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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第十章 佳月の幸福
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三  『百妖家本宅』

 陰陽師おんみょうじとして、土地神にしてあげられることは一つもない。正体を明かされても、半妖はんようの義姉妹たちだって何もできない。

 できることは、戦って、守ることだけ。ただしその相手は、土地神の風丸かぜまるを弱らせるほどの脅威の持ち主だった。それが知れただけでも雷雲らいうんのこの行為に意味はあったと結希ゆうきは思う。


 気休めだったが、亜紅里あぐりと共に強くその手を握り締めた。風丸の手は、異様に熱く汗ばんでいた。


 新年会を欠席しようと思ったが、その新年会は自分たちの呼びかけによりただの新年会ではなくなっている。欠席するわけにはいかなかった。


「ここが……百妖ひゃくおう家」


 目の前に建つ建物を見上げ、結希はごくりと唾を飲み込む。他の姉妹たちも緊張した面持ちでそれを見上げ、門の前に立つ仁壱じんいちに視線を戻した。

 ここは、自分たちが普段生活している大切なあの我が家ではない。自分たちを監視する真なる百妖家の人間が住む──結城ゆうき家と同等の広さを誇る日本家屋の本宅だった。


「遅かったね。君たちが最後だよ」


 その声に嘲るような色はない。仁壱は、もう自分たちを貶さなかった。


「すまなかった、小倉おぐら家に用があったんだ」


「小倉家? 麻露ましろ、まさか初詣してたとか呑気なことは言わないよね?」


「その件については後ほど私から説明します。中に入っても?」


「もちっ、ろん、構いませんよ」


 突然前に出てきた雷雲に怯みつつ、同じ現頭首としてなるべく威厳を損なわないような態度で了承する。そういう小物っぽいところは相変わらずだった。


 風丸を《十八名家じゅうはちめいか》ではない朝日あさひに任せてここまで来た結希は、百妖家の門を潜る。目の前にある家は普段住んでいる家なのか、仁壱はその方へと案内はせずに広大な庭に建つ家屋の方へと案内した。そこに、《十八名家》が新年会として集う大広間が存在している──。


「ここも本部と同じように待機部屋があるから、家の名前が書かれた札を探して中に入ってくれ」


 戴冠式の日に使われた本部にも、すべての家に待機部屋が用意されていた。他の《十八名家》と対等であるはずなのに、何故百妖家で新年会を行うことになっているのだろう。今さらだがそう思った。

 寒空の下、白い息を吐いた仁壱が重厚な扉を一人で押す。年季が入っているように見えるが、きちんと手入れがされているのか滑らかに動いて開いていった。


「じゃあ、また後で」


 麻露を先頭にして、義姉妹たちが薄暗い廊下の奥へと消えていく。たった一人残された結希は、仁壱を見上げて口を開いた。


「なんで本部じゃなくて百妖家なんだ?」


「え? あ、あぁ……現頭首たちはほとんどが百妖家で育ってるからね。一年に一回、百妖家に顔を見せに戻ってくるって意味があるのさ」


「あぁ……」


「そんなことより紫苑しおんは?」


「多分まだ寝てると思う。だから、今どういう状況なのかは知らない」


「はぁっ?! 何してるんだ、紫苑が一番の関係者だろう?! それに監視しなくちゃいけないんだから、紫苑を一人にしたら駄目だ!」


「そうだけど、あいつは末端だから多分何聞いても意味ないし……真璃絵まりえさんを一人にはできないから」


「……真璃絵、か。確かに真璃絵も一人にはできないけど、君はいい加減有能なのか無能なのかはっきりしてくれ」


 緊張しているのか、いつもの仁壱らしさがなかった。結希は思わず笑みを浮かべ、「どっちでもないよ」と視線を逸らした。


「ふん。後でこってり絞られるといいさ。おいで、結希はこっちだよ」


「わかっ……」


 そこまで言ってはたと気づく。「ん?」と訝しそうな表情をする仁壱にとっては日常茶飯事でも、結希にとってはそうではない。


「百妖家の待機部屋って、その……じんさんいんの?」


「はぁ? いるに決まってるだろう」


 やっぱりか。仁と話したことはなかったが、遠目で見た時に感じたあの居心地の悪さを結希は未だに忘れていない。


「……母様もいるよ」


「母様?!」


 それは駄目だ。結希はまだ、いないことにされていたその人に会う勇気がない。

 それを感じ取った仁壱は、仕方がないなぁとでも言うように結希の頭に手を置いた。


「会が始まるまで家にいても構わないよ」


「いや、いい。八千代やちよと会う約束してるから」


「あっそ。じゃあ僕は行くよ、こんなクソ寒いところに居続けることなんてできないからね」


「うん」


 義姉妹たちや雷雲のように、仁壱も奥へと消えていった。彼と入れ替わるようにして、八千代が奥から走ってきた。


「結希くん!」


「八千代!」


「良かった、月夜つきよちゃん全然来なかったから何かあったのかと思ったよ!」


「あっ」


 何かあったのかと聞かれたら、確かにあった。だがそれは、今この瞬間八千代だけに話すことではない。


「え、ほんとに何かあったの?」


「ごめん、後で議題に上がると思うから」


「そっ、か。わかった。じゃあ、僕の認識が間違ってないか聞いてくれるかな?」


「あぁ。聞くよ」


 そうして、現頭首となり陽陰おういん町の秘密を知った八千代は、自分の理解が間違っていないかを一つずつ結希に確認した。





 息を吸い込んで密かに吐く。私にとってはそうではなくても、他人からしたら驚くほどに冷たいという息はまったく白くならなかった。

 意を決して扉を開く。私の誕生日の日、涙を流しながら私のことを受け入れてくれた白雪しらゆきお姉ちゃんは──今日もまた泣きそうになりながら私のことを受け入れてくれた。


「シロちゃん!」


「……なんて顔をしているんだ、お姉ちゃんは」


「だってっ、だってぇ……」


ゆきちゃんはそういう子よ。いつまで経っても泣き虫なの」


 笑みを浮かべた吹雪ふぶきさんは、自分の対面に座る白雪お姉ちゃんにお菓子を勧める。子供扱いされているのに、白雪お姉ちゃんは礼を言って煎餅を口いっぱいに頬張った。


「…………」


 そんな白雪お姉ちゃんを不安そうに眺めていたのが、雪之原ゆきのばら家の人間として生まれた一族の者たちだった。

 こんな白雪お姉ちゃんが現頭首で、きっとずっと不安だったのだろう。だからといって、彼らの期待に応えられるような現頭首になれるのだろうかと私だって不安に思う。


 偽の長女としてのプレッシャーよりも、明らかにこっちの方が重たい。


 あの日、私が家に帰ったあの日──その場にいた一族全員が私に向かって跪いたことを、今でも強く覚えていた。


「しっかりしてくれ、お姉ちゃん」


 自分に言い聞かせるようにそう言った。

 白雪お姉ちゃんよりも前の頭首──つまり私の本当の母さんは、百鬼夜行の日に亡くなったらしい。弱くなった半妖はんようの力を酷使して、みんなを守る為に、命を落としてしまったらしい。だから、私の手本となる旧頭首は白雪お姉ちゃんだけだった。しっかりしてくれないと、本当の本当に困ってしまうからそう言う意味でも口に出した。


「ご、ごめんねシロちゃん」


 私のことを〝シロちゃん〟と呼んでくれる数少ない年上の彼女は、本当に申し訳なさそうに眉を下げる。謝ってほしいわけじゃないのに。私の理想通りであってほしいだけなのに、白雪お姉ちゃんはそれは無理だと暗に言っていた。


「……もういいよ」


 だから私は諦める。終わらない地獄に一人で苦しむ。


 私は一番上のお姉ちゃんだから、こういうのにはもう慣れていた。

 結希ゆうきが最後に〝シロねぇ〟と呪いをかけたから、溢れ出てしまったこの気持ちをしまい込んで、彼らがもう二度と不安にならないように検察官にならなければいけないのだと悟った。





 また、変な手汗が出る。あの人たちの前に立つ時はいつもそうだ。

 本当の家族だと頭ではわかっているけれど、心はまったくわかっていない。口では軽々しく〝お母さん〟って呼んでいるけれど、私は炎竜神燐火えんりょうしんりんかのことをお母さんだと思ったことは一度もなかった。


「ただいま」


 喉が渇く。悟られないように〝いつも通り〟を私は演じる。


「おかえり、依檻いおり


 ひそかが応えた。めぐむちゃんやお母さんは、相変わらず何も言わなかった。


「…………」


 物凄く気まずい。一年以内に戻ると言って、その一ヶ月後にのこのこと戻ってきてしまった気恥しさもまだ消えていない。この家は、とても居心地が悪かった。

 亡くなった従兄のかがりさんや恵ちゃんと生徒会が同じだったから、元々温かい家庭ではないと知っていたけれど──想像以上で心が凍る。そういうところが合わなくてずっと恵ちゃんを避けていたのに、同じ炎を持つお母さんがどうして平気なのかはわからなかった。


(……あ)


 いや、わかる。だって朝日あさひさんが言ってたじゃない。


 この人は、愛を知らずに育ったのだ。


 そう思ったら急に心臓が悲鳴を上げた。お母さんよりも先に死ぬことはないと思うけれど、もしかしたら、お母さんよりも先に寿命が来るかもしれない。

 だって、私の寿命の四分の一は、カゼノマルノミコト──風丸かぜまるくんにあげてしまったのだから。


「依檻。突っ立ってないで座りなさい」


「あっ……えぇ、そうね。座らせてもらうわ」


「お前、今までどこで何してたんだよ。お前はもうウチの現頭首で、〝組長〟なんだぞ。大事な時に家を空けることが許されない立場にいるんだからな」


「……わかってるわよ。あーあ、私はあの子たちと年越しそばを食べることも初詣に行くことも許されないのねぇ」


 なりたくなかったのに、現頭首になった瞬間から私は《紅炎こうえん組》の組長になった。少しずつ、なりたくなかった私に近づいていくことが怖くて自分がなりたかった炎竜神依檻がどんな女性だったのかを忘れていく。


 怖い、そう言うことはきっともう許されなかった。今まではシロねぇがいてくれたけれど、シロ姉はもういない。密はシロ姉にはなってくれないから今まで通りが崩壊する。


 結希は今の私を見たら軽蔑するかしら。ここにいる炎竜神家の一族が私を組長と認めている今、笑ってくれるとはどうしても思えなかった。





 毅然とした態度で居続けることができそうにない。あの視線の前に立つと、どうしても身が竦んでしまう。

 扉を開けて、わたくしを待っていた泡魚飛ほうぎょうひさん──いや、和穂かずほさんと奏雨かなめさんの疎ましそうな視線を受け止めた。耐えて、耐えて、耐えて、耐える。


 芸能界でもこんな耐え方をしたことはなかった。涙が出そうになるけれど、芸能界で耐え続けたわたくしは今回も耐えきって仮面をつける。


「ただいま戻りました。遅れてしまい、申し訳ございません」


 軽く頭を下げるけれど、和穂さんも奏雨さんもわたくしを無視して膝を抱えた。


「…………」


 二人がとても弱い人だということは、見ていたらわかる。心に大きな傷があることも、見ていたらわかる。

 痩せ細った和穂さんと、肥えた奏雨さん。極端な二人の心からの笑みをわたくしは今まで一度も見たことがなかった。きっと、泡魚飛家の一族の人間みんなそうだった。


 かつてのわたくしは幸せになることを恐れていたけれど、幸せそうには見えない二人を見ていると、これが泡魚飛家の──人魚姫の呪いのように思えて背筋が凍る。


 家に戻ったあの日だって、弱りきった二人はわたくしの帰還を一切喜ぶことなくただただ責め続けたのだ。何かに取り憑かれたかのように、心身共に疲れ果てた二人の姿がわたくしの心を確かに抉った。


 シロねぇの言うことも一理あったのかもしれない。


 わたくしたちが家族じゃなくて、ただの同居人だったなら、二人はもう少しわたくしに優しくしてくれたかもしれない。

 けれどやっぱり、家族で良かったと思ってしまった。家族じゃなかったら、きっと結希ゆうきくんには会えなかったと思うから。


 わたくしの永遠のヒーローである彼に会ったが故に受けてしまった痛みならば、やっぱりわたくしは耐えられる。愛しいとさえ思ってしまう。


 狂っているのかもしれないけれど、それくらい愛しい人なのだと知る。

 彼はわたくしの弟なのに。七歳も年下の高校生なのに。


「……風邪引いたって聞いたけれど、もう治ったのかい?」


「えっ? わたくしは別に……」


歌七星かなせじゃなくて結希だよ。なんでボクがチミの心配をしなきゃいけないんだ」


「あっ、彼……そうですね、風邪はもう治っています」


「……あの子、前も風邪引いてなかった? 病弱なの?」


「普通だと思いますが……他の子よりも無茶をしてしまう子ですからね」


「ちゃんと見てあげるんだよ。結希の傍にいるのはチミたちなんだからね」


「えっ? ですがわたくしは」


 言葉に詰まった。訝しそうにわたくしに視線を戻した二人にこれを言ってしまっていいのだろうか。


 わたくしが帰還したあの日、和穂さんが責めた言葉の中にお母様の件が入っていたことを思い出す。

 わたくしのお母様は百鬼夜行で死んだ。百鬼夜行の日わたくしがこの家にいてくれたら、お母様は死ななかったと叫んでずっと泣いていた。奏雨さんのお父様が頭首をやってくれていたらしいけれど、その件については彼の方から責められた。頭首としてストレスを溜め続けたお父様を見ることが辛かったらしい。


 そんな彼は、日本家屋なのに会社の応接室のような造りになっている待機部屋の隅で丸くなっていた。今でもストレスを感じているのか、時折髪を毟っていた。


「──ッ!」


 言葉が出てこない。怖い。助けてほしい。けれど、わたくしの姉妹たちはきっとみんなそう思っている。だから意を決して言葉に出した。



「わたくしは、この家の現頭首泡魚飛歌七星です。彼の傍には、もういてあげられません」



 そうだ。わたくしは、もう彼には気軽に会えない。

 そう思ったらまた泣きそうになった。和穂さんと奏雨さんは、結希くんのことになると固く閉ざした口を開いてくれる。二人が心を開いた彼のことをやっぱりわたくしは尊敬しているし、ヒーローだと思う。


 そんな彼に尊敬されるような人になりたい。泡魚飛家の現頭首として泡魚飛家の歯車になれば、彼は尊敬してくれるだろうか。


 いや、違う。彼から尊敬される為には、半妖はんようとして活躍しなければならない。だからわたくしは、やっぱりそういう運命なのだろう。


 人魚にんぎょの〝とっておき〟である、〝滅びの歌〟を歌うこと。


 自分を含めた生きとし生けるものを滅ぼす、太古の歌を。

《十八名家》 構成図


百妖ひゃくおう→半妖側の政治家

  旧頭首 じん

   長女  麻露ましろ(旧姓:雪之原)

   次女  依檻いおり(旧姓:炎竜神)

   三女  真璃絵まりえ(旧姓:骸路成)

   四女  歌七星かなせ(旧姓:泡魚飛)

   五女  鈴歌れいか(旧姓:綿之瀬)

   六女  熾夏しいか(旧姓:妖目)

   七女  朱亜しゅあ(旧姓:首御千)

   現頭首 仁壱じんいち

   八女  和夏わかな(旧姓:猫鷺)

   九女  愛果あいか(旧姓:相豆院)

   次男  結希ゆうき(旧姓:間宮)

       亜紅里あぐり(旧姓:阿狐)

   十女  椿つばき(旧姓:鬼寺桜)

   十一女 心春こはる(旧姓:小白鳥)

   十二女 月夜つきよ(旧姓:芽童神)

   十三女 幸茶羽ささは(旧姓:芽童神)


  次男  (存在なし)

   長女  火影ほかげ(旧姓:鴉貴)


雪之原ゆきのばら→検察官を輩出

  旧頭首 ?

   旧頭首 白雪しらゆき

   現頭首 麻露


  次女  ?

   長女  吹雪ふぶき

    長男  伊吹いぶき


炎竜神えんりょうしん→暴力団:紅炎組

  旧頭首 燐火りんか

   旧頭首 ひそか

   現頭首 依檻

   三女  めぐむ


  次女  ?

   長男  かがり


骸路成ろろなり→弁護士を輩出

  旧頭首 ?

   長女  真璃絵

   現頭首 麗夜れいや


  次女  翔子しょうこ

   夫  アラン

   妹  グロリア

      └ステラ

   長女  愛来アイラ


泡魚飛ほうぎょうひ→歌手を輩出

  旧頭首 ?

   現頭首 歌七星

   旧頭首 和穂かずほ


  長男  ?

   長男  奏雨かなめ

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