四 『現頭首』
扉を開ける前から、仲が良さそうな会話が聞こえてきた。あの二人がいるのだから、あの人も──フウも楽しいのだと思う。
だからというわけではないけれど、躊躇った。あの人は本当に、ボクのことを必要としてくれているのだろうか。本当に、ボクのことを──受け入れてくれているのだろうか。
「何してるんだ」
「ッ!?」
飛び退くと、扉を開けたイヌイが眉間に皺を寄せた。
「あっ、鈴歌さん来た?!」
そう言ってイヌイの後ろから顔を出したのは、アリアで。頭首になってから初めて顔を合わせたワタノセ家の養女たちは、戸惑うボクを中に入れた。
中には声が聞こえていた通り、フウがいて。フウとボクのお母さん、オトメさんもいて。ボクたちのおばあちゃんのトメさんもいた。
「…………」
どうしてもフウと目を合わせることができなくて、お母さんとおばあちゃんの視線も怖くて、突っ立ったまま視線を落とす。
「鈴歌さん、改めましての改めまして! アリアです、よろしくお願いします!」
そんなボクの手を包み込むように握ったのが、アリアだった。高校生の時にキリヤ先輩から紹介されて、《カラス隊》の寮に居候することになった時に挨拶されたけれど、未だに彼女たちが親族だとは思えない。アリアは本当にワタノセ家の血縁者らしいし、イヌイはソウマイン家の元分家らしいから《十八名家》との縁はあるんだろうけど。
「よろしく」
イヌイからも手を出される。アリアに握られていた手を片手だけ離してそれに応じると、二人は何故か笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、鈴歌。疲れたでしょう、座ったらどうですか」
どうしてそんな態度が取れるのかと思うくらい、オトメさんはボクのお母さんだった。拒否することもなく、当たり前のようにボクのことを受け入れている。それはトメさんもそうで、母親から引き離される半妖としての宿命をその身でしっかりと味わった人たちはボクのことを必要としていた。
けれど、フウを見ていたら心が騒ぐ。あの日の過ちを謝ることはできたけれど、やっぱり今でも、ボクの中ではあの出来事が引っかかっていた。
『…………姉さんを、傷つけないで』
どうして、よりにもよってフウだったのだろう。
『…………四人しか、いないの。これ以上、姉さんを傷だらけにしないで』
フウはボクの本当のお姉ちゃんだったのに。フウはあの時よりもずっと前からボクが妹だと知っていたのに。
『…………フウ、ごめんね』
『は?』
謝ったらそう返された。
『…………前に、酷いこと、言ったから』
『あぁ、うん。そうだね。結構なことを言われたね』
そんなに話したことがなかったから、フウもすぐになんのことか理解できたみたいで。ボクは視線を落としたまま、フウから吐かれるであろう罵声を待った。けれどフウは、何も言わずに自分の研究に戻ろうとした。
『…………えっ』
『悪いけど、僕は暇じゃないんだよ。誰も研究者になってくれなかったからね』
フウの従姉のコマチは、百鬼夜行で亡くなったと聞いている。その人の父親も、母親も、もういなかったような気がする。
おばあちゃんの養女のアリアとイヌイは《カラス隊》の隊員だし、ワタノセの名を持つ研究者たちが本当に少なくなっているのは想像に難くなかった。
『…………なんの研究をしているの?』
ボクも研究者になる気はない。ボクにはどうしても叶えたい夢がある。
けれど、ボクは現頭首になる人間だ。手伝えることがあるのなら手伝いたい。そう思ったのに。
『人工半妖から半妖の力を抜く。その方法をね』
無理だとすぐに思ってしまった。
『…………どうして?』
アリアとイヌイを救いたいのだろうか。苦しんでいるようには見えないけれど──
『真を救う為だよ』
──フウが救いたいと思っている人は二人じゃなかった。
『真は男だ。なのに半妖になってしまった。あと一年で性的発達のピークを迎える彼を、僕は綿之瀬家の人間として必ず救い出さなければならない。一分一秒でも惜しいんだよ』
『…………待って、意味がわからない』
『半妖としてこの世に生を受ける者が女だけだということは知っているだろう? 化け物の子がこの世に産まれて繁殖する為には、強靭な──化け物の子を産んでも耐えられるような〝母体〟が必要なんだから』
そんなこと知らない。けれど、そう言われるとボクたちが十三姉妹であったことに説明がついた。
『真が人工半妖になれたのはまだたいした性差がない子供だったからだ。けれど、真はすぐに大人になる。男になったその瞬間に、真は死ぬ』
『…………ッ!』
驚いた。フウが涙を流していたから。
『真だけじゃない。まだ確証を得てはいないが、アリアや乾だって、死ぬかもしれない。僕は……これ以上、綿之瀬家のせいで人が死ぬところを見たくない』
そんなフウに何も言えなかった。ボクは今までずっとフウを独りぼっちにしていた。知らなかったとはいえそんな重責をたった一人で背負わせていた。
夢を、諦めるべきなのだろうか。
フウと共に、ワタノセ家がしてきたことの罪滅ぼしをしなければいけないのではないか。それが現頭首を継いだ者の責務なのではないだろうか。
そんな姿をユウキに見られてしまう。きっとキリヤ先輩も空の上から見ているのに、見せたかった姿からどんどんと遠ざかっていく。けれど、そうすることが正しいとも思っていて、苦しむ。
ボクはまだ答えを出せていない。だってボクは研究者になれるほど立派な頭をしていないから。フウにしてあげられることは、半妖としてこの身を差し出すこととフウが背負っている責任を全部背負うことだけだ。
なのに、まだそのことを口に出せていない。アリアとイヌイと話をするフウはびっくりするくらいいつも通りで、ソファに座ったボクにお菓子を勧めるお母さんとおばあちゃんはびっくりするくらいボクに似ていた。
*
硬い表情をしている本当の妹にかける言葉を私は持たない。そんな表情をさせているのは私自身なのだから。
「明日菜ちゃん、熾夏ちゃん。どうして二人はお話をしないの? あんなに会いたがっていたのに」
間に入ってきた明彦が私と明日菜ちゃんの肩を組んで引き寄せてくる。鬱陶しい。お節介。けれどそれが、明彦が目指す〝お姉ちゃん〟だった。
「ちょっ、アキちゃん! やっ、やめ……!」
明日菜ちゃんが明彦のことを〝アキちゃん〟と呼んでいるなんて知らなかった。百目の半妖ではあるけれど、この世界には知らないことがいっぱいある。
「明日菜ちゃんね、熾夏ちゃんが帰ってくるのをずっと待ってたのよ。けれど、いざ顔を合わせると緊張して言葉が出てこないみたい」
「知ってるよ。弟クンが『明日菜はコミュ障だ〜』って言ってたんだから」
言葉にすると、今まで目も合わせてくれなかったのに明日菜ちゃんがこっちを見た。
「なっ……、なっ……?!」
口をパクパクとさせていて、頬だけじゃなくて耳まで真っ赤にさせていて、本当に自分の妹かと思うくらいに素直で可愛らしい。
「弟クン、明日菜ちゃんの話結構してるよ」
「あららぁ? そうなの? 良かったわねぇ明日菜ちゃん」
「そうねぇ、良かったねぇ明日菜ちゃん」
「なっ、なんなの二人とも! べっ、別に嬉しいとかそんなのないから……」
言ってることと反応が全然違う。こういう女の子が男の子からモテるんだろうけど、私がそんな女の子になることは一生ない。
私はなんでも視える狐の子。二つの妖の力を持つバケモノだ。
今いるこの家の人間全員がその血を脈々と受け継いでいる。私は、旧頭首になったにも関わらず未だに上座に座る妖目双に産んでもらった。
「明日菜」
「ッ!」
そんな彼女がここに来てやっと口を開いた。明日菜ちゃんがびっくりした顔でお母さんに視線を移している。わかるよ。だって、お母さんは全然喋らない人だから。
「貴方に大切な話があるの」
明彦も、明彦のお母さんも、ここにいる親戚一同が黙ってお母さんの話を聞く姿勢を取った。それだけで、明日菜ちゃん以外のみんなが悟っていることに気がついた。
明日菜ちゃんは今日、二十歳を待たずにこの町の秘密を知ることになる。
現頭首として、明日菜ちゃんの〝お姉ちゃん〟の片割れとして、明日菜ちゃんを大切に思う弟クンを大切に思う妖目熾夏として、私は明日菜ちゃんに一体何ができるのだろう。
*
シロ姉の誕生日の日、この町には雪が降っていた。
思い出してはいけないあの日のことを思い出して、死にたくなって、真夜中の住宅街の隅で傘も差さずに膝を抱えた。
帰りたくなかったけれど、みんなが家に帰ったことはきっとすぐに知れ渡る。だから私は、勇気を振り絞って首御千家に一人で帰った。
『……しゅ、朱亜?』
戸惑う青葉先生の表情が今でも脳裏から離れようとしない。なのに、もう引きずっていないことをアピールすることに精一杯でどんな会話をしたのかはまったく覚えていなかった。
つまり、私はまだ引きずっている。今この瞬間、新年会が始まる時を待っている青葉先生の表情を盗み見ることさえできないくらいに。
「あら」
扉を開けたのは、貴美先生だった。ハンカチを持っていることから察するに、トイレに行っていたのだろう。
自分が席を外している間に帰ってきた従妹を見て、貴美先生は大人っぽく微笑んだ。
「久しぶりね、朱亜ちゃん」
「……貴美先生、お……久しぶりです」
いつもの口調のままで挨拶することが恥ずかしくて、言葉を直す。現頭首になって初めて顔を合わせた貴美先生は目を見開き、「朱亜ちゃん」ともう一度だけ名前を呼んだ。
「今の貴方は首御千家の現頭首でしょう? どうしてそんな呼び方をするの? ……まさか、未だに全員の名前に〝先生〟なんてつけてないでしょうね」
この待機部屋には、小学校から大学まで、様々なところでお世話になった首御千家の全先生がいる。青葉先生──実兄の青葉先生にも、私は未だに先生とつけて呼んでいた。
「貴美と呼びなさい。ここに集った我が家の者たちはみんな、もう二度と貴方に〝先生〟なんて呼ばれたくないはずよ」
「えっ」
「もう一度言うけれど、貴方はこの家の現頭首なの。一番偉いの。貴方が死ねと言ったら私たちは死ぬし、貴方が生きろと言ったら私たちは何がなんでも生き抜くの。だからもう、先生なんて呼ばないで」
「…………」
勇気を出して青葉先生を見た。青葉先生は真っ直ぐな瞳で私を見て頷いた。
「朱亜。我輩は、お主に『生きて』と言われたから今でも生きておるんじゃよ」
酷すぎる。兄にそう言ったわけではないのに。
「貴方のこと、私は──私たちは、それこそ〝首を長くして〟待っていたわ」
そんな私の気持ちを知らずに、貴美先生──貴美さんは冗談を言った。私の近くに座る本当のお母さんを見上げると、大学教授であるお母さんは──私に教員免許を取りなさいとさりげなく言ったお母さんは、私を見下ろして視線を逸らした。
*
「叶渚さん、あづいよ〜」
「だ〜め。もうちょっとだけ我慢して」
イヤイヤと首を横に振った叶渚さんに抱き締められてから早十分。真に助けを求めるけれど、真は苦笑するだけで何もしてくれなかった。
「うぅ、ひどい……」
「酷くないから。やっと帰ってきた和夏ちゃんの方が酷いから」
「うぅ〜……」
「お願い〜! 和夏ちゃんがいないと寂しくて死んじゃうから〜!」
そう言われると返す言葉もなかった。叶渚さんの言う通り、酷いのはワタシの方だから。
「叶渚お姉さん、あんまりくっつくと和夏お姉さんに嫌われちゃうよ?」
嫌うことは多分一生ないと思うけれど、叶渚さんはそんなに嫌だったのかすぐにワタシの体を離した。振り返ると、ものすごく名残惜しそうに顔を萎めている叶渚さんがいる。
「叶渚さ……」
「さんづけ禁止」
「……叶渚お姉ちゃん」
「何?」
ワタシとすごく似ている緑色の猫目と目が合った。同じ目を、すぐ傍に来た真も持っている。
「ワタシ、叶渚さんのこと好きだよ」
「ッ!」
「真のこともすごく好きだよ」
「……和夏お姉さん」
好きだから、どんな人なのか知りたいと思う。
懐かしい匂いがする二人もワタシのことが大好きで、だから、どんな困難があっても大丈夫だと思う。あの百鬼夜行を上回る百鬼夜行が相手でも、大丈夫だと──もし何かあったとしてもワタシが身を呈して守ればいいだけだと、思う。
「……ねぇ、和夏ちゃん」
「ん?」
「今じゃないと聞ける機会なかなかないと思うから聞くんだけど……和夏ちゃんは将来、何になりたい?」
「将来?」
聞き返すと、叶渚お姉ちゃんだけじゃなくて──この場にいる全員が聞き耳を立てるような気配がした。ワタシたちのお母さんも、聞いていた。
「和夏ちゃんは法学部なんだよね? 専門的なことを学んでいるから、将来は……」
「みんなは跡を継いでほしい?」
「えっ? そ、そりゃだって、和夏ちゃんは現頭首だから……」
「じゃあ受けるよ、消防官の採用試験」
みんな呆気に取られていたけれど、別に弁護士になりたいという気持ちはないし、レスキュー隊が嫌だという気持ちもない。
「い、いいの?」
「うん、いいよ〜」
だってワタシは、猫又の半妖だから。姉妹の中で一番身体能力に優れているから、レスキュー隊は天職なんだろうと本気で思っている。
叶渚お姉ちゃんが気に病むことは何もないのに、そんな顔をするということは叶渚お姉ちゃんはレスキュー隊員になりたくなかったのだろうか。
なりたくなかった仕事に就いた叶渚お姉ちゃんが可哀想で、だから《猫の家》を開業したのかと納得して、ワタシはそっと目を閉じた。
ワタシがレスキュー隊員になるって知ったら、ユウはまた、驚くかな。
*
「ちょっと! それウチが取ろうとしたお菓子なんだけど!」
「はぁ〜? 何言ってんの? こんなの早い者勝ちでしょ?」
「ムッかつく! 誰よこのバカをこんな風に育てたヤツは!」
「はぁ?! 先にバカって言った方がバカなんだよバーカ!」
ここまで言い合って、なんとなく、寂しいと思ってしまった。翔太との喧嘩はいつものことだけど、翔太との喧嘩を止めてくれる人がこの中には一人もいなかった。
会えるなら会いたいと思っていたお母さんは、病気で百鬼夜行よりも前に亡くなっていた。お父さんは相豆院家の血が流れてないから、あんまり表には出てこない人だった。
兄の鬼一郎が翔太のことを叱っているのはこの数日だけでも何度か見ることができたけれど、何故かウチには叱ってこなくて拍子抜けしたことを覚えている。
心が遠い。だから、寂しい。
翔太は急に黙ったウチを訝しそうに見て、先に取ったお菓子を遠慮なく頬張った。……本当に、誰がコイツを育てたんだろう。お母さんはどんな風に翔太を育てていたんだろう。
この部屋にいる相豆院家の人間はあまり多くなくて、一番身近な叔父夫婦も既に他界していた。その一人娘は綿之瀬家の養女になったとかでそっちの方にいるらしいけれど、何がどうなってそうなったんだろうと思う。
色々と聞きたいことはあるけれど、なんとなく聞けないまま新年会を迎えてしまった。けれど、今日行うのは聞いていた新年会ではない。
「ねぇ鬼一郎、まだ新年会始まんないのかな? いっつも揃ったらすぐ始めるのに今年はすっごく遅くない? どっかの誰かさんよりもおっそい奴とかいるのかな?」
「どっかの誰かさんってどういう意味さ! 一応理由はあるんだけど?!」
「うるさいなぁ! 別に理由なんて聞きたくないから黙っててくれる?!」
「……二人とも、ここは家じゃないから少し静かにしてくれ」
やっと、鬼一郎がウチに注意した。いや、やっと鬼一郎が口を開いた。
ずっと何かを考えているようだった鬼一郎は、息を吸い込んで翔太を見る。……また翔太だ。ウチじゃない。
「翔太、今年の新年会は少し違うんだ」
「え? 違うって?」
「白院家の決定で、全家に通達されたことがある。それを今から、お前に話そうと思う」
「ふぅん、わかった。愛果には話さなくていいの?」
ウチに構ってくれるのは翔太だけだ。鬼一郎はウチを一瞥して、「愛果は既に知っている」と言葉を切る。
それってどういうことだろう。ウチは仲間外れなのだろうか。
「今からお前に話すのは、この町の秘密について、なんだ」
そこまで聞いて、本当の仲間外れがウチじゃなくて翔太だったことを知る。
翔太以外の相豆院家の人間は、みんな半妖のことを知っていた。どうしてウチが頭首になるのか知っていた。いきなりこの家に来たウチがいきなり《風神組》の組長になった理由も知っていた。
それを知らない相豆院家の人間は、翔太だけだった。
*
「はっ、初めまして! 百妖椿です!」
鬼寺桜家の人たちに向かって頭を下げた。初めて会った鬼寺桜家の人たちは、綺麗な赤い瞳でアタシを見ていた。
「うわぁあああ! 椿ちゃん! 椿ちゃんだ! 椿ちゃんだよね! 抱き締めていいよな!」
「ぐぼえ?!」
急に抱き締めてきたのは、誰だろう。アタシは姉さんたちとは違ってあまり《十八名家》の人たちを知らないから、反応に困る。
「え、えっと?! あの?!」
「あっごめんな! 気持ち悪いよな!」
そういうわけじゃなかった。なのに体を離した男の人は、申し訳なさそうにアタシを見下ろしている。とても大きい人だ。なのに、〝鬼〟みたいな悪人面でちょっとだけ笑ってしまう。
「あっ、笑った……! 嬉しい!」
「な、なんで今ので笑ったんすか……? この子ちょっとおかしいんじゃ……?」
また別の男の人が前に出てきた。悪い人そうな方の人と同じくらい大きいのに、びっくりするくらい〝鬼〟っぽくない。
「あの……」
誰が誰かわからなくて口を開くと、いい人そうな方の人が「あっ」と声を上げて微笑んだ。
「俺は芥川恭哉っす! 色々あって結構前に母方の親戚に引き取られたんで苗字が違うんすけど、一応椿ちゃんの従兄っす!」
「あっ! 自己紹介! そっか俺たちは知ってても椿ちゃんは知らねぇもんな! 俺の名前は虎丸、椿ちゃんのお兄ちゃんだ!」
「えっ?! 兄さん?! アタシの?!」
「そうだぜ! 俺は椿ちゃんのお兄ちゃんだ!」
ドンと強く胸を叩く。アタシは呆気に取られて、結兄とは全然違う虎兄をまじまじと眺めた。そして、どっちかと言うと結兄に似ている恭兄のことも観察した。
「えっと……じゃあ、虎兄が鬼寺桜家の現頭首なんだな?」
確認すると、虎兄は「虎兄……?!」と顔を真っ赤にさせて照れ始めた。虎兄は悪い人っぽそうだけど、話しているとすごくいい人で安心する。結兄とはまた違った安心感だ。
「そう! 俺が現頭首! けど別に代わってくれとか思ってないから今のままで大丈夫だぜ!」
「あ……」
少し、考える。けれどやっぱり答えは一緒で、アタシは他の鬼寺桜家の人たちの方を一回見てから虎兄の方へ視線を戻した。
「……もし虎兄が良かったら、代わってほしい」
「え? な、なんで? 椿ちゃんは未成年だから別に俺のままでも……」
「そんなのダメだ! だって、愛姉と心春はもう立派な頭首やってんだぞ?! だから、アタシも頭首にならなきゃいけないんだ!」
「えっ?! いや、それはそうだけど本当に?!」
虎兄はどうしてそう何度も聞いてくるんだろう。
「本当だ! 家族みんなが頭首やってるのに、アタシだけやりませんなんて絶対できない!」
断言すると、虎兄と恭兄はぽかんと口を開いて顔を見合わせた。そして何故かおかしそうに笑い出し、アタシの頭を二人して撫でた。
「もばぁっ?!」
「椿ちゃんは、家族がすっごく大事なんだな!」
「えっ?! そんなの当たり前だろ?!」
「俺のとこみたいに当たり前じゃない家もあるっすけどね〜。椿ちゃんにはそのままでいてほしいっす」
「よし! そうと決まったら今日から椿ちゃんが現頭首だ! よろしくな!」
「えっ?! いいけどそんなあっさりでいいのか?!」
「もちろん手続きとか色々あるけど所詮は家の話だからな! 俺が認めたら問題なーし!」
「あははっ、半妖の子が頭首になるって言ってるのに反対する人なんていないっすよ〜」
視線を二人の後ろに向けるけれど、誰も反対しようとしなかった。それどころか、誰からともなく跪いた。
「えっ?!」
「さっきから驚いてばっかだな、椿ちゃんは!」
そう言う虎兄も、恭兄も跪く。
それを見て急に怖くなった。自分がとんでもなく重たいものを背負ってしまったという事実を知った。
*
昔は何度も隣に座って話をしたけれど、こんな関係になってから、隣に座る小白鳥先生──いや、冬乃お姉ちゃんの顔をまともに見れなくなった。
嫌いになったとかじゃなくて、単純にものすごく緊張するのだ。ずっとお姉ちゃんだって知らなかったから、色んなことをこの人に話した。ずっと妹だと思って接してくれていたらしい冬乃お姉ちゃんは、それがすごく嬉しかったと言ってあの日ぼくを抱き締めた。
「…………」
けれど、要するにこの人はぼくの秘密を色々と知っているわけで。お姉ちゃんたちに話せていなかったあれもこれもこの人は全部知っているというわけで。
『……ぼくに、〝助けて〟って言う……資格はない、の』
あの言葉も聞かれていると思ったら、あまりにも申し訳なくて胃が痛くなった。
血が繋がっていないお兄ちゃんとはまた違う心地良さをこの人に感じていたのは、この人が本当のお姉ちゃんだったからだろう。
ずっと愛してくれた血が繋がっていないお姉ちゃんたちには「大丈夫って言わせて」なんて格好つけたりしたけれど、別の意味で全然大丈夫じゃなかった。
「ねぇ心春ちゃん、あれから結希く……」
「びゃああぁあああああ!」
慌てて冬乃お姉ちゃんをぶん殴る。危なかった。お母さんに聞かれるところだった。
「こっ、心春おねーちゃん?!」
星乃ちゃんがびっくりした目でぼくたちを見るけれど、にやにや笑いながら体を起こした冬乃お姉ちゃんを視界に入れた瞬間にほっと息を吐いた。
星乃ちゃんはすごく優しい子だ。ぼくはそんな風に優しくなれない。
「ごめんごめん。名前は伏せるね」
「そういう問題じゃないですから!」
「心春おねーちゃん、結希おにーちゃんがどうかしたんですか?」
「どうもしてないですから!」
こんな場面を小白鳥家の人たちに見せたくない。なのに、冬乃お姉ちゃんは周りの目を気にすることなく言葉を続けた。
「ごめんごめん。じゃあ、別の話をしようか」
「もう話したくありません!」
さすが、家業の裁判官じゃなくて医者になった異例の人だ。強靭なメンタルを持っている。この人には色んな意味で絶対に敵わなかった。
……いや、お姉ちゃんには誰にも敵わない。この人だけが特別じゃない。
そう思って、けれど、現頭首はぼくだと思って。
ここにいる小白鳥家の偉い人たち全員がぼくの言うことに従うのだとも思った。
これから来るであろうあの百鬼夜行のことを思うと吐き気がする。けれど、次はお兄ちゃんがいてくれるのだとも思った。
《十八名家》 構成図
⑥綿之瀬→研究所の管理、研究者を輩出
旧頭首 トメ
旧頭首 乙梅
旧頭首 風
現頭首 鈴歌
長男 五道
長女 小町
養女 乾(旧姓:相豆院)
養女 有愛(旧姓:ダンカン)
長男 シキ
次男 イト
長男 ?
長女 クレア
└コーデリア(有愛)
⑦妖目→病院の管理・医者を輩出
旧頭首 双
現頭首 熾夏
次女 明日菜
次女 ?
旧頭首 明彦
⑧首御千→教師を輩出
旧頭首 ?
旧頭首 青葉
現頭首 朱亜
次女 ?
長女 貴美
⑨猫鷺→レスキュー隊の管理、隊員を輩出
旧頭首 ?
旧頭首 叶渚
現頭首 和夏
長男 ?
長男 真
⑩相豆院→暴力団:風神組
旧頭首 ?
旧頭首 鬼一郎
現頭首 愛果
次男 翔太
長男 陣悟
長女 乾(現姓:綿之瀬)
⑪鬼寺桜→警察官を輩出
旧頭首 ?
現頭首 虎丸
長女 椿
長男 玄石
長男 恭哉(現姓:芥川)
⑫小白鳥→裁判官を輩出
旧頭首 ?
旧頭首 冬乃
現頭首 心春
次女 ?
長女 星乃
⑬芽童神→資産家
旧頭首 ?
現頭首 八千代
長女 月夜
次女 幸茶羽
長男 ?
長女 亜子
⑭白院→全私立学校の創始者・学園長
旧頭首 万緑
現頭首 ヒナギク
次女 スズシロ
次女 ?
長男 桐也
⑮阿狐→役者を輩出
旧頭首 頼
現頭首 亜紅里
長男 ?
長男 衣良
⑯結城→陰陽師側の政治家・町長
旧頭首 千秋
妻 朝羽
長男 千羽
長女 紅葉
次男 ?
現頭首 涙
⑰鴉貴→警察官を輩出
旧頭首 エリス
旧頭首 蒼生
現頭首 火影
旧頭首 エリカ
長男 輝司
⑱小倉→神社の管理
現頭首 雷雲
長男 風丸
長女 陽縁
? (今年三月出産予定)




