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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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九  『兄さん』

「お兄ちゃぁぁああん!」


 自らの足で歩いて遠く離れた別室に行き、涙を流しながら駆けつけてきた月夜つきよを両腕で抱き留める。結希ゆうきは視線を動かして、呆然と自分を見上げる幸茶羽ささはを視界に入れて安堵した。


「もっ、しんぱっ、しんぱしてっ!」


「痛っ?! いや、ちょっ、わかった! 心配したのはわかったから殴るのやめっ……痛い!」


 今まで一度も暴力を振るったことのない月夜の暴力は幸茶羽よりも強烈で。それほど心配させたのだとわかっていても納得できなかった。


「ごめんなさいってゆって! ゆってよ!」


「ご、ごめんなさい……」


 押しに負けて謝罪する。幸茶羽は結希から視線を外しただけで何も言わなかった。


「……えっと、二人が助けてくれたんだよな?」


 あれだけ血が流れたのに、どこも痛むところがない。脱いで確認したわけではないが普通に動けるほどに回復していた。


「そうだよ! つきとささちゃんで助けたの!」


「あんな土壇場でよくでき……いや、ありがとう。助かった」


「どういたまして!」


「どういたしまして、な」


 涙を拭い、ようやく落ち着き始めた月夜は結希の腕を引っ張って幸茶羽が座る中央まで連れていく。そんな三人を開けっ放しにしていた襖の外から見ていたのが、はるだった。


「……何か用?」


 あまりにも不気味な彼に恐る恐る声をかけるが、春は「気にしないで」とだけ返す。さっきもそうだったが本当は何か言いたいことがあるんじゃないか、そう邪推してしまうほどに春は結希から離れたがらなかった。


「あっ、そうだ! ねぇお兄ちゃん、脱いで!」


「なんで?!」


「うわ、きも」


「誤解だ春!」


 本当にゴミを見るかのような目をする春に助けを求めるが、春はまったく動こうとしない。抵抗しようにも力加減がわからずにできず、そうこうしているうちにニットとTシャツを上げられてしまった。パンツが半分ほど見えているにも関わらず助けに入らない春を憎んでいると、月夜の手がようやく止まる。完全に脱がされることはなかったが、月夜の手が首にある感触がする以上背中は見えているのだと思った。


「あ……」


 そう声を漏らした春は、何故か結希の背中に回ってそれを見る。


「……ない」


 その反応をしたのは春だけではなく、月夜と、そして何故か凝視していた幸茶羽もそうだった。


「ないって」


 そこで、自分の背中に何があったのかを思い出す。結希は慌てて服を上げ、自らの腹部を凝視した。


「……ない」


 そうだ。一つもないのだ。カグラにつけられた無数の刀傷が。そして、三人の意見を信じるならば亜紅里あぐりにつけられたあの火傷が。


「治っ、た」


「治った!」


「治した……?」


「…………」


 振り返ると、大喜びする月夜と泣くのを我慢する幸茶羽がいる。春だけが複雑そうに端正な顔を歪めており、手を取り合う双子をじっと見下ろしていた。


「やっぱり何かあるんだろ」


 そうでなければ春は絶対に自分なんかに近づかない。人を見た目で判断するのは良くないが、春はどこからどう見ても人付き合いが苦手な人間なのだ。


「え、あ……」


 言われてすぐに答えることもできない。その気持ちは痛いくらいにわかる。結希も春と似たような人間なのだから。


「いいよ。言いたいことあるなら言っても」


 傷つく覚悟ならできている。……いや、これ以上傷ついてもきっと何も感じないと思ったから言葉になる。

 紫苑の義父が実父だという一番の衝撃を乗り越えた結希は、たいしたことでは動じない。


「…………紫苑しおんが」


 動じないが、紫苑の名前が出てきたのは予想の範囲内だった。春が紫苑を大切に思っていることは、紫苑の話を聞いただけでもある程度わかる。その上何度も見てきたのだ。

 春と紫苑の、双子の物語を。


「あんたのこと、好きだから。俺も好きになれるのかなって」


 だが、その後の台詞があまりにも意外すぎて思考が止まった。


「えっ、春兄はるにぃもお兄ちゃんのこと好きなの?!」


「はるにぃ?」


「え? だって、しおにぃのお兄ちゃんなんでしょ?」


「……あぁ、そうだよ。俺は紫苑の兄。で、多分、この人の義弟おとうと。だからかわかんないけど、俺、多分、やっぱり〝兄〟としてあんたに勝てない……姉さんの気持ち、今ならわかるよ。痛いくらいに」


 現実から逃れるように瞳を閉じると、一筋の涙が春の頬を撫でていく。あまりにも紫苑に似たその顔で泣かれると、思うところがありすぎて言葉に詰まる。


「そんなの、当たり前だろ」


 だから、春を肯定したのは結希ではなかった。


「ささたちは、どう足掻いたって年上にはなれない。どんなに頑張っても年下は年下のまま。だから年下を受け入れるしかない」


 いつの間にかいつもの幸茶羽がそこにいる。いや、月夜もいつもの月夜だった。

 どのタイミングで元に戻ったのかわからなくて、自分が来る前にある程度話をしたのかと察する。春は、意外そうな紫苑色の瞳で幸茶羽の姿を捉えていた。


「ささはさっきそのことに気づいた。どんなにお姉ちゃんぶろうとしても、本当のお姉ちゃんには敵わないんだって。だから、春も、下僕の弟として生きた方が楽になれる」


 何故春が春で自分は未だに下僕なのか。そのことに気づいた結希だったが衝動を堪えて続きを聞く。


「ささは……上手く言えないけど、姉さんたちの妹で良かったって思う」


 その言葉を聞けただけで黙った価値は充分にあった。


「そっちは最初から家族だったでしょ。俺だって紫苑の兄で良かったって思ってるし、生まれ変わっても紫苑の兄でいたいって思う。けど、この人は違う。この人は父さんの子ども。どんな人か知らない人。なのに負けたって思う。……死ぬほど悔しい」


「負けるも何も、貴様らは最初から察してたんだろ。その……つまり、ささが言いたいのは……素直に認めることが大事ってことだ。貴様らがしてることは、現実逃避だ。駄々をこねてる子供と一緒だ」


「なっ」


「こいつは……これでも一応、ちゃんとささの兄さんだから。紫苑の兄さんも、ちゃんとやってるから。だから春も、兄さんだって思えばいい」


 そして、本当に幸茶羽なのかと耳を疑う言葉の数々に言葉を失う。

 初めて会った時から変わらず〝下僕〟と呼ばれていたから、〝兄さん〟と言われたのは新鮮で。春ではないが熱くなった目頭から何かが零れ落ちたような気がした。


「さ、ささちゃ……」


「だっ、貴様! ささのことその名で呼ぶなって言っただろ! 貴様は頭はポップコーンなのか?! あと泣くな!」


「いだっ?! だっ! 幸茶羽ちゃん! ストップ!」


「幸茶羽!」


「ささ……幸茶羽?!」


「なんだ貴様! 姉さんを呼び捨てにしたんだからそれくらい呼べるだろ?!」


「呼べるけどどうした急に……! 本当に幸茶羽ちゃん……?」


「この顔が姉さんに見えるのか?! バカ! バカ下僕!」


 本当に、この数時間で何があったのかと思うほどに幸茶羽だが幸茶羽ではない誰かが目の前にいた。


「殴りすぎじゃない……? この人一応病み上がりでしょ……?」


 春が引くほど殴り続けた幸茶羽だったが、実は月夜よりも威力がない。多分手加減したのだろう、あの頃の容赦のなさと比べたら本当に可愛いものだった。


『キュー!』


 瞬間、春のパーカーから毛玉が飛び出す。それは、どこからどう見てもポチだった。


「ポチ子?! なんで……!」


「あぁ、あの日から紛れ込んでたみたいで」


 あの日というのは、一週間ほど前にあった祠襲撃の日のことだろうか。ポチ子は妖怪として未熟だからかあまり出てくることはなく、見かけなくても特に違和感はなかったが。


「なんでママから離れたんだ!」


『キュ? キュキュー!』


「きゅきゅー! じゃない!」


「……あんた、ママとかキューとか……何言ってるの」


「誤解だ春!」


「誤解かなぁ」


「いやいやわかってるだろ父さんから話聞いてたら!」


「…………」


 瞬間春が目を見開く。何か言ったか、そう思って何も言っていないと結論づけたが、「父さん、ね」と呟かれて気づいてしまった。

 今、結希は、この家で〝父さん〟と口にしてしまったのだ。


「何『しまった』みたいな顔してるの。父さんなんだから呼べばいいじゃん、きっと父さんも喜ぶよ」


「いや、でも」


「今さら俺たちに遠慮しなくていいし」


「でも……」


「俺さ、あんたのこと〝どんな人か知らない〟って言ったけど……あんたはあほみたいに優しいよね。それだけはわかるよ」


「……優しいんじゃなくて、呼びたくないだけだから」


「だとしても優しいよ。あんたの言動から滲み出てる」


「すっごくいい人だよ、お兄ちゃんは」


 口を挟んだ月夜へと視線を移し、何故か微笑んだ春のその顔を紫苑で見ることは絶対にできないだろう。春だけの表情だ。春だけが持つ、優しい心の現れだ。


「春、俺は、お前のこと義弟だって思ってるよ」


 だから思わず口に出した。言うつもりはなかったが、今の春なら聞いてくれるような気がして賭けをした。


「それは、紫苑を義弟だって思ってるから?」


「それもある。けど、お前は父さんの息子だから」


「変なの。父さんって呼びたくないのに父さんって認めてるんだ」


「……真菊まぎくも言ってたしな。血の繋がりは切っても切れないとかなんとか。あと、お前たちには言ってなかったと思うけど、百妖ひゃくおう家の人たちは母さんの娘みたいなものなんだ。あの人たちを家族って呼ぶ以上、お前たちも家族って呼ばないと……不公平な気がする」


「全っ然不公平じゃないよ。あんたのこと要らないし。……けど、モモがどうかは知らないけど、多翼たいきはあんたが兄で嬉しいみたいだよ。遊び相手が増えたってさ」


「えっ」


「俺と紫苑は上手く遊んであげられなかったから、悪いことしたなって思うけど……あんたなら多分大丈夫だよ」


「お前絶対根拠なく言ってるだろ」


 突っ込むと、また笑った。今度はあまりにも一瞬だったが、いたずらっ子が浮かべるような笑みだった。


『キュー!』


 そんな春の周りを嬉しそうにポチ子が飛ぶ。春に懐いているように見えるポチ子を眺めていると、妖怪であることを忘れそうになり──瞬間、電流が体を走るような感覚がした。


『……悪いけど、結希はもう少し妖怪を見た方がいい』


 さっきはその意味がわからなかったが、ポチ子を見ているとその言葉を思い出さずにはいられない。


『──この世界の理に気づくまででいい。ここにいてくれないかい?』


 姿を現していないがずっと監視しているであろうククリを探す。だが、ククリは出て来ず、正解は誰も教えてくれない。

 答えがわかったわけではないが、少なくとも、ポチ子を見ているとわかるのだ。


 ポチ子が妖怪の幼体だと仮定するなら、悪意を持って生まれる妖怪は存在しないということ。


『……そうだろうな。俺たちの養父も、ぽやぽやはしてるが聖人君子ってわけじゃねぇ。時々、『悪いのは人だ』って呟いて遠くを見てる。……お前なら、その意味がわかるんじゃねぇか?』


 そして、悪意が途中から生まれるのだとしたら、紫苑のこの言葉の意味もなんとなくではあるがわかるのだ。


「お兄ちゃん? どうしたの?」


「……いや、なんでもない」


「変な人。ポチ子、あっち行こ」


「だから誤解するなって」


 本気で言っているようには聞こえなかったから本気では止めない。


「あ、待って! つきも行く!」


 それよりも、早く答えを出さなければ自分は一生帰れない。そう思って思考を始め、幸茶羽のあんよに背中を蹴られた。


「何故」


 答えがなくて振り返ると、唇を真一文字に引いてぷるぷると片足を上げたままの幸茶羽が視界に入る。

 何かを言われたわけではないが、助けを求められているような気がして──結希は彼女に向き合った。

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