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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第九章 諸刃の氷雪
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十七 『一人っ子』

 元々冷たかった空気がさらに冷たさを増して肌を刺す。手足が悴んで上手く動かすことができないのは、彼女の力が衰えていない証拠でもあった。

 思わず吐いた息は白く、鼻の奥が痛くなってすぐに押さえる。触れると凍ってしまう冷気から逃れた妖怪の数は少なくなく、再び移動を始めた奴らは今でも執拗に土地神の祠を狙っていた。


「行かせない……!」


 巨大な八本の蜘蛛の足が結希ゆうきの体を跨いでいく。アイラが戦場に身を投じたにも関わらず、結希は巨大な氷壁から視線を外そうとしなかった。


「まし、ろさ……」


 唇も上手く回らない。鳥肌が立った腕を擦り、《半妖切安光はんようきりやすみつ》を納刀する。


「……美歩みほ


 そして、結界を張って自分の身を守った彼女の名を呼んだ。六年以上前に共に暮らしていた、父親が連れていった従妹の名前を。


 一歩足を踏み出すと、凍った地面が音を立てて呆気なく割れる。辺りの気温が低下することはいつものことだったが、地面まで凍った記憶はどこにもなかった。

 力は一切衰えていない──それよりも増しているような気がして結希はもう一度同じ場所を踏みつける。二度踏んで細かく割れた地面の上を確かめるように歩き出し、震える体をなんとかしようと口の前に両手を置いた。


 自分の吐息でしか暖を取れない。森の中ということも相俟って遭難したような気分になる。足の感覚がほとんどない。ジャケットを脱いだことを今さらながらに後悔する。寒くて寒くて仕方がない。そんな中、オレンジ色の火の粉を見たような気がして結希は思わず視線を上げた。


 氷壁の奥で何かが燃えている。いや、何も燃えていないのかもしれない。ただそこに炎があること。半妖はんようの妖力がこの祠を囲んでいることが、結希に力を与えていた。


「──来た」


 信じていたはずなのに、体の芯が熱を帯びる。全身の細胞が歓喜に震えていた。その余波で目頭が熱くなった。

 全員来ている。二人だけ欠けていたが、その二人が真璃絵まりえ椿つばきだということを結希は知っている。


 結城ゆうき家全員で力を合わせて導き出した答えに間違いはないと信じていた。百妖ひゃくおう家全員で戦えば、どんな状況に陥っても必ず勝てると信じていた。

 だから、真菊まぎくが言った「今日で最後」という言葉も信じたい。最初に逃げ出した紫苑しおんを含めた芦屋あしや家の全員が、今日を以て役目から解放されたのだと信じたい。三つの家の家族を知っている結希だからこそ、強くそう思った。


「美歩、諦めてくれ」


 美歩は結界を解かなかった。視線だけを結希に向け、読唇術どくしんじゅつで結希の声を聞こうとしている。


「俺は、もう二度とお前を離す気なんてない」


 この手で捕まえて、彼女の中にいる六年前の自分の欠片を少しでも多く拾い集めたかった。自分の傍に置いて、もう二度と父親の元には行かせないようにする。そんな考えが自分の中から出てくるなんて思わなかった。

 羨んだ人間の傍にいて、愛した人間の傍にはいけない。それがどれほどの苦痛になるのかを知っていたから、それを美歩に与えることで結希の溜飲はようやく下がる。例え美歩に罪はなくても、結希は父親と美歩を引き剥がしたかった。


 自分には父親と暮らした記憶がないのに、従妹の美歩はこれからも父親と暮らした記憶を作っていける。それだけがどうしても許せなかったのだ。

 真菊のような赤の他人なら許せたのに、美歩だけは絶対に芦屋家に帰したくない。自分の血が、自分以外の血の繋がりを拒んでいる。


「だから、早くこっちに来い」


 美歩に向かって手を伸ばした。美歩との距離はだいぶ縮まったのに、彼女のことを知らないからか心の距離が縮まったとは思わなかった。


「…………」


 美歩は口の両端を結んだ。反抗的な瞳だった。

 彼女がそうしようと思ったら、多分彼女はすぐにでもこの場を去ることができる。それでも去ろうとしないのは、ここに今、自分がいるからだろう。


「どうしてあんたは、あたしから幸福を取り上げようとするんだ」


 そして、それを言いたかったからだろう。


「どうしてだと思う?」


 思わず尋ねた。美歩は、どこまで自分のことを知っているのだろう。好奇心故にそう尋ねた。


 別に狡いという感情に支配されているわけではない。見ず知らずの、しかも裏切り者である父親自体はどうでも良かった。もう二度と会えなくてもいい。母親と離婚した人なのだから。赤の他人なのだから。

 ただ、父親と過ごした記憶を持っている美歩が羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。本当に、羨ましかった。



「母さんと父さんの子供は、俺だけであってほしかった」



 言葉にしてようやく実感する。百妖家と芦屋家の両家が結希を実子と認識していても、結希にとっての百妖家と芦屋家はそれぞれのれっきとした子供だったのだ。

 留守電を入れたのに未だに返事をしない母親と、記憶を失ったと知っているはずなのに未だに連絡一つ寄越さない父親。どれほど距離が離れていても、血で繋がれた縁は切れない。なのに、何も届かない。それが結希が過ごしたこの六年のすべてだ。


 二人から愛された記憶がない結希は、二人から愛された記憶を持ち、尚且つ二人を愛している両家の子供たちに妬ましささえ感じていた。

 そんな自分に嫌気が差したから、押し潰される前に苦笑で止めた。


「俺が……」


 すべてを吐き出そうとして唇を噛む。駄目だ。これ以上の想いを誰かに聞かせるわけにはいかない。この気持ちは墓場まで持って行くべきものだ。

 まだ六年しか生きていないが、これ以上子供扱いされるのは我慢ならなかった。細心の注意を払って大人の振りをし続けないと、百妖家からも芦屋家からも置き去りにされてしまうような気がした。


「俺が、なんだ」


 辛うじて言葉を飲み込んだのに、美歩がしつこく食い下がる。


「なんでもない」


 これ以上踏み込んでほしくないから、結希は一言で拒絶した。


「……あんたは、典型的な一人っ子だな」


 憐れむような目で自分を見てくる美歩だって一人っ子のはずだった。たった六年義理の兄弟たちと暮らしただけで自分はもう一人っ子ではないと思っている美歩がやはり羨ましくて恨めしかった。


「……そう、だな」


 たった八ヶ月一緒に暮らしただけで百妖家の一員になれたと思ったのは大きな間違いだったのかもしれない。

 一年も経たずに断たれた生活をもう一度と望んでも、もう二度と同じものは手に入らない。


「…………そう、だな」


 体が芯から冷えていく。寒さのせいか流れた涙は止まる気配を見せなかった。


「スザク」


 オウリュウと共にククリと戦闘を繰り広げていた式神しきがみのスザクは、結希の元へと瞬間移動しすぐさま美歩の上空へと飛ぶ。

 スザクに向かって九字くじを切った美歩は、結界を解除して森の中へと爪先を向けた。


「美歩!」


 自分でも驚くほどの声が出る。

 亜紅里あぐりと紫苑、いや、百妖家全員が討ち漏らした妖怪の気配が間近まで来ているにも関わらず、それに一切目を向けようとしない結希は大きく息を吸い込んだ。


「父さんが百鬼夜行で何をしようとしているのかは知らない! けど、今日で全部終わりなら──もう阿狐頼あぎつねよりには従わなくていいはずだろ?!」


 亜紅里が従うことをやめたように。紫苑が裏切って自分たちを助けてくれたように。


『タス、ケテ』


「父さんや美歩が何を考えているのかはなんとなくわかる! けど、阿狐頼に従っても二人が望む結果にはならない! それは美歩が一番よくわかってるはずだろ?! なんでわかってない父さんに力を貸すんだよ! 本当にこのやり方じゃないと駄目なのか?! なぁっ! 美歩!」


「ちょっ、なんで逃げないんだバカ! 後ろ──」


『ギャアアアアアアアア!』


 断末魔の叫びが結希と美歩の脳を震わす。振り返った結希の目に飛び込んできたのは、見覚えのない犬の耳だった。


「は……──」


「大丈夫?! 結希お兄さん!」


「──……まこ?」


 素っ頓狂な声が漏れる。霧散する瘴気の中に立っていたのは、犬の耳を頭部に生やした犬神いぬがみの人工半妖、真だった。


「結希おにーちゃん! 良かった、間に合って……!」


 そして、手足に爬虫類の鱗がびっしりと生えている濡女ぬれおんなの人工半妖、星乃ほしのもいた。

 真と違って動きが鈍っている星乃は、この寒さに耐えられないのだろう。限りなく本物の半妖に近いアイラや真とは大きく異なり、たいした変化が見られない。それでも、あの妖怪の群れを突っ切ってここまで来た猛者だった。


「二人ともなんで!」


「僕なら役に立てるって思ったからです! 今までは不利な戦場でしたけど、ここなら僕だって負けません!」


「ちょっと寒いですけど、私だって人工半妖の一員です! やれることなら精一杯頑張ります!」


「やっ……ぱりてめぇらか! なんでこんなとこに来てんだよ!」


 気がつけば紫苑も祠まで下がってきていた。紫苑がここにいるということは、戦場の中心部に陰陽師おんみょうじがいないということだ。

 咄嗟に美歩を一瞥すると、美歩は一歩も動かないまま結希の顔を見つめていた。ツクモと真菊の姿はなく、はるは結界を張ってママから身を守っている。


 誰の式神かもわからないククリは──いや、その顔がすべてを語っているも同義だが、彼女はオウリュウと互角の戦いを繰り広げながら美歩を狙うスザクを牽制していた。

 月夜つきよは、落ち着きを取り戻しつつある幸茶羽ささはの隣に座って彼女にそっと寄り添っていた。


「さ、斎藤さいとうお兄さん?!」


「斎藤おにーちゃんですよね?! どうしてここに斎藤おにーちゃんがいるの?!」


「さ、斎藤お兄さん?」


「バッ……てめぇらちょっと黙れ! あと兄さんはそんな目で俺を見んな! つーか何泣いてんだよ!」


「泣い……? あっ、さっ、さっ、さっ、寒かったからだよ! 泣くだろ普通寒かったら!」


「泣かねーよ普通ドライアイか! お大事に!」


「に、兄さ……? 斎藤お兄さんのお兄さんが結希お兄さん……?」


「えっ、えっ、えぇ……? ど、どういうこと……?」


 未だに緊迫した状態が続いているのに、ちょっとしたすれ違いのせいで空気が緩む。

 それが命取りになってしまう世の中なのに、兄さんと呼ばれた今はそれが心地良かった。


「とにかくその話はいいだろ! 後だ! てめぇらあの中突っ切って来たのかよ……そんくらいの力あんならちょっと貸せ! わんさか湧いてきてキリがねぇし、あいつらほとんど使えねぇつーかあの氷が死ぬほど邪魔だ!」


 麻露ましろが作り出した氷壁は、妖怪を足止めする役目を果たしているものの森を巻き込んでおり動く範囲が限定されてしまっている。ほとんどの義姉妹たちが広範囲の制圧に長けており、紫苑が使えないと切り捨てるのも無理はない。


「斎藤お兄さん……うん! わかった!」


「なんだか嬉しいです! またあの頃に戻れたみたいで!」


 真と星乃は喜んでいる。見える範囲で戦っていたアイラは一度振り返り、笑みを浮かべて合流する四人に背中を預けた。

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