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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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十四 『意思の疎通』

 真菊まぎくの反対を押し切って陽陰おういん町の駅前まで戻ってきた雅臣まさおみは一体何を思うのだろう。

 話から察するに六年ぶりにこの地へと訪れたと思われる雅臣は、結希ゆうきに背中を向けたまま呆然と駅前の広場に突っ立っていた。


 その背中が語る言葉を、結希は一つも読み取れない。あまりにも遠すぎると感じてしまう。だが、どさくさに紛れて連れてきた月夜つきよ幸茶羽ささはとの距離は近かった。

 隣に立つ二人に帰るようにと耳打ちをする。だが、二人は頑なに結希の傍から離れようとしなかった。


「これは……」


 毒々しい赤き空と、黒い瘴気で淀んだ空気。父親が望んだ世界が結界を一つ挟んだこちら側にはあって、そんな世界にも存在している妖怪は人々の往来があるこの場所でも確認できる。

 雅臣に震えた声を出させた妖怪たちは、オフィス街や雑居ビル地区の屋上におり──今日も変わらずあの言葉を吐いていた。


「……何故」


 それがわからなかったから雅臣に聞いた。あの言葉が鍵となるかもしれないと密かな希望を抱いていたから、結希はそんな雅臣の背中を見て彼が完璧で強い人間ではないことを知る。


「ッ」


 瞬間、雅臣が急に駆け出した。片時も離れないと芦屋あしや家を出た瞬間に決意していた結希は慌てて父親の後を追いかける。そんな結希の後を月夜と幸茶羽が追いかけていた。


「ついて来なくて大丈夫だから二人は家に戻ってろ! あと、俺のことは絶対に誰にも言わないこと! わかったか?!」


「やだ! お兄ちゃんについて行く!」


「なんで……」


「下僕がささの下僕だからって言いたいけど、今は黄昏時なんだぞ?!」


 幸茶羽の言う通りだった。父親のことで手一杯になっていたせいで、黄昏時の──それも、瘴気があまりにも濃すぎる今の黄昏時の危険性を一瞬でも考慮できなかった。


 義兄失格だと瞬時に思う。二人が素直に言うことを聞いていたら、死なせていたかもしれないと思う。それだけで胸が張り裂ける。


 月夜と幸茶羽の瞳を見ると、普段の二人とは異なった目つきで周囲のことを警戒していた。いや、警戒している時点で明らかに普段の二人と異なっていた。

 二人は半妖はんようの血を持つ者として、本能的に危険を察知しているようだ。ほとんど同じ力を陰陽師おんみょうじである結希も持っているが、どうしても父親という存在が気を散らせている。


 黄昏時になったからには頭を切り替えなければならない。普段できていることが急にできなくなるのも目の前を父親が走っているせいだった。


 雅臣は雑居ビル地区へと向かい、大通りを無視して路地裏に入る。結希はいつでも式神しきがみを呼び出せるように紙切れを手に忍ばせて、呼んでもいないのにいつでも現れるククリが今もなお自分たちを見ていることを祈った。


「ささちゃん!」


「姉さん!」


 振り返ると、きちんとついて来ている二人が顔を見合わせて頷き合って──刹那に半妖の姿に変化へんげした。

 変化時に発生する風は信じられないほどに穏やかで、それを見守る結希の頬を優しく撫でる。それだけでも感慨深いものがあったが、変化した二人が並んで走っている姿を見たのは初めてのことで、結希は思わず息を呑んだ。


 腰まであったたんぽぽ色の長髪を肩まで短くし、前髪を上げて黄緑色の紐リボンで結んでいる月夜の変化は雰囲気が同じであっても異なっている。両耳の後ろ側から生えている一房の白髪は隣を走る幸茶羽の白い着物のようだ。

 そんな月夜とは打って変わって、幸茶羽には変化らしい変化がない。唯一と言ってもいい変化は高い位置で結んでいたサイドポニーテールがポニーテールになったくらいで、赤色の紐リボンだけが月夜との唯一と言ってもいい共通点だった。


 二人は確かに血を分けた姉妹ではあるが、同一人物ではない。


 丈が短くファンシーな柄と白いレースで彩られた黄色の着物を着ている月夜と、無地で驚くほどに真っ白な丈の短い着物を着ている幸茶羽。

 月夜の衣服は月夜の内面を表しているようで、幸茶羽の衣服は普段着ている黒い服とは対照的だ。それが余計に二人の違いを表している。


 月夜は普段の月夜らしく、幸茶羽は普段の幸茶羽らしくない。二人の〝らしさ〟が正反対だった別れ方をした二人だったが、今結希の傍にいてくれている二人の道はこの瞬間一つになったようだった。


『……タス、ケテ……』


「ッ」


 気を引き締める。人一人が通れるほどの大きさの路地裏で、一体の妖怪が呻いていた。


「大丈夫か?!」


 だからこそ、雅臣はそんな妖怪の元へと駆ける。


「駄目だ!」


 だが、一歩遅かった。


 迂闊に近づいた雅臣は、襲いかかってくるなんて微塵も思っていなかったのだろう。結界を張ることさえせずに呆然とその様子を見つめている。


「馬鹿ッ!」


 こんな狭い路地裏だ。立ち止まる雅臣に近づいているとはいえの後方の結希に為す術はない。


「雅臣様ッ!」


『ギャアッ!』


 綺麗な声と汚い声が同時に響く。間に合ったククリは荒くなった呼吸を必死に整えており、それほど雅臣が危なかったのだと──結希はその一瞬で理解した。


「ククリッ!」


「雅臣様……っ、ご無事ですか?!」


「俺は無事だ! 妖怪は?!」


「致命傷は負わせていません! ですが、傷を……!」


「仕留めた方がいい!」


「駄目だ結希!」


「じゃあどうするんだよ!」


「それは……」


 雅臣は答えを出せなかった。その間もククリは妖怪の攻撃を自らの刀で凌いでおり、殺さないという縛りがある以上無意味な苦戦を強いられている。

 待つ時間が惜しかった。六年前で時が止まっていたのは、自分であり雅臣であったのかもしれない。雅臣は現状の陽陰町を一切知ることなく結界を破り続けていたのだろうか。


「早く!」


 悪いのは、人かもしれない。妖怪は、悪くないのかもしれない。


「ッ」


「ククリが死ぬぞ!」


 それでも、人が殺されてしまうのならば、結希は躊躇うことなく妖怪を殺すだろう。狂っていない妖怪以外を皆殺しにして、新しい世界を作るだろう。


「──馳せ参じたまえ、スザク!」


 もう待てなかった。妖怪を挟むようにして現れたスザクは、ククリへと目玉を向けている妖怪の背後から切りかかる。


「待っ──」


「たぁっ!」


 雅臣の静止が聞こえる前に、あるかどうかもわからない命を妖怪が散らした。その体は端の方から徐々に徐々に瘴気となり、空気中のそれへと混じっていく。

 父親の背中は、やはり何を語っているのかわからなかった。


「……何故」


 また同じことを問う。答えられる者はこの場にはいなかった。


「……何故、彼らはあんな風になってしまったんだ」


「六年前の妖怪がどうだったのかは知らないけど、別のところに行っても妖怪の様子は同じだぞ」


「……そうかもしれない。けど、結希。俺は今の陽陰町が見たい。他のところにも行っていいかい?」


「別にいいけど……また襲われたらどうするんだよ」


「その時は逃げるよ」


「…………」


 本気でそう言っているのだろうか。

 実際に襲われて、逃げる余裕もないと身に染みてわかったはずなのに──それでもまだ本気で逃げられると思っているのだろうか。


「ごめん。行こう」


「はい、雅臣様」


 答えたククリは空を見上げ、眉間に深い皺を寄せる。結希もとっくのとうに気づいていたが、雅臣がどうするのかが気になって特に何も言わなかった。


「お兄ちゃん、つきたちは……」


「大丈夫。二人には結界を張るから」


「力はもう使える。もしもの時は、絶対に……また助ける」


「ありがとう」


 答え、背後を向く。


「ここじゃどこにも行けない。大通りに出るけど、もしもの時は倒すから」


 そして、父親に宣言した。


「……わかった。結希の好きにしたらいい」


 妖怪が近づいてきている。数日前よりも確実に凶暴化している彼らから無傷で逃れられるとは思っておらず、傷を無傷にできる二人がどれほど貴重な存在であるかを思い知る。

 そうでなくても、まだ幼く実戦経験が皆無に等しい二人は守らなければならない。結希は息を吸い込んで、再び紙切れを取り出した。


「──馳せ参じたまえ、オウリュウ!」


 出口に一番近い双子の先頭に現れたオウリュウは、相も変わらず眠そうな表情をしているが正月だからと言って怠けているわけではないらしい。

 事態が事態だからだろう。いつも以上に真っ直ぐに背筋を伸ばして結希の意図を汲んだオウリュウは、真っ先に路地裏から大通りの方へと駆けていった。


「彼がオウリュウか……」


 続く双子から離れずにいると、父親の呟きが路地裏の薄暗い空間に消える。その言葉の意図も他の呟きも何一つ聞こえてこなかったが、結希は振り返ることなく「早く!」と急かした。


「なぁっ……?! 雅臣様、あの方はお父上様に対する言葉遣いやらなんやらがこれっぽ〜っちも足りてませんよ!」


「いいんだよ別に。俺は結希に父親らしいことをしてやれなかったし、今はそういう時代でもないだろうしね。そんなことよりもククリ、結希となるべく仲良くね」


「ふぁあっ?! なっ、仲良くなど……主君のご子息と馴れ合うつもりはございませんっ!」


「ククリさん! 結希様に酷いことをなさるおつもりでしたらこの私が許しませんからね!」


 真後ろの会話をなるべく聞かないようにする。他に注意を逸らそうとするが、視界に入っているのが双子の旋毛くらいだと必然的に双子のことを考える。

 正面から見たあの顔も、同じ位置にある旋毛も、そこから生えてくる逆方向に伸びたあほ毛さえもこの双子は瓜二つだ。だからこそ余計に〝二人で一人〟という言葉がしっくりくる。まったく違う人間でも、様々なことを互いが補うような──そんな関係だと思うから、この黄昏時もきっと乗り越えられるだろうと確信する。


 正月だからか人気のない大通りに出た瞬間に抜刀されたオウリュウの大太刀は、ククリのように話を聞いていたのだろうか、暴れていた妖怪をすべて峰打ちで済ませていた。

 雅臣とククリが感嘆の声を上げるほどに正確なそれは、妖怪を瘴気に還さない。上手いように気絶だけで済ませたオウリュウは、軽く大太刀を払って雅臣を見上げた。


「駅前まで戻ろう。幸い人通りはほとんどない。二人はそのままでも大丈夫だろう」


 月夜と幸茶羽は頷いて、互いの手を強く握り合う。一時期はどうなることかと思ったが、二人の結束は以前よりもさらに強くなったらしい。


「戻った後は?」


「森……はきっと危険だろうね」


「当たり前だろ」


「じゃあ、オフィス街に行こう。会社はすべて休みだったはずだから」


 異論はなかった。そして、オフィス街であれば自分が芦屋雅臣と一緒にいるところを他の誰かに見られることもないだろう。

 結希にとって色々と都合のいいオフィス街へと歩き出す。黄昏時だからこそ陰陽師が出歩いている可能性も高かったが、近くにそんな気配はない。あるのは妖怪の力だけだ。


「……スザク、麻露ましろさんたちや紅葉くれはたちは無事なんだよな?」


 だからこそ一抹の不安を覚える。


「はい。皆様今頃は調査でお忙しいのではないでしょうか」


「俺が言うのもなんだけれど、結界破りはもうないよ。だから安心して……いや、無理な話だったね。ごめん」


「襲撃がないって情報だけで充分だよ。まぁ、ぶっ飛ばしたい気持ちは変わらないけど」


「ぶっ飛ばす前に私がお守りしますけどね」


 間に入ってきたククリに返事をする余裕はなかった。雑居ビル地区もそうだったが、オフィス街の妖怪も普段の妖怪とはかけ離れている。

 凶暴がさらに凶暴化した。それでもあの言葉が聞こえてくるから雅臣の足は止まらない。



「教えてほしい。君たちは一体、何から救ってほしいんだ。俺がしてきたことは間違いだったのか?」



 その切実な問いに答えられる者も、この場にはいなかった。それを知るであろう妖怪でさえ、相も変わらず話にならない。


 まるで、何者かに操られているように──意思の疎通が取れなかった。

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