十七 『総力戦』
熱いわけがないのに、辺り一面が深紅に覆われていると百妖家を包み込んだあの日の炎を思い出す。そうして結希は、オウリュウと千里の三人で手を繋いだあの日に見た千年前の赤き世界を思い出した。
「……紫苑、私、信じてるから」
それがどういう意味を持つのか結希にはまったくわからなかったが、紫苑は唇をきゅっと結んでアリアに応えた。
「結希! 乾! アリア!」
遅れて駆けつけてきた涙は三人の背後に立ったまま辺りの惨状に目を見開く。だが、すぐに警戒心を顕にさせて三人を守るように前へと進み出た。
涙と、乾と、アリア。家族が傍にいない時にいつも傍にいてくれたこの三人が結希を今日も勇気づける。
実弟のように結希を愛する涙が、血縁はなくとも他人じゃないからこそ結希の甘えを許さない乾が、乾と対になるかの如く結希を優しく包み込むアリアがずっと傍にいてくれるからこそ、結希は〝最後の砦〟となれる。
「──馳せ参じたまえ、スザク」
だからスザクを呼び出した。隣に立ったスザクは《半妖切安光》を無言で結希に握らせて、自分もすぐさま抜刀する。
静かな空間に不適切なほど《鬼切国成》と猛々しく共鳴し合う《半妖切安光》は、狂ったようにその身に宿る半妖の怨念を蠢かせていた。
「乾さんとアリアさんは朔那さんたちの救出をお願いします」
その為に来たはずなのに、救えなかったら後悔する。乾とアリアは無言で散開し、残された結希と涙とスザクは紫苑と相対した。
だが、相手は目の前にいる紫苑だけではない。春と少女の出方も伺わなければ──そう思ってひしゃげた電車の上にいる二人の姿を盗み見るが、二人の姿はどこにもなかった。
「……やられた」
瞬時に結希はそう思った。
アリアと結希に因縁のある紫苑を囮にすることで、自分たちから視線を外させる。だとしたら何故最初から姿を見せたのか──そこまで考えて、乾とアリアの迅速すぎる対応に改めて舌を巻いた。
『春と女の子がいない』
『春と女の子……? 了解です。ならば結希とスザクは二人のことを追走です』
『涙、紫苑は強い。その式神のタマモも強力だ』
『心配無用です。それに、春と女の子に関して俺は不知です。適任は結希とスザクです』
読唇術でやり取りをしているが、同じ陰陽師でも読唇術は習得してないらしく紫苑はずっと訝しげな表情をしている。結希は最後に『わかった』と告げ、涙の返答を見ずに走り出した。
「ッ?!」
「紫苑の相手は俺です」
息を飲んだ紫苑を足止めした涙にすべてを託し、ついてきたスザクに指示を出す。
「女の子の方は俺が探す! スザクは春を探してくれ!」
少女を見ていないスザクに春を託し、結希はあの時のマギクや紫苑のように顔を隠していなかった少女を探した。
ポニーテールに纏めた黒い髪。そして、闇よりも濃い漆黒の瞳。同じような容姿の人間なんてこの世界にはいくらでもいるのに、人混みの中に彼女を混ぜたとしてもすぐに見つけ出せるような〝何か〟を感じて結希はごくりと唾を飲み込んだ。
誰も見ていないというのもあるが、どうしても自分の目で見つけ出したいと思えるような彼女の〝何か〟を探して結希はトンネルへと続くホームを走り続ける。
要所要所では警官が蹲っており、彼らを一箇所に纏める乾と反対側のホームへとひしゃげた電車を乗り越えながら向かっていくアリアを横目に通り過ぎようとし──結希はアリアに声をかけた。
「アリアさん! そこからさっきの女の子見えませんか?!」
「え?! 女の子?!」
ようやく頂上へと上ったアリアはぐるりと辺りを見回して、《鬼切国成》を振り回す紫苑と彼を相手にする涙を視界に入れる。
「るいるい!」
何をするのかと思った瞬間、アリアは涙に向かって自身の愛刀である《如月》をぶん投げた。
「ゆうくん! あれ! 鈴歌さんたち来てるよ!?」
「えっ?!」
アリアが指を差すトンネルの方に視線を向けると、線路の上に白き一反木綿が着陸する。その上には何人も乗っており、ほとんど全員が来ていることが見て取れた。
「女の子と春はトンネルにいる!」
「アリア!? ッ、何が起きた!」
「あっ、さっくん!」
アリアは反対側のホームで朔那を見つけたらしく、そのまま飛び下りて見えなくなる。結希はひしゃげた電車の最後尾までホームを走り、線路に飛び下りて家族──そしてその奥にあるトンネルへと走る春と少女を見据えた。
「麻露さん! あの二人を止めてください!」
麻露はすぐさま結希を見、結希に背中を向けてその二人を確認する。既に半妖姿になっていた麻露は口に手を添えて息を吐き、吹雪を発生させて二人に襲いかかった。
だが、彼らは陰陽師だ。春は結希の声で振り返り、吹雪が自分たちの足元を凍らす前に結界を張る。
あと少し──そんな春の呟きを結希は読唇術で読み取って、間髪を入れずにオウリュウを呼び出した。
「──馳せ参じたまえ、オウリュウ!」
光の速さで結希の目の前に顕現した最古の式神のオウリュウは、地面を蹴って姉妹を飛び越える。結希はオウリュウが落下した瞬間に全員と合流し、その中に月夜と幸茶羽がいることに驚愕した。
なんで──。だが、その疑問が口から出てくることはなかった。
「妖怪が来ます!」
ざわりとした感触が肌を舐める。本能で彼らの出現を感じ取った結希が叫ぶと全員が構えるが、その数が常軌を逸していることを伝える前にオウリュウが春の結界を大太刀で打ち砕いた。
破片が茜色に照らされながら消滅していく。これで向こうの思惑は崩れたはずだ。春の窮地を受けてツクモが空から顕現するが、彼女はオウリュウと相対した瞬間に表情を絶望のものへと変えていった。
「──ッ!?」
殺気に怯えて結界を張ったが、咄嗟のことで簡易結界はすぐに破れてしまった。夥しい数の妖怪が知らぬ間に高架橋を囲んでいる。向こうはひとまずオウリュウに任せ、ここは全員で切り抜けた方がいい。
誰も何も言わずに背中を預け合った。全員無意識だったのだろうが、中心に月夜と幸茶羽を押し込んだ。自分たちに目玉を向ける妖怪はそんな一瞬の隙を突いた。
四方八方から押し寄せてくる瘴気を伴った悪意は実態を持たず、麻露の吹雪、依檻の炎、歌七星の水の矢、鈴歌と朱亜の絞め技、和夏の鉤爪、愛果の幻術、椿の薙刀、心春の言霊、結希の《半妖切安光》──すべてを使って打ち祓う。
何度も妖怪を殺してきたが、これほどの人数で迎え撃つのは初めてなのではないだろうか。一瞬の快感が結希の全身を血のように巡っていく。
「びっ……くりした! なんだこれ!」
「バカみたいな数ねぇ。今の、結構な力で跳ね返したはずなのにまだまだいるわよ?」
「結希くん、妖怪はここにだけ集まっているのですか?」
「はい。ですが、今は……だと思います」
「…………散ったら言って。ボクが運ぶ」
「じゃあ、ぼくが行くよ。ぼくの声が届けばかなりの範囲の妖怪が消えるし、ぼくの姿も力も一般の人からは見えないから」
「わぁ〜! 頼もしくなったね、ハルちゃん!」
「じゃ、そっちは全部鈴姉と心春に任せるから」
「やれやれ。向こうも総力戦、ということじゃな」
「無駄話はそれまでにしておけ。最悪な事態を避ける為に、ここでほとんどの妖怪をぶっ殺すぞ」
麻露の一言で引き締まる。ただ、中にいる月夜と幸茶羽だけは強ばっていた。
「結希様ぁ〜! 皆様ぁ〜! ご無事でございますかぁ〜?!」
「スザク!?」
瘴気が再び家族を覆う前に、スザクの声が電車の影からかかった。最初からそこで待機していたのだろう。自分が出ていく機を狙って結希に指示を仰いでいる。
「今は来なくていい! 《カラス隊》のサポートに入ってくれ!」
いくら妖怪退治のプロとはいえ、ほとんどがただの人間で構成されている小さな組織だ。彼らの身を案じた結希の判断を一時期共に暮らしていた姉妹が反対するわけもなく、「承知いたしましたぁ〜!」と高架橋から飛び降りていくスザクを見送る。
「……これを退けたら散開する。鈴歌と心春はここに残り、結希は月夜と幸茶羽に強力な結界を張ってさっさと行け」
バラバラな「了解」を耳にした麻露は、瘴気で覆われた空を仰いだ。
臭い。苦しい。気分が悪い。それらをすべて我慢して麻露は全員に合図を出す。そうして、爆発にも似た音が辺りに響いた。
「っ……まさか!」
赤き空が見えた刹那、全員が散開する中で結希だけが強ばった声を上げる。
結希の視線の先には、黒煙を上げるトンネルがあった。思わず足が動く。だが、月夜と幸茶羽に結界を張り忘れていたことに気がついて振り返った。
「きゃ……」
「あっ……」
声にならない悲鳴を上げた末の双子に襲いかかる悪意が憎らしい。
「ッ! 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
勢いで九字を切り、すぐに重厚な結界を張った。
「月夜ちゃん! 幸茶羽ちゃん! ごめん! 大丈夫?!」
声をかけるが、遠くにいる二人は聞こえているのかいないのか返事をしない。恐怖を顔に貼りつけて、寄り添って、泣きはしなかったが硬直していた。
「お兄ちゃん! 行って!」
姿が見えない心春に背中を押され、弾けるように再び駆ける。顔を上げると、町を包む結界に僅かな亀裂が入っていた。
「オウリュウ! どこだ!」
「……ここ」
呼ぶとすぐに駆けつけてきたオウリュウの全身は煤けており、不服そうな表情をしている。
「何があった!」
「……爆弾を使われた。妖力も何もないから完全には壊れてないけど、多少はこれで入ってくる」
オウリュウの言葉通り、亀裂から九尾の妖狐が無理矢理侵入しようとしているのが見えた。涙がずっと話していた罠は爆弾相手には効かないのだろうか。また未発動という結果に終わったそれの無能さに腹が立ちそうになるが、それ以上に阿狐頼の手札が豊富という現実を嫌というほど思い知らされてしまう。
「春と女の子は……」
「……結界を張ってあっちに逃げた」
あっち、というのは町外だった。よく見るとトンネルにも亀裂が入っており、これ以上は身の安全の為にも追うことができない。
「オウリュウ! 入ってくる妖怪を殺すぞ!」
「……わかった」
トンネルの亀裂から滲み出てくる妖力から距離を取り、結希は再び妖狐を見上げた。妖狐は体半分を既に侵入させており、結希は九字を切る為に手を構える。
『ココ、ドコ』
『ヘンナトコ』
『イタイ、イタイ』
『ヘンニナル』
だが、聞こえてきた声はとてつもなく無垢なもので。
『……タ、スケ……コロ、ス……』
何故か瞬時に凶暴化し、襲いかかってきた。




