今この瞬間に出てきた仮説は、本当に本当のことなのだろうかと。


「……月夜、幸茶羽」


 ゆっくりと二人の名前を呼ぶ。まだ、話は終わっていない。


「『百鬼夜行は、この町に集まった妖怪が人間への復讐として行ったもの』──」


 二人の両目が見開かれる。月夜のその目には力が込められ、幸茶羽のその目は涙で揺れる。


「──真璃絵まりえさんに初めて会ったあの日、歌七星かなせさんが言ってたことだ」


 それを今の今まで忘れていた。


「少なくとも千年前の百鬼夜行はそうだった。けど、六年前の百鬼夜行はそうじゃないかもしれない。少なくとも今回の百鬼夜行は違う、全部仕組まれたものだった」


 二人に話しかけたつもりだったが、いつの間にか自分の考えを纏めるように言葉に出す。言葉に出せば、父親にも聞こえる。ククリにも、多分聞こえる。


「……百鬼夜行でみんなを傷つけた妖怪は、誰かに操られていたのかもしれない」


「──ッ?!」


 目の前にいる二人よりも、背後にいる一人の方が鋭く息を呑んだ。


「ゆ、結希……今なんて?」


「え?」


 振り返り、動揺する父親を視認する。


「なんてって、操られてるのかもって……」


 瞬間に脳裏が弾け飛んだ。深く考えて発言したわけではなかったが、操られているのなら操った人物がいるということで──結希はその人物に心当たりがあった。



「……阿狐あぎつね──」


「──よりさん……!」



 親子の声が一瞬で重なる。してやられた、そんな表情を見せた父親の姿を見て安堵する。


 父親は本当に、阿狐頼に騙されていたのだと。


 そう思ったら久しぶりに母親に会いたくなった。六年前は普段からそう思っていたが、途中で諦めてそう思わなくなった母親に会って今すぐに言いたかった。父親と母親が会うことはきっとできない。だからその分も伝えたいと思うほどに大きな報せだった。

 母親も、そして自分も、どんな理由があろうと父親の行いを許すことはできないだろう。それでも阿狐頼に騙されていたのとそうではないのとでは大きく異なる。今どこにいるのだろう、他の義姉妹たちはどこで何をしているのだろう。昨日会っていたはずなのに長く会っていなかったような錯覚に陥るほど、会って今すぐに話をしたかった。


「ッ!」


 ククリの手が狂い始める。この数十分の間に数千回と刀を振るったのだ。無理もない。だと言うのにオウリュウは今でも狂うことなく的確さを貫いていた。


「父さん! 引こう!」


「……っ、わかった。ククリ!」


 一瞬の迷い。それでも決断を下して引き返す。


「スザク! オウリュウ!」


 結界を解いた。先行するスザクは駅の方へと向かっているが、この状況だ。逃げ場は夜になってもないかもしれない。

 スザクの後ろ姿を見ても動けなかった月夜と幸茶羽の手を取って走り出した。二人の手は驚くほどに冷たかったが、足は結希について行こうと走り出した。


「お兄ちゃ……」


「下僕! ささは、妖怪のこと怖かった! けど、下僕がそう言うならささは信じるから!」


 振り返ると、涙を流し切った真っ直ぐな瞳が自分の瞳を強く貫く。淀みのない澄んだ瞳だった。そんな瞳を幸茶羽がするようになるとは思わなくて虚をつかれ、「ありがとう」とだけ必死に返す。


「結希!」


 追いついてきた父親と視線を交わした。


「俺は一回、町に帰って頼さんに会おうと思う! 結希は母さんの傍にいてあげて!」


「帰るって、今から?!」


「そう! 今から!」


「わ、わかった……けど、そんなとこに一人で行って大丈夫なのか?!」


「少なくとも結希は絶対に行かない方がいい! あの人は結希の件も、亜紅里あぐりちゃんの件も、未だに許してないからね!」


「じゃあ真菊と一緒に行ってくれ!」


「心配性だねって言いたいけど、そうするよ! 戻ったらククリを飛ばすから、それまでこの町で耐えていてほしい!」


「わかった……! 戻ったらちゃんと話してもらうからな! 色々と!」


 力強く頷いた雅臣を信用した。


 父の行く道と母の行く道は異なるかもしれない。それでも、味方になってくれるかもしれない。淡い期待を抱いて、駅の方へとククリと共に走っていく父親の背中を視線で見送る。


「帰ろう!」


 手を繋いだままの二人に声をかけた。二人は同時に頷いて、増えていく妖怪へと視線を巡らせる。


「戦わずに帰るってことでいいんだよな?! 下僕!」


「なるべくな! 俺たちだけじゃ難しいだろ?!」


「確かに……戦えるのはスザクとオウリュウくらいだしな」


「だから、なるべく早く誰かと合流する! それで、なるべく全員集める!」


「集める? なんで?」


「全員が持ってる情報を整理したい! 陰陽師おんみょうじや半妖、《十八名家じゅうはちめいか》も関係ない! 全員だ! それでいい? 幸茶羽!」


「ッ! なんでささにそんなこと聞くんだ?」


「幸茶羽が芦屋あしや家に行ったのは周知の事実だ! 何があっても庇うけど、庇いきれないかもしれない!」


 《十八名家》の人間よりも、陰陽師からのものが怖かった。それでも、幸茶羽は結希が思っていたほどに弱くはないのだろう。


「大丈夫!」


 幸茶羽は、迷うことなくそう答えた。


「その〝大丈夫〟は、本当に信用してもいいんだな?」


 瞬間、反射的にそうなったのだろう。幸茶羽の握る手の力が強くなる。


「ささを信じて!」


 だから、その思いに応えたいと思う。


 自分を信じると言ってくれた幸茶羽を信じること。それは、妖怪が闊歩する世界を進むことより容易かった。

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