二十 『欠けた姉妹』
大きな衝撃を腹部に受けて、結希は喘ぎながら目を覚ます。歪む視界の中で、フルーツのような匂いがする長い金髪が揺れた。
「さっさと起きろ、バカ」
碧眼が結希を見下ろしていた。制服姿の愛果は、結希が起きた途端に胸ぐらを掴む。その碧眼は、何を伝えようか迷うように揺れていた。
様子がおかしい。口を開こうとすると
「愛姉! 暴力はダメだってば!」
慌てた椿が視界に入った。愛果はふんっとそっぽを向き、案外すんなりとその手を離す。
「二人とも、下に行くよ」
そう言って真っ先に結希の部屋から出ていった。
「結兄おはよ。もう晩ご飯だってさ」
「そっか。……月夜ちゃんのあれ、なんだったんだろうな」
「うーん、アタシもわかんないや」
起き上がって服を整える。椿はそれを待って、一緒に二階のリビングへと下りた。扉を開けると、眩しい明かりが二人の眼球を刺激し──
「せーのっ!」
「ハッピーバースデー!」
──飛び込んできたのは、キラキラと光を反射させた紙吹雪と溢れるような笑顔だった。パンッと、遅れてクラッカーの音が聞こえてくる。
「さぁさぁ、主役の二人はこっちに来なさいな!」
依檻は、二人の片腕を両手で掴んで軽々と引き寄せた。そのままテーブルの中央席に座らせて、満足げに頷く。
「ちょちょちょちょ、どういうことっ? いつもなら誕生日会なんてやらないじゃん!」
椿は慌てて立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回した。椿に倣うと、初めてリビングの変貌ぶりに結希も気づく。
《お誕生日おめでとう》
《ようこそ百妖家へ》
そう書かれた幕が壁一面に貼ってあり、その周りを折り紙で作られた輪っかが飾られていた。
「四月十八日は結希の、二十一日は椿の誕生日だろう。ついでに結希の歓迎会やら祝勝会やら退院祝いやらをやろうということになってな」
白いエプロン姿の麻露は、お玉を片手にキッチンから姿を現した。
「要するに椿は結希のついでじゃ、ついで」
「あ、なるほど! ……って酷い! ついで?!」
「ついででも祝ってもらえるんだからいいでしょ〜?」
朱亜を揺さぶる椿に和夏が声をかけると、椿は動きを止めて素直に謝る。
「とうちゃーく!」
刹那、扉が開いてぴょこんっとウサギ耳が揺れた。
「遅れてすみません。あと熾夏、見ていて恥ずかしいのでそれは外してください」
ウサギ耳をつけた熾夏に、彼女を咎める歌七星も合流した。なかなか家で会うことがない二人の到着に、リビングの賑やかさが増していく。
「まだ始まってないから大丈夫だ。それにしても久々だな、この人数が一度に集まるのは」
結希を含む十三人は互いを見つめ合い、微笑みを漏らす。刹那、結希は僅かな違和感を覚えた。
麻露は心春と双子を連れてキッチンへと戻り、料理をテーブルに並ばせる。いつもの質素な和食とは異なる豪華な洋食に、椿は大きな瞳を一段と輝かせていた。
「すっげ〜!」
「ほら、主役その二。意地汚いよ」
愛果に頭を叩かれると、椿はうぐっと黙る。空いている席にはいつもと違い、好きな場所に各々が腰をかけ始めていた。
結希の右隣には椿が、左隣に座ったのは一番近くにいた愛果だった。
「さて、乾杯だ」
「えっ、早っ!」
麻露の唐突な挨拶に依檻がつっこむ。
「それだけですか? シロ姉」
呆れ気味な歌七星はため息をついた。麻露はすぐ下の二人の攻撃に不満げな表情を見せ、もう一度グラスを掲げる。
「結希、まずは感謝する。結界を張ってくれたこと、私たちを助けてくれたこと。言葉にすると尽きないな」
「そんなことはないです。みなさんを操らせてしまいましたし、俺は怪我で足を引っ張りました」
あまり暗い雰囲気にならないように。結希は普通の表情、普通の声色で淡々と告げる。
「いや。あのままあの数の妖怪と戦っていたら、私たちはもたなかっただろう。幻術に操られてた方がまだ生き残れたよ」
「そうだね。わかちゃんと朱亜はシロ姉に氷づけにされてたし、シロ姉は私がギリギリ自然治癒できる程度に痛めつけておいたし」
「熾夏は熾夏で裏切り者を逃がしたしな」
「うぅ……!」
胸を抑えて呻く熾夏を満足げに眺め、麻露はこほんと咳払いをした。
「とにかくだ。百妖家へようこそ、結希。ハッピーバースデー」
「…………長い」
鈴歌の何気ない呟きに、ひくっと麻露は口角を上げ
「シロ姉はやることが極端じゃからのぅ」
腕を組んで頷く朱亜を、凍てつくような鋭い瞳で黙らせる。
「こら三つ子。シロ姉にいちいち文句言ってると話が進まないんだからさぁ。ってことで乾杯!」
そして、こちらも極端な依檻は缶ビールを掲げて一気に飲み干した。
「勝手にやるな!」
「まぁまぁお飲みなさいな」
持っていたグラスを口元に押しつけられ、麻露は依檻からグラスを奪う。
「かんぱーい!」
月夜が無邪気にコップを掲げた。それが発端となり、それぞれが乾杯をしてから料理に手を出す。
「愛果さん、三つ子って?」
愛果はミニハンバーグを食べようとする途中で顔を上げた。口に含んでから、「知らなかったっけ?」とオレンジジュースが入ったコップに手を伸ばす。
「鈴姉としい姉と朱亜姉。これが百妖の三つ子」
「三人ともそっくりだろ?」
右隣の椿が首を伸ばして指差した。その先には固まって椅子に座っている三人がいるが、言われてもまったくわからない。
「すっごく似てるじゃん。ほら、鈴姉はアニメオタク、朱亜姉はゲームオタク、しい姉は見た目が厨二だし」
ぴょこんっと、再びウサギ耳が揺れた。
確かに力が制御できないという時点で厨二っぽいし、それを抑える為につけている呪文つきのリボンと眼帯がそれを際立たせている。
「似てるでしょ〜?」
と、結希の目の前に座っていた和夏は笑った。
「聞こえてるよ〜」
ぐるんっと顔だけを結希たちの方に向けて、熾夏はウサギ耳を取る。歌七星に言われても取らなかったのに、厨二と言われたことが効いたのだろうか。
「私よりも愛ちゃんの覚醒の方が厨二でしょ。見た目すごいし」
「覚醒? ……愛果さん」
「そんな目で見るな! ていうか、ウチが覚醒したのはアンタのせいなんだから!」
「なになに? 愛姉、覚醒ってなにー?」
ずいっと月夜が身を乗り出して麻露に怒られる。愛果は全員から集まった視線に焦り、助けを求めるように結希を見上げた。
「いい機会じゃん。見せてあげれば?」
熾夏はにやにやと笑いながら中心の広い空間を指差す。すると、愛果は深呼吸をして頷きその場に立った。
「しい姉の言う通りいい機会だしね。見せてあげる、ウチの真の姿をっ!」
煙を上げて変化する。熾夏以外の誰もがいつもの豆狸姿を思い浮かべたが、愛果の背丈は一ミリも変わらなかった。
代わりに本来の耳の真上から金色の狸耳が生え、鈴のイヤリングがリンと鳴る。ツインテールになった金髪を靡かせる手。それを彩る胡桃色の短め丈手袋。胸を隠すほどしかない胡桃色のチャイナドレス。同色のカンフーズボン。
ヘソ丸出しという際どい格好をした愛果の胡桃色は、翔太を想起させていた。恥じる様子もなく狸の尾を揺らし、愛果は最後に胸を張る。
「な、なんだその格好は!」
「ウチの覚醒した姿みたい。……け、結界を張った日にこんな格好になったんだ」
愛果はその理由に薄々気がついていた。結希を見ると、彼は若干視線を逸らしている。
「何をしたらそうなるのじゃ? というか覚醒という証拠は? 豆狸の幻術ではないのか?」
「な、何もしてないわよ! ウチは! 何も!」
「ならなんで顔を真っ赤にするのかなー?」
にやにやと笑う依檻を睨み、愛果は熾夏を指差す。
「証拠はしい姉が言ってたから! それで充分でしょ?!」
刹那に全員の視線を集めた熾夏は、動揺せずにゆっくりと深く頷いた。
「千里眼で視たんだけどね? 力が前よりも強くなってるの。豆狸の能力を加えた今の姿の方が戦いやすいでしょ?」
「確かに体術ができるように……」
「愛果の場合、体術ではなく喧嘩でしょう」
うぐっ、と愛果は首を縮める。学園創立以来の問題児と呼ばれるだけあって喧嘩が強い愛果は、以前よりも確実に強くなっていた。
「も、もういいでしょ?! 終わり終わり! ご飯が冷める!」
再び煙を上げて元に戻った愛果は、勢い良く席に座って料理をかきこみ始めた。が、その手は結希が見ていることに気づいて急速に止まる。
「ごふっ!」
喉に食べ物を詰まらせたのか、愛果は咳き込んだ。呆れた表情で愛果を見る十一人の姉妹たちとは違い、結希は愛果の背中を摩って面倒を見る。
「……何やってるんですか」
愛果は軽く手を上げて結希を制した。
「あり、がと……」
何度か咳き込んだ愛果は、視線を落としたまま顔を上げる。
「ところでアンタ、いくつになったの」
「十七です」
そう言った途端、愛果が固まった。しばらく何かを考えるような仕種をして、碧眼を揺らす。
「アンタ、ウチに敬語を使わなくてもいいよ」
静かに呟いた愛果は、オレンジジュースを一口飲んだ。姉妹の雑談に掻き消されても、結希だけは読唇術で読み取れる。
「学年は違うけど同い年だし、敬語とかめんどいし。ウチはそういうの〝気にしない〟からさ」
「愛果さ……」
「そのさんづけも禁止」
愛果は結希を見上げ、歪な形をしたミニハンバーグを結希の皿に盛った。
「というか結希、今まで言う機会がなかったから言うけどね」
加えて歪な形をしたミートボールと、大きさが不均等な野菜が入ったカレーを盛りつける。それはすべて愛果が作ったもの──煮たり焼いたりしたのは麻露だが、そんなことは結希が知る由もない。
「約束、破ったでしょ」
「……破りましたね」
「だから敬語禁止だってば」
「あ……悪い」
愛果はにやけるのを我慢して俯く。
『さっさと結界を張って帰ろう』
それが二人の約束だった。様々な想定外が起こり、結局結希が家に帰ってきたのはその約二週間後だった。
「──だからさ、罰としてウチの言うことなんでも聞くこと」
愛果はあの日を思い出す。情けなくて悔しくて仕方がなかった。もっと強かったら守れたかもしれなかった。
……今なら、守れるかもしれないと思った。
「なんでも?」
「口答えしない」
自分が悪いのはわかっている。だから結希は渋々、本当に渋々と無言を貫いた。
*
料理が徐々になくなって、ソファでテレビを見る姉妹が出てきた頃。結希は夜風に当たる為にベランダに出た。
二度目のベランダはリビングとは違いとても静かで、神秘的な印象を与える。そのベランダに一人、麻露が月明かりとリビングの灯りに照らされながら柵に寄りかかっていた。
「……結希」
振り向く麻露に、いい機会だと思って近寄る。
麻露は結希が隣に立っても何も言わなかった。
「俺、違和感を覚えたんです」
そう言ってリビングに視線を向ける。そこでは二人を除く十一人が笑い合っていて、結希はその違和感を口にした。
「麻露さん、前に俺に言いましたよね? ──〝十三姉妹〟だって」
張り詰めた表情をしていた麻露は、小さく笑って「気づいたか」と頬杖をついた。
「はい。麻露さんと俺を入れても、この家には十三人しかいません。つまり、一人足りないんですよね?」
実際に結希が紹介された家族は、十二人だった。これだけの人数がいたら、一人足りないことくらいすぐには気づけない。
『ウチらが一人も欠けずに集まれる日なんて、ない』
愛果が言っていた台詞が脳内で再生された。あの時の愛果や妹たちの表情は、未だに鮮明に思い出せる。
「いずれ話そうとは思っていた。キミの言う通り、この家には依檻の一つ年下の三女がいないんだ」
「……その三女は今どこにいるんですか?」
「妖目総合病院。キミがさっきまで入院していた場所さ」
いずれ話すと言っていた通り、麻露は案外すんなりと答えた。結希の予想と大体変わらないその場所に、まだ会ったことのない三女がいる。
「六年前の百鬼夜行で瀕死の状態となって、一命は取り留めたが未だに目を覚ましていない」
「ッ!」
悪寒が走った。まさかここで六年前を話題に出されるとは──思っていなさすぎて胸が軋む。
「あの子は三女で唯一の大型妖怪だったから、私たちの盾になってしまうことが多くてな……。『妹たちを守れるなら大丈夫だ』と、よく笑っていたんだよ」
結希は何も言えなかった。
当時を思い出しているのか、長女の麻露は辛そうに顔を歪める。これ以上聞いてはいけないと思う反面、知らなければならないとも結希は思った。
「それがあの日、仇となった。なぁ、結希は百鬼夜行をあまり話題に出してほしくないみたいだが、あえて聞かせてくれ。──キミは、あの子を救ったことを覚えているか?」
「…………救っ、た? 俺がですか?」
まったく記憶にない。
結希は決意を固めて、六年以上前の記憶がないことを麻露にだけに告げた。
「……そうか。やはり、あれほどの術に代償なし、というのはさすがに都合のいい話か。あのな、結希。キミは死ぬはずだったあの子を瀕死の状態にして、百鬼夜行を食い止めたんだ」
いつもの嫌な思いはなかった。むしろ知りたかったことを知れてすっきりとしている。
その分、その三女に会ってみたいという思いが強くなった。
「その人に会いたいんですけど、いいですか?」
「いいに決まっている。あの子にもキミを紹介したいと思っていた。恩人の少年が、立派に成長して弟になったぞって」
麻露は少しだけ楽しそうに笑った。釣られて結希も口を開けて笑った。
住宅街から離れた街灯のない百妖家からは、星がよく見えて。結希の目にはそれを遮るモノもよく見えていた。
「……そういえば、この家に張ってある結界のこと、麻露さんはご存じですよね?」
「ほぅ、さすが陰陽師だな。張った人はわかるか?」
「さすがにそこまでは誰もわかりませんよ」
「キミの母親、間宮朝日さんさ」
麻露は空を仰いで目を凝らした。半妖の麻露には結界が見えず、悲しくなって凝らすのを止める。
「母さんが? 麻露さん、母さんとこの家は一体どんな関係なんですか?」
朝日に聞こうと思っていたが、なんだかんだで連絡を取り合っていなかった。
「朝日さんは私の育ての親さ。半妖として生まれた私や依檻、朱亜の辺りまで陰陽師の朝日さんが面倒を見てくれた」
「母さんはそんなこと一言も言ってませんでしたよ」
「言わないだろう、そもそも。朝日さんは秘密主義だって息子のキミが一番よくわかっているはずさ」
結希はその言葉で麻露が嘘をついていないことを信じた。
朝日の本質を知る者は、深い関係にある者だけ。結希の秘密主義は、朝日から受け継がれていた。麻露の秘密主義が朝日の影響だと言われたら、納得してしまう。
「そういう人でしたね」
答えて、再び星空を見上げた。
「あ、流れ星」
「何?! どこだ結希!」
柵に身を乗り出して、麻露は目を凝らす。煌々と輝き流れる光の粒を視認して、麻露はリビングに声をかけた。
「おいっ! 流れ星が見えるぞ!」
子供のように興奮する麻露は、次々にベランダに出てきた妹たちに星空を見せる。満天の星空の下、笑顔を見せる姉妹たちを結希は視界に入れて黙考した。
『そうよ。あの子たちならきっと、結希君を守ってくれる。──だから結希君も、あの子たちを守ってあげてね』
朝日の例の台詞が再び脳内で再生される。
もう、元の家に帰りたいという気持ちはなくなっていた。そして、今度はなんとなくではなく本当の意味でその言葉の本質を受け取る。
(……必ず)
その決意を知る者は、千里眼を持つ熾夏だけだった。




