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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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八  『父の行く道』

『……真菊まぎく、どうしてあんなことをしたのかな』


『だって、こいつは、間宮結希まみやゆうきだから。……父さん、私は、絶対に謝らない』


『俺に謝ってほしいんじゃない。結希に謝ってほしいんだ』


『どっちにも謝らないから』


『真菊、どうして』


『どうしてじゃない。嫌なの、こいつが生きていることが』


『…………』


『ほら、その反応。私は…………こんな目に遭っても父さんの娘にはなれなかったのに』


『娘だよ。真菊、君は俺の大切な娘だ。はるも、紫苑しおんも、美歩みほも、多翼たいきも、モモも、俺の大切な子供たちだ』


『…………紫苑が向こうに行った時は悲しそうな顔をしてたけど、美歩の時は、本当に凄い顔をしてた。血の繋がりには勝てないんだって、この状況を見た上でもそう思う。私は、父さんが止めなかったら……絶対にこいつを殺してた。今でもその気持ちは変わってないから』


 泣いているわけではないのに、心が血を流しているような──どうしようもない寂しさに染まった声だった。

 自分よりも長い間父親からの愛を欲して喘いでいた真菊は、海底から陸へと上がったばかりの魚のようだ。息苦しさを感じたまま生きている彼女は、何を得ても虚しさを感じていたのだろう。言葉が何一つ届いていない。何もかもを否定している。


 不意に、初めて会った時、大嫌いと言われたことを思い出した。


 初めて会ったのに初めて会ったとは思えないような言われようで、どこかで会ったことがあるのかと尋ねたのに秘密にされた。秘密にする意味がわからなかったが、言いたくなかったのだろうと今だから思う。


 結希はゆっくりと目を開いた。真菊と雅臣まさおみが話していると頭で理解した刹那、目を開けなければならないと思ったから。


「ッ、結希!」


 身を乗り出した雅臣の表情がよく見えた。こんなに近くで父親の顔を見たのが初めてだったからか、写真よりも老けていることに気づいてしまって時の流れを痛感する。

 隣に座っていた真菊は、結希から視線を逸らして唇を噛んだ。嫌っている様を隠すことはしなかったが、言葉に出すこともしなかった。


「良かった、もう大丈夫だね……!」


 心から安堵したように見える雅臣は、緊張の糸が解れたのか目に涙を浮かべてそれを拭う。……変な人だ。そこまで心配されるほど一緒にいたわけではないのに──そこまで思って、雅臣が六年以上前のことを覚えていることに気づいてしまった。


「…………」


 真菊と同じように唇を噛む。真菊と同じように、言葉に出すことができなかった。


月夜つきよちゃんと幸茶羽ささはちゃんは別室にいるよ。大丈夫、安心して」


 的外れなことを言われたと思ったが、月夜と幸茶羽の安否を知って安堵する。雅臣は結希の変化に気づいたのか、笑みを零して頷いた。


「彼女たちのことが好きなんだね」


 父親面をした雅臣がそんな言葉を吐く。だが、月夜と幸茶羽の方が親しいのだからそんなことを言われても違和感しかない。結希は雅臣に心を許したわけではないのだ。


「……あ、水飲む? 喉乾いたよね、気づかなくてごめん。春、お願いしてもいいかな?」


「……わかった」


 視線を巡らせると、和室の部屋の隅に春が丸まって座っているのが見えた。一言も言葉を発さなかったから気づかなかった、相変わらずフードを目深に被っていて目元がよく見えない。

 立ち上がって襖を開いた春は、猫背のまま去っていった。その際に彼の表情が一瞬見えたが、いつもの根暗な表情ではなかった。


「父さん、水」


「あれ? 早かったね」


「モモが入れてた」


「そっか。気が利くね、モモ。二人ともありがとう」


 体を起こすと、春の腰にしがみついていたモモという名の少女がよく見える。美歩の五つ下──八歳と聞かされていた最年少のモモは、春とはまた違った薄暗そうな雰囲気を身に纏っていた。

 だというのに、モモの空色の瞳は本物の空のように透き通っていて美しい。曇りがない。なのに何かに怯えている表情が真っ先に視界に入ってきて、彼女の身にかつて何かがあったのだろうと勝手に推測してしまう。桃色と橙色の中間色──熟れた桃のような色の髪は胸元まであり、大人しそうな印象を受ける。今まで出会ってきた人々の中でも最年少に入る彼女は、結希を視界に入れて隠れた。


「はい、水……でごめんね。うち水道水くらいしか出せるものなくて」


 申し訳なさそうに笑う雅臣はさらっと何を言ったのだろう。水道水を受け取って、傷が治っていることに遅れて気づいた結希は無言で自分の体を見下ろした。


「毒は入ってないよ」


 雅臣と同じく的外れなことを言って、春は真菊の隣に腰を下ろす。モモは真菊の後ろに移動して、しゃがんで結希の様子を伺った。


「ねぇ〜! なんでみんなここにいるの〜?!」


 瞬間、春とモモが来た襖とは反対側の襖を開けて見知らぬ少年が飛び込んでくる。その先の布団にいた結希は彼に吹っ飛ばされ、持っていた水を畳に零した。


「僕を一人にしないでよぉ〜!」


「多翼、結希から退きなさい!」


「えぇ〜?! この人が結希に〜ちゃんなの?!」


「……結局全員揃っちゃったね」


 心配してくれている人間が父親しかいない。真菊からは敵意を、多翼からは好意を感じる。春は何を考えているのかまったくわからず、モモは変わらず結希を怯えた瞳で見つめていた。

 ここに紫苑と美歩がいたというイメージがまったく湧かない。紫苑は確実に浮いていただろうし、美歩と彼らの話が合うとは思えない。自分たちの敵対組織という立ち位置ではあったが、彼ら一人一人を見ていると──ここも家なのだと嫌でも思い知ってしまった。


「結希に〜ちゃん結希に〜ちゃん結希に〜ちゃん! 紫苑に〜ちゃん元気?! ねぇねぇねぇねぇ美歩ね〜ちゃんは?! 元気ぃ?!」


「だから多翼! 結希が潰れてるから!」


 見下ろすと、自分の体の上に乗る多翼と目が合う。落ち着いた浅緑色の目だ。なのに本人はそうではない。鮮やかな橙色の髪は短く、癖毛なのか毛先がくるくると巻かれている。

 月夜と幸茶羽の一つ下である十歳と記憶している彼は成長期が来ていないせいかモモと大差ない体格をしており、落ち着き具合から見ても彼の方が最年少に見える。雅臣は、そんな彼を抱き上げて結希から離した。そんな風に抱き抱えられた記憶がなくて、視線を伏せた。


「結希……」


 困惑した雅臣の声が聞こえる。だからといって彼の方を見る気はない。


「……その、どうして喋ってくれないのかな」


 それは、自分でも驚くくらいに寂しそうな声だった。今の今まで騒いでいた多翼が黙り、モモが真菊の背中に隠れ、春がフードで目元を隠し、真菊は変わらず視線を逸らし続ける。


「怒ってるのかな」


「怒ってない」


 その問いを受けた上での沈黙は肯定だと捉えかねない。故の即答に雅臣は安堵した。


「なら良かった」


「何も良くない」


「……やっぱり、怒ってる?」


「怒ってない」


 口ではそう言うが、内心では怒りもあったのだろう。怒気を孕んだ返答にますます場の空気が悪くなる。

 最初に耐えきれなくなったのは、真菊だった。本物の親子の再会を誰よりも望んでいなかった彼女は部屋から立ち去り、隠れ場所を失くしたモモも去る。雅臣の膝の上に座っていた多翼でさえ部屋を出たのに、春だけは頑なに動かなかった。


「結希、言いたいことがあるなら言ってほしい。せっかくまた会えたんだから」


 春がいてもいなくてもどちらでもいいのだろう。それとも、二人とも我が子だと思っているから本当に気にしていないのだろうか。



「……あんたなんか大嫌いだ」



 だからそんな結論が出る。憎しみを吐き出すように言葉が溢れ出てきて止まらなかった。


「あの人たちはみんな、家族を……大切な人を守りたいからあの町に残るんだ。だから逃げない。逃げられない。なんでそんな簡単なことがわからないんだよ」


「それは俺だってわかるさ。だから、全員で逃げてほしいって……」


「逃げられないって言ってるだろ。あんたは掘り返せって言うのかよ」


「……掘り返せ?」


「あの町には、あの人たちの大切な人がたくさん眠ってる。あの土地を捨てて逃げたらもう二度と会えない、もう二度と……魂が還ることもない。そもそも、あの人たちは何があっても逃げないって……もう嫌ってほど思い知ったんだ。〝あいつ〟だって逃げたら死ぬから……俺は絶対に逃げない。俺は、〝あいつ〟を見殺しにはしない」


「……なるほど、そういうことか。それは確かに逃げられないね。それに、〝あいつ〟か。結希は、そうまでして守りたいと思える〝誰か〟に出逢えたんだね」


「勘違いすんなよ。〝あいつ〟は俺の親友、こんな俺を見捨てないでいてくれた土地神だ」


「ッ」


 見開いたその瞳の中に自分が映った。その顔は確かに怒っていた。だが、言葉にして初めてその事実を自覚した時──怒るのは何も不思議なことではないと思う。


 風丸かぜまるを救う為に、自分は必ず町に残る。自分が残ったら、何があっても逃げない義姉妹たちも残ってしまう。そうしたらきっと、《十八名家じゅうはちめいか》の──特に本家の人間も絶対に残るだろう。

 そもそも、逃げるという選択肢を持っている人間があの場にいるようには見えなかった。発狂する人間はいても、町外に逃げる人間は絶対にいない。町外に逃げるという発想さえできないほど、あの人たちはあの町に捕らわれている。雅臣がなんと言おうとこの意志は揺らがないと認識し、だから結希は守る為に今からできることを模索した。


「俺は、この六年の結希を知らない。この子たちのこともあったし、なるべく知ろうとせずに生きてきた」


 瞬間に雅臣が決定的なことを口にした。捨てられたと認識してもおかしくないほどに息子の人生に不干渉だった雅臣は、隣の春のことを見つめていた。


「だから、結希にそんな親友ができていたことを知れて素直に嬉しい。自分のすべてを捧げても構わないと思える人にまだ出逢えていなくても、君のこの六年がとても充実した日々だったこと。友の為に戦うことを決意するほどに優しい子に育ってくれたこと。父親としてこれ以上に誇らしいことはないけれど……やっぱり父親としては、逃げてほしいって思う」


 その願いを聞き届けることはできなかった。最後に自分の瞳を見つめ返す雅臣のその目がどれほど慈愛に満ち溢れていても。


「結希ならわかるだろう? 朝日あさひが浮気をしていない限り、結希は俺の子なんだから。ほら、聞こえなかったかい? ……聞こえたはずだよ、芦屋あしや家に代々伝わる〝聞く力〟で」


 やはり、雅臣の〝真意〟はそこにあった。決して嫌っていたわけではない、雅臣の言葉を借りるのならば自分のすべてを捧げても構わないと思える人とその人が産んだ我が子と別れてまで成し遂げたいと思った出来事の理由になるのだから。


「聞こえなかったのかな? なら、結希は幸せ者だね」


 何故か泣きそうになる雅臣は、自分が悪者だという自覚がないのだろうか。被害者面にも見えるその表情は腹立たしいが、聞こえないと言うのは嘘になる。


「確かに、俺は幸せだった」


 それを噛み締めた一年だった。色々とあったが、人生を振り返った時に必ず思い出すと断言できるほどに様々な色に溢れていた。


「けど、妖怪の声は聞こえていた。あんたと同じ道に進まないのは、守りたい人がいるからだ」


 まだ紫苑と敵対していた頃、似たような言葉を吐いた記憶がある。

 結希が守りたいものは当時から変わらずに人だった。紫苑が守りたいものはなかったが、紫苑が殺したいものは妖怪だった。


「あんたは人じゃなくて妖怪を選んだ。俺はやっぱり、あんたの思想には従わない」


「……殺すのかい? 妖怪を。なんの罪もない妖怪たちを」


「人にも罪はない。あんたがしてることはそういうことだ」


「本当にそう言い切れる?」


「言い切れる」


「……悪いけど、結希はもう少し妖怪を見た方がいい」


「は……?」


「その上で人を、母さんを選ぶなら……母さんを守ってあげてくれ」


 意味がわからなかった。自分の意思で守りたいと思って選んだ最愛の人を、息子に託す神経もわからない。


「……母さんが言ってた。『道を進む人がいて、その道が間違っていると思ったのなら、死んでもその人を止めなさい。その人のことが大切なら尚更よ』って」


「……朝日ならそう言うだろうね。けど俺は、母さんが間違ってると思っているよ。だから、例え死ぬことになったとしても、彼女のことを止めたいんだ」


「それって、どういうことだよ」


「人によって掲げる正義が異なるような問いに簡単に答えを求めてはいけないよ。俺は結希に仲間になってほしいけれど、やっぱり自分の目で見て確かめて、自分の頭で考えて、自分が正しいと思った道を選んだ上でここにいてほしい。だから──」


 瞬間に目の前に現れたのは、スザクの色違いと言っても過言ではないほどに瓜二つの彼女だった。



「──この世界の理に気づくまででいい。ここにいてくれないかい?」



 雅臣の式神しきがみであるククリは、結希をじっと見つめていた。その瞳には、提案ではなく強制であるという雅臣の揺るぎない意思が滲んでいた。

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