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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第八章 業火の大罪
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九  『業火の帰還』

 抵抗せず、依檻いおりが一緒にいてくれることを信じていれば現状怖いものなんて何もない。

 田んぼ道を走っている車はどう考えても《十八名家じゅうはちめいか》の本家が密集している地区を目指しており、山々を背景とした畑だらけの殺風景がどこまでも広がっていく。


 点々と見える和風の大屋敷はすべて《十八名家》の本家屋敷で、その中の一つである炎竜神えんりょうしん家の屋敷を結希ゆうき陰陽師おんみょうじの力で見つけてしまった。


 依檻が中にいる。同時に弱い力を持った別の半妖はんようもいる。

 車から放り出された結希は炎竜神家の本家を見上げ、依檻が乗っていた車が既に到着していることを確認して大人しく中へと進んでいった。


 結希たちを連れ去った組員も、中にいた組員も、全員オレンジ色の頭髪をしている。ここは本家だ。そんなに人数がいるとは最初から思っていなかったが、あまりにも少ない気がする。

 元から六年前の百鬼夜行で削られてしまった《十八名家》の人々の命だ。その中に帰還する運命を背負っている依檻も、削れた命の灯火を抱えている。炎竜神家が不滅だとしても、《紅炎こうえん組》が絶滅の危機を迎えていることは明白だった。


「おい」


 外観と大きく異なる西洋風の廊下を恐る恐る進んでいると、めぐむに呼び止められた。振り返ると、恵は腕を組んで自分のことを睨んでいる。


「な、なんですか」


「お前はこっちだ。あの人たちの邪魔はさせない」


 じゃあどうして連れてきたんだろう。用はないと言われたばかりなのに。

 渋々恵について行き、大理石の廊下を歩いていると彼女がとある一室に結希を通す。応接室らしき部屋に無理矢理押し込められ、下がると恵が詰め寄ってきた。


「俺に何か用ですか」


「そうだ。お前に聞きたいことができた」


 仁王立ちをして偉そうな態度を取る恵は、今のところ銃を抜く気配がない。ずっとそのままでいてほしいが、恵の気の変わりようはあまりにも早すぎる。気は抜けない。


「あの女は、百妖ひゃくおう家で何をしている」


 不満そうな表情で言葉を吐いた末っ子の恵は、それだけのことを気にかけていた。


「……何、ってなんですか?」


「なんであの女はこの家に帰ってこない。そもそもお前ら全員元の家に帰ってないだろ。なんでだよ。おかしいだろ」


 その疑問は最もだと思う。だが、そんなにストレートに思いをぶつけてきた〝他人〟は恵が初めてだった。

 唾を飲み込み、百妖家の一員とはいえ帰るべき《十八名家》の家がない男にそれを尋ねることは何もおかしいことではないことに気づく。他の姉妹に聞かなかっただけまだマシだが、聞かれて答えられるようなものでもない。


 それは、結希が決められることでも考えるべきことでもないのだ。結希以外の全員の問題なのだ。


「そんなすぐに帰ってくるわけないじゃないですか」


 一応答え、麻露ましろ熾夏しいかの諍いを思い出す。あれは一ヶ月前の出来事だった。あの日からもう一ヶ月経ったのだと思って、あの日からずっと恵は依檻に接触を図っていたのかと気づいて、顔を歪める。


「なんでだ」


「あの人たちは家族です。少なくとも、貴方と依檻さんよりも家族なんです」


 だから、別れることなんてできない。


「みなさんが姉さんたちの帰りを待っていることは知っています。でも、姉さんたちの中には何も知らない人もいる。月夜つきよちゃんと幸茶羽ささはちゃんもまだ幼いんですよ?」


 だから、例えそんな未来があったとしてもそれはもっと先の話になる。


「それはそんなに難しいことなのか?」


 訝しげに尋ねた恵は、彼女たちの何を知っているんだろう。一つ屋根の下で暮らしたことも、同じ釜の飯を食べたこともないくせに。


「難しいんですよ」


 言い切って、ほんの少し前まで怯えていた恵とまともに会話ができたことに驚いた。依檻の本当の妹の恵は、どちらかというとひそかに似ている。依檻はそのどちらにも似ていない謎の女性だが、二人の間に彼女が入ると三姉妹なのだと認めざるを得ないほどには似てしまっている。

 恵は怪訝そうに眉を顰め、改めて結希のことをじっと見上げた。特に何かを言うわけでもないのに、その視線は一瞬たりとも逸れようとしない。


「……結希」


 なんですか、という意味を込めて視線は逸らさなかった。


「…………よく、生きてたな」


 毒気が抜けた表情で、この世のものではないものを見るかのようなブラウン双眸が細められる。

 六年前はまだ未成年だったかのような若々しさがある恵だが、死線を何度もくぐり抜けてきたかのような猛者の目をする彼女でさえそんな顔をしていた。


 貴方も。そう答えようとして言葉を飲み込む。


 六年前の百鬼夜行で一体どれほどの人が亡くなったのだろう。他の姉妹の本当の家族は、一人も欠けずにちゃんと生き残っているのだろうか。本家だからと言って、大事に大事に守ってもらったのだろうか。


「…………」


 何一つ答えられそうになくて結希は固く口を閉ざした。

 生きていたのは貴方の姉のおかげだとも言えなかった。


『遅いわよ、密。いつまで私を待たせる気?』


 刹那、本人の声が降ってくる。開け放たれた窓を見て、上階の窓も開いているのだと判断し窓際に寄り添う。恵はそれを咎めなかった。


『待たせているのはそっち』


『あらら。そう来るのね』


 こちらの会話にも、いつもの依檻らしさはない。結希はそれに安堵してしまい、思わず背筋を伸ばした。


『旧頭首がすぐに来る。そこで何を言われるのか、私は知らない』


『あっそう。貴方から言いたい言葉はそれだけかしら?』


 どことなく、先月の熾夏に似た変わりようだった。彼女たちが長く共に過ごしているのは百妖義姉妹の方。似てしまうのはわかる気がするし、依檻は育ての親の朝日あさひにも似ているのだから仕方がない。


『炎竜神家の分家はもういない』


 密の言いたい言葉は誰かの死だった。


『知ってるわよ? 二年前、彼の死の原因がどれほどの騒ぎになったのか知らない人間なんてどこにもいないわ』


 炎竜神家の分家。つまり、《グレン隊》の──。

 そこまでの思考に至って口元を抑える。気を引き締めていないと言葉が漏れてきてしまいそうだ。


『だから、依檻に帰ってきてもらわないと困る』


『…………。もう少し、頑張れないの?』


 密の誤魔化しのないありのままの言葉は、依檻の意思に変化をもたらした。頼み込むような口調で密に尋ね、結希は息を殺して密の呼吸音に耳を澄ませる。


『旧頭首が前線に復帰しない限りは、無理』


 それは僅かな希望だった。


『断言したわね。信じるわよ?』


『構わない。私は思ったことを言っただけ』


『頼もしいわ。さすが私の〝お姉ちゃん〟』


『麻露は違うと?』


 淡々と尋ねた密だったが、禁忌とも言うべき事柄だということは気づいているのだろうか。

 結希だけでなく、恵も息を殺して傍で聞き耳を立てている。二人の邪魔はしたくない。それでも、恵自身も気になるからこの部屋を選んだのだろう。


『そうは言ってないわよ。あの人も頼もしい。頼もしすぎて、手出ししないとどこまでも突き進んでしまうくらいにね』


『どういう意味』


『そのままの意味よ。だから、まだ離れられない。私はシロねぇのことも信じているから』


『そう。信じる人が二人いるなんて大変ね』


 それを大変と呼べる密はどういう生き方をしてきたのだろう。

 結希は今、信じられる人たちに囲まれながら暮らしている。あの亜紅里あぐりでさえ結希は信頼しているのだから──大変と言う意味がわからない。


『大変なんかじゃないわ。私、その二人のこと好きだもの。でもね、私は今あの子たちを命懸けで守ることに生きる喜びを感じている。本来だったらただの戦友だったあの子たちを育てて、守って、心を結んで、ずっと共に戦っていることに幸せを感じているの』


『歪な幸せね』


『何が違うって言うの? 《紅炎組》が親族だけで群れて戦っていることと、私たちが家族として共になって戦っていることの──何が違うの?』


 隣の恵が息を呑んだ。恐る恐る結希に視線を移し、問うような視線を結希と絡ませて唇を噛む。


『なるほど。そういう発想はなかった』


『家族じゃなかったら、私たちはこうして強くなっていないわ。歴代最強って言われているの知っているでしょう? それは、みんなが力を合わせて切磋琢磨して来たから。お互いの弱点を把握して、カバーして、自分の力を見つめてきたから。だから私たちは強いのよ』


『六年前に証明してほしかったけれど』


『……それはごめんなさい。みんな未熟だったのよ』


 家族じゃなかったら出逢えなかった。出逢ってなかったら六年前はもっと悲惨だった。それを間接的に抑えてくれたのは実母の朝日で、それを直接終わらせたのは実子の結希だった。


『でもね、今は結希もいる。陰陽師との連携方法も私たちは学んだし、もっともっと強くなってる。そうだと考えて、私たちが共にいたことを納得してほしい』


『私たちが弱かったと言いたいの? 依檻』


 密が何かを答える前に、別人の声が聞こえてきた。この力は──弱々しい半妖の力だ。


『……旧頭首』


『……〝お母さん〟』


 言葉を漏らした依檻は、彼女のことを〝お母さん〟と呼んだ。ごく自然に〝お母さん〟と呼ばれた女性は、炎竜神家の旧頭首──燐火りんかだった。


『実際、弱かったでしょう』


『……勝率は私たちの方が上なのにね。でも、私たちの時代の妖怪はあんなに強くなかったし、貴方たちのように応用した技なんて何一つ持ってなかったのも確か』


『そうなの? 先代の話なんて聞いたことなかったからありがたいわ。貴重なお話どうもありがとう』


『余所余所しい態度は止めなさい、依檻』


 結希の母のような、包み込む優しさは燐火にはない。自らが腹を痛めて生んだ娘の密と恵から〝旧頭首〟と呼ばれているこの家庭に、温もりもない。あるのは燃え盛る炎の名と組の名だけだ。


『ごめんなさい。でも、私は貴方のことをあまり知らないの』


『それは私も同じ。でも、知らないことってそんなに問題なの?』


『親子なのに何も知らないっていうのは問題じゃないかしら』


『私はあまり問題だと思わない』


 価値観がまったく合わない親子だと思う。恵と視線を合わせてやれやれと首を降り合い、いつの間にか恵が敵意を抱いてこないことに気がついた。


『そんなに余所余所しい態度を止めてほしいなら……わかったわよ。ねぇお母さん。さっき話していたことを実行してくれる?』


『私が組に戻るということ?』


『そうよ。聞いていたんでしょう?』


『……わかった。その代わり、一年以内に戻ってきなさい。それが条件よ』


 依檻はその言葉に了承した。了承してしまった。結希や他の姉妹が止める暇もないまま、次女の依檻は──。


「マジか」


 恵が目を見開く。


「……いいのか?」


 そして、何故か結希にそう尋ねてきた。


 結希は、何も答えられなかった。

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