十四 『風丸神社』
「じゃ、わかちゃんとはるちゃんを呼んで帰りま……」
瞬間、微かに地面が揺れた。いつもの地震か──そう思って気にかけなかったが、立っていても気づくレベルの震度はこの地域では珍しい。
「……待って。あれ、何かしら」
依檻が指差した先にいたのは、鴉天狗の群れだった。町の中央に位置する町役場の真東に位置するあの場所は──
「あそこって、風丸……小倉家の真上ですよね?!」
──間違いなく、千秋らに予知された阿狐頼の次の襲撃場所だった。
「わかちゃん! はるちゃん!」
異常を察知したのか、心春を肩に乗せた和夏は匂いを嗅いで警戒心を顕にする。
「クサい……何かあっちにいるよ!」
駆けつけてきた半妖姿の二人は、この状況を把握することに長けた半妖だった。
「『土地神の加護を受けた精霊よ、我に力を与えたまえ』──」
言霊を使い、心春は精霊を呼び出して町の最東端に位置する風丸神社の異常を聞く。心春と精霊たちの会話は一切聞き取れないが、心春の顔色だけで何が起きているのかは把握できた。
「──襲われてるよ、マギクさんに!」
「──スザク! オウリュウ!」
瞬時に呼び戻した二人の式神も事態を把握しているのだろう。
「姉さんたちのところに行って報告、指示があるなら貰ってくれ! 俺たちは依檻さんと一緒に行く!」
「承知いたしました! 私は麻露様のところへ行きます!」
「……じゃあ、オーはカナセのとこに行く」
姿を消した二人の次に心春を見、出逢ったばかりの頃に起こした風を頼んだ。心春も和夏もその気だったが、依檻が「待ちなさい」と言うとは思わなかった。
「依檻さん?! なんで……」
「落ち着きなさい、結希。私は貴方たち三人を預かった保護者として、簡単に『行っていいですよ』とは言えないわ」
保護者じゃない。立派な姉だ。だが、依檻がわざと結希たち三人を〝他所様の家から預かった大切な子〟として扱っているような気がして言い返せなかった。
「はるちゃん、いるのはマギク一人だけ?」
「ううん、あと二人だけ……若い子たちがいるって」
「多分、春と美歩だ。前も来てた」
「結界が破られるの、いお姉、絶対に大丈夫だから早く行かなきゃ……!」
「この世に〝絶対〟なんて存在しないわよ。いい? 三人とも。私が危ないと判断したら、私が炎の壁を作っている間に逃げなさい。わかちゃん、逃走経路は任せるわ。結希は何があっても自分の身を守ることを優先させなさい」
「いお姉?!」
「わかった、イオ姉。約束する」
「ありがとう、わかちゃん。じゃあ行くわよ」
走った依檻に置いていかれないように結希も走る。だが、依檻の出した条件には心春と共に納得し難いものがあった。それは多分、和夏も同じように思っていることだと思う。ただ、今はここで言い合っている時間はなかった。
和夏も結希と心春の身を案じているのだろう。〝大人〟になってから妙に物わかりが良くなった気がする和夏は、守られる側から守る側にもう一歩踏み込んでいるような気がした。
「…………、依檻さん!」
迷い、前を走る依檻に声をかける。心春の言霊により風のような速度で走っている三人だったが、依檻は結希の声を聞き取って「なぁに」と端的に返事をした。
「着いたら風丸のことを探します! 多分、家の中にいると思うんで……」
「……あぁ、そのことね。わかった、許可するわ! 雷雲さんなら避難経路を確保しているでしょうけど、護衛がないと心配よね?! そうしてくれると私も助かるわ!」
「いや、そうなんですけど……!」
結希の脳裏を過ぎったのは、妊娠五ヶ月目の陽縁だった。妊婦のことも赤ん坊のこともよくわからないが、そんな妹と何も知らない妹の旦那、そして風丸を連れて本当に正規のルートで避難できるのだろうか。
「何?! 何か不安なことでもあるの?!」
「……いえ、大丈夫です! 行ってみないとわからないんで!」
だが、辿り着いた風丸神社の結界は悲惨としか言いようがなかった。
一番乗りをしたのは依檻率いる自分たちのグループだったらしく、なんの守りもなくただただ崩壊していく結界を見つめる。復元しようにも、侵入した妖怪の数が多すぎて結希は手を出せなかった。
『コワセ、コワセ、スベテヲコワセ』
『コロセ、コロセ、ヌシヲコロセ』
『トチガミヲコロセ』
『アノカタノ、イノママニ』
すべての妖怪がぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。殺意が溢れる。正気がないのだから止められない。
「……ッ! 風丸!」
私服姿で本当に良かった。これでまた正装をしていたら、風丸に絶対に茶化される。結希は瞬時に人避けの札を石畳の上に貼りつけて、その石畳を駆け上がった。
目指す場所は隣接する小倉家の日本家屋だ。既に妖怪に取り囲まれたそれはすべての窓から明かりを漏らしており、中に人がいるのかいないのかもわからない微妙な雰囲気を醸し出している。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
午前十二時。起きていてもおかしくない時間帯に襲われた小倉家に蔓延る悪意を祓い、一瞬の隙を突いて玄関の傍に置いてあった鉢植えを上げた。その下に貼りつけられた鍵を玄関の鍵穴に差し込んで、結希は中に入り退魔の札を扉に貼りつける。
「……ッ!」
危なかった。中学生の頃、風丸に無理矢理連れて来られなければ開けられなかった。
玄関に置かれたままの靴をすべて確認し、自分の靴を持って廊下を走る。
「風丸ー! 雷雲さーん! 陽縁さーん! 叔父さーん!」
こんなに叫んだのは久しぶりだった。辺りを見回し、半妖の力も陰陽師の力も持っていない四人の気配を必死になって探る。
……避難できたのだろうか。いや、ただの神主でしかない雷雲がそんなに早く妖怪の存在に気づけるだろうか。
結希が退魔の札を貼ったおかげでなんとか持ち堪えてはいるが、切れたらここも崩壊する。それは、辺りを囲む妖怪の言葉が示していることだった。
『コロセ、コロセ』
『ワレラノキョウイノミナモトヲ』
『トチガミヲ』
『コロサナケレバ、コロサナケレバ』
『ヤットココマデコレタ』
『ヤット、ヤット』
『フクシュウセヨ』
『コロシテシマエ』
終わらない声に思わず耳を塞ぎたくなるが、家の中を一周する頃には慣れてしまった。
「……逃げた、のか?」
それならそれで良かったが、逃げたのなら一体どこへ行ったのか。結希はスマホを取り出して、仕方なく風丸に電話する。一分一秒がとてつもなく長く感じるのに、どれほど待っても風丸には繋がらなかった。
「…………」
妖怪の声を聞く限り、まだ攻撃はされていない。家の中の様子を見る限り、まだ侵入もされてもいない。
目の前にある風丸の部屋の襖を開けると、布団から抜け出したような跡があった。布団に触ると、まだ温かい。さっきまでここで寝ていたことが伺える。……ならば、まだ遠くに行っていない。
結希は廊下に戻り、家の中にいても肌寒い十一月の気温に顔を顰めて廊下を走る。
雷雲ならばどうする。裏口を覗くと、開けた形跡は見られない。雷雲ならばどこに逃げる。地下へと通じる蔵に行く為には、一旦家から出ないといけない。雷雲は──……
「……逃げ、ない?」
妊婦の陽縁を連れて逃げ切れるほど、凶暴化した妖怪は優しくない。ならば、まだ、家の中にいる?
「…………風丸! 雷雲さん!」
もう一度声をかけて走り回る。近くに陰陽師の気配が三、半妖の気配も三。そして騒ぐ自分の血。
「結希様!」
足を止めると、目の前にスザクが姿を現した。
「麻露様たちも鈴歌様に乗られてこちらに向かっております! 判断は現場に任せるとのことです!」
「あぁ、わかった」
「結希様? 何かありましたか?」
「いや、風丸の居場所がわからなくて……」
「……ユー、カナセたちもこっち来てる」
「真でございますか?! ならば今回もいつも通り勝てますね!」
「……うん、勝つ」
「…………スザク、オウリュウ、風丸は今どこにいる?」
力がない人間を一発で探し出すのはほとんど不可能だ。自力でないと見つけられないなんて、こんなにも不便なことはない。
「どこに……でございますか? それは飛んでみないとわかりませんが……」
「……いいの?」
いや、飛ばせて風丸の目の前に二人を出すことだけは避けたい。例え、それだけしか手段がなかったとしても。
結希はスマホを握り締め、もう一度風丸にかけてみる。
「スザク、オウリュウ、三人の元に行って先に戦っててくれ」
「承知いたしました!」
「……うん、守る」
「頼む」
守れとは言っていないが、二人は結希の意図を汲んで飛んでいった。普段の結希ならば風丸をスザクに探させるだろうが、この状況で風丸を無視することはできなかった。
百鬼夜行で人が死んだ。たくさん死んだ。妖怪は人を殺せるし、人は妖怪のせいで死ぬ。
そのことを半年前よりも深く理解していた結希は、どうしても風丸のことを無視できなかった。お腹に子を宿した母親になる直前の陽縁のことを、無視することなんてできなかった。
そしてその分、姉妹たちのことを半年前よりも信用している。心春の強さも、和夏の強さも、結希はよく知っている。
『結希? こんな時間になんだようるさいなぁ!』
「あ、風丸?! お前今どこにいるんだよ!」
『どこって家に決まってるだろー?』
「んなわけないだろお前部屋にいないんだから!」
『…………待て、なんでそのこと知ってんだお前』
「いいからさっさとどこにいるか……」
『もしもし結希さん、お電話代わりました雷雲です』
「雷雲さぁん!」
良かった。雷雲が傍にいるということは、全員で避難できたということだ。それだけで一気に安堵する。力が抜けてすべての問題が解決できたような気分になる。
『こちらは全員で家の地下にいます。避難できるような余裕がなかったので仕方なくだったのですが、結希さん、上の状況はどうなっていますか?』
「上は妖怪が全方位取り囲んでいます。一応退魔避けの札を貼ったのでしばらくは無事ですが、倒さない限りそこにいても危ないと思います」
『倒す……。結希さん、お願いできるでしょうか。ここから他の土地へ移動することはできないので、貴方がたの到着を待った方が懸命だと判断していました』
「それで正解だと思います。雷雲さん、風丸たちをよろしくお願いします」
いや、頼まなくても雷雲は守る。何故なら風丸は我が子同然で、陽縁は妹で、陽縁の旦那はちゃんと家族だからだ。
『結希さんも、よろしくお願いします』
雷雲の声が背中を押す。当たり前だ。必ず守る。ここにいる妖怪を倒してからマギクたちの元へ行っても大丈夫だろう。
それくらい、結希は心春と和夏の強さを信じている。
──依檻の深すぎる愛を知っている。




