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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第八章 業火の大罪
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一  『居候、再び』

 二週間ほど様々な陰陽師おんみょうじの家を転々とし、紫苑しおんが渋々百妖ひゃくおう家の敷居を跨いだのは翌月の一日だった。

 不貞腐れた表情で茜色に染まったリビングに入室し、集まっていた数人の姉妹の視線に萎縮してすぐに背中を丸める。結希ゆうきとほとんど同じ身長を持つ彼だったが、やはり年下なのだと思わせる若々しい不満げな表情が妙に脳裏に焼きついていた。


「彼が末森すえもり紫苑だ。百妖家の一員になるわけではないが、居候であることに変わりはない。それなりに仲良くしてやってくれ」


 麻露ましろの説明が入るが、そのことはもう全員が知っていた。百妖十三義姉妹と、亜紅里あぐりと、結希と、住んではいないが時々顔を見せに来る仁壱じんいち。そしてそれは、亜紅里の肩に乗ったママとポチでさえ知っていることだった。


「何か一言くらいあってもいいんじゃないの?」


 ほんの少しだけ棘を含ませて紫苑を啄く愛果あいかの中に愛はない。椅子に座って頬杖をつき、ジト目のまま紫苑からの言葉を待っている。


「…………紫苑、十六。柊命しゅうめい高、一年…………よろしく」


 最後の一言は本当に小さな声だったが、地獄耳を持つ姉妹と結希には聞こえていた。


「俺の部屋は五階に上がってすぐに見える部屋だから、とりあえず荷物だけ置いてけよ」


 家から持ってきたわけではない故にたいした量ではなかったが、紫苑は小さなキャリーケースを持ち上げて逃げるようにリビングを後にする。

 愛果は盛大にため息をつき、足を振り上げて隣の椅子に思い切り振り下ろした。


「別に住み着くのはいいけどさ、なんなのあの態度。ムッかつく」


「わからなくはないけどねぇ〜。敵だったんだし、色々と気まずいんしょ! 紫苑はマシな方だったけど、あいつらゆうゆうのことめちゃくちゃ恨んでるしねぇ」


「えっ? なのに紫苑さん、うちに居候することに同意したの?」


「何考えてんだかわっかんないなぁ〜……。でも、結兄ゆうにぃはここにいてほしいんだろ?」


 椿つばきに話を振られ、結希は頷く。そうして自分の中にあった思いを吐露した。


「ほっとけないってのも勿論あるけど、紫苑のことを監視してたいっていうか……目の届かないところにいられると不安になるっていうか……」


 ……何故か、紫苑の行く末を見守ることが宿命のように思えていた。

 それは決して言えなかったが、愛果はたったそれだけの言葉ですべてを理解した気になって突っ込む。


「年下に甘すぎか。だからアンタって、お人好しってわけじゃないのに変なモノに憑かれるんじゃないの?」


「いや、憑かれてはないけど」


「憑かれてるでしょ。翔太しょうたとか、タマとか、他の《十八名家じゅうはちめいか》の連中とか? 仁壱だって、アンタにはクソみたいにどうでもいいようなことでも長々と喋ってる節があるしさ?」


 それは単に仁壱が他の姉妹に対して苦手意識を抱いているからだが、結希は言わないでおいた。言ったら仁壱からそれなりに恨まれる。これ以上変な人間から恨まれたくない。


「スーちゃんとオーくんもお兄ちゃんにべったりだよね!」


「えぇ……? あの二人はそもそも俺の式神しきがみだしな……」


 そんなに憑かれているだろうか。自分ではよくわからないが、言われてみると思い当たる節は結構ある。


「ま、今に始まったことじゃないしもういいけどさ」


 そう言ってため息をついた愛果だったが、麻露に突っ込まれて顔色を青ざめさせた。


「そうだぞ愛果。君は紫苑なんかに構ってないで、受験勉強でもしたらどうだ?」


「言ーわーなーいーでーよーシロねぇ! 現実逃避くらいさせて!」


「受験まであと百日もないだろう? 模試がいい結果でなかった以上、君は死ぬ気で頑張るべきだ」


「聞ーこーえーなーいー! 聞ーこーえーなーいー!」


 子供のように首を振り続ける愛果を横目に、結希はわざわざ亜紅里を探して視線を向ける。すると、亜紅里も結希を青ざめた顔色で見つめていた。


「結兄、あぐねぇ…………期末そろそろだけど大丈夫なのか?」


 事態を察した椿に核心を突かれ、二人して盛大に視線を逸らす。学ばなかった小学生と中学生の科目、及び現在進行形で学んでいる部分は麗夜れいやの尽力のおかげでなんとかなっているが、テストとなると話は別だ。


「……あたし、次赤点取ったら留年っぽい」


「……奇遇だな、俺もだ」


 特に結希は、亜紅里と比べて出席日数も圧倒的に足りていない。テストでなんとか挽回しなければ、教師からの慈悲は得られない。


「留年?! 二人ともそんなにヤバかったのか?!」


「シロ姉、ウチよりも来年に目を向けた方がいいんじゃない?」


「来年組は来年組でなんとかするさ。留年するかもしれないし、考えたって仕方がない。そんなことよりも今年は愛果だ、逃げようとするなよ?」


「留年したら受験組が〝四人〟になって大変なんじゃないの……? まぁ、ウチも浪人したくないから頑張るけどさぁ」


 愛果は沈んだ表情のまま立ち上がり、覚束ない足取りでリビングを後にした。

 入れ替わるようにして戻ってきた紫苑は不気味そうに愛果を視線で追い、その場に突っ立って首を傾げる。


「そういえば、紫苑はいつ停学終わるんだ?」


「はぁ? んなのもう終わってるよ」


「…………ん?」


 尋ねると、あっさりとした口調で予想外の言葉が返ってきた。


「えっ? でも、今日って火曜なので学校……ありましたよね?」


 だいぶ男性に慣れてきた心春こはるの動揺を知ってか知らずか、紫苑はなんでもないような表情で近くにあった椅子に座る。


「停学になったのは五月だから、もう半年も行ってねぇな」


「いや行けよ! おまっ……俺よりも単位ヤバいんじゃないか?!」


「うちは単位制じゃねぇーし。ま、出席日数的に考えて留年はもう確定事項だと思うけどな」


「えっ…………? じゃあ今うちには三人も留年しかけてる奴がいるのか…………?」


「留年ってなぁ〜に?」


「同じ学年をもう一回やることだよ、つきちゃん」


 月夜つきよは心春の説明を受けて瞬時に理解し、「えぇ〜! そんなのやだ〜!」と地団駄を踏む。その様子を、今まで一言も喋らなかった幸茶羽ささはがソファに座りながら見つめていた。


 黄昏時が始まった時間帯の百妖家には、和夏わかなを除いた学生組と定時に帰宅ができる麻露、そして未だに眠り続ける真璃絵まりえしかいない。

 仕事がある依檻いおり歌七星かなせ鈴歌れいか熾夏しいか朱亜しゅあは当然のように家を空けており、紫苑はまだ半分の姉妹にしか挨拶できていなかった。


「紫苑。うちにいる以上は学校に通え。嫌ならばさっさと退学しろ、命令だ」


「はぁ? なんでてめぇにんなこと言われなきゃ……」


「もう一度言ったら、今度こそ本当に氷漬けにするぞ?」


 吹雪で紫苑の足を固めた麻露は、背筋が震えるほどの笑みを浮かべて腕を組む。

 魔物のような、人を竦ませるその笑顔。目が合った瞬間に凍え死にそうな、絶対零度の視線。たったそれだけで口を噤んだ紫苑は目を白黒させ、「……はい」と思わず裏声になった敬語で頷いた。


「シロ姉に逆らったら死んじゃうよ〜? この人、マギクみたいにゲロ甘なんかじゃないから来る家間違えたね! ドンマイ! あ、だからってやっぱ出てくとかナシナシよ〜?」


「うるせぇよ女狐」


「ニッヒッヒッ、それは褒め言葉ですぜぇ紫苑クン?」


「あ? 死ね」


 恨んでいるはずの結希以上に暴言を吐く紫苑。そんな紫苑を再び氷漬けにする麻露。


「居候の分際で私の家族に暴言を吐くな」


「……はい」


 理不尽な麻露に対して何かを言いたかったのだろうが、紫苑はぐっと言葉を飲み込んで大人しく麻露に従った。それが正しい。この場にいた学生組全員がその判断を推奨する。


「まぁ、学校に行くか行かないかはじっくりと考えさせてやる。まずは、これからどうするかだ」


「これから?」


「殺すのさ、これからな」


 紫苑はその言葉を聞いた刹那に体を強ばらせた。ぎこちなく動く目玉が亜紅里の肩に乗ったママとポチ子を捉え、ゆらゆらと揺れるその実体に表情までもが引き攣っていく。


「今は、黄昏時だ」


 元の大きさに戻ったママを肩に乗せることはできず、傍らに腰を落としたママの背中を亜紅里は撫でた。


『コロスノカ、フタタビ』


「うん。ごめんね、かあさん」


『イヤ、イイ。コノマチノヤツラハミナ、クルッテイル。コロシテ、シアワセニシテヤレ』


「うん。ありがとう、母さん」


『キュー!』


「ポチ子もね」


 ポチ子の全身を撫で回し、唯一戦うことを許されていない亜紅里は「いってらっしゃい」と全員に声をかける。


「行くんだろ? 紫苑は」


 裏でも表でもない亜紅里からの合図を受け取り、結希は正面に立って紫苑に尋ねた。

 紫苑はいつの間にか落ちていた視線を上げ、結希の方をじっと見つめる。その瞳の中にすべてが詰まっているような気がした。憎悪と恐怖が入り乱れた表情ができる紫苑の哀れな境遇に同情した。


 そうして、やはり自分は紫苑の運命の行く末を見守り続けなければならないのだと改めて思った。


「ここに残るのは愛姉あいねぇだけだぜ? いないのは仕事中だろうし、多分合流は無理だと思うけど」


「いっつも二手に分かれてるんですけど、紫苑さんはお兄ちゃんが行っていない方に行きますか? それとも、お兄ちゃんのやり方を一度見てみますか?」


「つきとささちゃんも行くよ! まだ力は使えないけど、頑張るから!」


「…………」


 一瞬だけ、幸茶羽が小さく息を吐いた。それを見逃さなかった結希は幸茶羽に視線を止め、何かあったのかと観察する。


「仮に俺がこいつと一緒に行ったとして、テメェらはどうやってトドメを刺すんだよ」


「別に陰陽師の力がなくてもダメージ与えたら普通に消えるからなぁ」


「だとしても戦力的にも偏るだろ」


「ならば半妖はんようと陰陽師で分けてやってもいいんだぞ? 君と結希にはもう一人ついて来るからな、たいした心配はしていない」


「いや、紫苑には半妖の戦い方を見てほしいので今回は一塊になって行きません? 姉さんたちのほぼ全員が参加しませんし、面子的に考えても戦闘範囲は被らないでしょうし」


「シロ姉とぼくは遠距離の制圧型、つばねぇは近距離の攻撃型、お兄ちゃんと紫苑さんは遠距離の防御型でサポート役だもんね」


「はぁ? 俺は接近戦もできるっつーの。オールマイティーなんだよ俺は」


「妖怪相手の接近戦なんてしたことねぇくせによく言うな」


 突っ込むと、紫苑に軽く叩かれた。結希以上に鍛えているからか軽くてもかなり痛かったが、照れ隠しなのだと判断して文句は言わない。


「じゃあ、行くぞ」


 麻露の一言で全員が立ち上がった。結希は紫苑の氷を陰陽師の術で溶かし、彼の肩に軽く手を置く。


「頑張れよ」


 紫苑は一瞬驚き──


「誰にモノ言ってんだよ」


 ──次の瞬間には不敵な笑みを浮かべていた。

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