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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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十三 『今も昔も』

 意識が戻り、ゆっくりと目を開くといつの間にか朝日が昇っていた。一月二日──なのにまだこの家から出られない。


 体を起こすと、月夜つきよ幸茶羽ささはが抱き合ったまま眠っているのが視界に入った。布団を二つ並べて川の字になって寝ていた自分たちが今いるのは最初にあてがわれた別室で、居間から遠く離れている。だからか寝息以外の音がまったくと言っていいほどに聞こえなかった。


 それを不審だとは思わない。空気が凍った外へと這い出て、二人を起こさないように部屋から出る。枕元に置いていたスマホの電源を入れると、あと少しで切れてしまいそうだった。


 結希ゆうきは無言で頭を抱え、昨日と同じように電話帳をスクロールする。そして指を止めて拡大したのは、るいではなくて明日菜あすなだった。


 時刻は九時。電話をかけても問題ないだろうと判断しすぐにかける。

 今日という日が例年通りの一月二日だったら日付が変わった瞬間にかけていたが、夜になるまで瘴気について考えていたせいで、そのことがすっかりと抜け落ちていた。


 〝答え〟が出たわけでもなく、明日菜への電話もかけ逃す。新年早々やらかしてしまったが、それを悔いる暇もなく明日菜の声が聞こえてきた。


『もしもしゆうきち? 今どこにいるの?』


 早速そう尋ねた明日菜は知っているのだろう。スザクがどのように誤魔化したのかは知らないが、「それは言えない。けど大丈夫だから」と答えて廊下を歩く。


『言えないのに大丈夫って。自分がおかしなこと言ってるって気づいてる?』


「気づいてるよ」


 怒られることを承知でそう言った。だが、明日菜は怒らなかった。


『ねぇ、ゆう吉』


「ん?」


『ゆう吉のこと、聞いたよ』


「ん?」


 一瞬なんの話をしているのかと思って、明日菜の声色がいつもよりも若干低いことに気づく。電話越しだと明日菜の表情もわからないが、明日菜は多分、悲しんでいた。



『──陰陽師おんみょうじだ、って』



 その悲しみを作った原因が自分であることをすぐに悟った。

 覚悟していたことをすべて知られたのだと理解し、昨日の新年会にいたことに気づき、情報量が多いせいできっと昨日の明日菜のように混乱する。


『ゆう吉が妖目おうまのことを忘れちゃったのは、ゆう吉が妖怪を退治したからだって。その手伝いをしたのが風丸かぜまるだって。早くゆう吉と話がしたかったのに、ゆう吉、いないし。どこに行ったのか……言わなくてもいいけど、妖目は……』


 声が段々と震え始める。


『……心配しすぎて、もう死んじゃいそう』


 結希の心臓も止まってしまいそうだった。


「……明日菜」


熾夏しいかさんが『大丈夫』って言ってるし、ゆう吉もそう言うなら信じるよ。けど、上手く言えないけど……早く顔が見たい。それだけ』


 申し訳なさすぎて胃の辺りを意味もなくずっと抑えていると、何故か通話を切られそうな雰囲気を察して慌てて止める。


『何?』


「何じゃなくて! お前今日誕生日だろ?! 用があるのはこっちなんだから勝手に切ろうとするなよ!」


『あっ、ごめ』


「…………え? ちょっ、明日菜?!」


 明日菜の声が急に途切れた。焦り、スマホを耳から離すと真っ黒な画面が結希の顔を映し出す。


「なんで今電源切れんだよ……」


 スマホはあまり使わないが、一応生命線だったそれが使い物にならなくなると一気に不安になる。充電器を探す為に走り出すと、廊下の曲がり角から影が出てきた。


多翼たいき! 廊下は走らな……」


 真菊まぎくの翡翠色の瞳と目が合って、彼女の火傷痕を間近で見て、咄嗟に足を止めるが間に合わない。

 多翼だと思っていた真菊は最初から抱き留める気でいたのだろう。軽く広げていた腕の中に収まって、そのまま真菊を押し倒すように傾いていく。


「──ッ!」


 真菊の背中に手を回して自分の背中を先に地面につけようとしたが、間に合わなかった。体の右側を思い切りぶつけ、腕の中にいる真菊は左側をぶつけている。そんな彼女が一瞬でも視線を逸らすことはなかった。

 倒れた後も見開かれた翡翠色の瞳が結希の瞳を離さないのだ。誰にも似ていない綺麗なそれが真菊のどんな感情を表しているのかは知らないが、揺れているそれに次第に惹かれ始める自分がいる。落ちていくと錯覚するほどに、真菊の瞳は透き通っていた。


 自分を殺そうとしている人間の瞳には見えないほどに──真菊の瞳は澄んでいた。


「…………」


 何がきっかけになったのか、真菊がゆっくりと息を吐く。それが魔法を解く鍵となったように、結希の体が動き出した。


「ごめん!」


 反射的に起き上がるが、バランスを崩してすぐに腰が落ちていく。尻を床につけたまま後ろへ下がって距離を取り、壁にぶつかってようやく止まった。


「ま、真菊……?」


 恐る恐る声をかけるが、真菊は呼吸をするだけでいつまで経っても動かない。

 真菊のことは好きとも──今となっては嫌いとも言い切れないが、火傷痕とも相俟って心臓が一気に縮んでいった。


「真菊!」


 膝をつけたまま駆け寄って、親しくもない真菊の体に触ることを躊躇って、腕に触り思い切り揺さぶる。


「真菊!? なぁっ、生きてるか!?」


「きゅ……」


「真菊!? ちょっ、誰か……」


 視線を巡らせると、僅かに開いた襖から覗いていたモモと目が合った。


「もっ」


「ッ!」


「モモ?!」


 多翼だったのではないかと思うほどに素早く走って逃げていったモモは、一体いつからそこにいて自分たちを見ていたのだろう。

 気配さえしなかった彼女が恐ろしく、そして誰かにこのことを話されることも恐ろしく、「モモー!」と名前を呼んでみてもモモは一向に戻ってこなかった。


「……きゅう」


 ポチみたいなことを言う真菊へと視線を戻すと、この数秒の間に何があったのかと目を疑うほどに彼女の顔は真っ赤っかで。

 両手で顔を覆った彼女は一体何を恥じたのか、同じく火傷痕が残ったままの体を丸めて言葉にならない声を発した。


「ま、真菊?」


「さっ、最悪! ほんと最悪! こんな奴と多翼を間違えるなんてほんと最悪! 死にたい! 死にたい死にたいっ!」


 じたばたと暴れる真菊は決して麻露ましろではない。体の傷も、その心も、足音だけで誰かを判断する能力も、同じ長女なのにまったく違う。

 そのことを知っていたはずなのに、改めてそれを突きつけられると今までと異なる真菊が目に浮かんだ。紫苑しおんはるたちの姉であると同時に、真菊は結希と同い年の少女なのだと──そう思ったら心が痛みを主張した。


「真菊」


「何!」


「瘴気って、なんだと思う?」


「はぁ?」


 何故このタイミングでそれを聞いたのか──両手を床につけて起き上がった真菊は今にもそう言いそうな表情をしていたが、ヒントがない以上結希の頭で解くには限界がある。

 素直に教えてくれるとは思わないが、教えるメリットは真菊にもあるはずだ。縋った糸はそう簡単には切れないだろう、だから結希は手繰り寄せた。


「……父さんのこと?」


「まぁ」


「自分の頭で考えろって言われてなかった?」


「そうしたら一生この家から出られなくなる」


「ばか。あほ。どじ。まぬけ。……けど、あれは実際見ないとわからないかもね」


「あれ?」


「いい? 瘴気っていうのは、悪い空気ってこと。悪い空気っていうのは、自然が作った空気じゃないってこと。つまりはそういうこと」


「つまりはそういうこと?」


 真菊の言葉を真菊の罵倒のままに繰り返す。真菊はこれ以上手を貸すつもりがないのか立ち上がり、逃げるように台所の方へと走っていった。


 春も、紫苑も、美歩みほも、モモも、逃げている。逃げていないのは多翼だけのような気がして、立ち上がった結希も台所の方へと歩いていった。


 瘴気とは、悪い空気ということ。悪い空気とは、自然が作った空気ではないということ。自然ではないなら、人工ということ。人工ということは──。


「不正行為ですよ」


「うわっ?!」


 急に現れたククリはジト目で結希を見上げていた。発言通り、悪いことをした生徒を咎めるかのような圧で詰め寄ってくるが言い訳ならばちゃんとある。


「不正じゃない! あの真菊が言ったんだぞ?!」


「誘導尋問です」


「誘導してない! 聞いてたならわかるだろ?!」


「聞いてません」


 両耳を塞いで聞いていないアピールをするククリは狡い。だが、ククリが出てきたということは、核心に近づいているということだ。



 ──人工ということは、人が手を加えたということ。



 それは、人に罪があると発言した父親の思想にも当てはまっていた。


「悪いのは人なのか?」


「また不正行為ですか?」


「ククリに聞いてるんだから不正じゃない」


「そういうのを屁理屈って言うんですよ!」


 またぷりぷりと怒るククリだったが、基本的に他人には甘いのか「そうですよ」と同意する。


「人が悪いんです。今も昔も、それだけは絶対に変わらないから……だから芦屋あしや家の方々はいつも血だらけになって戦うんです」


 ククリは、スザクとは違い長い間芦屋家という家を見てきたらしい。苦悶の表情を浮かべる彼女の痛みを結希は一欠片も知らなかった。


「結希、ククリ」


 別室と台所の中間地点にある居間から顔を出した雅臣まさおみは、ちょいちょいと手招きをして二人を呼ぶ。

 襖を開いて中に入ると、囲炉裏の方に雅臣がいた。


「おはよう」


「あ……おはよう」


 何を言われるのかと思ったが、普通に挨拶がしたかったらしい。素直に挨拶を返して囲炉裏の炎へと手を伸ばした。


「……陽陰おういん町の妖怪だけど」


 視線を炎に固定して、暖を取りながら二人の反応を横目で確認する。


「『助けて』って言ってるのは、なんで?」


 ずっとそのことが気になっていた。聞ける相手が今までいなかったせいで聞けなかったが、ここに雅臣がいるなら聞ける。


「え?」


 だが、腑抜けた声が聞こえてきた。


「『え?』って何?」


 思わず雅臣の方を見るが、ぽかんとした間抜け面を晒しており嫌な予感が過ぎっていく。


「ちょっと待って。『助けて』って言ってるの?」


「いや、だからそう言っただろ」


「え、なんで?」


「いや、だからそれを聞いてるんだろ」


 本当に何も知らないらしい。だから余計に、気にしてはいたがたいして問題視していなかったその事実が重要なことのように思えてならない。


「助けを求めている……? どうして……町の人は一体何をしたんだ?」


「何もしてないって!」


「けど、六年前の彼らはそんなこと一言も言ってなかった。何か原因があるはずなんだ」


「確かに前はそんなこと言ってなかったけど……本当に何も……」


「いつから? 他には何か言っていた?」


「去年の春。あと、『殺す』ってよく言ってる」


「『殺す』?!」


「それ以外は、何も言ってない」


 驚愕する雅臣からも、戸惑うククリからも、なんの情報も得られなかった。それどころか情報を与えてしまった気がする。


「結希」


「何?」


「俺も陽陰町に行く。一緒に来てくれないか?」


「……もちろん」


 だが、ようやく──ようやく同じ目的に向かって親子揃って歩けるのならば悪くはない。母親も手を貸してくれたらと一瞬でも思ってしまうから、心の奥底ではそんな未来を描いていたのだと、今になってようやく自覚した。

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