十六 『愛し、恨み』
麻露の誕生日が来て義姉妹全員が真実を知ることになる数日前、結希は一度結城家の敷居を跨いでいた。
「ゆぅっ! おかえり!」
「ただいま、紅葉」
「入って入って! もう準備できてるから!」
「ちょっ、引っ張るなよまだ片方靴脱げてないから!」
慌ただしく足を動かして縁側を走り、いつもの居間に連行される。そこにいたのは、涙と千羽──そして火影の三人だった。
「結希、疑問です。靴が脱げていません」
「逆に靴下が脱げてるね」
「いとこの人は赤ちゃんですか?」
「違う! 色々違う!」
慌てて否定し、残された靴と靴下を脱ぐ。裸足のまま畳の上を歩いた結希は、座卓の上に広げられた陽陰町の地図に視線を落とした。
「これは?」
よく見ると一部に赤い印がつけられている。点と点を合わせたら三日月のような形になりそうなそれは、陽陰町の輪郭をなぞるようにしてつけられていた。
「今までの襲撃場所、結界破壊編だよ」
「けっかいはかいへん?」
首を傾げると、涙が結希にも見えるように地図の位置を動かした。
「陽陰学園、町役場、百妖家、陽陰駅、小倉家です」
「全部で五箇所。他にも結界は張られてるけどさぁ、なんかこれって怪しくなぁい?」
「怪しいって?」
「いとこの人、よく見てください」
ため息をついた火影が結希の背後に立つ。側頭部を両手で固定され地図の上に押しつけられると、結希にもその意味が理解できた。
「端と真ん中に集中していることが怪しいのか?」
「そう。陽陰学園は南西、町役場は中央、百妖家は西北西、陽陰駅は北、小倉家は東北東。町役場以外の全部が町の隅に位置しているちょっと特別な場所なんだよね」
「そう言われたら確かにちょっと怪しい形してるかもな」
「でしょでしょ?! これくぅが最初に気づいたんだよ! 褒めて褒めてっ!」
紅葉が差し出してきた頭を撫でると、不貞腐れた火影に妨害される。両手を上げてもう二度と触れないアピールをすると、火影に肩で真横に押された。
「故に、俺は空白の南東が次の襲撃場所と予想です」
「ちょっと! 気持ちはわかるけど星読みしてないのにゆぅに適当なこと言うな!」
「適当かどうかは星読みがあるしどうでもいいけど、こんなとこに何かあったか?」
「火影の実家はここから近いですが、襲撃されるほど特別な場所でもないですし……」
「僕もこの辺りにいたけれど、それっぽい建物はなかったと思うよ」
「じゃあ南東じゃないだろ」
「結界を張ってる建物の一覧にも目を通したけど、どれも南東以外に点在してたしね」
「むぅ……」
あまり面白くなさそうな涙を放置して四人で様々な可能性を上げる。座卓を囲み、前のめりになり、あぁでもないこうでもないと言い合い続ける。だが、全員《十八名家》の家しか出てこなかった。
「あぁ〜もうっ! わかんないぃ〜!」
「……やっぱり星読みに頼るしかないか」
「姫様、少し休憩しますか?」
「しないっ! 頑張るっ!」
朱色に染まった頬を膨らませ、背筋を伸ばした紅葉が眩しい。結希も曲がっていた背筋を伸ばし、呆気にとられた火影と目が合って微笑み合う。
千羽は、座るという行為ができない霊体を浮かせて結希の瞳に視線を向けた。
「結希くん。今月の襲撃場所がどこになろうと、僕は次で最後だと思う」
「え?」
「さっきの涙くんの意見を肯定する形になるけどね、こうすると南東以外あり得ないんだ」
「こうするとって……」
千羽の指示に従って、地図の上にペンを走らせる。
「あ」
「……あ」
「あぁ〜っ!」
「むっ? 結希? 火影? 紅葉?」
地図上に浮かび上がったのは、星型──いや、五芒星だった。
陽陰学園、百妖家、陽陰駅、小倉家。南東に何かがあると仮定して線を引くと例の形が描かれる。そして、五芒星の中央に町役場が存在していた。
どくんどくんと血が騒ぐ。本当に南東だった場合、これは一体何を意味することになるのだろう──。
そんなあの日から数日経った。涙と千羽の予想通り、次の襲撃場所は南東にある祠だった。
その祠が今、危険に晒されている。
「美歩っ!」
全力で叫んだ。背後の妖怪が見えていない彼女じゃないのに、美歩は何故か動揺を一切見せなかった。
「お願い」
美歩は誰に何を託したのだろう。瘴気を纏った禍々しい物体は、結希や紫苑、亜紅里の方へと動き出す。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
咄嗟に二本指を立てて幸茶羽の周囲に結界を張った。瘴気に気づき、怯え、動けない彼女は自分を避けた妖怪が月夜の方へと行くのを見た。
「姉さんっ!」
大粒の涙が幸茶羽の柔らかな頬を撫でる。月夜は幸茶羽と違って怯えなかった。だからと言って戦う様子も見せなかった。
「月夜ちゃんっ!」
名前を呼んでも彼女は動かない。横顔しか見えなかったが、月夜は無表情のまま妖怪を眺めて何もかもどうでも良さそうな態度でへたり込んでいた。
どこかおかしい。月夜と幸茶羽、正反対の性格を持つ二人の人格が入れ替わっているように見える。
焦りを殺して月夜の周囲にも結界を張った。亜紅里の踏み台にさせられて真っ逆さまにひっくり返っても、後ろに待機していたアイラが受け止めて支えてくれる。
「弱すぎだろバカ!」
罵りついでに九字を切った紫苑が真横を通り過ぎていった。慎重に狐火を操る亜紅里が傷を与えた妖怪は、紫苑の九字によって浄化されてこの地から消える。それでも片づけられる数じゃない。
「──フッ」
目を離した隙に頬を掠めた呪詛が背後の祠に貼りついた。
「──なっ」
悪意に侵されていく祠は最早祠ではない。ただの木々の塊だ。朽ち果てて、塵になって、消えていく。
土地神の祠を穢せるほどの力を持つ美歩は一体何者なんだろう。同じ祖父母を持つ芦屋家の血が流れているとは到底思えない。
「アイラ! 結希を頼む!」
「シオン!?」
亜紅里と共に突っ走り、遠くの方へと妖怪を押し返す紫苑は危険に身を投じていた。
結希は唾を飲み込んで、紫苑に無視された美歩の呪詛を《半妖切安光》で弾き返す。刀身を剥き出しにさせたままの《半妖切安光》は呪詛よりも濃い呪をその身に宿しており、美歩の呪詛程度でどうにかなる刀剣ではない。
それでも、この刀でいつまでも凌げるわけではなかった。結希は唇の端を噛み、目を細める美歩が吐き続ける呪詛を弾く。
「美歩! お前は一体何がしたいんだ!」
「何って、何?」
「祠の結界は破られた! 祠自体ももう機能していない! これ以上ここに用はないはずだろ?!」
結城家の全員で出した答えと、星読み。それがあるから彼女が撤退せずにここに居続ける意味がわからない。
「用はないって……あんたを殺せるかもしれないのに?」
不可解そうな表情で美歩が言った。倒れた真菊とママに押され気味の春をそのままにしてまでやり遂げたいことがそれだった。
「お前、も……」
声が震えた。六年以上前の記憶がどこにもなくても、紅葉と、千羽と、涙と、火影。五人で過ごした日々の記憶が確かにあるから血縁のある美歩から向けられる殺意が苦しい。
「……冗談だ」
また、美歩が悲しそうな顔をした。呪詛はいつの間にか来なくなった。
「……美歩」
その心に触れる役割を持つ人間が結希じゃなかったとしても、その悲しみを少しでもわけてほしいと思えるほどに結希と美歩には同じ血が流れている。
「そんな風にあたしの名を呼ぶな」
「呼ぶよ。俺はお前の家族だから」
「そんな軽々しくあたしの家族だなんて言うな」
「何も軽くなんかねぇよ。お前には一生わからないことだと思うけど、両親のことも、お前と暮らしていた日々のことも、紅葉たちと過ごしてきた日々のことも、死んだ従兄の存在さえ俺は忘れてたんだぞ?」
まだ両親と暮らしていた時、美歩が何故自分たちと一緒に暮らしていたのか。言葉通り親を殺してしまったのだろうか。ならば、そんな彼女とどんな日々を一緒に過ごしてきたのだろうか。紅葉と千羽と涙。ずっと一緒だったと言うあの三人とどんな幼少期を過ごしてきたのだろうか。
両親のことを忘れ、伯母や伯父のことも忘れ、いきなり知らない人間と暮らすことになった結希の気持ちを美歩は一瞬でも考慮していない。
「父さんはいないし、母さんもそんなに一緒にいてくれなかった。伯母さんも、伯父さんも。紅葉や火影くらいだったよ、一緒にいてくれたのは」
そんな日々を送っていた。
「多分、俺が言う家族とお前たちが言う家族は微妙に違うし、そもそもまだわかってないのかもしれない。けど、こんなの全然軽く聞こえないだろ。上手く言えないけど、クソみたいに重いってことは自覚してる」
「…………」
傍にいたアイラが身動ぎした。あまり聞かれたくなかったが、アイラは口が堅いと信じて言葉を選び美歩に告げる。
「わからないから軽く言う時も何度かあるよ。けど、血の繋がった家族の場合それは別だ」
美歩は身動ぎ一つしなかった。様々な戦闘音が入り乱れているが、口の動きだけで美歩がすべて汲み取ってくれると信じて結希は決定的な言葉を告げた。
「もう二度と離さない。愛してるって気持ちもあるけど、それ以上に恨んでもいるんだ」
だから涙には時々冷めた態度を取る。それぞれに仕方がないと片づけられる理由があったとしても、結希は納得していない。
結希が百鬼夜行を終わらせて記憶を失くしたことを知っていたなら、涙と同じように美歩の方から会いに来てほしかった。敵とはいえこうして会う機会がなかったら、千羽と同じように美歩のことを知らないまま死んでいた。
「……うら、む?」
恨まれているとは思っていなかったのだろう。服の裾を握り締めた美歩に思っていたことを告げた結希は、美歩の口から何かが聞けることを期待して待った。
「あたしは、あんたのこと……羨んでたよ」
そんなことを言われるとは露にも思わないまま。
「たいした才能もなくて、なのにあたしよりも愛されてて、愛してくれたあの人の息子で、真菊姉さんの健やかな日々を奪っていたあんたのこと」
美歩が小さな背中を向けた。春に加勢していたツクモを呼び寄せ、真菊を背負わせて妖怪が蔓延る町への道を一瞥する。
「美歩!」
思わず走った。ここで彼女を逃したら、もう何も話せなくなるような気がしてしまった。
「ユウキ!」
紫苑に結希を任されたアイラも動き出す。紫苑と亜紅里が戦ってもどうにもならないほどに多く群れる妖怪の中を突っ切るのは、死にに行くのと同義だった。
「終わったんだろ?! もう、ここで最後なんだろ?!」
振り返った美歩が丸い瞳を見開く。どこか自分に似ている瞳だ。その瞳に自分が映る。
「なら──」
刹那に氷の壁ができた。妖怪の中心部にできたそれは、見覚えがあり過ぎる美しい氷像のようなそれだった。




