序幕 『崩壊する運命』
目の前に、間宮結希が立っていた。そして、その隣には百妖家の双子の片割れが立っていた。
俺は片割れを睨んで間宮結希に視線を向ける。間宮結希は、「幸茶羽ちゃんがどうしても会いたいって言うから」と説明して俺の方に片手を伸ばした。
鉄格子が奴と俺の間を阻む。
間宮結希は唇を噛み、ずるずると腰を落として地べたに胡座をかく俺と同じ目線になった。
「紫苑。何か俺に話すことは?」
「ねぇよ」
何かってなんだ。なんでそんなアバウトなんだ。
だいぶ年の離れた弟を叱るような兄の口調だった。それはあながち間違っていなくて、間宮結希を睨みながら顔を顰める。
「阿狐頼の目的は?」
《カラス隊》の隊員もそれを聞いてきた。多分、聞けと言われて聞いているのだろう。感情のない──まるでロボットが喋るかのような表情をしている。
「……百鬼夜行をもう一度引き起こすとかなんじゃねぇの? 知らねぇよ、あんな女狐の思惑なんか」
が、俺は奴らと違って間宮結希にはちゃんと答えた。
間宮結希には知ってほしかった。間宮結希には嘘を吐けなかった。
「何も教えてもらわないままやってたのか?」
「会ったこともねぇしな。指示はいっつもババァが出してた」
「じゃあ、マギクならすべてを知っているのか……。ていうか、お前の仲間は一体何人いるんだ?」
「ババァは女狐のお気に入りだしな。俺の仲間は……」
そこで俺の言葉が途切れた。
間宮結希に話したいことならば、いっぱいある。かつて敵対し、今でも敵対している《カラス隊》に言えないことでも間宮結希なら言おうと思える。なのに。
「仲間は?」
「…………仲間、は…………」
「家族だから言えないのか?」
「違う!」
叫んだ瞬間、片割れがビクッと肩を震わせた。間宮結希は目を開き、口を小さく開けて馬鹿面を晒す。
なのに、口が開かなかった。俺と間宮結希の関係は言ってしまえばなんでもないような事柄でも、その一歩を踏み出すことが死ぬほど怖くて俺は盛大に顔を歪めた。
「……仲間じゃねぇ。家族でもねぇ」
認めたくない。六年も前からそうだった。《グレン隊》に入った四年前もそうで、《グレン隊》が解散して渋々帰った二年前もそうだった。
「……あいつらは、戸籍上の家族であって俺にとっては赤の他人だ。五人いて、戦えるのはそのうち二人で、術を使えるだけなのは一人だけ。戦えないのが二人いて、式神も二人いて、俺らの養父と一人の式神が…………あの組織の全構成員だ」
双子の兄の春でさえ、俺にとっては赤の他人同然だった。一緒にいたくない。価値観が合わない。安らげる居場所じゃないから離れたい。……でも、ずっと見捨てられなかったのも確かだった。
「春も他人なのか? お前らは血が繋がった双子……」
「双子だからなんだよ! 双子だったらわかり合えて当然だって言うならそれはちげぇんだよ! 双子だから嫌なんだよ! 双子だから、気味が悪くて吐きそうなんだよ……!」
春が嘔吐を繰り返していたあの時期よりもずっと前から、俺は何度も吐いていた。〝同じ顔〟が、腸が煮えくり返るくらいに気持ち悪かった。
鉄格子に頭をぶつけ、間近で間宮結希を見る。間宮結希は驚いていた。片割れは眉を八の字に下げて俺を見下ろしていた。
……わかるよな、片割れなら。俺もわかるよ。
声なき声で同意して、俺は視線を落とした。どこで何を間違えたのか、わからなかった。
「ごめんな」
短く謝罪される。鉄格子越しに俺の頭に触れた間宮結希は、ただ乗せただけで撫でるような愚行はしなかった。
「…………」
頬を伝う涙の意味はなんだろう。なんの為に泣いて、誰を想っているのだろう。
「ここから出る気はあるか?」
涙が床に落ちる前に問われた。俺は頷き、間宮結希の手を滑り落とさせる。
「乾さんが、喋ることを俺に喋ったら出してやると言っていた。そこからは、陰陽師の誰かの家に保護観察処分者として行くことになる」
だが、この檻から出てどうすればいいのかがわからなかった。
「……俺は、あいつらの仲間になんかなりたくない。俺は、妖怪が憎いから……殺したいから…………俺は、妖怪を一匹残らず殺してやる」
ずっとそう思っていたから、それ意外にやることがない。妙に子供っぽいことを言っている自覚はあったが、止められなかった。
「…………俺は、まだわからない」
そんな俺を前にして、間宮結希が言葉を漏らす。
「まだ、何が正しいのかがわからない。人間と人間は同じで、だから妖怪と妖怪は同じだって思ってた。けど、タマ太郎やママやポチ子を見てると妖怪と妖怪は違うってことがよくわかる。だから、俺と紫苑も違うんだと思う」
何を当たり前のことを言っているんだろう。意味がわからない。
「最後に選ぶ道は、違うと思う」
顔を上げた。それは確かにそうだと思った。間宮結希の瞳には俺が映って、俺の目には間宮結希が映っていた。
──似てるな、やっぱ。
考えるよりも先に魂がそう思っていた。だからぽつりぽつりと言葉が漏れる。
「……毎月、吉日が近くなるとババァからやることを告げられる。俺たちはそれに従うだけだ」
「なんでマギクは阿狐頼に従う?」
「養父が女狐に従うからな……。あいつらにとっては、養父がすべてだ。養父にとっては、妖怪を守ることがすべてだ。女狐はぽやぽやしてる養父に対して上手く本性を隠しているみたいだが、ババァも、春も、美歩も気づいてる。奴は異常だ。百鬼夜行をやる意味はわかんねぇけど、少なくとも女狐が見ている対象に妖怪はいねぇよ」
「それでも手を組んでいるのは、結果が同じだからか?」
「……そうだろうな。俺たちの養父も、ぽやぽやはしてるが聖人君子ってわけじゃねぇ。時々、『悪いのは人だ』って呟いて遠くを見てる。……お前なら、その意味がわかるんじゃねぇか?」
「……え?」
──やっぱり、言わなきゃこの男には伝わんないか。なのに、一番言うべき言葉が出てこない。
口をもごもごと動かして、喉まで出かかって、勝手に扉を開けた乾に邪魔された。……乾にとって、この事実は言わなくていい事実だった。
「もういい、結希。そいつは私が隊長に話して釈放させる」
「えっ、もういいんですか?」
「そいつは組織の核にはいねぇ。《グレン隊》として抜けてた時期もあるんだ、春の方が詳しく知ってるだろう」
「…………わかりました」
だが、間宮結希は話し足りないような表情で乾を見ていた。乾は扉を閉め、再び門番の役目に徹する。
「なぁ、紫苑。《カラス隊》や《十八名家》はお前の意思を汲んで居候させる家を決めるみたいだが……その場所はもう決めてるのか?」
「お、れは……」
唾を飲み込んだ。そんなの、俺にはもう決められないことだった。
「……俺は、両親を殺した妖怪が許せねぇ」
それが、俺が運命の歯車に飲み込まれた瞬間だった。
「……愁晴さんを殺した妖怪が許せねぇし、《グレン隊》を破滅へと追いやった妖怪が許せねぇ」
運命に抗って、別の歯車に組み込まれた瞬間に消え去った楽園はもう二度と戻ってこない。
「……俺がいると、誰かが妖怪に殺される」
目頭が異様に熱かった。痛かった。流れるようには零れずに、目頭の奥で暴れ狂って鼻の奥がツンとなる。
「……俺はもう、どこにも行けない」
間宮結希を殺したくなかった。俺の、六年も前から勝手に憧れて勝手に慕っていた〝兄さん〟を──俺の運命に巻き込みたくなかった。
「……なら、うちに来るか?」
「人の話聞いてたのかよてめぇ!」
「聞いてたけど……。末森さん家よりかはマシだろ?」
そういう意味で百妖家を選んだわけではない。この男は、やっぱりわかっているようでちょっとだけ何かがズレている。ぽやぽやしたポンコツだ。そういうズレ方は嫌いではないが。
「俺ん家、俺以外みんな半妖だから陰陽師の手が足りないんだよ。妖怪を殺したいならお前にとっては居心地の良い場所だと思うけど?」
「ちょっと待て。下僕、貴様正気か……?!」
ようやく片割れが口を開いた。当たり前だ。俺なんかを受け入れて幸福になれるわけがない。
「麻露さんからの許可は貰ってないけど、多分大丈夫だと思うからさ」
「それになんの根拠があるんだ! 貴様が来て、亜紅里が来て、狐が二匹紛れ込んで、これ以上増えてどうするんだ! そもそも部屋も空いてないだろ!」
「それは俺の部屋でいいから、涙が来た時に使っている布団を常備させればイケるんじゃないか? 風呂もなるべく一緒に入るし、洗濯も一緒にするし、姉さんたちと被らないように気をつけるからさ」
「そういう問題ではない! どうして我が家ばっかり人が増え続けているんだ! ささたちの家がささたちの物じゃなくなるのは嫌だ! ささが知っている家じゃなくなるのは嫌だ!」
幸福には、誰もならない。
片割れの言葉が痛みを伴って俺を刺した。本当の本当に行き場をなくしてしまった者の気持ちがわからない片割れの本心は、まぁわかる。
俺も、変わってしまったことに恐怖を覚えたことがあるから。
「……幸茶羽ちゃん」
その時の間宮結希の表情は、片割れを傷つけるには充分すぎるほどに悲しそうな表情だった。多分無意識だったんだろうが、眉を八の字に下げて困ったように片割れを見ていた。
「ッ!」
片割れは間宮結希の肩を蹴り、「話し終わったならさっさと出てけ!」と扉を指差す。間宮結希は特別な言葉をかけずに無言で出ていき、残された俺は無言で片割れを見上げ続けた。
「なんの用なんだ? 片割れ」
「……貴様も片割れなんだろ」
片割れ同士の言葉の殴り合いはとてつもなく無意味だった。何も生み出さない。血だけがだらだらと流れるだけ。
こんなに痛むなら、百妖家になんて行きたくない。末森家にさえ自分は行けなくて、思いつく家は他にはなかった。
「……家」
「……は?」
「貴様の家は、どこなんだ」
それは、今まで誰も聞いてこなかった質問だった。俺は思わず唾を飲み込み、片割れをまじまじと観察する。
「…………てめぇ、それで最後に笑えんのか?」
尋ねると、片割れはさっきの間宮結希のように眉を八の字に下げて口を開いた。
「……ッ!」
戸惑っている。困っている。
小学生イジメは好きじゃないが、思えば片割れの今の年齢は俺が《グレン隊》に入隊した時の年齢と同じだった。
あの時──あいつらはなんて言ったんだっけ。
「……未成年は判断が鈍る。熟考しろ。その場の思いつきだけで行動すると火傷するぞ」
自分はまだ未成年だ。それでも、あの時一番効いた言葉はずっと覚えていた。
《グレン隊》に入隊して心から良かったと言葉にできるのか。出逢えて良かったと思っていても、自分が不幸にしたのだと思えば何も言えない。
──幸福は、一体どこにあるのだろう。




