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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第九章 諸刃の氷雪
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十八 『知りたいのは』

 腰から生えた犬の尻尾が、結希ゆうきに進むべき道を示す。先行するまこはどんな力を使っているのか、戦場を駆けるだけで周囲の妖怪にしゅをかけていた。

 取り憑いた相手を祟り殺す──そんな恐ろしい力を持つ犬神いぬがみの真は、動きが鈍い濡女ぬれおんな星乃ほしのの分まで戦っている。星乃は、自分の体が凍らないようにと自らの息で蛇の鱗を温めていた。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 九字くじを切り、動く素振りを見せない美歩みほの気配を確かめながら再びスザクを嗾ける。

 隣を走る紫苑も負けじと九字を切り、真に合わせて足を止めた。


「結希! てめぇ美歩はいいのかよ!」


「良くない! けど、俺がいないとこっちだってマズいだろ!」


 町中の半妖はんようが集結しているとはいえ、紫苑しおん一人で浄化できる数ではなくなっていた。だからと言って《カラス隊》や結城ゆうき家以外の陰陽師おんみょうじが来るとも思えない。

 《カラス隊》や結城家でさえ、妖怪に囲まれているのならば突破力がないとここまで来れないのだ。


「クソッ! クソッ! クソッ! どいつもこいつも使えねぇ! こんなのどうすりゃいいんだよ!」


「落ち着け紫苑! 方法ならある!」


 地団駄を踏んだ紫苑の動きが不自然に止まった。そのまま「マジで?」と片足を下ろし、「なんだよそれ!」と結希を急かす。


「退魔の術だ」


 実力はあるが、知識を身につけて来なかった紫苑だ。知らないのも無理はないし、知らなかったからこそ紫苑との戦いがある意味楽だったこともある。


「……なんだそれ? ていうかそんなのあんならさっさとやれ! 早く!」


「けど──ッ!」


 九字を切った。麻露ましろの氷壁が目と鼻の先にあるこの場所は、戦場の中心部だ。一瞬でも隙を見せることは許されない。


「こういうことだ! 俺が唱えてる間にお前が守ってくれるって言うなら別だけど、お前そういうの絶対無理だろ?!」


「はぁっ?! ナメてんじゃねぇよてめぇ! 少しは俺の力信用しろ!」


 物凄い剣幕で食ってかかった紫苑に返す言葉はなかった。

 真菊まぎくが美歩を頼ったように、結希が紫苑を頼ることはまだできない。薄々勘づいている理由はあるが、それでも、頼れない。


「なんなんだよ! このままじゃ全員死ぬぞ?!」


 どの口がそれを言うのだろうと一瞬思って、罪悪感で押し潰されそうになった結希のことを紫苑は知らない。いい意味でも悪い意味でも純粋な紫苑は、遠慮なく自分の心を撒き散らす。


 気を抜くと、終わることのない断末魔が結希の耳を膜で覆った。紫苑の怒声が聞き取れず、割れるような頭痛に襲われる。

 この森を覆う冷気のせいなのか。それとも、自分自身のせいなのか。荒くなる呼吸のせいで白い息が途切れることなく視界を覆った。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」


 その中で唯一聞こえた少女の声は、心の扉を叩くように飛び込んできた。


「────」


 言葉にならない声が漏れる。結希の背中に背中をぶつけてきた少女の思惑が、結希にはまったくわからなかった。


「本っ当に何してるんだあんたは!」


 がなる美歩の声でようやく、命を救われたことに気づく。


「何、って」


「なんでそんなに自分の命に無頓着でいられるんだよ! 理解できない! 最っ低だ! あんたなんか大っ嫌いだ!」


「俺は」


「自分の命を守れるのは自分だけなんだぞ?! あんたは充分強いのに、なんでこれ以上家族を目の前で亡くさないといけないんだよ! あたしが一体何をしたんだよっ!」


 美歩の号哭は、断末魔を遥か彼方へ追いやるほどに結希の耳を支配した。背中の温もりから離れ、振り返り、小さな背中を震わせて涙を拭う美歩を抱き締めることもできずに呆然と眺める。


 美歩にとって、命というものは軽くない。心に深い傷をつけ、正しいとされる道を踏み外させるものなのだ。


 美歩の悲しそうな顔を見たのに、結希はそのことを理解できていなかった。

 美歩の言葉を額面通りに受け取って、彼女に家族だと認識されていないと思っていたからいつも通り何も考えずに突っ走っていた。


「……ごめん」


 謝ることしかできない。結希がしてしまったことは、美歩の傷口を抉る罪深き行為だ。だが、結希にも結希なりの傷口がある。

 誰にも触れてほしくない、まだ塞がってもいない傷口から美歩と繋がっている血が流れている。


「知らないんだ。人としての大事なこと……命も、親も、愛し方も」


 言葉で何度も着飾ってきた。それがいつ暴かれるのかと怯えて毎日暮らしていた。


 命の誕生と死臭を知っている人たちに囲まれて、それを知っている振りをした。死にかけてもどこか他人事のように感じていたし、上辺だけでしか千羽せんばの死を悲しめない。

 父親の愛と母親の愛、どちらかを知っている人たちに囲まれて、何が彼女たちをそうさせているのかわからないまま自分の気持ちを中途半端に曝け出した。


 紅葉くれはに嫌というほど愛してもらった。火影ほかげにずっと嫌われていた。風丸かぜまる明日菜あすなを遠ざけて、遠ざけることを諦めて、諦めたから受け入れて、未だに何も返していない。

 百妖ひゃくおう義姉妹に出逢って、それぞれから色んな感情を向けられて、わからないなりに抱いたこの愛をきちんと伝えられているのかがわからない。


 信じているのに頼り方を知らないのは、誰かに頼ったことがないからだった。


 結希という人間は、そういう人間だったのだ。


「紫苑兄さん!」


「ッ?! お、お? な、なんだよ美歩」


「あたしがこのバカを守る! 兄さんは兄さんの好きにして!」


「はぁっ?! 待て美歩、俺だって──」


「お願い! あたしだって……誰かを守れた事実が欲しい!」


「ッ」


 紫苑が一瞬息を呑んだ。やがて、心からおかしそうな笑みを浮かべた。


「相っ変わらず生意気だな、美歩は」


「うっさい! 今それ関係ないから!」


 結希に見せる顔とは違う、六年も共に過ごしてきた義兄妹のやり取りが胸を刺す。

 それでも、紫苑と共にこれから生きていけることを信じて。美歩とやり直せることを信じて、結希は一人曇り空に覆われた空を仰いだ。


「東海の神、名は阿明あめい。西海の神、名は祝良しゅくりょう。南海の神、名は巨乗きょじょう。北海の神、名は愚強ぐきょう。四海の大神たいじん百鬼を避け凶災を蕩う──」


 まだ亜紅里あぐりが敵だった頃に唱えた術を、今日も唱える。まだ今年の出来事なのに、随分と前の記憶のようだ。それくらい、今年は充実した一年だった。


 出逢えて、良かった。


「──急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 今でも本気でそう思っている。伝わっているかはわからないが、この術だけは、届いてほしい。


「結希様……!」


 視線を下げると、スザクが誇らしそうに煌々と輝く空を見ていた。作り出された光の輪は、町の隅にいる結希を中心にしているせいで町全体には広がらない。それでも、少しずつ息苦しさが消えていく。


「感じます! これは、結希様の大勝利でございます!」


「……何言ってんだ。結界は破られたし、祠は死んだ。今回も後手後手だったし結果は惨敗だろ」


「あぅぅっ? 確かにそうでございますが……」


「それに、まだ終わってねぇ」


 振り返ると、結希の術によって逃げざるを得なかったママから辛うじて身を守ったはるがじっと美歩を見ていた。

 オウリュウとククリの戦闘は、どちらかが有利になることもなく、どちらかが疲弊することもなく、未だに続けられていた。


 そして、月夜つきよが祠の前で倒れていた。


「月夜ちゃん?!」


 足を動かし懸命に走る。誰も気づかないうちに戦闘に巻き込まれていた月夜は、抱き起こした結希から視線を逸らして膝を抱えた。


「月夜ちゃん、大丈夫?! 幸茶羽ささはちゃんは?!」


 首を左右に振るだけで、月夜は何も答えようとしない。


「結希様! 月夜様!」


「スザク! 月夜ちゃんを……病院まで頼む」


 目立った外傷は見当たらなかった。ただ、あまりにも普段の月夜とかけ離れていた。


「病院、でございますか?」


「多分だけど、冬乃ふゆのさんに一度診てもらった方がいいと思う」


「承知致しました! 月夜様、私に掴まってください」


「頼む」


 すべての事情を知っている冬乃になら安心して任せられる。冬乃には、結希だけでなく心春こはるも世話になったのだから。

 廃人のようと言っても過言ではないほどに打ちのめされている月夜を抱え、スザクは妖怪が消えた道を走る。そんな彼女の背中を見送る余裕もなく、結希はその場に立ち尽くした。


 まだ、戦いは終わっていない。結界を張り直していなければ、ククリという脅威が去ったわけでもない。まず、美歩の気持ちを聞かなければ──。


「ッ」


 足元がふらついた。慌てて駆け寄ってきた紫苑に支えられ、情けない姿を晒す。


「……紫苑」


 春は、そんな紫苑に視線を移していた。


「なんだよ」


「その人のこと、ほんとに好きなんだね」


「気持ち悪ぃこと言うんじゃねぇ。けど、てめぇよりずっと尊敬できる兄さんだよ」


「なに、それ。〝兄さん〟って……尊敬できる人間じゃないとなれないの?」


 苦悶の表情を浮かべる春は、普段から目深に被っているパーカーが外れていることに気づくこともなく着用したコートのボタンをしつこく弄る。

 紫苑は、そんな春を見つめたままなんの言葉も返さなかった。返答に困っているように見えたが、周りを見る能力がない春もまた結希と同じく額面通りにすべてを受け取っていた。


「ッ!」


「春!」


 結希は、森に向かって一直線に逃げた春を追えなかった。


「ほっとけよ」


「けど……」


「言っとくけど、あいつはてめぇの義弟おとうとじゃねぇ」


「……けど、お前の兄さんだろ」


 春の顔は紫苑の顔だ。春が傷つけば紫苑が傷ついたも同然で、紫苑が笑えば春が笑ったも同然なのだ。

 紫苑は、春とまったく同じ顔を曇らせてそのまま黙り込んでしまった。


「星乃! いい感じ!」


 視線を上げると、上半身が人間で下半身が蛇となった星乃が氷壁に巻きついているのが見えた。

 巨大な氷壁を全身で覆えるほどに長い尾を持つ濡女の星乃は、力を込めて氷壁を砕く。その中から、一度も姿を見せなかった麻露が固く目を閉ざしたまま落ちてきた。


「麻露さん!」


 名前を呼んでも、半妖姿の彼女はぴくりとも動かない。そもそも何故氷の中にいたのか──それさえもわからなくて紫苑を急かす。


「マシロッ!」


 近くにいたアイラが受け止めてくれたおかげで無傷だったが、氷像のように固まったまま動かない麻露を見れば見るほどに嫌な予感がして仕方がなかった。


「麻露さ……」


 声が震えた。麻露を囲んだ真と星乃に場所を譲られ、片膝をつき、紫苑に背中を押されて麻露の胸元に耳を近づける。その途中で、未だに逃げようとしない美歩と目が合った。

 美歩も、麻露のようにまったく動かないまま固唾を呑んで結希と麻露のことを見つめていた。


「ど、どうだ?」


 紫苑に肩を掴まれた。結希は麻露の冷たくて固くなった胸に再び耳を押し当て、言葉を発することもできないまま体を起こすことしかできなかった。

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