七 『本当の家族』
放課後になって、生徒会の六人でまったく同じ帰路を歩く。こうして共に帰るのはなんだかんだ初めてで、決して悪い意味ではないが違和感が拭えなかった。
以前住んでいたアパートに明日菜と風丸を呼んだことは何度かあったが、百妖家に呼んだことは今までで一度もなかった気がする。
その上今日は、呼ぶだけではなく初めて他者を泊まらせる日でもあった。ついでに言うと、ヒナギクと八千代がいるのも初めてだった。
二人とも自らの家の現頭首だが、基本的な仕事はまだ母親に任せているらしく今はまだこんなことにもつき合ってくれている。
それでも多分、最重要の決定を下す権限を持っているのは二人なのだろう。ヒナギクは顔には出さないが、八千代が時々疲れたような笑い方をするのを結希は視界に入れていた。
「なぁなぁ、スーパー寄ろうぜ〜」
「後でな。今は先にお前ん家に行く」
「いいけどよ、いるかどうかわかんねぇじゃん」
「あの人なら絶対にいるんだよ」
そういう確信が結希にはあった。当たってほしくはなかったが、小倉家に隣接している風丸神社の石段を上がる。
すると、やはりと言うべきか巫女姿の麻露が境内を掃いていた。
「麻露さん」
声をかけ、仕事を休もうとしなかった麻露の方へと歩いていく。
「結希……? どうした、何かあったのか!」
まるで、何かあってほしいとでも言いたげな声色だった。
結希は首を左右に振り、追いかけてきた亜紅里と一緒にこう尋ねる。
「お金ってどうやって下ろすんですか」
麻露は、目を白黒にさせた直後に脱力した。
「そ、そうだな。そのことをすっかり忘れていた」
「シロ姉〜、あの人たちが財布置いてったせいでお金使いたい放題になってるんだけど、やっぱり勝手に使うのは気が引けるしだからってどの財布を使っていいのかわからないしあたしたちのお金は今日の昼代ですっからかんだしで晩御飯買えないんだけど〜」
「わかった。とりあえず二万渡すから今日と明日はこれでなんとかしてくれ。今後の金は家にある通帳を使って下ろしてほしいんだが……下ろし方がわからないんだよな」
麻露は軽く頭を抱え、結希の真後ろで視線を止める。そうして見開いた深い青目が捉えたのは、後輩の明日菜だった。
「明日菜、ちょうどいいところに来てくれたな」
「え、なんですか……」
嫌なものに捕まったとでも言いたげな声色だ。ここでバイトをしている明日菜は麻露の面倒臭さを百妖家の人間と同じくらい把握しているのだろう。
そんなことを一切気にせずに麻露は明日菜の肩を抱き、「金を下ろしたことはあるよな?」と直球で尋ねた。
「ありますけど……」
「なら、結希と亜紅里に下ろし方を教えてやってくれ。結希、仕事が終わったら電話で通帳の場所と暗証番号を教える。その頃には手数料がかかる時間帯になっているだろうから、明日の放課後に好きなだけ下ろしてくれ」
「あ、え? わかりましたけど……明日菜はそれでいいのか?」
「いいも何も、別に断る理由がないし。……ゆう吉に餓死されたら困るし」
「いやさすがに餓死は……しないと思うけど……」
「しそうなのかよ! ちょっと待てそうなら俺支援するから! 小遣い全額出すから死ぬなよ!」
「もちろん僕も支援するよ! うちのお金ならいくらでも使っていいからね!」
「待て。ここは白院家が全額負担すべきだろう」
何故そういう話になるのか。この手の話になるといつも本物の金持ちというものを思い知らされてしまう。
金はあっても食欲がなければ餓死してしまうというニュアンスで言ったつもりなのに、彼らは何もわかっていなかった。
一度社務所に戻った麻露から二万円を受け取り、結希は全力で頭を下げる。
これは熾夏が言っていた〝いろんな家が見栄を張るようにいっぱい出し合ったお金〟ではない。彼女たちの、いや、麻露の財布から出てきたのだから麻露自身が稼いだお金かもしれないのだ。
「すみませんすみません本当にすみませんありがとうございます……!」
「いや、こっちこそたいした引き継ぎもせずに出ていって悪かったな。やっぱり帰った方が……」
「シロ姉は雪之原家にいて! モノホンの家族団欒を邪魔する気はないからさ!」
「……あぁ、そうか。そうだよな」
少しだけ寂しそうに笑う麻露は、「すまなかった」ともう一度謝る。麻露に楽になってほしかっただけなのに、そんな顔をされるとは思わなくて結希と亜紅里は戸惑った。
「もしかして、あまり上手くいってないんですか?」
気になって思わず尋ねてしまう。麻露は首を左右に振り、そういうわけではないと否定したことが幸いだった。
「ただな、あそこにいたらいたで疲れるんだ」
「疲れる? どうしてですか?」
「どうしてだろうな。姉という人に愛されているのに、感謝だってされているのに、他人の家だと思っているのかまったく寛げないんだよ。あてがわれた部屋も新品の匂いがするしで落ち着かない。……おかしいよな」
「……別にそれはおかしくないですよ」
「そうそう! 大丈夫だって! あたしも百妖家に来た時はそうだったしね。今は慣れないかもだけどいつかは絶対慣れるって!」
「慣れる、ね。慣れている自分も想像できないんだがな」
「少なくとも住めば都じゃん? 家族の方は血が繋がってても合わないなんてよくある話だからなんとも言えないけどさ」
「……亜紅里。そうだな、まだ一日しか経っていないんだ。もう少しだけ頑張ってみるよ」
今度こそちゃんと笑った麻露にかける言葉を結希は持たなかった。
父親のことは知らない。母親のことはよくわかっていない。兄弟姉妹さえいない一人っ子の結希がかける言葉は特にない。
血の繋がらない家族ならたくさんいるのに、血縁の家族の話を出されると途端に弱くなる。
それが結希という人間だった。
「そういえば結希、あの子たちには会ったのか?」
「会ってないですよ。依檻さんたち休んでいたんで」
「……そうか。あっちは本格的な引き継ぎをしているようだな」
「麻露さんはしないんですか?」
「一応頭首は私ということになっている。ただな結希、検察官は一日でなれる職業じゃない。白雪さんも……白雪姉さんもならなくていいと言っているから今は様子を見ているんだ」
「はっはーん。なるほどそれでここにいるんですな」
「家にいても落ち着かないからな。こっちの方が楽なんだよ」
「仕事の方が楽なんてことあるんですね」
知らなかった。的外れなことを口走った気がするが、麻露の本音をここで聞けて良かった気もする。
「……あ。麻露さん、俺たちもう行きますね」
黄昏時が終わっていく。冬は早くに日が沈むから妖怪退治は滅多にできないが、夏の時期よりも数を減らしているのが例年だった。ただ、今年は例年よりも数が多い。
「またいつか」
一刻も早く手を取り合って、また会えたらいい。そう思って麻露と別れた。
*
隣に立つ月夜が困惑した目で八千代を見上げている。自分が芽童神月夜であると自覚した少女と、彼女が芽童神家に帰ってくると知らされた少年の初対面はとても静かなものだった。
「えっと……、久しぶりだね。月夜ちゃん」
八千代は持ち前の柔らかな雰囲気で最初に動く。兄として初めて会った妹に対して何を思ったのか、八千代からは普段は一切感じられない年長者らしさが伝わってきた。
「月夜ちゃん」
約八ヶ月の間兄として接していた結希は、しゃがんで月夜と同じ目線になる。八千代とまったく同じ色をした瞳は明らかに混乱しており、結希は再び八千代を見上げた。
「急に本当のお兄ちゃんだって言われてもわかんないよね。……ごめんね月夜ちゃん。今は忘れて」
八千代だって急に二人の妹ができたのに、月夜を見ていると力が湧いてくるのかと疑うほどに落ち着いている。
結希は月夜を椿に任せ、八千代を引っ張りリビングを出た。
「部屋に来てくれ」
リビングの前だと月夜に聞こえる。結希は八千代を自室に誘い、結希のベッドを占領している紫苑を発見した。
「下りろ」
「いだだだだだだ! 引っ張るなバカ! 下りる! 下りるから!」
「もしかして紫苑くん? 結希くんが保護を名乗り出たっていう……」
「そう。おい、お前の寝床はあっちだろ」
「あっちだけど俺だってベッドで寝てーんだよ! この気持ち良さを知ると布団なんて固くて寝れっかバーカ!」
「熟睡してんだろ知ってんだよこっちは」
「やーめーろやーめーろ! 暴力反対!」
「痛った?! お前殴ったな!」
《グレン隊》だった紫苑に本気で殴られたら首がもげるが、手加減をされてもかなり痛い。ベッドの上でなんとか紫苑と格闘していると、何故か八千代が乱入してきた。
「うわっ、八千代?!」
「僕も混ぜて、結希くん!」
「いやいやなんでだよ……!」
「今のうちに兄弟喧嘩に……! 慣れておかないと……! 月夜ちゃんと幸茶羽ちゃんに申し訳……! ないから……!」
「いや何その理屈!」
「くっ……! 負けな……痛っ?!」
「こいつウゼェ!」
「おい紫苑!」
八千代まで殴ってベッドの上にふんぞり返る紫苑を叱り、頭を抱える八千代をベッドから下ろす。
「大丈夫か?」
「う、うん。なんとか。すごいね結希くん。いっつもこんな喧嘩してるんだ」
「喧嘩というか戦争だけどな」
「ていうか結希くんって紫苑くん相手だと結構乱暴なんだね。口調とかびっくりしちゃった。風丸くんを相手にしてる時と全然違うんだもん」
「それは単純にムカつき度が違うだけだ」
「ううん。兄弟なんだなって思ったよ」
「そりゃ確かに遠慮はねぇけどよ」
「お前は遠慮しろ」
普段だったらもう一度掴みかかっているが、八千代がいる手前止めておく。それよりもしなければならないことがあった。
「月夜ちゃんと幸茶羽ちゃんのことなんだけど、幸茶羽ちゃんが帰ってこないと月夜ちゃんもそっちに行きたくないみたいなんだ」
「うん、そうだろうね。二人はきっとずっと一緒だったんだろうし」
「だからまだしばらくはここにいると思う」
「どうして結希くんがそんな申し訳なさそうな顔をするの? いいんだよ本当に。きっと今の月夜ちゃんは辛い思いをしているだろうし、一緒にいて安心する人と一緒にいた方がいい。それはやっぱりこの家の人たちだと思うんだよね」
八千代が月夜についてどう思っているのかを聞いたのは、これが初めてだった気がする。
「だから、押しつけてるみたいで逆に申し訳ないんだけど……月夜ちゃんと幸茶羽ちゃんのことこれからもお願いしていいかな」
「別に押しつけられてるとは思ってないよ。けど、もっと八千代自身の気持ちが知りたい」
「僕は……ちょっと怖いかな。ちゃんと〝お兄ちゃん〟できる自信がなくて。頭首としての覚悟もまだないに等しいし、一人っ子だったからキョウダイってよくわからないし」
「うるせぇな、んなのなるようになるんだよ。一緒に暮らしていたらな」
紫苑が言うと重みが違った。結希は頷き、眉を下げる八千代を励ます。
「そういえば紫苑、幸茶羽ちゃんは今どうしてるんだよ」
「は? 普通に暮らしてるんだろ」
「ちゃんと聞けよお前の双子の兄の春に……!」
「いだだだだだだ! 聞く聞く聞いてる! いっつも縁側に座ってるってよ!」
「えっ、それ寒くないのかな?」
「それ一番に気にするところか?」
「でも僕寒がりだから幸茶羽ちゃんも絶対寒いと思うんだよね……」
「寒がりじゃなくても縁側は寒い」
前からなんとなく思っていたが、八千代はところどころ抜けている。そこが多分月夜と幸茶羽の双子にそっくりで、芽童神家の血なのだと思った。
「なんか、八千代が二人の兄で良かったよ」
「え? どうしたの急に」
「なんとなくそう思っただけだ」
笑い、紫苑をベッドから引きずり下ろしてリビングへと戻った。




