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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第九章 諸刃の氷雪
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九  『兄弟喧嘩』

 真璃絵まりえに必要とされている分の点滴を打ち、結希ゆうきは傍らの椅子に座る。

 彼女がこの家に帰宅してから四ヶ月の時が流れたが、彼女が目を覚ますことはなかった。目を覚ましてほしいのに、その手がかりを見つけることもないまま四ヶ月の時が流れてしまった。


「結希〜? こっちにいんのか〜?」


「あぁ」


 声を出し、振り返る。真璃絵の部屋の前で足を止めた風丸かぜまるは、にやにやと笑いながら部屋の中を覗き込んできた。


「おっまえぇ〜。姉さんの部屋で何して……あ」


 口を開き、気まずそうにそのまま閉ざす。


「えっと、何してんの……?」


「食事」


「……お前がやってんだ」


「家族から任されたからな」


 視線を戻すと、真璃絵の豊乳が上下した。彼女は今この瞬間も息をしている。まだ、彼女の体は生きている。


「入っていい?」


 遠慮なんてするようなキャラじゃないのに、風丸は静かにそう尋ねた。


「いいよ別に」


 少しでも多くの人に真璃絵のことを知ってほしくて、結希は許可をした。


「この人、真璃絵さん……だよな?」


「あぁ」


「お前の姉さん、なんだよな?」


「あぁ」


 未だにちゃんと会えていない義姉は、結希が何度手を握ってもあの時から一向に反応を示さない。拒んでいるわけじゃないと思いたいが、何一つ変わらない日々を送っている。


「すげぇよな、お前」


 不意に風丸が呟いた。傍らに立っていた風丸は、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま表情を曇らせた。


「何が?」


「だって、家族つっても今まで一度も会ったことないんだろ? ほぼ他人なんだろ? なのにここまでやるってすっげーつーか、ちょっと意外だなって思ってさ」


 意外と言われるほど冷たい人間だった自覚はないが、結希は何も答えられずに両手を合わせる。

 真璃絵をこんな状態にしたのは、紛れもなく百妖ひゃくおう結希ただ一人だ。何もしなかったら死んでいたと全員から庇われても、こんな状態にしてしまった責任がある。


 真璃絵だけではなく、真璃絵に関わるすべての人々を生き地獄に突き落としたのは結希なのだ。

 真璃絵自身に終わりの見えない眠りを与えた結希は、彼女を見て見ぬ振りすることなんてできなかった。


「普通に失礼だな」


「けどさ実際、マジな話じゃんよ。お前、去年まで俺と明日菜あすな以外の人間と関わろうともしなかったし、関わってもなんかビミョーに冷たいし。そういうとこがいいって女子も時々いたけどさ、お前ずっと距離置いて接したりして相手のこと拒否ってたじゃん」


「は? んなわけないだろ」


「お前のそういうにっぶいとこが嫌いだよ! 俺なんて『はぁ? 風丸とかトモダチ以外あり得なくない?』だぞ?!」


「知らねぇよ。てかお前はそういうとこだろ」


「わかってるよ! けどなんか本能なんだよ!」


「染み込んでんだな……」


「染み込んでんだよ……」


 風丸の過去は知らないし、知るつもりもない。だが、今の風丸が結希が知るありのままの小倉おぐら風丸だった。


「……良くねぇのはわかってるけどさ、なんか良かったな。お前。色々と」


「……そうだな」


 この家に来れて本当に良かった。母親と別居し、ほとんど音信不通の状態になっても。母親が愛し、育ててきた人たちと偽りの家族になり。彼女たちと共に、広がっていく世界をこの目で見たから。

 本物の世界と比べてしまうとあまりにもちっぽけで閉鎖的な世界だと思うが、明日菜と風丸しかいなかった頃よりかは充実している。本気で、出逢えて良かったと思っている。


 こうしていつか引き裂かれてしまう未来が来るとわかっていても、出逢えて良かったと心から。


「終わったならもう行こうぜ! 風呂に入っていいんだろ?! あのバカみてぇにでっけー風呂! さっさと入ろーぜ!」


「お前と一緒に入んのかよ……」


「言っとくけど二人じゃねぇよ?! 八千代やちよ紫苑しおんも一緒だぞ?!」


「……それならいいけど、お前紫苑のこと恨んでんじゃねぇの?」


「そこまで恨んでねぇけど?! お前の中の俺どんだけ食い物に執着してんだよ!」


「あぁ、悪い。あいつ人から恨み買いやすいからてっきりお前も永遠に恨むのかと……」


「俺はそこまで堕ちてない! つーかお前の義弟ってなんなの?! 言わなかったけどめちゃくちゃ金髪じゃねぇか!」


「お前って鏡見たことある?」


 だいぶ伸びて半々のプリン状態になっているが、切る気はあっても染め直す気はないらしい。地毛は黒いが毛先は未だに金色で、清潔感があるようには見えなかった。


「あるけどさぁ、俺は不良じゃねぇもん。あっちはなんか貫禄あるんだよ」


「《グレン隊》だったもんな、あいつ」


「ふぅん、《グレン隊》…………《グレン隊》?!」


「うるさい」


 突っ込んで、風丸と共に真璃絵の部屋から出る。風丸は「いやいやいや……マジか」と驚愕したままついてきて、結希の部屋にあまりにも自然と入ってきた。


「うわ狭! お前こんな汚部屋に住んでんの?!」


「全部紫苑のだよ」


「だよなぁびっくりしたぁ! お前って昔から私物少なかったしある意味心配してたんだけど、これはこれでないな。酷い」


「これ、後で廊下に捨てとくからこの辺で寝てくれ」


「りょーかいりょーかい」


 寝間着を取り、風丸と話しながら階段を下りる。声を聞いたのかリビングから出ていた八千代と紫苑は、既に打ち解けているようだった。


「おっせぇよ」


「はいはい悪かったな」


 適当に答え、リビングで楽しそうに会話をしている五人の姿を目の端に捉える。

 既に風呂に入った五人は、ソファに並んでテレビを見ていた。それぞれが過酷な運命を背負っているのに、今だけはそのことを忘れていた。


「百妖家の浴室が大きいってほんとなの?」


「知らないけど、芽童神かいどうしん家の方が大きいんじゃね?」


「ちなみに俺んちはそんな大きくねぇからな!」


「誰も聞いてねぇよカス」


 流れるように暴言を吐いた紫苑に風丸が掴みかかった。人に手を上げている風丸なんて珍しい。というかやはり、紫苑は人から恨みを買って生きているように見える。

 多分無自覚なのだろうが、その原因がここまで明確なのは見たことがなかった。いや、幸茶羽ささは翔太しょうたが似た部類に入っているのだろう。翔太は学校にいると必ずと言っていいほど廊下で会うが、幸茶羽は未だに戻って来ようとしなかった。


「うっひょ〜! これ風呂?! でっけぇやべぇ! テンション上がる!」


「騒ぐな響く」


「いってぇ!」


「足を出すな」


 これも多分無意識に出したのであろう足を下ろす紫苑に言うと、紫苑は適当に返事をして桶に座る。

 風呂場の桶は一つではない。風丸は「マジか」と呟き八千代は「へぇ」と驚いた。


「広さは同じくらいだけど、こんなに桶を見たのは初めてだよ」


「マジでザ・温泉だな」


「温泉じゃねぇよ?」


「わかってるよ?!」


 四人で並んで桶に座り、それぞれ目の前に置かれているシャワーを浴びる。

 中一の頃から一緒にいるようになった風丸と一緒に風呂に入ったことはなく、女子のような可愛らしさを持つ八千代とも当然なく、風丸と共に端に座る八千代の上半身をまじまじと見つめた。


「えっ?! な、何?!」


「八千代ってマジで男だったんだな」


「どうしてちょっとがっかりそうなの風丸くん!」


「俺は知ってた」


「当たり前だよね?! 僕が男って二人とも最初から知ってたよね?!」


「騒ぐな響く」


「紫苑くんはちょっとだけ黙ってて!」


「えっおっえ?」


 反論されると思っていなかったのか、紫苑が一瞬戸惑った。八千代は荒々しく呼吸をし、「僕だって男なんだから!」と立ち上がる。


「アッはいすいません着席してください」


「風丸は反省しろ」


「ねぇなんで俺両側から責められてるの?!」


「なんだよお前らうっせぇな! どーでもいいだろんなこと!」


 シャワーを切ろうと手を伸ばすと、隣から飛び交ってきた紫苑の蹴りに巻き込まれる。風丸と、風丸を「バカバカバカ」と小刻みに叩く八千代を巻き込んで床に倒れる。


「痛っ……た」


「いってぇ!」


「う、うぅ〜……」


「そこで頭冷やしとけ」


 八千代を下敷きにして風丸と一緒に倒れた結希は、慌てて体を起こして二人を見た。

 風丸は一回転をして八千代の上から下り、その八千代は大の字になって倒れている。そこにいたのは初対面の頃に見たあの可愛らしい八千代ではなかった。


「や、八千代……」


 おずおずと声をかける。

 可愛らしい月夜と幸茶羽の兄の八千代は、例えどれほど可愛らしくても男という性別で間違いはなかった。それでも、四人の中で一番華奢な体格の八千代を下敷きにしていい理由にはならない。


「ぷっ、あはは……!」


「八千代?!」


 急に笑い出した八千代は、どこか壊れているのだろうか。慌てて助け起こすと、八千代は口元を片手で覆いながらやはり確かに笑っていた。


「結希くん、これが兄弟喧嘩なんだね!」


「いや違うと思うけど……」


「もっとしてみたいなぁ……! 今度はどんな喧嘩なの?」


「狂ったのか?」


 そんな感想しか出てこなかった。倒れたまま八千代を見ている風丸も不可解そうな表情をしている。


「狂っていないよ?! ていうか早くお風呂に入ろう?! 兄弟って他にどんなことするの?!」


「沈め合いっこ」


「嘘教えんな」


「痛って叩くな!」


 心からおかしそうに笑う八千代は、本当に特に狂っているわけではなかった。多分、結希と風丸がそんな八千代に気づけていないだけだった。





「てめぇ! それ俺のだろ!」


「廊下に捨てるんだから別にいいだろ」


「捨てんな!」


「じゃあお前が廊下で寝る?」


 言うと、紫苑しおんは廊下に私物を押し出した。風丸かぜまる八千代やちよはそんな紫苑をげらげらと笑い、紫苑は二人の顔面に布団を投げつけて床に敷かせる。


「あぁ〜……なんか今日すっげぇ疲れたぁ〜」


「たくさん兄弟喧嘩したもんね!」


「八千代さん、俺たちって兄弟でしたっけ……?」


「兄弟だよ。きっとね」


「そうなの?!」


「ちげぇだろ」


「あれ?! 兄弟じゃないの?!」


「まぁ、言いたいことはわかるけど」


 そういう人生を送ってきた結希ゆうきだから、一応頷いた。八千代は声に出して笑って喜んでいた。


「つーか退け退け。俺はもう寝る」


「もう寝んの?! まだまだ夜はこれからだろ?!」


「お前らにとっては、だろ」


「ん、おやすみ」


 布団に入り、紫苑はいつも通り数秒で落ちる。結希だけは知っていたが、知らなかった風丸と八千代は目を合わせて微笑ましそうに笑みを浮かべた。


「よーし、落書きしてやろうぜ!」


「死にたいのかお前」


「さすがにそれは止めようよ」


 三人で、紫苑を囲みながら布団を被った。

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