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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第九章 諸刃の氷雪
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一  『兆候』

 知らなかった。知らなかったのは当然だが、知りたいとか、知りたくないとかさえ思う暇もなかった気がする。それくらい目を逸らし続けていたのだと自覚して、苦しくなる。

 実父の雅臣まさおみが六年の歳月もかけて育て上げてきた彼らは、六人義兄弟だった。結希ゆうきの同い年である真菊まぎくを長女として、長男のはる、次男の紫苑しおん、従妹でもある次女の美歩みほが最前線に出て戦って。三男の多翼たいきと三女のモモが戦闘に加わることはなく、雅臣の式神しきがみに面倒を見られながら家で家族みんなの帰りを待っている。そんな六人義兄弟は、察してはいたが全員結希よりも年下だった。


「そこに何故か、幸茶羽ささはが行ってしまった、と」


 麻露ましろは窓の外に視線を移し、降り続ける雪をじっと見つめる。自分の体の一部と言っても過言ではないほどに慣れ親しんだものなのに、それを止める術を知らない。徐々に徐々に悪化していく視界に絶望感さえ感じているのに、途方に暮れることしかできなくてカーテンを閉めた。


「とにかく、幸茶羽が向こうにいたいと言う以上は下手に手を出せない。紫苑、悪いが春と定期的に連絡を取ってくれないか? 可能ならば幸茶羽と話をする方向で交渉してほしい。……いや、交渉という言い方は違うかもしれないな。人質じゃなさそうだし」


 リビングに戻った全員は、突然のことに沈黙を続けることしかできない。頭の中で処理しているのに、心にすとんと落ちてこない。そんな感覚に取り憑かれて、時計の針の音でさえ聞こえなくなる。

 上手く言葉にできないのに、なのに、言わざるを得ない何かを持つ月夜つきよだけは黙っていなかった。


「な、なんで……? ささちゃん、どうしてあっちに行っちゃったの……? つきが、つきが追いつけなかったから? つきがささちゃんをぎゅってしてたら、ささちゃん、ここに、いてくれたの……?」


 ソファの上で膝を抱え、小さく丸まる月夜は最早別人のようだった。椿つばき心春こはるに両側から支えられているにも関わらず、今にも泣きそうな表情は消えない。それほどまでに双子の片割れの喪失は大きいのか。紫苑を見ているとそんなことは微塵も感じることができないが、今すぐにでも大泣きしてしまいそうな末妹を他の姉妹たちも心配そうに見つめていた。

 当然、結希や紫苑も心配していないわけではない。依檻いおりと同じくらいに笑い、依檻にはない無邪気な笑顔で全員の後ろに引っついて周り、たくさんの笑顔を配り歩いていた月夜の笑顔が曇ったのだから。そんな月夜を時に窘め、時に誇らしそうに、時に寂しそうに眺めていたのが真の末妹である幸茶羽だった。


 何も知らない他所様が自分たち一家にふれあった時、この姉妹の中の誰よりも顰蹙を買いそうな言動を繰り返していた我儘で天邪鬼な心の持ち主。月夜が愛らしいお姫様なら、幸茶羽は憎らしい女王様だ。

 けれど、紫苑を除く全員が月夜と同じくらい幸茶羽の身を案じていることくらい結希にはちゃんとわかっていた。わかっていたからこそ、幸茶羽の選択に理解を示すことができなかった。


「月夜、泣くな。あぁ、いや…………すまない」


 いつもの調子で窘めるが、相手が月夜であることに気づいて気まずそうに言葉を濁す。こんな麻露は滅多に見れない。いつもの麻露がそこにはいない。

 それが切っ掛けになったのか、泣くことを堪えていた月夜がぼろぼろと大粒の涙を流し出した。


「月夜、泣けって。大丈夫だって……」


「つきちゃん。今は、自分の気持ちを素直に出していいんだよ?」


「そうそう。んなことで誰も怒ったりしないから。こういう時は、誰も甘えるななんて言わないからさ」


「うっ……ひっ、う、くぅ……! あぁっ……! うわぁ、う……!」


 徐々に徐々に、声に出して泣き出す月夜。そんな月夜は多分、強い子だ。他の姉妹が強いことは知っているが、月夜も強いことに気づけなかった自分の審美眼を思わず恥じる。我慢強いと言い直した方がいいのかもしれないが、結希はそれが正解ではないような気がして素直にそれを褒められなかった。

 今まで結希が見ていた月夜は、とても我儘で素直な心の持ち主だった。なのに、今この場にいる月夜は我儘なことを一切言わず、最初から泣きじゃくることもなく、不安で不安で仕方がないはずなのにその不安にたった独りで耐えていた。麻露がいいと言うまで独りで抱え込んで我慢していた。


 甘えん坊だと思っていたが、肝心な時に甘えられない月夜という名の末の義妹は月のように控えめな子で。真なる太陽は幸茶羽だったのではないかと思うくらい、月夜は打ちひしがれていた。

 あれだけ「姉さん姉さん」と言って後ろを歩いていた幸茶羽は、もういなかった。


「ねぇねぇ、こんなこと急に言ったら怒られるかもだけどさぁ、そろそろ晩御飯にしない? 作れないなら出前でも取っちゃう? あたしもうお腹ペコペコでぐったりなんだよねぇ〜」


「……亜紅里あぐり、キミは本当に空気が読めないな」


「くひひっ! 褒め言葉として受け取っておきますぜぇ、姉さん!」


「勝手に受け取らないでくれる〜? ポンコツ。私は寿司がいいなぁ、サーモン食べたい!」


「うっわ、熾夏しいかさんがポンコツ言います? サビ抜きがあるなら俺も寿司で」


「テメェはワサビも食えねぇのかよ。あ、ちょっと待て。だし巻き玉子ついてるヤツ頼めよ」


「だめぇぇっ、ひっく、だし巻き玉子っ、つきのぉ……! つきが食べるのお……!」


「うむっ?! 今そんな話している場合じゃないぞい?! あっ、シロねぇ待つのじゃ! わらわはウニなのじゃ! ウニ!」


「…………まぐろ」


「じゃあ私はいくら〜。納豆巻きも欲しいわねぇ。かなちゃんは?」


「えっ? い、いかを……あぁいや、アナゴも捨てがたいですね……」


「ワタシ肉! 肉がいい!」


「あたしはかっぱ巻きー! 絶対だぞっ!」


「ちょっと、これ言わないといけない流れなの……? ウチ魚嫌いなんだけど……」


「ぼくはお稲荷さん!」


「あっ心春狡い! もうっ、魚じゃなきゃなんでもいいわよ!」


 麻露は、好き放題に言い出した全員を呆けた表情で視界に入れた。首を動かさなくても、視線を動かさなくても、全員が視界に入るくらいの近距離にいることに気づいて若干身を引く。受話器を持った手が震えたのか、一瞬だけ受話器を取り零し──慌てて掴まえて咳払いをした。


「えんがわは、私のものだぞ」


 そんなに胸を張って言うようなことではない。

 こんなに前のめりになって言うようなことでもない。


 全員がそれを承知していたが、言わなければならない空気がきっとそこにはあった。

 いい意味で空気が読めない、暗い雰囲気をやけに壊したがる狐の二人に乗っかって。察しがいい結希に乗っかった紫苑の上に、明るい雰囲気を本人の意思ではなく本能で望んでいる月夜も乗っかかる。後は、他の姉妹がどう出るかだった。


 流した涙をヤケクソ気味に拭い取り、前を向こうとする月夜の心はやはり強い。どんなに血が繋がっていないと外野から言われても、確実に姉妹であると結希が心から言えるほどに彼女たちはちゃんと家族だ。


「ねぇねぇ、かあさんもすし食べる〜?」


『スシ?』


「そうそうすし!」


「絶対わかってないだろ」


 一人だけ、いや、結希と同じく何がいいとは言わなかった亜紅里は短く舌を出し、「食べ物でしょ?」と背筋を伸ばす。


「ほらポンコツじゃん」


「あんたまだポンコツ言ってるんですか」


「結希も立派なポンコツよねぇ?」


「ぶん殴りますよ依檻姉さん」


「あっ、待って。〝しいねぇ〟って呼んで! 呼んでよ弟クン!」


「はいはい。熾夏さ〜ん、こんばんは〜」


「ねぇ、弟クンって最近私の扱い雑過ぎない? 気のせいじゃないよね? いおねぇにじゃなくて私に反抗期が始まったの?」


「くひひっ! ナメられてるだけっしょ!」


 納得がいっていなさそうな表情で、熾夏が不服そうに結希を見上げる。だが、結希はそれを無視して珍しく家にいる歌七星かなせに視線を移した。


「歌七星さん、さっきから難しそうな顔してますけど大丈夫ですか? ……幸茶羽ちゃんのことですか?」


 忘れようとしたわけじゃない。ただ、今は無事であったことを喜ぶべきだと一応思う。それでも割り切れないのが長年一緒にいた姉という存在なのだろうか。


「大丈夫と言えば大丈夫ですが……。いけませんね、気持ちの切り替えが上手くできません。こういうのは得意だったはずなのに」


「変なものを得意とか言わないでくださいよ」


「それでいいんじゃない? 別に犯罪じゃないんだし。かなねぇが人間っぽくなったって証拠でしょ?」


「なんですかその言い方は。溺死したいんですか?」


「あら、いつものかなちゃんね」


「かな姉〜、こんばんは〜」


「こんばんは、熾夏」


「なんですかこの会話……」


 少し前の歌七星からは想像さえできない緩い会話だ。微笑む歌七星の表情も、そして紫苑に視線を移した寂しげな表情も、全部。

 結希も紫苑に視線を移し、麻露の言葉を発端として電話をし始めた紫苑を見据える。紫苑はあれほど嫌がっていた春と長い長い会話をしていた。


「皮肉ですね」


「……そうですね。月夜ちゃんと幸茶羽ちゃんはあぁなったのに」


 離れようとしていた二人が繋がって、繋がっていた二人が離れてしまった。男と男の陰陽師おんみょうじ、女と女の半妖はんよう同士。どっちも双子で結希の家族でもある義弟妹だ。


「そもそも、どうしてささちゃんは紫苑さんの家の場所を知ってたんだろう」


「あ、確かに。あたしらや、結兄ゆうにぃでさえ知らないのに」


「紫苑」


「あ? あー……その」


 電話を終えた紫苑はちゃんと話を聞いていたらしく、気まずそうに視線を逸らす。


「テメェらが俺のとこに来た時、幸茶羽だけ残っただろ?」


「まさか、あの時に? でもなんで」


「家について聞かれたからな。答えた」


「お前は今なんて言いました?」


 紫苑の頭を両手で掴み、前後に振って紫苑を睨む。他の姉妹も冷めたような視線で紫苑のことを見つめていた。


「でも、答えたからって行くとは誰も思わねぇだろ! やったとしても勝手に潰してくれるかなぁ程度でいだだだだ!」


「幸茶羽ちゃんが潰せるわけないだろ!」


「あっ、あーッ! そもそもそれだろ! テメェら幸茶羽のこと心のどっかでナメてるだろ! そういうのよくねぇんだからな!」


「ッ?!」


 目を見開いたのは、結希ではなく麻露だった。そうであるとは思わなかったような瞳だった。


「二人が紫苑に会った時……つまり、一ヶ月も前からその兆候はあったということじゃな」


「…………ずっと独りで抱えてたのかもね」


「ワタシたち、ささちゃんについて何もわかってなかったんだ」


「つきだよっ!」


 刹那、月夜が今にも引き裂かれそうなほどの声を出した。


「つきが、つきなんだよ……」


 その嘆きが、痛みが、滲み出ていた。

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